地獄より
「――それまで私は生誕と死を見ていた、だがその二つのものは別々なものと思っていた。しかるにこの「生誕」は我々には痛烈な苦痛だった、まるで「死」であり、我々の死であった―――」(T・S・エリオット「妖精詩集」)
満遍に火が彩るその光景は、見る者があればまさしく地獄と呼ぶべきものであったろう。
だが、今この場に於いてそれを語りうる者は誰一人として存在しなかった。
生きている者は、もう誰も。
遥か千年の昔――「神」の降臨、そして聖暦の始まりに鋳造され、新年を迎えると同時に高らかな祝福を謳いあげるのが常であったその大鐘はしかし、噴き上がる業炎の渦を前にしてただ沈黙するばかりだった。
飴の如く溶けひしゃげる鉄柱の束。
沸騰し、干上がっていく水路を埋める人々の屍。
形あるものは全て際限なく貪る奔火に呑まれ、後には一抹の灰と焼け焦げた匂いを残すだけ。
荒れ狂う焔に容赦なく蹂躙される、都市であったものの形骸。
―――そして焦熱の渦中に聳える巨大な漆黒。
赤く染まった世界に一人立つ、鋭い角に覆われた鋼躯はまさしく獄界に君臨する魔王が如く。
かつては街並を遥か見下ろし、いまや傾き崩折れつつある鐘塔に吊られた金色の大鐘は悲嘆に泣き伏すようにゆっくりと融け落ちてゆき――だが、鐘の完全な消失を待たずに黒き巨人は鋼の腕を無慈悲に容赦なく振り下ろす。
地を震わす凄絶な轟音はいまだ衰えぬ焦嵐にかき消され、蛇行する炎環以外に動くもののなくなった世界で虚空を引き裂かんばかりの咆哮を放つ巨獣。
それは、いかに人型をとろうとも所詮は機械じかけの人形に過ぎぬ筈だ。
しかし、空を震わすその軋叫は紛れもなく感情を、汲めども尽きせぬ狂烈な怒りを確かに宿していた。
そう、怒りだ――。
神が創った世界への。
神を礼賛せし人々への。
そして、己を生み出した「神」への――――――。
―――――聖暦0162年1月1日。第十三都市壊滅。
この年は「神」を讃える祝いの鐘でなく、黒鋼の魔獣「ゲフェンノーム」が放つ禍々しい呪詛のおめきとともにはじまる事となった。
恰も間もなく訪れるであろう、悲劇と破滅の運命を予兆するかのように―――。
スピリデウス。
其は人を灼く希望の名。
――――――――――失われた歌。消えた声。
其は望まれたる災禍の名。
――――――――――去りにし光。過ぎし時。
スピリデウス。
誓約は空。
――――――――――一握の塵。それでもやまぬ風。
運命は紅蓮。
――――――――――想いは果てに。そして今、此処に。
スピリデウス。
戻りようもないボク達の
もう、ふりかえらない物語――――。