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神醒躯導スピリデウス  作者: ↑
神、天にしろしめす
3/19

天の唄、地の焔

 ■


  聖なるかな(サンクトゥス)。永久の眠りにつく廃都震わせる祝いの組鐘(カリオン)

 

 聖なるかなサンクトゥス。曇影を断ち割って辺土を照らす御使の白輪(ハイロゥ)


 聖なるかなサンクトゥス。天を戴き地を翔け征くは神聖の鋼精霊(スピリデウス)


 唯一なる神の威光をその冠に抱き、福音を羽ばたきにのせ舞い踊る穢れなき白銀の戦輪舞ロンド

 魔を砕き邪を灼き悪を滅す善能なる断罪刑具ドゥナミス

 

 第9区画ポイント・ぺネルⅢ――二つの大都市エリアの周縁に位置し真世界外縁部への出入り口ともいえるこの一帯は、今もなお旧時代の面影を色濃く残す場所だった。

 タルシス級艦隊の放出する局所結界膜・天輪彩光(ファルナス)は標的を逃がさず、同時に強大に過ぎる機兵の破壊力から周辺環境を保護する役割も果たしている。また、筆頭鑑「アレオパギタ」に搭載された指向型霊性発振機・黄金鳴菅(マグナカリオン)の文字通り魂にまでも届く振動波フラクタスは並の魔性であれば消し散じてしまう程強力だ。

 だが何よりも威力を振るうのはやはり、4体の聖魂機たち。

一呼吸で三撃。斬り払う敵はその二乗。「敵」の侵攻は圧倒的な速度で繰り出される剣撃に尽く阻まれディキオスのそばに近寄る事さえ出来ない。

 にもかかわらず機中のダネルは困惑していた。

「…こんな数、今まで見たことないぞ」

『おっかねえんなら下がってもいいぜ、ダネル!』

「誰がびびるかよこんな虫風情!訓練には丁度いいッ」

『(しかし、こいつは確かにおかしい…)』

 表向きダネルには平静を装ったものの、幾多の経験を積んだウェルバにあってもこの数は異常であった。

 邪霊蟲(ラーバ)。鈍色の甲殻の側面に沿って突き出た牙で獲物を襲う機械虫で、不良化した環境維持用マイクロユニットが変性化の末暴走したものだ。放って置けば施設や人を無差別に襲う事もあり中々に厄介ではあるが、機兵を使えばそう大した相手でもない。

ところが、蠢く銀灰色の地面――目前のそれらは質も量も並の蟲どもとは桁違いだ。個々のサイズも通常の倍以上はあり耐振能力も一際。これではタルシス艦からの援護掃撃とて焼け石に水でしかなかろう。

「…文句いってもはじまらねえしな…っと!」

 蟲の原をめがけてダイヴィヌスが奔る。白地に金の装飾が施された重厚なフォルムは他の聖魂機よりもシャープな印象に欠けるが、むしろその無骨さがかえって力強さと安定感を見る者に感じさせよう。

 背部より排出される金色の余剰波ファルナによって機体は常に太陽に照らされているかのように薄く輝き、その姿は神意によって君臨する地上の王たる貫禄を醸し出す。

「なろッ!」

 ダイヴィヌスは大ぶりな六角形のハンマーを振り下ろした。巻き起こる砂塵とともに飛び散る蟲どもの飛沫。十二基もの独立式発振器フラクターを用いた圧倒的なエネルギーが生み出す膨大な圧力に耐え切れるモノなどそうそうあるまい。まさに一撃必殺、厳格なる審判を下す裁きの鉄槌。

「あー効率わりー」

ダネルは蹴散らせどすぐに湧き出る新たな蟲群に辟易する。大槌は威力こそ申し分ないものの、大群相手にはやや不向きな兵装だ。

「(ま、いい機会だし、ここは他の連中のお手並み拝見といくかね)」

「――――しつっこいんだよっ!」

ダネルが吠える。

 空から急降下する勢いのままにディキオスが双剣を蟲の一群に叩き込めば、放射状に散らばる光の微粒子と共に蟲たちはあえなく砕け散る。

と、突然、ダネルの視界が無数の影で埋まった。地中に潜んでいた蟲の強襲である。

「なろっ!」

 些か油断がすぎたか、大きな隙を作ったディキオスは腰まで蟲の渦に埋まり、なおも蟲たちは機体を這い上がりながら鋭く伸びた牙でがりがりと装甲表層を傷めつける。

「くそっ!」

 焦るダネルの耳に飛び込んできたのはミディの声。

『そこ、遊んでんじゃないわよっ!』

 同時に開始される遥か後方よりの援護射撃。

 飛来した無数の羽根が互いに連結し、変型し、人形をとって獲物を切り裂いてく。

 尚も勢い衰えぬ蟲群を前に即座に再分離した羽根は、今度は角錐を形成し、轟然と直進する螺旋の渦となって縦横無尽に群れを貫いていく。

 変幻自在の遠隔型兵器――ベヌデクテの特殊神級兵装・飛鐘分翅フォリムが蟲の河を渡りディキオスの戒めを解き放った。

『闇雲に突っ込むだけじゃ的か囮にしかならないって。いくら素人あがりだからってもちょっと頭使えるっしょ。オッケー新人くん?』

「…ああ、了解だッ」

 からかうようなニュアンスが癪に障るが、彼女の言い分は尤もだ。

当代の聖魂機搭乗者ドミヌスとしては最も多くの任をこなしているという彼女からすれば、ディキオスに乗ってまだ日の浅いダネルの挙動はいかにも未熟にうつるに違いない。半ば皮肉交じりとはいえ、それを裏付ける経験と実力が十二分にある以上、ダネルとしては彼女の忠告を素直に受けいれざるを得なかった。

『そーそー、やれば出来るじゃないエライエライ♪』

「けど、そっちはそっちで離れすぎじゃないか?これじゃ連携取れないだろ」

『アタシさ、虫、駄目なの』

「……あそう」

『丁度いいやミディ、ここら一帯に精査かけてくれないか』

ヒィーリィの回線が割り込んできた。

『なんで今さら?先刻調査済みですけど』

『いーから、今度はさっきの千分の一単位で頼む。蟲どもの動き方がどうも気に入らない』

 同じ聖霊手ドミヌスとはいえ彼女よりも一等級上位にあり、また彼等の中で一番階位の高いウェルバは形式的にも実際的にもこの隊のリーダーである。その彼に頼まれれば、ミディに否やのあろうはずもなし。

「千分の一って、気軽にいってくれちゃって…そりゃ、いわれりゃやりますけどね…人遣いが荒いなぁ…姫様とは偉い違いよねぇ、だいったい――」

 不満は大いにあるにしてもだ。

『それじゃ全機一旦離れてー…むむむ』

 ベヌデクテの十二基ある飛鐘分翅フォリムは三基づつ重なり合って空を舞う白い花弁を四枚作り出す。

 花房は対を組んでくるくると旋回を重ねて戦場に大きな円を幾重にも描く。同時に、両端の花弁を繋ぐように生じる薄赤色の走査線も、合わせてくるくるとめまぐるしく空間を寸断していく。

 場に縦横に張り巡らされた走査光はミディの神経網に等しい。線の集合は面に、面の集合は朱色の半球へ。一帯の僅かな空気の震えから細胞単位の変動、そして万物の真象、霊性に至るまでの膨大な情報像を彼女の知覚は分解し、拡大し、精査し、評価し、把握する。

『やっぱり先刻となんにも変わらな……ちょっと待って…!』

 空間全体に広がった彼女の「眼」は澱む異形の渦の中点、綾なす根源の影を捉え。

『あそこに何かが在る…いって!』

 飛鐘分翅は主の意に従い瞬く間に射撃形態へ移行、蟲群の一点を正確に射抜く。それを目印に、

『ダネル、俺に合わせろよっ!』

「ああ!」

ダイヴィヌスの胸部小光径砲と両鞘から放つディキオスの輻射振動波。指し示された点目がけての両機の同時斉射は爆砕とともに朽ちかけた古都の一角を消し飛ばし、地盤に巨大な虚を穿った。

 瓦解する旧世紀の遺物、粉塵に散る過ぎし日の夢。そして、辺りに膨らむ土煙の世界で、悪夢は静かに滲み出でる。

『黒い…蟲か…?』

「…いいや、違うよ」

 ダネルには既にそれが何なのか分かっていた。激しい瘴気につれて湧きあがるのは自然の理に反する漆黒の焔。燃え盛る黒柱に魅入られた蟲の群れは一斉に身を投じてゆく。

 融け爆ぜる機械蟲。形を失った鋼肉は蠢く細胞となって火中を激しく這い回る。ねとつく細胞は劫火に合わせて踊り、融け、精製され、ついには一つの巨塊と変じる。

 灼熱巻く永久の闇。

 ミディはおぞましさに言葉も発せないでいる。

『どうやらこいつが…異常の原因てわけか』

 ウェルバの声は僅かに上ずっている。独自の軽快な口調はそこにはない。

 この出鱈目な蟲群の発生の元凶。

 ダネルは、不意に気づいた浅い呼吸と、四肢を重く拘束するプレッシャーはいつからのものだろうと考えていた。戦闘中か、出撃前か。いや、恐らくはこの地に着いた時点から感じていた緊迫感は、初陣への不安によるものなどではなく、この遭遇を予期していたからではないか?

 なおもさわさわと揺れる幾つもの肉襞が織り上げる巨人の姿。

「ああそうだ、間違いないよ…こいつは」

 そう。彼が見間違えるはずがない。始まりのあの刻よりダネルの目に宿り、いまなお燻り続ける煉獄の業火。

「―――――ゲフェンノーム」

 聖魂機ゲフェンノーム。災禍たる黒獣の異形が其処にあった。



 戦闘終了より数刻後―――。

 タルシス艦機兵格納区画内、自機の点検作業を終えて居住ブロックへと続く通路をいくのはミディとウェルバの二人。

「しかし、予想外に長引いたなぁ」

「誰かさんがさぼってなきゃもっと楽にいったんじゃない。他人は目一杯働かせるくせに」

「ありゃ、バレバレか」

「当然でしょ?初陣での大立ち回りはGRDN中に響いてましてよ、金獅子リオンフラブス?」

「…それは真剣にやめてくれ。…そんな渾名をつけた奴のセンスを疑うよまったく」

 ―――『金輪の獅子リオン・フラブス』。

 数年前、反聖府組織が起した都市ユニット一つを盾に取った聖導兵による暴動を、ダイヴィヌスただ一機で鎮圧した折に賜った異名である。

尤も本人にいわせれば、「前線から離れた所に陣取って適当にサボる筈が、包囲の穴目がけて突破かけてきた敵本隊と鉢合わせして仕方なく」との事だ。無論ウェルバ特有の韜晦ではあろうが、ウェルバ・イルという人間をよく知る者ほど強ち冗談とは聞こえなくなるのが困った所である。

「あーあ、みてみたかったのになー。世界一って謳われる機兵ドゥナミスの本気をさ」

 皮肉まじりでも半分以上は彼女の本音だろう。同じ聖魂機の乗り手としては気になるに違いない。機体特性と直属組織の性質上の理由から、派遣任務に就く割合は彼女のベヌデクテ」の方が多いが、 こと内容面ではダイヴィヌスの活躍に遠く及ばない。

 各聖魂機はGRDN管轄とはいえ、それぞれの所属は異なる。

都市ユニットを管理統括する行政府・太教院エダルがベヌデクテ。

立法を司る至法院カハルがダイヴィヌス。

諜報機関・神智院コヘレトがディキオス。

そして、その三つを神意に則り統帥する七十一頭議会セプタンゲアスがセイリオスを受け持つ。

実際に聖魂機を運用するのはGRDNだが、その際には所属する組織の裁可を得ての活動という形をとらねばならず、真世界最強戦力たる聖魂機を各々の組織が分有する事で実質的な軍事組織である救世機関の手綱を握っている訳だ。聖魂機の通称、「四面のセラフ」もこうした理由による(そうした事情を鑑みれば各組織の域を越えての今回の聖魂機揃い踏みがどれほど異例な措置かも分かるだろう)。

 よって、各聖魂機の運用方法は所属する組織の方針に影響を受ける面がある。例えば議会に直属するセイリオスは聖府中枢たる神都防衛に重きを置く機体であり、また種々式典や祭式にも用いられる「真世界エデン」の象徴ともいえる役割を担う。

 これと対照的なのが金色機ダイヴィヌスだ。一般に至法院カハルがこの機体の運用を許可するのは事態に真世界エデンの秩序を崩壊させる程の脅威性が認められた場合に限る。

 大規模な反乱。凶悪な魔性によるユニット各域の侵犯。内乱の摘発…いわば世界にとって最大級の危機にこそ、主の代行者たる威信をかけ王機・ダイヴィヌスは用いられる。

 故にこそダイヴィヌスは、最も苛烈な戦場を潜り抜けてきたGRDNの筆頭機と内外から認識されている。いうなれば真世界エデンの神聖を顕す象徴がセイリオスだとしたら、真世界エデンの武力を顕す象徴こそがダイヴィヌスなのである。

であれば、乗り手であるウェルバがゲフェンノーム追撃の実質的な指揮を執るのも至極当然といえよう。


「――ま、機会なんてこれからいくらでもあるだろうさ。それに、代わりにもっと珍しいものが拝めただろ?」

「それはそうだけど、ね」

 世界で最も有名で、かつ最も謎に包まれた機兵ドゥナミス―――「セイリオス」。

 歴史上、神都が攻撃を受けた事は無い。よって神都防衛を目的として作られた聖魂機も時代を経るにつれて他の任務に就く事が増えていった訳だが、ただ一機セイリオスだけは相も変わらず神都の防衛を第一義として神都から離れる事はついぞなかった。結果、真世界の象徴たる聖魂機として広く巷間に認知されていながら、セイリオスがその力を示した事例はただ一つとして存在しない。

 その未知なる機体の性能の一端を、彼等は先の戦闘で垣間みることになった。

「で、貴方の感想はどうなの?」

 ミディの探るような問いに、ウェルバはこの少年には珍しくしばし沈思黙考し、結局諦めるようにいった。

「…俺の中での機兵ドゥナミスの定義が揺らぎまくったとだけ、いっとく」

 透過性の壁窓越し遥か後方の地面、残骸の景観に聳える五色に波立つ「繭」をみやってウェルバは困ったように肩をすくめた。

 


『――ダネル、待つんだッ!』

「うおおおッ!」

 猛る感情溢れるままにダネルは騎士ディキオスを目前の悪魔、ゲフェンノームと思しき影に突っ込ませる。

神速の一閃が横薙ぎに黒の肉形を絶つ。が―――、

「手応えが、ない…!?」

 分かたれた悪魔の身体はすぐさま繋ぎあい復元する。乗機の手元を確認してダネルはようやく異変を察知した。刃に染みた黒い影は瞬く間に輝きを貪り尽くし、刀身表面は腐食したようにボロボロと剥げおち形を失っていく。

「落ち着いてようく視てみろ。そいつはゲフェンノームの「影」でしかない」

 ダネルは各種感知用の精査映式フィルタを呼び出し視界に重ね、改めて異形を凝視してみる。蟲たちの鋼襞の下には、目標ゲフェンノームには存在の証たる霊質アニマの反応が全くみられない。

 振動機関反応、粒子遊体反応、その他あらゆる物理的実在を示す特徴、何れもなし。つまり。

「完全な霊体ってことなのか…けど、こいつは…!」

『どうやら纏った瘴気をここに脱ぎ捨てていったらしいな……まるで蛹か何かのように』

 物質次元に具顕化するほどの霊性アウラ。あまりに高濃度の真黒の残像。一体、どれ程膨大なエネルギーがそんな事を可能にさせるというのだろうか。

『うはっ、ここまで臭ってきそうな霊性アウラの塊ねぇ。面倒くさいもの残してくれちゃってもう』

 ミディの言葉通り、これは相当に厄介な代物だ。

 これ程の質量を備えた魔霊を根絶するには、恐らくは相当の時間を要する。かといってこのまま放置を続ければ、濃密な魔の穢れは蟲どもを暴走させたように辺りの生態系を果てなく侵していくにちがいない。

「どうするウェルバ、吹き飛ばすか」

『まあ待て、下手すりゃ汚染が広がっちまう…水風船を叩き割るようなもんだ、たとえ風船は割れても中に詰まった水が飛び散るだろうよ』

『いちどきに水ごと消し飛ばすようなパワーが要るって訳か……それってかなり難しいかも』

 立ち尽くす一行に回線を通して男の声が聞こえてくる。

『----聞こえるかね、ウェルバ戦導主長?』

 声の主はタルシス艦艦長代理ケイルブ・ハンザ、ADAMから派遣された今作戦の参謀役。細く爬虫類めいた目と耳障りな甲高い声が人に冷徹な悪印象を与える、更にいうなら中身もまた外見通りと噂される狷介な人物である。

 それなりに有能であるとはいえ、彼のような男が重用されているのもまた保安部が嫌われる一因だろう。

『こちらでも状況は確認している。私としては『禁弾ウルボス』の使用を提案するが 』

『『禁弾ウルボス』って…ちょっと、そんなもの艦に積んでたの!?』

 地上最強の聖導兵装・聖魂機を操り真世界エデンにおいてあらゆる軍事活動を許されたGRDNにあっても禁忌とされる兵器は存在する。それらは強大な破壊力故に物体の霊質そのものまで破壊し、後には亡者の怨嗟で埋め尽くされた死の大地を生み出してしまう諸刃の剣。

 膨大な光熱で悉くを塵に帰す「ヴレヴェイルの明鏡」。物質を微粒子状態にまで還元する嵐を巻き起こす「カディリンの月虹」。

 そして「禁弾ウルボス」。

 極小の閉鎖空間で聖性の霊子崩壊を促し破壊力を得るという発想からして神の御心に叛いた兵器。

 その上使用された霊質は変質を遂げ全ての霊性を破壊する反霊子と化し、爆発と共に地に降り注ぐ。

 後に残るのは霊魂さえ沈黙する死の世界だけだ。

 俗称「堕天兵装」の名は決して故なき大げさなものではない。毒をもって毒を制する、聖と浄をもって秩序なす真世界にあっては忌み嫌われた存在、それが「禁弾ウルボス」なのだ。

 タルシス艦に搭載を許された禁弾は破壊範囲をごく小規模に絞ったものだが、それでも場の変質は免れ得まい。

『本来であれば対ゲフェンノーム用の持ち札だが…ウェルバ主長、構わんでしょう?』

『…なんとなればな』

「待てよ。そんな事をしたら…」

『ああ。ここいら一帯は百年ほどつかいものにはなるまい』

ケイルブは平然といってのける。

『しかし幸いにしてこの地区は都市外、実害は無きに等しい。それに本部からの承認も既に得ている』

「許可が出てりゃ何でもやっていいってのか!?」

 なおも食い下がるダネルとは違い、隊を率いるウェルバとしては渋々ながらも同意せざるを得ない。

『気は進まないが…止むを得んかね』

「待てよウェルバ!そんなヤバいものに頼らなくたって、こんなもの聖魂機の力でどうとでもなるさ」

『ああ、やろうとすれば出来ない事はないだろうさ。けどなダネル、俺達の目的は何だ?』

「だけどっ…」

 ダイヴィヌスがディキオスに向けて光弾を発射した。

「!」

 放たれた弾はディキオスの頬を掠めて、ゲフェンノームの幻身を焼き払う。しかし、飛散した肉持つ影は緩やかに寄り集まって、再び元の形に戻るだけだ。

『お前がいってるのは、錆鉄を磨き上げて綺麗な鏡にするような手間暇のいることだ。俺達が相手にしなけりゃならないのは影なんかじゃなくゲフェンノーム自身だろうが。だからといってこのまま見過ごすわけにもいかない。場合によっちゃ隣接する都市部に厄災が広がりかねないからな。だから、こいつが一番ベストに近いやり方なんだよ』

「…近くには棄民だっているかもしれないんだぞ!」

 都市ユニットの外縁部には、聖府が存在を把握していない都市からうち捨てられた流民の集落あちこちに点在しているものだ。

『そういやお前は外の出だったっけ…同情する気持ちは分かるがなダネル、ここいらでよく心に留めておけ。俺達はGRDNの執行者、神の剣であり、真世界エデンの砦にして、神民の盾だ。聖霊手ドミヌスとして聖魂機を任された以上、お前は万民の命に対して義務と責任があるんだよ』

「その万民に全ての人間は含まれないのか!?」

『出来りゃやってる!』

『…ちょっと!止めなさいよ二人共、戦場でいい合いなんてさ!』

 二人ともミディの仲裁などに耳も貸そうとしない。意見は平行線を辿ったまま、両者の間には重苦しい空気が流れ。

 不意に、沈滞した空気を払うのは涼やかな音曲にも似た少女の声。

『―――あーあーあー、聞こえていますでしょうか、皆様方?』

「その声は、フィーラ…さん?」

『フィーラ嬢?』

『はい、私です。もしよろしければここは一つ、私に任せていただけないでしょうか』


 生まれてから一度も神都から出る事の無かった彼女は、外界の空気に触れたゆえかここ数日体調を崩し臥せっており、おかげで今回の出撃は見合わせていたのだが。

『--いざ、参りましょう、我が姉妹…セイリオス』

 戦艦のデッキ上で、セイリオスは身に倍する十二枚の大羽を広げる。

 天に描かれる光の輪を背に舞い降りる姿躯。ベヌデクテを華美な鎧装束を纏った天翔ける戦乙女に喩えるなら、さしずめセイリオスはたおやかに白の羽衣をはためかせる天空に舞う姫巫女と形容すべきであろう。

『結界輪を、拝借しますね』

 天に円輪を描くを背にしたセイリオスに合わせて光輪が収縮を始めた。

 水面に垂らした白乳が尾を引いて水底に染み落ちるように、天を覆う白光の輪は溶け落ちて、セイリオスの元に垂れる一本の帯となる。

 輝く乳白色の尾を引きながら、聖処女は大翼を緩やかにうち震わせる。発振機関の平行振動を促す羽ばたきに同調して極光の白地に刻まれる文様の連なり。連なる文様は、一本の帯となって天を泳ぐ。

「これは…詠唱律カルミニスを詠んでるのか?」

 ダネルが驚くのも無理はなかった。

 ――詠唱律カルミニス。仮象領域に聖句を「詠み込む(カンテ)」ことで直に霊性に干渉し物理的反応を促す技術の総称であるが、現在ではもはや時代遅れの技術といってよい。

 少なくとも900年代に入る頃には予め固有律を圧縮搭載する事で詠唱を省いての効速化・一般化を可能にしたいわゆる振動型武装フラクターマにとってほぼ代わられており、今では機兵の簡易起動式に使われる事がある程度。

  だが、目の前で展開されるそれは通常の詠唱カンテとは明らかに異なっている。

 なにせ、セイリオスが羽ばたく度に生起する詠唱紋は仮象領域を飛び越えて物質域に--中空に描かれる鮮やかな波光として--次々と刻まれていくのだから。


驚くべき発現速度で紡がれる聖句の紐帯が魔影ゲフェンノームの周囲をくるくると舞うように経巡りながら幾重にも奔り連なり、やがて輝線は互いに結び融け合い、漆黒を覆い包む極光の格子を構成してゆく―――――。

「あんな結界で瘴気を閉じ込める気かよ…」

 練成された光壁は確かに美しくはあるが元はタルシス艦の障壁光輪である。封印も束の間、強力な瘴気は直に結界を溶かし穿つに違いない。しかし、真の驚異はここから。


 セイリオスが詠う――――――――。


 本体部、女神像は物理的実在でありながら霊性にまで届き入る音振動を紡いでいく。


 音は韻を。韻は句を。句は、詩へ。詩は、唄へ。

 唄律は重なり合い響き合い、清らなる聖唱の輪舞で格子を満たす。


 それは、機兵ドゥナミスの中で最高度の振動耐性を備える聖魂機ですら結界から漏れ出る音響振動だけで機体を圧迫される程の霊質量だった。

 インフェルノの霊性を尽きせぬ灼熱とするならセイリオスのそれはいわば霊質の凍結。


 無尽の噴炎をも静める凍てつくほどの清浄に、純白の籠を充溢する唄は光の粒を弾く。

 凝固した霊質の結晶がキラキラと風を映して格子の淵を跳ね、いつしか縒り合わされた銀糸を紡いでいく。

 巡る銀糸が織り上げる膜は、わだつ境界を無色に染める。淡い煌きが織り成すそこはもう真白の領域。銀箔の繭。

 眼前のそれはウェルバですらこの場が戦場である事を忘れるほどの幻想的な光景だったが、彼は真に瞠目すべき事象を見誤る程愚かではない。

 繭の内側で起こっている超高密の霊性相克。

 白色の絵の具はほんの数滴の黒色で無惨に汚される。 反対に同量の白色を加えても黒は依然として黒のままだ。

 泥水に同量の純水を注いだところで濁りは消えまい。だが、注がれるのが数百倍、数千倍なら?


 セイリオスが行っているのはまさにそのような所業だった。

 汚泥の山を大河の奔流がさらうように、ゲフェンノームの残した濃密な魔を、更に凌駕する膨大な聖流で分解していく。

 聖成の無垢。

 そこにはどんな細緻な技巧も介在していない、圧倒的な聖性のみが成しうる純正の奇蹟があった。

 穢れを祓い邪気を鎮める。癒し、清め、総てを守る為に在る機体----セイリオスの断罪はかくも慈愛に満ち溢れている。

「これが…神都を守護する機体…」

 ウェルバをはじめとする聖霊手ドミヌスはおろか、艦に乗船する誰しもが目前に広がる光景を前にして言葉もなくただ立ち尽くすことしか出来ずにいる。

『これがセイリオス…フィーラ・アンフィルエンナ』

 衆目の見守る嗣業の最中、フィーラは異形よりこもれ出る記憶の残滓に触れる。

 ―――紅蓮の檻にひざまづく少年の姿。

 

 鮮血の血溜りの中、骸をかき抱く煉獄。


 復讐では軽過ぎる。憎しみでは脆過ぎる。


 絶望では届かない。怒りでは及ばない。


 容どる言葉などありはしない、ただ赤黒く滾る紅蓮によってのみ示されるこの衝動。


 見開かれた両の眼が映すのは、灰と広がる神世界。


 ――瞬きとともに去る白日夢、彼女とセイリオスの前には極光にさざめく繭の沈黙があるだけ。



 ウェルバは「繭」から、艦内にて佇立するセイリオスに視線を移す。

「……天使だなんていわれてる聖魂機だが、機兵は機兵、所詮は機械。どんなに現実離れした性能を誇ろうともそこには貫徹した理論と限界がある。けれどもセイリオスはとてもそういう範疇に収まる代物にはみえない。あれは、まるで…」

 ウェルバとて一応は神徒たる身である、その先を口にするのは憚られた。

「…ならさ、もしかするとゲフェンノームも、そういう相手なのかな?」

「かもしれない。怖くなったか?」

「冗談!ただ、せっかく聖魂機が勢ぞろいなのにまずお互いの探りあいじゃね」

 同じ聖霊手ドミヌスとはいっても、立場も境遇も違いすぎる4人。この先うまくやっていけるかどうか。

「ん、仲良くしたいってんなら歓迎するぜ?」

 ミディは肩に回された腕を引っぱたく。

「粉かけるんなら他の娘にしときなさいな。気づいてないだろうけど操舵士の彼女、さっきからずっとこっち睨んでるよ」

「…嘘だろ?」

彼が振り返った時には、彼女は既に後ろ手をふって歩き去った後だった。

「戦場で格好いいとこみせてくれたら、考えたげるよ、金獅子さん」

「…それはやめろっつうに」

 甲盤を吹き抜けるなだらかな風。

 タルシス級以上のGRDN艦には、機首から後方に反りかえった十字羽が旗章代わりにとりつけられている。戦闘時には対弾障壁を張るその羽は平時巡航でも緩やかに作動しており、常に心地良い凪がデッキ上を満たしている。

「そんなに身を乗り出すと落ちますよ、法士…」

「あはっ、風がこんなにも心地いいなんて!」

 側舷を飛ぶ水鳥と戯れる少女を眺めるダネルの目には戸惑いがあった。ついさっきあれ程の驚異をみせつけられた神機の繰り手と目の前ではしゃぎ回る少女の一体どちらが本当の姿なのだろう。

「…これまで体調を崩されていたのですから、あまり無理はしない方が良いのでは、法士アンフィルエンナ」

「気を使ってくださって有難う。けどもう平気ですっ!」

 機体点検を早々と終えた彼は、ウェルバに促されて、というか同乗員全員の意向で彼女の付き添いに任命されてしまった。

 フィーラ・アンフィルエンナ、GRDN最高位機「セイリオス」を駆る少女は、機関上層部とも結びつきのある相当のの重要人物であるという。

(「ああみえて彼女、お偉方の首輪つきだ。それなりに丁重にな」)

(そんな事いわれてもなぁ…)

 ウェルバは暗に監視も兼ねての付き添いでもある事を匂わせていたが、よくいって真っ直ぐな、悪くいえば不器用極まる彼にそんな腹芸が出来るわけもない。実際、新米のDF乗りに過ぎない彼には彼女をどう扱って良いものか見当もつかなかった。

 そんな彼の困惑を知ってか知らずか、風で乱れた長髪を整えながら駆け寄るダネル。彼の肩ほどまでの背丈しかない少女は少しの思案の後、神妙な面持ちで話を切り出した。

「あのう、アラクシ導士。ここ数日の不調の理由について、貴方にだけは告白しておきたいのですけれど…聞いてくださいます?」

「…はい」

 それと悟られぬよう息を呑んで待ち受けるダネル。

「あのですね、ご存知でしょうが私、これまで外の世界に出た事がありませんで」

「ええ、それは俺も…私も聞き及んでおります」

「でしたら分かって頂けるでしょうか。外の世界を知りたいという念願がついに叶って、私ときたら舞い上がってしまったんです。出立の数日前からもう楽しみで夜も眠れない位に」

「はあ」

「こちらに着いてからも興奮状態のまま船内をあちこち探検してみたり、外の風景をつぶさに観察したり…本当に何もかもが新鮮で刺激的で、ええ、私、全身全霊をもって外の空気を堪能しておりました」

「…その結果、ついにお倒れになったと」

「はい。ふと気がついたらベッドの上におりました。…ただのはしゃぎ疲れだったのですけれど、皆があまり大げさに騒ぐものですから、中々打ち明けられずに何日も……ああっ、笑っていますね!?」

 ダネルは感情を取り繕うことが出来ぬ気質だ。

「失敬…く…バツが悪くて本当のことがいい出せなかったんですか?」

 神子の変調に取り乱す周囲の大人をよそに、一人ベッドの中で悶々とする少女の様子がありありと思い浮かぶ。

「もうひどいっ!私にも恥というものがありますわ。せっかく導士を信用して打ち明けましたのに……」

「すみません、俺が軽率でした」

「むー」

 膨れっ面そっぽを向く彼女に謝りながらダネルはますますそう確信する。

 要するに彼女、フィーラ・アンフィルエンナはごく普通の少女なのだ----神機を駆る超越的な嗣業の担い手である事を除く限りは。

「…俺のことはダネルでいいですよ。肩書きで呼ばれるのは慣れなくて。その代わりこっちもフィーラと呼ばせてもらいます。それでいいでしょう?」

 フィーラはにっこり微笑んで大きく頷く。

「ええ、喜んで。改めてよろしく、ダネル」

 右手には廃都の礫砂、黄昏の大地。対面には海、汚泥に濁る波間も今この時は暁をうけて絶え間なく揺らぐ紅鱗に輝いてただ美しい。

「--――旧時代、この辺りは世界で最も綺麗な場所の一つに数えられていたそうです。…けれどいつ果てる事なく続く争いの中、このように無惨に焼けてしまったのだと」

 物憂げな表情に揺れる横顔。

 瘴気から解き放たれた蟲の砕片は自己復元を繰り返し本来の生態にとり戻し大地の再生を続けるだろう。だが、汚染され尽くした地が本当に蘇るには人には悠久とも思える永い時が費やされる。

「だからこそ、戦争を止めない旧人たちの元に神が降臨した。そして真世界エデンを、楽園を創った、だろ?」

 少女は黙して何も語らない。

 彼にだって分かってはいる。

 炎の日--。

 地平まで伸びる流民の道--。

 血を撒く紛争--。

 ----そして、現前せし「地獄」----紅蓮の獄鎖に繋がれた少年。

 聖暦を一世紀半数えても、 肉もつ人の身に楽園の夢は今なお眩しいまま。

「…この世界は確かにまだ、天国って訳じゃないかもしれない。けど、だからって地獄にしていいわけがあるもんか。俺達はゲフェンノームを討ち滅ぼす。奴を、倒さなきゃならない」

ダネルの思い詰めたような表情で、フィーラはそれを悟る。

「貴方にも観えたのですね。あの光景キオクが…」

 彼女が垣間みた「D」の意思。それを、目の前の少年もまた共有している。

「――ダネル・アラクシ」

 あどけない少女の無垢から深淵をたたえた御子の静寂へ。吹き抜ける突風に白く伸びる長髪。黄昏に、水晶の蒼から琥珀の緋へと染めるその瞳。

「―――もしも世界の為であれば、貴方は「彼」を赦す事が出来ますか?」




 ガルガリン級戦艦「セルムト」はたった一体の機兵によってあえなく沈まんとしていた。

 横薙ぎに奔る紅い一閃に展開した使令機一個中隊は塵芥に帰していく。

 だが、機兵部隊は囮----セルムトは大きさに似合わぬ疾速で敵影へと迫る。艦体両側に備えられた巨大な車輪が回転を始め、輪に埋め込まれた数百もの振動武装が一斉に全開、車輪の回転に伴い翠の円を描く。その威力は破壊規模を除けば禁弾の破壊力に匹敵するであろうガルガリン級独自の必滅兵器、猛然たる爆進で獲物を塵と残さず轢滅する神の軍に相応しい清浄なる武器であり、同時に敵対者にとってはこの上なく残虐な砕断の大車輪である。

 翠晶の車輪は半径を更に広げて数km超の戦艦全長を遥かに越えた、天地に跨る圧倒的な規模で敵機を蹂躙にかかる。

 歯車に絡めとられた哀れな砂礫の一片は跡形も残らず分解される…筈だった。

 

 しかし、漆黒を巻く貪蛇に呑まれ溶け落つのは光輝の大車輪。

 

 戦艦の最終兵器をこともなげに退けた敵機は大翼を翻し、セルムトの上部に回り込んだ。苦し紛れに放った戦艦の斉射は分厚い炎に阻まれて一切の損傷を与えられない。

 艦盤に黒く燃える火球が降り注ぐ。それらは対弾障壁をやすやすと貫き、螺旋とうずまく炎を産む。

「馬鹿なッ有り得ん……敵は、たった一機なんだぞっ!?」

 艦長の最期の叫びが船内に虚しく響く。

 モニタ全域に広がる敵機の異形――――――ゲフェンノーム。

 禍々しく伸びた爪は容赦なく指令区画を貫いて、地鳴りの中、天地をを繋ぐ紅い刃が戦艦を二つに断つ。

―――――――紅蓮の暴威は神の威光を徹底的に陵虐する。黒く滾る無尽の劫炎。

 これを止められるものがあるとすれば、4機の神装兵器をおいて外にない…。





「--そういえばウェルバはさ、前のディキオスの聖霊手ドミヌスと面識あったんだよな?」

「ああ、オべド・エイエル。現役では一番の年長者で、とにかく腕の立つ男だった。生きてりゃ主長の座は俺じゃなくあいつのものだったかもな」

「……そうか。あの強奪事件にさえ巻き込まれなければ、俺なんかじゃ比べ物にならないほど頼りになったんだろうな」

「…ま、死人をあてにしてもしゃーねえ。それになダネル、俺はこう思ってるんだ。オベドのやつがお前とディキオスを引き合わせたのかもしれないって」

「意外だな?ウェルバはもっと現実主義者だと思ってた」

「俺だって神徒の端くれだぜ。聖霊手が死んだ直後、たまたま傍にいたド素人のお前が代わって新たな聖霊手に選ばれた--偶然にしちゃ出来過ぎだ、なら、運命ってやつを信じたくもなるさ」

「そういうもんかな」

「そういうんもんだ。きっとお前は、あの悪魔を討つ為に此処に遣わされたんだろう」

「…ああ、俺もそう信じてるよ。俺はあいつを斃す為にここにいる」

 タルシス級二番艦「バートルビ」にて、ダネルは、ウェルバにゲフェンノーム強奪事件のあの日の一部始終を話して聞かせていた。事件当時、唯一の生存者として何度も証言をした内容だ。終わりまで話を聞いたウェルバは珍しく神妙な顔つきで何事か思案にふけっていた

「--無我夢中だったから、あまりよく覚えていはいないんだけどな」

「充分だ、調査書とも矛盾はないし」

「しかし何だって今になってあの事件の話を聞く気になったんだ?」

「少し気にかかってることがあってな」

「?何がさ」

「『D』の侵入経路だよ。ゲフェンノームを強奪した野郎はいったいどうやって入り込んだんだろうかっってな」

 いわれてみれば確かに疑問ではある。

 事件のあった第四開発支部は島そのものが工蔽だ。自然、部外者の出入りは限られる。ましてGRDNの厳重な監視の中、最重要機密である聖魂機に忍び込むなど殆ど不可能に近い。

「…まさか内部の手引きがあったってことか?」

「そこまではいってないけどよ。ま、いいや」

 ウェルバは疑問の種をダネルに植えつけてさっさと立ち去ってしまった。

「(聖府も一枚岩じゃないってことか…けど…)」

 彼はまだ知らずにいる。ゲフェンノームの存在が真世界に生じさせた綻びが密かに広がりつつあることを。いずれ、世界を呑み込み引き裂く混沌、祖の渦中にある己の運命を。




―――――聖暦981年・都市ユニット「べト・エケド」消失。

 少年が思い起すのは幸福の王子と呼ばれた遥か昔のお伽話。

 貧苦にあえぐ人々の為に自らの身体を彩る宝石を分け与える王子。

 王子の願いを聞き届けた燕は、王子の紅玉の目を刳り貫き金箔の皮膚を剥がし貧しき人々の元に届ける。やがて与えるものを失くした鉛色の銅像と疲れ果てた燕は死を迎え、

 共にその魂は神の御許に召される。

 少年は思う。燕はそこで事切れて幸いだった。もしも燕が、人々の幸福を一心に願った人形を無造作にうち棄てる群集を眺めていたとしたら絶望のあまりその魂は地の底に墜ちてしまったろうから。

 「他者」の幸福を齎すために生み出された被造物。その為に産み落とされ、その為に生き、その為に死ぬ。彼はそんな哀れな人形の生き方を否定し、嘆き、にも関わらずそれに従った。なぜなら、「彼女」にとって造られた身にとって「幸福」はただ眺める事しか出来ないものだった。

――――分かっていた。

 ならば他者の幸福の為、血肉を捧げることこそ「彼女」の「幸福」なのだと、一心にそう信じぬく。

――――分かっていたのだ。

 彼はそんな歪な人形の心をなによりも愛していたのだから。

 それが、その者の唯一つの願い故に。愛するものを少しづつ毀し、少しづつ殺していく。

 彼の魂もまたその度に綻び、その度に砕けていく。そして待つのはあまりにわかりきった破滅。つたない祈りはついに誰にも届く事は無かった――。

 今だ死を許されない哀れな「燕」は 無知なる人に呪詛を、全知たる神に悪罵を、鉛色にくすんだ心で世界に憎悪を吐き散らす。

 少年は自嘲気味に笑って、考える――――自分は共に死に行くべき半身に、とり残された燕なのだと。



―――――――渇きに目覚める闇黒。

 しらず伸ばす掌は虚しく空を掴み、埋まらぬ寂寞をつたう苦さが舌先に滲むだけ。小型の照明器が窟内を暗い蛍光で満たす。

「いつまでそこにいるつもりだ?」

 明かりの端に仮面の男は闇から生まれでたかのような黒の衣鉢を身につけていた。目元を覆う銀灰の仮面だけがほの明かりに照らされて異質である。

男は自らをルードゥスと名乗った。

「お眠りの邪魔はしたくなかったもので…しかし徒に我が身を痛めつけるような真似は感心いたしませんねぇ」

 聖魂機としても破格のエネルギーを帯びたゲフェンノームの灼熱は敵のみならず乗り手をさえ苛む。

「余計なお世話だ」

「しかし、貴方なら神都パルデスを真っ先に狙うものだと思っていましたが?」

「神都にあれがあるなら聖魂機どもをああもやすやすと遠ざける訳がない」

「成程、成程。そういわれるとゲフェンノームをおびき寄せようという罠にもみえる布陣ですな」

 いちいち芝居がかった言い草が癪に障る男だ。

「乗ってやっても構わないが…神の「台座」の在処さえ分かっていればな」

「どうでしょう!いっそ、真世界エデンを丸ごと焼き払ってしまうというのは?さすれば神の「居所」を探す手間も省けますし」

「…本気でいっているのか」

「構うものですか、どうせ滅びる世界です。貴方が本懐を遂げたその暁には」

「お前も死ぬぞ」

「いえいえ、私は私のセカイを手に入れたいのです」

「その障害になるものは全て滅ぼして、か?」

「その通り!さあ、古き世界を火に投げ入れ我々の王国を実現させようじゃありませんか、我が王よ!」

「俺はお前の王になぞなった覚えはない」

「ならこうお呼びした方がよろしいでしょうかねェ…救世主『ベリア』?」

「……ああ、その名…懐かしくって、反吐が出そうだ」

 少年の視線に呼応して、突如として男は炎に包まれる。人影は跡形もなく灰に散った。

 だが、しばしの沈黙の後、地の底よりこだまする声は紛れもない仮面の男のものだった。

(『…「バルネア」の「鏡」、あれは使えましょう……』)

 べりアと呼ばれた少年は呟く。

「まあいいさ、唆されてやる。…とりあえず今はな----」



 第五領区「マティ」付近に位置する辺境部。

 荒涼とした地に夜気は深く染み入る。機兵であったものの残骸が山なす鉄塊てつくれの広野はかつて神威の雷が通り過ぎた後。人類の愚挙と愚行を刻む地層に、不意に立ち込める濃霧。

 妖しの霧が侵し始める。とうに動かず朽ち錆び果てたはずの機の残骸を。

 やがてどれほどの時間が過ぎたか、不意に鉄の骸がゆっくりと頭を起こし始める。合わせて、軋みをあげ動き出す四肢。各部を血管のごとく脈打つ各部の配線パイプ。銃創の虚からはあわ立つ闇が滲み出で。

 ごつごつと棘を生やした両肩当てに髑髏を連想させる不気味な頭甲。くすんだ暗緑色の甲冑は霧に濡れ怪しい輝きを放っている。

 旧世紀の、戦争の亡霊達。

 死の荒野に夥しい機屍の群れが立ち上がる――――時に忘れら去られた怨嗟と共に。闇の奥に真紅の単眼が鈍く輝いた。

――――――死霊機「ニオブ」。

 災厄は静かに這い寄り、世界をゆっくりと狂わせつつあった―――――。

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