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桜下奇譚  作者: 森 彩子
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一話

桜の下には、それはそれは美しい鬼がいました――。


「どうして動かない」

桜の花弁が風で舞い上がる。彼に触れたいとばかりに、舞って、散って、狂っている。この一瞬、彼に触れる為に私はこうも咲き誇ったのだといわんばかりに。

目の前に立つ男を黙って見つめることしか出来ない私に、男の薄いが形のよい唇が再び動いた。

「言葉もわからないか…」

哀れな。そう言いたげに男は切れ長の目をそっと伏せる。そしていつまでたっても根が張ったように動けないでいる私に近寄ってきた。あなたのために咲き誇ったという桜の花弁を踏みつけながら。「あっ」と微かな声をあげた私に、男は片方の眉をあげると「なんだ声はでるのではないか」と言った。

目の前までやってきた男は、顎に手をあてながらまじまじと私を見下ろした。

「ほれ、口を聞いてみろ」

遠くからみたらただ冷たいだけだと思った男の切れ長の瞳はこうして間近で見てみると思いのほか優しく、砕けたもの言いからは先ほどとは全く逆でどちらかというとひょうきん者の匂いがした。

「………あの、桜が、泣いています。あなたが愛しいと」

見た目の美しさとは違い親しみのある男の言葉に促されて、私はとっさにそこら中から聞こえてくる物言えぬ桜の気持ちを代弁してしまう。とたんに頭の中に蘇った人々のこちらを嘲り、恐れるような瞳とその口から漏れた罵倒の数々を思い出してしまう。すると身体が反射的に縮まって、次にくるであろう痛みに備えて自分を守ろうとするのだ。

男はすぐに口を開かなかった。頭を抱え込んだまま伏せっている私には見えないが、たぶん男は今までの大人と同じで奇怪なものを見る目で私を見下ろしているのだろう。

「お前………あいつらの声が聞こえるのか」

少ししてから呆けた様子で男がぽつりと漏らした。私は身体を更に縮ませると、次に飛んでくるのが手でも足でも言葉でもいいように身がまえた。

しばらくの沈黙の後、やせ細った身体を更に小さくさせた私の頭を何かが叩く。身体を強張らせる私に優しく宥めるように触れてくるそれが他人の手だということも知らずに、私はボロボロとこぼれ出てきた涙を膝で受け止める。

「娘。顔を上げろ」

男の口から洩れたのは、少し困ったようなぶっきらぼうな言葉だった。

私はその声音に、今までこの力を知られてから豹変した人たちと違うものを感じたが、それでもまだ顔をあげることはできずに更に涙をこぼす。

いつまでたっても泣いている私に焦れたのか、前に立つ男が翻すように下の土を踏んだのがわかった。

また置いていかれてしまう、そう思うと私はとっさに男にむかって手を伸ばしてしまった。さらりとしたものが私の掌の中に入り込んだ瞬間、私はそれを必死で握りしめた。どうやら私が掌に掴んだものは男の白い着物だったらしく、そのせいで動けなくなってしまった男はめんどうくさそうにため息をついた。

それを聞いて嫌われてしまったと思うと更に顔を上げることができなくなってしまったが、それでもこの力がばれた後も恐れる様子をいっこうに見せない男を手放したくなかった。

私は自分の手が泥だらけなのだということも忘れて、ただただ赤子のようにやっと掴んだそれを握りしめることしか出来ない。何も言わずにただ痩せこけた手のひらだけに力を入れる私に男は再び深いため息をついた。

そしてその数秒後、グンと身体を宙に放りあげられるようにして持ち上げられた。

涙でぐちゃぐちゃになった目を驚きにめいいっぱい開くと、間近に男の顔があった。男は不思議なものを見るような目で、私を上から下まで見下ろす。

「……汚いな」

「………うぅっ」

男の言葉に私が情けなく息を飲み瞳を潤ませると、男はわかったわかったと言わんばかりに頷きながら私を自分の右腕に座らせた。

「お前、名は?」

男はぐしゃぐしゃになった私の目元を袖の部分で雑にぬぐいながら尋ねてきた。

「オイか、アレ……」

「オイかアレって…」

私の言葉を男は呆れたように繰り返した。

「そう、呼ばれてた」

「それは名前ではないだろう」

男の言葉に私が小さく首をかしげると、男は汚れで固まったままの私の髪をがしがしと撫であげた。そうして少し周りを見回すと大きな桜の樹に気がついた。

「そうか、それじゃあ今日からお前の名前は桜花だ」

「……おーか?」

口元に指先を寄せながら私が繰り返すと、男はふふんと鼻で笑った。

「何も知らぬ、か――」

男の言葉に私が身を縮めると、男は小さく笑うと私を更に高々と持ち上げる。

「そうではない。桜花だ。桜の下で見つけ、桜の声が聞こえるなんて、人の子にしては珍しいことを言うからお前は桜花だ」

高い高いをするように持ち上げられた為に、さっきと違って今度は男を見下ろす形になってしまった私は男を呆然と見下ろすことしかできない。

「なんだ、何も知らぬくせに生意気な奴だな。その名が気に入らないのか?」

何も言えずにいる私に、男は眉をあげながら、声を発せと持ち上げたままの私を揺らした。揺らされた私は舌を噛みそうになりながら慌てて口を大きく開いた。

「ううん。オイとかアレよりずっといい」

大きく口を開いたからか男に唾が降りかかったらしく、男は疲れたようにして肩を下げると、私をもう一度自分の右手の上に乗せた。

そして乗せている方とは逆の手で顔にかかった唾をぬぐい始めたので、私は自分の汚いぼろきれのような着物の袖で男の綺麗な顔をぬぐった。男は最初嫌そうな顔をしたが、私の必死な様子にそれ以上何も言わずに黙ってやらせてくれた。綺麗な顔全体を拭っていると、私は男の額にポツリとした二つの突起を見つけた。

黙っていれば髪に隠れているであろうそれを不思議に思ってまじまじと見つめていると、私の視線に気がついたのか、男は軽く笑った。

「これが気になるか」

私がこくんと頷くと、男は睦言を囁くように私の耳元で静かに囁く。だれにも聞かれてはならんのだというように。

「角だ」

「つの?」

「そうだ。私は鬼なのだ」

「おに?」

「…………もういい」

男は釣り合いがないなと小さく言葉をもらした。

おに、おに、おに――。

確か、私をここに置いて行った人たちもが言っていた。

「ここには鬼が住みついてしまった」と。だからいらない子供はここに置いていくのだと。恐ろしい、恐ろしいと口々にいって、私をここに放置して足早に帰っていった人たちを思い出す。あの時は、この人にそうしたように手を伸ばすこともできなかった。自分はいらない子だからここに置いて行かれたのだということは十分に理解できていたからだ。伸ばした手は振り払われることはわかっていた。わかりきっていることに縋りつくような真似を、今までの短い生の中で色々なことを諦めてしまっていた私はしようと思わなかった。

あの時私はただ諦めてここまで私を連れて来てくれたものたちに手を振ることしかできなかった。たとえ気味が悪そうな顔をされても、私は彼らの背に手を振り続けた。

そして一人になったとたんに、鬼という恐ろしいものがやってきて自分をどうにかすることを彼らが望んでいることを思い出して、ぶるりと肩を震わせたのだ。

怖いからといってどうすることもできないので、ただ月夜に舞う桜を見つめていた。桜が口々にいう「早く会いに来て」という囁きを耳にしながら。

桜が呼んでいたのが彼で、彼が鬼だというなら、私はこれからどうなってしまうのだろう。恐ろしいもの、鬼というわりには、男はとても美しかった。少し釣り目がちな瞳の奥は黒々としていて、月夜に冴えている。心身ともに成長が幼い自分でも思わず見とれてしまうほどに。

何も知らない私に男は諦めて、抱えたままさっさと歩き出す。大きく揺れる男に私は思わず男の肩にしがみついてしまう。すぐに離れようと思ったが、しがみついても一向に男は怒らなかったので私はそのまま男の肩に額をあてる。

「……あの、一つ聞きたいこと、あります」

「なんだ」

「あなたのお名前、教えて下さい」

私の言葉に男は少し驚いたようにして目を見張ってから、ふっと空気を揺らしてほほ笑むとゆっくり口を開いた。

「雄飛」

「ゆーひですか」

男、いやゆーひは少し考えてから、私のつたない物言いに頷くと、私から目をそらして前を見つめた。

離れることに厭うているのか、桜の吹雪が更に激しくなる、ざわざわと囁きのような声に耳を傾けると汚い子供を拾ったことに対して桜は怒っている様子だった。汚い子供が自分のことだということは理解できたので、桜花は自分に叩きつけるようにして吹きつけてくる桜を甘んじて受けとめる。

息をつくのも難しいほどの桜の乱舞に私は思った。散る時しか彼に触れる機会がないというのに、どうしていくつかの桜たちは私にぶつかってくるのだろうと、こんな汚い子供に触れるくらいだったらすごく愛しいというゆーひにぶつかっていけばいいのに。嫉妬に狂って叩きつけてくる花弁たちをそう不思議に思いながら、私はゆーひの胸に頭を預けていつの間にか眠ってしまっていた。



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