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あの日、親友を助けなかった俺は、生涯その代償を払うことになった

作者: アポロ
掲載日:2026/04/27

 エルド、ライゼ、フィリア。

 三人の名前は、孤児院の誰もがまとめて呼んだ。

 「三つ葉」――いつも一緒にいるから、そう呼ばれた。


 寒い夜は一枚の毛布に潜り込み、

 腹が減れば一つの皿を三人で囲んだ。

 泣く時は三人まとめて泣き、

 笑う時も三人まとめて笑った。


 大人になって冒険者になった時も、

 当然のように三人は同じパーティを組んだ。

 誰も「一緒にやる?」なんて聞かなかった。

 聞く必要がなかった。


 エルドは、ずっとフィリアが好きだった。

 小さな頃から、彼女の笑顔を見るたび胸が温かくなった。

 けれど、その気持ちを伝えたことはない。


 理由は簡単だった。

 ライゼもフィリアを見ていた。

 そして、

 フィリアもライゼを見ていた。


 言葉にされたわけじゃない。

 ただ、二人の視線の交わり方を見ていれば分かった。

 エルドはその輪の外側に立ち、

 その光景を静かに見守るのが自分の役目だと思っていた。


 ――二人が幸せなら、それでいい。


 そう思っていた。

 そう思い込んでいた。


 けれど、胸の奥に沈んだ小さな痛みは、

 いつからか消えなくなっていた。


 森の奥は、昼でも薄暗かった。

 湿った土の匂いと、どこかで鳴く魔物の声が混ざり合う。


「数、多いな……」

 ライゼが剣を構えながら言った。


「でも三人なら大丈夫だよ」

 フィリアが微笑む。

 その笑顔に、エルドの胸が少しだけ熱くなる。


 三人は背中を合わせ、円を作った。

 いつも通りの陣形。

 何度も生き延びてきた形。


 魔物が一斉に飛びかかってきた。


 剣がぶつかる音。

 フィリアの詠唱。

 ライゼの短い息遣い。

 エルドはそれらを聞きながら、冷静に敵を斬り伏せていく。


 ――この三人なら、どんな敵でも倒せる。


 そう思っていた。


 だが、その瞬間だった。


「ライゼ、後ろ――!」


 エルドの声より早く、

 巨大な影がライゼの背後に迫っていた。


 ライゼは別の魔物と斬り結んでいて気づかない。

 フィリアも前方の敵に集中している。


 気づいているのは、エルドだけ。


 エルドは走り出そうとした。

 剣を握り直し、地面を蹴る――はずだった。


 だが、胸の奥に、黒いものが浮かんだ。


――もし、このまま助けなければ。

 ライゼがいなくなれば。

 フィリアは……俺のことを……。


 その考えが、

 エルドの足をほんの一瞬だけ止めた。


 本当に、一瞬だった。

 瞬きほどの時間。

 けれど、それで十分だった。


 魔物の爪が、ライゼの背を貫いた。


「……っ!」


 ライゼの体が前のめりに倒れる。

 剣が手から滑り落ち、土に沈む。


「ライゼ!!」


 フィリアの叫びが森に響いた。

 エルドは遅れて魔物に斬りかかったが、

 もう遅かった。


 魔物の体が倒れ、

 静寂が戻る。


 ライゼは動かなかった。


 フィリアは膝をつき、震える手でライゼの肩を揺らした。

「いや……いやだよ……ライゼ……起きて……」


 エルドはその光景を見つめながら、

 胸の奥が焼けるように痛んだ。


 自分が、

 親友を殺した。


 その事実が、

 森の冷たい空気よりも重くのしかかった。


 ライゼの遺体を抱きしめたまま、フィリアは動かなかった。

 肩は震え、声は途切れ、涙だけが止まらず流れ続けた。


「……ライゼ……どうして……」


 その声を聞きながら、エルドは何も言えなかった。

 喉が焼けるように痛いのに、声が出ない。

 言葉を探そうとするたび、胸の奥の黒い影が形を持って迫ってくる。


 ――俺が殺した。

 ――俺が、親友を。


 フィリアの泣き声が、刃のように突き刺さる。

 慰める資格なんてない。

 触れる資格もない。


 エルドはただ、立ち尽くしていた。


 その後のことは、ほとんど覚えていない。

 ギルドに報告し、葬儀を済ませ、

 フィリアが泣き疲れて眠るのを見守り、

 気づけば二人は冒険者を辞めて故郷へ戻っていた。


 孤児院の前に立った時、

 フィリアは小さく呟いた。


「……帰ってきたね、エルド」


 その声は、昔と同じ優しさを持っていた。

 けれど、エルドにはその優しさが痛かった。


「……ああ」


 それだけ答えるのが精一杯だった。


 フィリアはエルドの横に立ち、

 まるで寄り添うように肩を並べた。

 その距離は、手を伸ばせば触れられるほど近い。


 だが、エルドは一歩だけ後ろへ下がった。


 フィリアが驚いたように振り返る。


「エルド……?」


「……ごめん。少し……疲れてるだけだ」


 嘘だった。

 本当は、彼女のそばにいると息が苦しくなる。

 罪が、喉元までせり上がってくる。


 フィリアは心配そうに眉を寄せたが、

 それ以上は何も言わなかった。


 その沈黙が、エルドには救いでもあり、罰でもあった。


 それからの日々、

 二人は同じ町にいながら、

 付かず離れずの距離を保ち続けた。


 フィリアは時々エルドを訪ねてきた。

 昔のように笑いかけ、

 昔のように話しかけ、

 昔のように寄り添おうとした。


 けれどエルドは、

 いつも一歩だけ距離を置いた。


 ――これ以上、彼女を傷つけたくない。

 ――俺のそばにいると、彼女はまた泣く。


 そう思い込むことで、

 エルドは自分を保っていた。


 だがその距離が、

 フィリアの心にどんな影を落としていたのか、

 エルドはまだ知らなかった。


 季節がいくつも過ぎた。

 ライゼの死から、もう何年も経っていた。


 フィリアは少しずつ笑顔を取り戻した。

 町の人に頼られ、子どもたちに慕われ、

 孤児院の手伝いをしながら、前へ進んでいった。


 ある日、フィリアはエルドに言った。


「……私、結婚することになったの」


 その声は、どこか申し訳なさそうだった。

 エルドはゆっくりと頷いた。


「……そうか。よかったな」


 本心ではなかった。

 けれど、そう言うしかなかった。


 フィリアは少しだけ笑った。

 その笑顔は、昔のように柔らかかった。


「エルドも……幸せになってほしい」


 その言葉が胸に刺さった。

 エルドは視線をそらし、

 「ありがとう」とだけ答えた。


 フィリアはやがて母になった。

 子どもを抱く姿は、驚くほど自然で、

 その横顔には穏やかな幸福が宿っていた。


 エルドは遠くからその光景を見ていた。

 近づけば祝福の言葉をかけられた。

 けれど、心の奥に沈んだ罪が、

 彼の足をいつも止めた。


 ――俺が、あの日、足を止めなければ。

 ――三人は、今も一緒に笑えていたかもしれない。


 その思いが、

 エルドを生涯独身のまま縛りつけた。


 フィリアは時々、エルドの家を訪れた。

 子どもを連れて、昔話をしながら笑った。


「エルド、あなたも誰かと……」


「俺はいいよ。向いてない」


 エルドはいつも同じように笑って答えた。

 その笑顔が嘘だと、フィリアは気づいていたのかもしれない。

 けれど、彼女はそれ以上踏み込まなかった。


 すれ違いは、争いではなく、

 静かな優しさの形をしていた。


 エルドは、フィリアの幸せを壊したくなかった。

 フィリアは、エルドの痛みに触れたくなかった。


 だから二人は、

 近くにいるのに、決して交わらない道を歩き続けた。


 その距離は、

 あの日の一瞬よりも、

 ずっと長く、ずっと深かった。


時は流れた。

 エルドの髪には白いものが混じり、

 フィリアの子どもは立派に成長し、

 町の景色も少しずつ変わっていった。


 フィリアは穏やかに歳を重ね、

 やがて、老衰で静かに息を引き取った。


 その知らせを聞いた時、

 エルドの胸の奥で、何かが音もなく崩れた。


 葬式の日。

 春の風が吹き、桜の花びらが舞っていた。

 フィリアの棺の前に立つと、

 エルドは胸の奥が締めつけられるように痛んだ。


 ――もう、二度と話せない。

 ――もう、二度と笑いかけてくれない。


 その事実が、静かに、確実に、心を削った。


 式が終わる頃、

 フィリアの子どもがエルドに近づいてきた。


「エルドさん……母から預かっていたものがあります」


 差し出されたのは、

 古びた封筒だった。

 角は擦り切れ、紙は少し黄ばんでいる。


 エルドは震える手で封を開けた。


 中には、一枚の手紙。

 若い頃のフィリアの筆跡だった。


---


エルドへ。

私は、ずっとあなたが好きでした。

子どもの頃から、ずっと。


でも、ライゼが死んでから、

あなたが私を見るたびに苦しそうにしていたから、

そばにいることができませんでした。


本当は、あなたの隣にいたかった。

でも、あなたが笑えなくなるのが怖かった。


どうか、あなたが幸せでありますように。

ずっと、そう願っています。


---


 文字が滲んで読めなくなった。

 涙が落ちていることに気づいたのは、

 手紙を胸に抱きしめた後だった。


 エルドは空を見上げた。

 春の風が頬を撫でる。

 桜の花びらが舞い、

 まるでフィリアが微笑んでいるように見えた。


「……ごめん。

 ずっと……俺は……」


 声は震え、

 風に溶けて消えていった。


 あの日、

 ほんの一瞬、足を止めなければ。

 勇気を出して気持ちを伝えていれば。

 三人の未来は、違っていたかもしれない。


 後悔は、

 老いた心を容赦なく締めつけた。


 けれど、

 胸に抱いた手紙の温もりだけが、

 エルドの長い人生で初めて、

 彼を優しく救ってくれた。

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