第六話 ヤンデレはお断り
誰かに頭を撫でられている気がする。
ふっと意識が浮上してきた。
「あら、もう目が覚めてしまったのね」
「す、いか、さん」
水華の膝の上に頭を乗せて、真也は眠っていた。
呂律が回らない。
まだ、視界がぼやけている。
「本当に可愛い」
水華の声は恍惚に満ちている。
彼女は真也の頭を胸に抱き寄せた。
長い黒髪が真也の頬を撫でる。
体を動かそうとするが、痺れて動けない。
動かそうとした腕は震えている。
力を込めて、水華の腕を掴んだ。
「んふふっ、こんなに弱々しくなってしまって……」
「もう、私がいないと生きられないわね」
うっとりとした顔で、真也の耳元に唇をよせる。
「もっと、壊れて……」
甘ったるい声が、鼓膜をくすぐるように震わせる。
「壊れて、何も考えられなくなればいい」
「月狼もあなたも、誰にも渡さないわ」
真也の頬を撫でる。
彼女の手は、異様に冷たかった。
「私の可愛いお人形さん」
水華が笑みを向ける。
彼女の笑みは、どこか歪で、不安を誘う形をしていた。
そのとき、男が一人、襖を開けて入ってきた。
「姐さんがそこのガキを呼んでます」
「まあ、そうなの。仕方ないわね」
水華は残念そうに、真也の頭を撫でる。
男は真也に近寄ると、俵のように肩に担いだ。
ぼんやりとした意識のまま、男に連れていかれる。
しばらくして、男は奥の部屋へ入った。
その瞬間、床に落とされる。
「うっ……」
「あまり、手荒に扱わないであげてください」
部屋にいたのは、クラスメイトの藍葉凛だった。
紺色の百合の花が刺繍された着物を着ていた。
上品で、間違いなく高価な着物だ。
「すみません!」
男はペコペコと頭を下げて、部屋から出ていった。
「あ、いば、さん……」
「もう、大丈夫ですからね」
床に倒れた真也を、藍葉は微笑みながら見下ろす。
深海のように暗い青い瞳が、こちらを見ている。
「彼女を連れてきてください」
藍葉の言葉で、男が檻を運んでくる。
頑丈な鉄で出来た檻は淡く緑色に光っていた。
中には息を荒くしたヤマコが倒れていた。
「や、まこ」
必死に彼女の方へ、床を這いずって近づく。
ヤマコに伸ばした手を、藍葉が掴んだ。
「可哀想に……」
藍葉が同情的な視線を向ける。
真也の手をギュッと握りしめた。
「本当は彼女を殺して、あなたを解放してあげたいです」
「でも、それはあの方に止められているんです」
「ごめんなさい」
申し訳なさそうに、藍葉は謝罪する。
彼女は真也を抱き寄せた。
「心宝石は強い感情を持った人間に、力を与えます」
「私は『愛情』の心宝石に目覚めました」
そう言って、丸い緑色の粒が入った瓶を懐から取り出す。
片手で瓶を持って、高く掲げた。
「私の能力で作った薬。失昏薬です」
「この薬があれば、世界中の人が救われるのです」
瓶の蓋をあけて、一粒だけ取り出す。
「これを飲んで、全てを忘れましょう?」
「もう傷つくことも、悲しむこともなくなります」
藍葉は穏やかに微笑む。
その目は、沼の底のように濁っていた。
真也は抵抗するように顔を背ける。
だが、藍葉はその頬に手を添えると、ぐいっと強引に顔を向けさせた。
「ほら、飲んでください」
水を口に入れられる。
そして――
襖が勢いよく蹴破られた。
「二番隊!総員、突入せよ!」
襖を蹴り飛ばしたのは、宵時だった。
掛け声とともに、義心組のバッジを付けた者たちが、部屋に入ってくる。
藍葉の周りを義心組の者たちが取り囲む。
「これは……」
彼女は立ち上がり、ゆっくりと目を瞑った。
パンッと手を叩く。
すると、義心組の者達が一斉に倒れた。
「なっ!?」
宵時の顔が驚愕に染まる。
刀を握る手に力がこもった。
義心組の隊員達はフラフラと立ち上がり、宵時に向かって刀を振り下ろす。
「どういうことだっ!」
宵時は咄嗟に避ける。
視界の端に真也を連れていこうとする藍葉が見える。
「悪いっ!!」
宵時は隊員の一人を蹴り飛ばす。
吹き飛んだ隊員が、藍葉と衝突した。
「うっ……」
藍葉が痛みに呻く。
「仕方がありませんね……」
彼女は真也に顔を向ける。
眉を下げて、悲しげに真也の頬をなでる。
「ごめんなさい」
「次はもっと力をつけて、あなたを救いますから」
そう言って、藍葉は走り去った。
倒れている真也を、宵時は担ぎあげて走り出した。
「よい、ど、きさん……」
「喋るな」
ぼんやりとした意識の中で、宵時に話しかける。
次々と現れる敵を蹴り飛ばして、走り続ける。
「クソッ、キリがないな。甘喰たちは何をしている」
屋敷を出ると、遠くの方から、爆発音のような音が聞こえてきた。
「向こうか!」
森の中を走っていると、甘喰が倒れているのが見えた。
「甘喰っ!!」
「あら、遅いじゃない。十夜」
宵時の体が硬直した。
「あ、姉上……」
宵時の真也を担いでいた手が緩む。
真也の体が地面に落ちた。
「もう、真也くんを雑に扱わないでちょうだい」
「どうして……」
宵時が震える声で尋ねると、水華は不思議そうに首を傾げた。
「あら。私が蛇目団と関わっていたことには、気づいていたでしょう?」
「僕は……」
水華は巨大な太刀を引きずりながら、歩いてくる。
「ずっと、気付かないふりをしていたわね」
「可愛くない子」
水華の足元を黒い水が濡らす。
やがて、水が刃となって宵時に襲いかかる。
宵時は咄嗟に、横へ飛び退いた。
「姉上っ!どうしてこんなことを!」
「理由なんてないわ」
「でも、そうね。強いていうなら、可愛い子を傍において置いておきたいから、かしら?」
宵時は目を閉じる。
再び開いた目には静かな覚悟が浮かんでいた。
刀から、黒い水がポタポタと流れ出る。
「姉上、あなたを止めます」
「本当に可愛くない子」
水華は宵時に蔑むような目を向けた。




