万魔空域
■
―――――数知れず、息うつ声の漣。
白く澄み渡ったその空間に錯綜する調べを遮るものは何一つとして存在しない。
『――先手をうたれた、か』
『なにか仕掛けてくるとは思っていたが、意外だったな』
『ああ、切り札をこうも簡単に手放すとは』
『それなりの目算あっての行動でしょうが、随分と思い切った手段に出たもので』
『誰であったかな、日和見老人などと侮っていたのは』
『よいではないですか。雛鳥が巣立ちを迎えるまで、身動きがとれないのはあちらとて同じ事でしょう』
『そう。所詮は想定裡の事象。構想にはいささかの瑕疵もなかろう』
『ただ一つ、予測し得ないのは』
『変数が不定とあってはね』
『ですが、それももはや時間の問題といっていいでしょう』
『どちらに転んでも』
また、別の声がいう。
『―――あの男は信用してよいので?』
「彼」が口を開く。
「構わん。彼なりの思惑があるようだが、今は好きにさせて置けばいい」
『束の間の自由を謳歌させてやろうという所ですか』
「本来なら、人類種としての最高到達点であるべき者が……あれこそ人類の愚想とその帰結を体現している」
「彼」は続ける。
「夢の跡形、理想の顛末、希望の頽廃…逃れえぬ不和、闘争、そして死―――いくたり歴史を紡ぎ、惨苦に満ちた営みをどれほど織り重ねようと、人間は宿唖の業をただ深めていくだけだ」
『人は皆、荒ぶる血、相食む骨肉に鎖された永劫の虜囚――なによりも己自身の奴隷に終わるよりなく』
「その為にこそ、人は人を超える必要がある。他ならぬ超越の神理の導きによって――」
引き潮と遠ざかる声。
鎮魂と再生とを刻に希み零砂と流れる悠久を経て、今こそ贖わる聖約の頂へ。
光廟に座した「彼」―――――「七十一頭議会」の長、ロダバルツ=フレーゼンは静寂に想いを馳せる。
■
眩い陽の光に照らされた濃い蒼芒を銀雲が燦爛と流れゆく。
――――飛行する機兵編隊の列。
部隊を率いる少年、ベリア・ケイツの機体は眼下に広がる無量の曠野にぽつねんと佇む都市ユニットを捕捉した。
四辺を支えられた菱方の双天井は、今はユニット上へと目深に被せられ、乾いた輝きを放つその様は砂浜に取り残された貝殻を少年に連想させる。
神都から遠く離れた辺鄙なこの地では、罅割れた野に草木は一片たりとも見当たらない。
「―――まったく、何が楽しいんだろうな。あんなちっぽけな土地にしがみついて……」
(――まーたそんなこといってる。悪い癖だよ?)
澄んだ声が少年の内を伝う。
魂に触れる少女の暖かさは彼にとっていつも快い。
「はいはい、あの下にはガキやらジジイやら女やら男やらが精一杯ひしめきあって生活してる。そいつらを軽んじるのは、奴等を守る任務を帯びてる俺たちをも軽んじる事に外ならない、だろ?分かってるさそんな事は」
(ううん…キミに皆の様子を伝えられればなー)
「止めてくれ。きっと頭がおかしくなる」
(なんだか街が騒がしくってね。今日は特別な日みたいだよ)
「何か面白いものでもみえてるのか?」
(いいなー、あれきっとお祭りだよ)
「…はあ?この状況でか?呑気過ぎるだろ連中」
(別におかしくないよ。周期祭ってもともとは魔を鎮める儀式なんだし)
「だからってな。こっちはこれから命を張って戦うってのに」
(皆、すっげえ喜んでるんだよ。こっちみて救世主の到来だーってさ)
「………別に、どうでもいいのさ。そんな事は」
(本当に~?)
はにかみを隠すベリアをくすくすと笑う少女。
涼やかに響くその声は少年に今から臨む戦闘を忘れさせるほど軽やかで明るいものだ。
それも無理からぬ事だと彼は思う。
神都から出る事のない彼女にとって外界は、機兵を介する少年との知覚共結を通じてのみ味えるもの。少女が住まう狭き庭と世界との唯一つしかない接点なのだ。
ベリアは軽く嘆息し、景観に違和を醸し出す巨大な深淵に改めて視線を移した。
ユニットの周辺に二つ、ぽっかりと口を開けた黒腔は砂塵が流れ落ちる度に生物の肉腑のごとき不気味な脈動をうつ。
―――魔との隣接点である混沌渦はいつにも増して大きい。間もなくあそこから出現するであろう魔もまた強力なものだろう。
付近には機兵隊数機が配置されているがいずれも気休めとも呼べぬ代物である。
「ここのところ連戦続きだってのに、上の連中ときたらまだ新型開発に梃子摺っていやがる」
(流石にお疲れかな?)
「俺はいいんだけどさ、」
(あ、ボクのこと心配してくれてるんだ――――)
「生憎と聖女様なしじゃこいつは並以下の機兵なんでね。巻き添えくってやられるのは御免だっていってる」
(大丈夫まっかせなさい、キミはボクが守る!だからキミはみんなを守るんだ、いいね!)
少女がえらそうにふんぞり返る様が目に浮かぶ。
「えらっそーにまあ」
(えらいもん!神子だもん!)
「ま、あんまり無理はするなよ神子殿?……あんたの代わりをやれる人間はいないんだから」
(キミだってそうだよベリア)
「消耗品風情に気を遣ってくれなくてもいいさ」
暫しの間を空けて。少女は語りかける。
(代わりなんていないよ。……少なくともボクにとっては、ね)
『ベリア機、制動が乱れたようだが、故障か?』
「―――問題ない」
ベリアは照れ隠しに回線相手を怒鳴りつけた。二人以外の誰にも「会話」が伝わらないのは幸いだ。
(あははははは、キミって不意打ちにはすごく弱いんだよね)
「うるさい。戦闘前だぞ、少しは緊張感をもて」
(はっはっは、可愛いやつだなキミってさ)
「…帰ったら覚えてろよ」
『――各機、準備完了、いつでもいけるぞ』
僚機から回線が入る。
虚口から顔を覗かせた魔勢の直上空に布陣を固めた機兵隊がベリアの命を待っている。
(さ、ちゃっちゃと片づけて早く帰っておいで、ボクの燕さん…)
「気軽にいってくれやがって。―――――――各機、続けよッ!」
全身を満たす天使の唄に身を委ねるように、少年は煌く赤銅の翼を雄雄しく舞わせて。
少年と少女―――二人には触れることさえ叶わぬ世界の安寧を守る為に。
その名さえしらぬ人々の幸福を守る為に。
真世界の守護者、決戦級機兵「バルゼベル」は蒼天を翔ける――。
■
真世界の辺境と中奥を繋ぐシェキア領区。
神都を除けばGRDN最大の軍事的要所であるこの場所は現在、真世界最大の危機を迎えて尚、不思議なほどの静けさを保っていた。
シェキア領・潜航都市ユニット「エンハロト」にて、ザウ・ザノア統千師長は大柄な躯を沈み込ませるように絨毯を踏みつける。
歴戦を経て深く刻み込まれた皺の真ん中にどうと構えた鷲鼻、その一見いかめしいながら不思議と愛嬌の備わった相貌も今は、彼をよく知る者でさえ思わずあとじさるであろう極めつけの渋面に変わっていた。
「―――クソッタレめが!この期に及んで足の引っ張り合いもないだろうに…!」
私室の扉を閉じた途端にこらえていた鬱憤が噴出する。
「討伐隊の報告が事実だとしてだ、」
「神智院からも同様の情報があがっている以上、十中八九間違いないかと」
「ならそれこそ、GRDNの真価を発揮せねばならん時だろうが…」
千師長の剣幕にも慣れた風で補佐役は淡々と報告を告げる。
「件の重嗣位殿もそう訴えたようですね」
「ミンヤミン・マーカがか?」
「至法院が討伐隊に新造艦二隻を派遣したとのことです」
「太鼓もち風情と馬鹿にしていたが……少し見直したね」
ミンヤミン・マーカ主級導師は至法院での職鉢を併せもつ、ザノアからみれば現聖府の堕落の象徴のような人物だったが、考えてみれば事実上今のGRDNにおいて聖院に意見できる人材は彼のような男しかいないのだ。
「その他、バルネアⅣのあるゼブル領内の駐留部隊及び隣接したシャマイン方面の部隊が集結した模様です」
「ラキア領は、遠過ぎるか。四回廊は全て封鎖済みなんだな?」
「はい。外部の侵入を防ぐためとか」
「庭先の災厄を無視しての厳戒体制なぞナンセンスだろうに。ユシャブ老の上申は通ったのか」
「明日には決議を採択するそうで」「間に合わんだろうな、それじゃ」
何もかもが遅すぎる。
聖伐隊から「ブレヴェイルの明鏡」に関しての報告を受けた直後からGRDNでは残された師菅位以下はそれこそ烈火の勢いで謗法を駆けずり回っているのだが、彼らの尽力をよそに聖府の動きは驚くほど鈍かった。まるで聖府そのものがもう一つの凶報の衝撃に麻痺してしまったかのように。
神都消失―――かつて神都の位置した地点には地下深層にまで達する穴口が確認されるのみ。
聖府は詳細の特定に躍起になっているが依然として一切の原因は不明のままである。外観上はかつて発生した環境域魔象に酷似しているものの、地場の変動も霊性の揺らぎすらまるで変化がない。
――――無。まったくの無なのだ。
敵の攻撃か、それとも何らかの事故か、いずれにせよ何らの痕跡も残さずに消滅させる事例など過去に類をみない惨事であることは疑いない。
事件のもたらした衝撃は計りしれないものがあり、その意味では聖府が恐慌をきたすのも当然といえば当然といえる。
「しかし、だ……」
GRDNの行動は実質上完全に硬直していた。
半ば公然と独立した指揮権限を備えるGRDN上層が突然消滅したのだ。よって中枢の命令系統が消えた現時点において。組織内で独自に命令を下せる人間がいない。
こうなると聖院、分けても至法院と太教院の指示を仰ぐよりほかない訳だが。
「この期に及んで第一に思い浮かぶのが我が身の大事とはな…!」
太教院からの命によりADAMはユニットから離れることを許可されず、至法院はといえば正体不明の敵に怯え警戒態勢を敷くことしか念頭にない。
要するに彼らは運用できる戦力の大半を自らの身辺警護に回している訳だ。
討伐隊は現地部隊の徴用についてある程度の権限が認められているが、勅命を覆せる程のものではない。
こうした極端な反応の遠因が真世界の守護四天たる聖魂機の不在ゆえというのは皮肉極まる話だ。
そもそもゲフェンノーム討伐作戦にしてからが失策だったと彼は思う。
はじめからGRDN全軍をもって事に当たれっていれば少なくともゲフェンノームに関する現状の危機については避けられた筈なのだ。
結局は聖魂機への過信、というより厄介事を彼等に押しつける悪癖がかかる事態を招いたといっても決して過言ではない。
―――初のGRDN直属となるはずであったS級機、ゲフェンノーム。
五番目の聖魂機は各機関の見かけ上保たれていた微妙な均衡を崩す機兵であり、いうなれば存在からして不穏の種といえるものだった。
よってゲフェンノーム強奪を受けて各々が聖魂機を共同で派遣するという選択はお互いにこれ以上の関与干渉を慎むという各院暗黙の意思表示だった訳だ。
史上類をみない聖魂機全機編成での討伐作戦はその実なんのことはない、各院の牽制と妥協の産物であったといえよう。そこまではまだいい。だが、あろうことか各院は他機関の手による工作・抜け駆けを懸念する余りGRDN総勢での連携行動にまであからさまに制限をかけたのである。
かくて、聖伐隊は真世界の命運を左右する危難を前にして孤立下にあるという次第――――強大な軍事力の暴走を未然に防ぐ為の機構がかかる窮状に追いうちをかけているとはまさに本末転倒というほかなかった。
そしてまた。
「(なにより解せないのはこの期に及んでの「議会」の沈黙だ―――)」
「七十一頭議会」は事態をひたすら静観していた。
議会は三院を通しての間接的な勅旨で指揮を下すのが通例とはいえ、これ程の大事に何ら対応策を打つ様子がないのは余りにも異常に過ぎよう。
いがみあう聖院を纏めあげずして何がための最高府か。
「(議会もまた混乱の最中にあってもかしくはない、が……)」
或いはまた、議会にしてみた所で時勢による腐敗と硬直化を避けられなかったというだけの話かもしれない。
「―――――それと、一部ですが指令を待たずして現地へ向かった部隊があるそうで、」
「そうか…」
ザノアとしても許されるのであれば身一つでも加勢に向かいたいところだった。独断で戦力を派遣した部隊について、一個人としては拍手喝采を送ってやりたい所だが。
「何でもゲルション督士の呼びかけらしいです」
「あれは出来た男だよ。ADAMに置いておくのが惜しい」
「ですが法規違反についてはそれなりの処遇を考えなければなりません」
「正しい行為を諫めなければならんというのか!」
補佐官は肩をすくめた。
「心中お察しますが、ここで心証を悪くされては貴方の立場も危うくなりますよ」
「依って立つ地所なくして組織の存続もなかろう」
在りし日は勇猛をもってしられ、自身でもひとかどの武人と任じてきた自分が今や遥か後方で訪れる保証のない今後について頭を巡らせなければならないとは。
千師長の顔からは既に自嘲の笑みも失せていた。
GRDNという、頭を失った巨象が乱れた手綱に絡めとられ、今まさに真世界もろとも倒れようとしている。
―――これが神代の終焉であるとすれば余りに惨めな結末といえよう。
「いやむしろ、世の破滅とはこのようなもんか…」
概して物事の終わりは驚くほど呆気のないものだ。
安寧の享受に慣れ果て、不和と内争にあけくれた世界など滅ぶべくして滅ぶのが道理なのかもしれない。彼は聖府の落日を己が身の趨勢と重ね合わせ今日何度目かの嘆息を漏らした。
背後からは彼を包む戸窓に映る沈みゆく赤陽。老将は神代の黄昏たる夕映えに見遣る。
「(頼んだぞ、坊主ども…)」
ゲフェンノーム討伐隊、聖魂機と聖霊手たちに一縷の望みを託しながら。
■
司令室の室内をたゆたう映盤の薄明かりがウェルバとケイルブの輪郭を形どる。
「手当たり次第に近場から掻き集めてはみたものの…黙示録の軍勢にしては少々寂しいな」
「ですが、これ以上の援軍を待つ猶予はありません」
モノクルを磨くケイルブ。
「この戦力でやるしかないと。せめてガルガリン級が一隻は欲しかったけれどな」
「いずれ単艦では狙い撃ちされるだけです」
「贅沢はいえないか」
「ですが、アドエス級は幸いでした」
「新兵器と「ディクテ」の件も含めて後で施主殿に礼いわなきゃな――――生きて帰れたらの話だが」
機兵総数二百機余り。
従来のタルシス級三隻にアドエス級巡洋艦二隻を加えた陣容の結集した様は相応に壮観ではあるが、ゲフェンノームと竜機種三機を擁した敵と対するにしてはあまりに心許ない。
殊に「バルネアⅣ」近隣の駐留隊が消息を絶った際――恐らくは魔機群に殲滅されたとみていい――送られてきた情報を元に解析した敵勢をしれば尚更だ。
「にしても、千から二千機って…悪い冗談だ」
「残念ながら、あくまでも予想戦力ですのでそれでもまだ控えめな数字と受けとめておくべきかと」
バルネアⅣ周域の瘴圧は、観測の間も更に上昇を続けていた。
「少なくとも鏡砲発射までの時間制限は気にしなくていいだろう……どう考えてもこちらが全滅する方が先だ」
「……我々に勝機はありますかな?」
そう漏らすケイルブ。この男にしては珍しく弱気な発言だった。ウェルバは茶杯を傾け、冷めた苦味を飲み下す。
「あると思って動くしかねえよ。勝たなきゃ未来はないんだから」
「―――作戦説明に入る前に「ブレヴェイルの鏡」の基本構造についてまとめとこう」
「ブレヴェイルの鏡」は一言でいえば天に佇立する巨大な砲身である。
地流から集めた霊質は地上部に露出した「砲身」――成層圏に届く塔を伝い昇る間に極限にまで高められ、大気圏に突き出た先端の「砲口」から照射される。いいかえるなら霊流が「搭」の頂点まで達したとき初めてブレヴェイルの鏡は作動する仕組みになっている。
「――バルネア周囲の霊圧上昇からみて発射までは恐らく二十余時間の猶予があると推測される。 それまでに我々は「ブレヴェイルの鏡」を破壊しなければならないという事だ」
ケイルブの説明を黙して聞く一同。汎士位以上の者をほぼ全て集めたブリーフィングルームはいささか手狭で息苦しい。
「因みに「鏡」の収束部、いわゆる「鏡搭」についてなんだが、これがなかなか厄介な代物でな」
搭の如く聳えた「砲身」は、膨大数の収束板からなる多層構造体であり、収束板は霊流を透過する特殊材質で出来ている為GRDN部隊の主要兵装である霊帯兵器の類は著しく効果が薄いという。
「要するに「搭」の部分を壊す事は出来ないってことか?」
挙手したままのダネルに横目で答えるウェルバ。
「時間に余裕があれば対物武装でちまちま潰していけばいいんだが、その間敵さんが黙って待っててくれる訳もなし」
「でもって戦力差では圧倒的に不利と……」
ミディは僅かに眉根を寄せる。指でしきりに髪をいじるのは考え事をしている時の彼女の癖だった。
「よって、鏡を破壊する手段は二つ。一つは根元、砲搭を支える維持機構。これは、地表に顔を出してる部分を破壊すれば機能を止められる。もう一つは、頭頂の照射口。ここがなければ最終的な加圧が得られないから溜まった霊流はみんな宇宙に向けて拡散しちまう」
「そのどちらかを破壊すれば鏡搭は機能を失うと?」
隊員の問いにウェルバは頷いた。
「勿論、奴等だってその事は心得てるだろうからそれなりの布陣を敷いてくるだろう。で、こっちの布陣だが」
先ずダイヴィヌス隊とセイリオス隊―――各々アドエス級一番艦二番艦と聖導歩兵機二十機が随伴する。残りの機兵はタルシス級アレオパギダ旗艦隊に編成――尚、タルシス級艦隊の歩兵機小隊は知覚性能に優れた弐式歩兵を指揮機として、新たに配属された聖導述兵一機に通常の歩兵機を三機加えた五機編成をとる。
「部隊を三つに分けるのか…」
「…一番の脅威はやはりゲフェンノームだ。正直、戦力を分散させるのはきついが奴に的を絞らせたくはない。そこで、ダネル、ルエビ。ディキオスとセイリオスは先行して出来るだけゲフェンノームを引き付けて貰う」
ダネルに片目を瞑った顔を向けるウェルバ。
「先ず何をおいても鏡の破壊が先決、忘れるなよ」
「……分かってるさ」
「で、タルシス級艦隊は峡谷側から下層の支持基を目指す」
恐らくは空戦性に劣るオムネイ隊を考慮しての配置だろう。「バルネアⅣ」の東部一画は長い峡谷に挟まれるように位置している。攻め難い反面、こちらも地形を衝立に戦えば少なくとも部隊の即時壊滅は免れるだろう。
「更に、最上部の発射口を成層域からダイヴィヌス隊で狙う。これが大まかな内容、質問はあるか…」
――――――天と地からの二点同時攻撃。それが彼等の採択した戦術だった。
『本艦及び全艦隊は現時刻をもって戦闘態勢へと移行する』
回線を通したケイルブの言葉は艦内の全廊画に粛然と響き渡る。
『―――神都の件について詳細は未だ掴めていない。が、さしあたって我々には早急に
対処せねばならない脅威が迫っている』
隊員達は銘々が手を止めて耳を傾けていた。
『魔獣の手によって「ブレヴェイル明鏡」に点された種火は程なくして悉界を灼く大火を生むであろう。そして、未だ聖府が惑乱の最中にある現在、我々だけがこれを抑止しうる唯一の部隊、文字通り最後の砦である。いいかえるなら本作戦の失敗はそのまま真世界の滅亡を意味する。なれば我々に許されるのはただ、勝利の一語に尽きよう。忘れるな、聖魂機だけではない、今此処に集う諸士等一人一人が背に真世界の総てを負う盾にして不浄の魔に裁きを与える剣なのだという事を。無論、敵は真世界最悪の狂獣。戦闘の熾烈さはこれまでとは比肩し得まい。だが仮令、戦場に己が身一つ取り残されようとも使命を全うする覚悟と気概をもって事態に臨む事を諸士等に願うものである』
『―――ここからは、作業を続けながらでいい。聞いてくれ』
ウェルバが参謀に代わって語る。
『確かに殉命をもって天に財貨を積みあげるは我等神徒の本懐であろう。が、今いる此処は既に楽園。であれば、成らば世界を救うという至徳の幾許か、この現世でもって僅かばかり頂戴しようと何らの憚りもないではないか?加えてこの混乱事、我等の働き場所は其処彼処に溢れかえっていよう』
ウェルバはそこで息を一つつく。
『ぶっちゃけた話、皆も分かってる通り今の真世界は最悪だ。ここにきても足の引っ張り合いにかまける奴ら、責任を放棄して逃げる算段する奴ら、怯えて布団ひっかぶる奴ら。ここにきてもなんにも変わりゃしない。こんな世界を守るのかって思うとまったく虚しく思えてくる位にな』
艦内のざわめきを見透かしているかのようにウェルバは更に言葉を注ぐ。
『だから―――諸君らが変えるんだ。ゲフェンノームを倒して、それで戦いは終わりじゃない。今度はこの腐れた真世界を正す為の戦いがみんなを待ってる。そいつは魔を滅するように、分かりやすい戦いじゃないかもしれない。それはむしろ今よりもきつい戦いであるかもしれない。けど、俺達には資格と義務がある。ゲフェンノーム―――真世界の澱が生んだ化け物と対峙した俺達には、奴が暴いた矛盾と虚栄、奴が齎した悲劇と惨禍を目の当たりにした俺達には、この歪んだ世界を変える資格と義務がある―――』
そこで少年は不意にいつもの飄々とした様子に戻った。
『まあ、要するに何が云いたいかというとだ―――――――総員、なるべく死ぬんじゃないぞ!以上通信終わる!』
司令室。相も変わらずの仏頂面に少年は軽く舌を覗かせた。
「玉砕など求めはしませんが……気休めなどはかえって酷ではありませんか?」
「希望をもつ事と覚悟を決める事は案外、矛盾しないもんだよ」
「その希望が空虚なものだとしても、でしょうか」
首尾よく「鏡」を破壊できたとして、単機でさえ脅威であるゲフェンノームがいるのだ。ケイルブとしては全滅を免れればまだましな方だと考えていた。
「見通しが暗ければ暗いほどかえって、ほんのささやかな明りでも息せき切って飛び込むのが人間だ。そういう時の人間が一番働いてくれる」
「…主長殿は慈悲深いのか残酷なのか判じかねますな」
「どうだろう。俺にもよく分からん」
ふと、ケイルブの片頬が僅かに持ち上がる。
「どちらにしても、貴方という人間は大したヒューマニストですよ」
「含みがあるよな、そのいい様」
「私は嫌いじゃありませんがね」
ウェルバは笑い、席を立つ。
「それじゃ、頼んだぜ、参謀殿」
「委細承知。必ずや果たしてみせましょう」
お互いが振り向きもせずに交わす言葉。少年を背で見送りながらケイルブは思う。死を突きつけられれば誰しもが、覚悟はあろうと身は竦むもの。
されど、この絶望的な状況下にあっても敵に背を向けるものは部隊には一人もおるまい。
煌と示される希望の輪郭―――先陣を切って舞う聖魂機の姿ある限り。
「―――それじゃ、ここで一先ずお別れって訳だ」
タルシス級一番艦艦橋に集まった四人。
この先は各艦隊散開してからの合流になる。ウェルバとミディはアドエス級一番艦「ハピツェンツ」。ダネルとフィーラはアドエス級二番艦「ハクファ」へ。
「何だよ急に改まってさ?」
手をつきだしたウェルバに促され彼らは差し出す掌を重ね合わせる。
「GRDN式ではないけどな。景気づけという奴だ」
ウエルバの今までみせた事のない真摯な面持ちがかつてない激戦の予感を物語る。
「ここが俺達の旅の終着点だ。…多分、これが俺たちが揃って戦う最後の勝負ってことになるだろうな」
「そっか。そうだよね…」
ウェルバは仲間を順に見回し、笑う。
「短い間だったが俺達、わりといいチームだったと思うぜ」
「……もうずっと前からこうだったみたいだ」
あまりに自然に結び合わされた絆は、気づけば二月と及ばぬ束の間の去時。
「ウェルバ、ミディ、ダネル…貴方達と逢えて本当に良かった……!」
目を瞑りフィーラは呟く。
「あ~もうっ!何なのこの辛気くさい空気は!これが今生の別れってわけでもないでしょうが?」
ダネルは深く強く、自らに言い聞かせるように首肯した。
「その通りだ。必ず戻ってくるさ、俺達は―――――!」
掌で固く握り合わせる再会の約束。
―――――けれどこの時、四人の誰もが心の奥底で直観していたに違いない。
この誓いが決して果たされることはないという事を――――――これが彼ら四人が集う最後の時。
■
廃都・バルネアは元々、旧世紀に建造が開始され、完成以後もまた数度の変遷を遂げてきたユニットだった。
設計当初は地球と宇宙を繋ぐ軌道階梯として、次いで集光によるエネルギー生産施設として―――そして、最後には天空を焦がす最終兵装として。
ダネルはコクピットにて出撃準備に入っていた。瀬戸際で修復の間に合ったディキオスには新たに長槍と専用の大盾が装備されている。
「―――――背翼は間に合わせの急造品なんだ、問題はないはずだが一応気をつけろ。それと盾は捨てるなよ、必要になるかもしれんからなッ。恐らく今のお前なら使いこなせるはずだ!」
「了解したッ!」
「小僧!今回だけは特別だ、幾らぶっ壊しても怒りゃあせん。たとえ骨組みからだってきっちり修復してやる!」
口下手なダタンなりの激励に機中のダネルは微笑む。
「あぁ、絶対に戻ってくるからさ。そん時はよろしく頼むよ、親方ッ!」
「おう行って来い!」
戦艦の一斉砲撃は出撃の合図。
「ディキオス、出るぞッ!!」
「セイリオス、参ります!」
先駆ける聖魂機――ダネルの開けた視界に飛び込むのは朽ちた建群に囲まれた赤熱の氷壁だった。
闇夜を黄昏に引き戻す、陥落した都市景のささくれに突き刺さる紅水晶の搭。
遠間から一個の搭とみえていたのは、実際には全周域十数kmに浮遊した収束板のマトリクス体である事が分かる。
成る程ウェルバの云う通り、一枚で中型機兵をすっぽり覆えるほどの収束板数百万枚をすべて破壊し尽くす事など無謀にも等しい。
「―――もう本格的な起動が始まってるじゃないか…!?」
透けた芯棒を包んで緩やかに振幅する荷霊子光は天へ垂直に伸びる黄金大河を紡ぎ、塔頂には宇宙の闇に溶け込んだ円盤が一つの天体の如くに存在する。
搭頂に存在する多重円環、宇宙の闇に融けこんだ一つの天体を目指し昇る。
―――赤金の流れがあの「砲門」に達した時、世界に滅火が降りそそぐ。
稠密な霊流の層帯が螺渦を更に取り巻くは魔なる黒雲はがらむ暴風圏。
裂叫する音衝波と輝ける霊子の震動。全てを飲み込んで天地を轟する振音は、魔獣のおめきににつかわしい。
そして。
燃え立つ塔身を巡る黒嵐から沸き立つ、機影の細かな点がさざめき膨溌し晶搭の明りを霞ませていく…。
遥か遠方に捉えた機影の群れは点ではなく雲霞の塊だった。
「あれが、あれが全部…機兵だってのか…」
やがて収束板が機兵の大群に呑まれみえなくなる。
『敵、大多数…数は……およそ…』
通信手はそこまでいって口を噤んだ。もはや機数の把握は用をなさなず、目前の光景を形容する術もない。
『―――――地獄の蓋が開いたようだってのは、こういうのをいうんだろうな……!』
アドエス級ハクファ艦主の顔には瘧り笑いが張りついていた。神々しくさえあるその凶観を目の当たりにするものは誰しもが思っただろう。
―――それはまさしく、終末の光景にほかならなかった。
聖霊の翼を追って、魔赤に揺れる破世界へ飛び入る白の軌条は無数。襲い来る周期的な波線が部隊の脇を掠めていく。
とぐろを巻く黒霧が滞留霊波に干渉し、縦に奔る津波となって弾かれる。
『気をつけろよ!あれに掴まったらおしまいだ』
先んじて翔ける蒼翼から突き出でたディキオスの長槍の射線が霧流を払う。
「よしっ!使えるじゃないか、長槍!」
元々、長槍は本来ディキオスの主兵装だったのだが新たに繰り手となったダネルの技量不足に加え、対ゲフェンノームへの戦術的相性を鑑みた結果敢えて封印されていたのだった。
勢いづくのも束の間、ダネルは吹き散らされた闇の奥に動かぬ漆黒の一点を認め機体の進行を止める。
開かれた帳の最奥に轟然と佇むは灼熱の畏怖―――――――漆黒の魔獣機とそして、間髪いれずダネルの視を灼く黒き直閃―――暴虐の破壊晃/現界裂く冥門。
「―――――ッ!?初手からいきなりかッ……!」
半身を覆い隠した聖盾を咄嗟に展開する騎士機。
シールド前面に繰り出される十重二十重の障壁を容易く喰い破る極大の黒光はしかし、ディキオスにまで届く事はなかった。
邪なる穿光を散じるは女神の抱翼――――――ディキオスに覆い被さる様にセイリオスが身を呈しての盾となる。
滅びの火矢をもってしても破れぬ白く清らなる絶対壁。
「ダネルは私が守ってみせますッ…!」
「頼んだフィーラ、こっちは打ち込みしか考えないでいかせてもらう!」
なにせ前回は四機がかりで辛うじて互角だった相手だ。ダイヴィヌス、ベネデクテの両機抜きとなればディキオスは文字通り身を棄てての特攻勝負を挑まねばなるまい。
「――要するに、三倍働きゃいいってだけの事だッ…ディキオス!」
長槍の長距離振動砲撃が魔獣に奔走し、けたたましくも終鐘をがなりたてる。
ゲフェンノームとセイリオス、ディキオスの攻防。
うねり、絡み合う宿縁に誘引される翼たち。
『―――遅いぞ。随分と勿体つけてくれるじゃないか。ダネル・アラクシ』
「今度こそ、決着をつけてやる―――「D」ッッ!」
『ああ、そうだな。これで終わりにしてやるとも……一切合財、何もかもをなッ―――!』
交わる射軸、爆ぜる閃条。
崩塔を挟んで反対側では邪竜機とベネデクテ、ダイヴィヌスの交戦が既に始まっていた。
『ハッハア!性懲りもなく寄って来るよなあ、虫けらどもはッ!』
吼える竜蜴機のプレ・イグ。
『さぁ、この間の続きをしてあげる……!』
竜蛇機の飛触分糸が宙を這う。
迎え撃つベネデクテの飛鐘分翅。
飛突するディバインの大鎚可変曙光砲撃は前面のボルギア十数機を巻き込みながら空を直貫していく。
「前のわたしらとは思わないことね!機体さえ万全だったら、」
「遅れはとらねえッ!」
岩崖を越えて雪崩出る死神の重列を駆逐する全艦掃射。
上空高く聖魂機を余所に峡谷を進む機兵部隊とタルシス級一番艦艦隊の前に、巣穴を崩され怒れる蠢蟲が如く飢機の群霊が湧き出る。
死霊機・魔蟹機・魔甲機――――遠方から眺めるその様は文字通り雲霞の群れに例えられよう。
幾千を超える敵機の侵攻と幾万を超える射弾の怒涛はもはや射閃の切れ目を探す方が至難。
なれば。
打ち出される雷光が敵砲の豪雨を貫いて、黒稜に無数の閃光をばら撒く。
縦横に並んだ十字砲群―――歩兵機三機で抱え持つ共振武奏は「聖導述兵」の律式機能あって始めて使用が叶う兵器だった。
GRDNの新兵器が、此処に来て間に合ったのは僥倖と呼ぶべきか。
述兵は単機では凡庸な性能しか発揮しない機体だが、部隊規模での運用時にこそ真価を発揮する。いくつかの簡易律式によって僚機の攻守にわたる霊位効率を最大限にまでマネジメントする事が可能な機体なのだ。
『へっ、これだけ多けりゃわざわざ的を絞る必要はないな』
『無駄口叩いている暇はないぞ……各機、第二波来るッ!』
立ち上る黒煙にも似た機影が、砲撃の開けた穴を瞬く間に塞いでゆく。
『こいつは単機でどうにかなるレベルじゃない、今は撃墜を避けることだけ考えろ!』
かくの如きの大群で明確な指揮系統もなく邪なる本能のままに行動する魔機どもだ、待っていれば必ずどこかで隙を露呈しよう。
いずれ訪れる間隙を見逃さじと、GRDNの戦士達は押し寄せる圧倒的な死の暴風に眼をしかと見開く。
三つの分散した戦力、いずれかの突破さえ成れば勝機はある。然れども逆にどの部隊が陥とされようとも、無慈悲に過ぎる戦力差に押し切られ戦局を維持するのは絶望的となろう。
聖と魔とが翔ける煌天の夜。
世界の存亡を賭けた終末戦争の火蓋が今まさに切って落とされた――――。




