五話
桜花は樹の道案内に従って歩くが、山の日が落ちるのは早くあっという間に暗闇になってしまう、葉の隙間からわずかに見える月光と樹の言葉を頼りにフラフラと桜花が歩いていると、目の前にぼうっと青い光がともった。
桜花は突然自分の目の前に現れた光に、誰か迎えの者がきたのだろうかと目を凝らしたら、その青い火の中に人の顔があることに気がついた。普通の火ではないことに気がついた桜花は声を飲みこんだが、すでに遅かったらしく火がゆらりとこちらに近づく。近付いてくるその火から聞こえてきた怨嗟の声に、桜花は耳を閉じてそのまま身体を伏せる。
死にたくない、死にたくない、どうして、と恨み事をぶつぶつと呟く声は、今度は生者である桜花に意識を向けたらしく、羨ましい、憎たらしいとすすり泣くような怒りの声をあげる。
ぼうっと青い火が近寄ってきて「冷たい」と思った瞬間、急にそれがかき消えた。桜花は光が消えたのを腕の隙間から確認してから、恐る恐る顔をあげるとそこに雄飛の姿があった。
「雄飛……っ」
雄飛を見つけた瞬間、滂沱と涙をこぼし始めた桜花に雄飛は「だから勝手に屋敷から出るなと言っただろう」と珍しく少し怒った様子で言ってくる。
桜花が謝りながら雄飛に抱きつくと、雄飛はそっと宥めるようにして桜花の震える肩に触れる。桜花がやっと安心したと身体から力を抜こうとした瞬間、さっきの青い光の声が遠くから聞こえた気がした。
「人にもなれず、怪にもなれぬ哀れな娘よ」と。
桜花が雄飛に連れられてやっとの思いで屋敷につくと。外から見ただけで屋敷内が慌しい様子だということがわかった。中から聞こえる「桜花様は見つかったかっ!?」という声に桜花がそろりそろりと後退していこうとすると、どんと何かぶつかる。
「冒険は楽しかっただろう。桜花」
意地悪げな雄飛に、桜花は即効頭を下げて謝った。雄飛は「桜花が反省しているならそれでいい」と言って寛容に許してくれたが、芙蓉はそうもいかなかった。毛を逆立てた芙蓉は桜花が外にしばらくは遊びに行かなくて済むほどの宿題を押しつけると、反省しなさいと言って暗い部屋に押し込んだのだった。
「うわああああん!!」
幼子も顔負けと言わんばかりに泣き叫ぶ桜花。
真っ暗闇は桜花の暗い過去を思い出させるらしく、本気で怯えた様子で泣き叫んでいる桜花の声を遠くに、雄飛は今日もまた酒を煽っていた。
目の前では芙蓉は心配げに桜花が閉じ込められている部屋の方を見つめている。
「そんなに気になるなら、もう出してやればいいだろう」
雄飛が言うと、芙蓉はぶんぶんと首を横にふって心を鬼にする。
「いいえ。一昼夜というお約束なので、朝が明けるまでは許しません」
ぎゅっと下唇を噛んで苦悶に満ちた顔をする芙蓉に、雄飛は難儀なことだなと苦笑いせざるをえない。
雄飛が笑っているのに気がついたのか、芙蓉は怒りながら激しく捲し立ててきた。
「雄飛様が甘やかすからいけないんです! いっつも、いっつも私が怒るばかりじゃないですか、これだから桜花様に芙蓉嫌いって言われるんだわ! 私だってそんなに口うるさく言いたくありませんよ。でも雄飛様がぁ~」
ぎぎっと爪を立てはじめた芙蓉に、雄飛は片ひじを立てながら全く心の籠っていない謝罪をした。
「いつもすまん」
「全然本気じゃありませんよね」
「本気だよ。悪いと思っている」
愁傷な雄飛の言葉に、芙蓉は深いため息をもらしながら頬に手を当てる。本気で桜花に嫌われるかもしれないと思い悩む芙蓉に雄飛は軽口を叩いた。
「俺が言うのもおかしいけど………飴と鞭でちょうどいいんじゃないか?」
「…………鞭の私が嫌われる一方ではないですか!」
きっと耳を立てた芙蓉に、雄飛は両手をあげて降参するしかなかった。
しばらくして酒を全て飲み終わった雄飛は、重い腰を持ち上げた。横に控えている芙蓉がきっとした目で見つめてきたので、軽く両肩をあげておどけて見せる。
「……いくら雄飛様でも、今回だけは譲れませんわ」
ここまでやって今さら出しても、桜花に「芙蓉嫌い」と言われるのは目に見えている。芙蓉の決意は固かった。
そんな芙蓉に、雄飛は「出しはしないよ」と言って手をあげるとフラフラと声のする方へ去って行った。
桜花が閉じ込められている部屋に近付くにつれて声が近くなっていく。泣き疲れたのだろうか、嗚咽まじりにしゃっくりをあげている声がする。月の光は入っているはずなのだが、そう思いながら雄飛はようやく桜花の部屋の前に辿りついた。
細い肩を揺らしながら啜り泣いている桜花がすぐに目の裏に浮かんで、今すぐそこから出してやりたい気持ちになったが、それをやってしまったら芙蓉が煩いのでそれもできない。
それに芙蓉の言う通り、確かに雄飛は桜花に甘すぎる。決める時はばしっと(芙蓉に)決めておかないと、桜花の教育上よくないだろう。
雄飛は鬼の気持ちになって、泣き続ける桜花に声をかけずにその場に腰をおろしたのだった。