恐怖のタイガー殺法虎娘
フローリングの床に辺りに散らばったぬいぐるみや人形、画用紙にクレヨンなどの玩具の数々が目立つ洋風の部屋に二人の小さな人影があった。
男の子が床に座っており、小さな女の子が寄り添うように引っ付いている。
「ほら優衣、動物の図鑑読んでやるぞ」
眼鏡の男の子が嬉しそうに動物図鑑を取り出す。
「…うん」
赤いビー玉の様な装飾が二つほどついた髪留めで頭の右上辺りで髪の毛を結った可愛らしい女の子が控えめだが嬉しそうな声でうなずいた。
女の子はこの男の子が動物図鑑を読んでくれる時が一番好きであった、男の子の嬉しそうな顔がたくさん見ることが出来るからだ。
「ほら、優衣『虎』だぞ」
「わぁ…」
その男の子は『虎』のページが好きらしく、そのページの話をするときは特に嬉しそうな顔をするのだ。
「トラはな、動物界脊索動物門哺乳網ネコ目(肉食目)ネコ科ヒョウ属に分類される肉食類で亜種によっては全長・体重は異なり、北部に分布する亜種の方が大型になる傾向があるんだ、そしてメスよりもオスの方が大型になる傾向もある背面は赤みがかった黄色や赤褐色の体毛に覆われ、黒い横じまの模様が入るんだそしてその模様で周囲に溶け込んで輪郭を不明瞭にして獲物に気づかれないように近付くのに適しているんだ、そして前足と後ろ足の筋肉が発達していて前足は獲物を押さえつけるのに、後ろ足は獲物に飛びかかるのにそれぞれ適しているんだ、そういう動物なんだ『虎』は」
「わー、あからさまな字数稼ぎだねー…」
まるで自分の事にように『虎』について語る男の子と男の子の表情に見とれていてどこか上の空な女の子。
「けほっ…」
突然、苦しそうに咳き込み始める女の子、とっさに男の子のほうが女の子の背中を優しくさする。
「大丈夫か ?」
「…ん」
心配そうな声で問いかけ、背中をさすっている男の子に身を預ける女の子。
「ねぇ…おにいちゃん…」
「どうした ?」
「私ね…お兄ちゃんの…お嫁さんになりたいな」
「んー…」
咳が止むと上目遣いで少し恥ずかしそうに問いかける女の子、そんな女の子に男の子は考え込む。
「じゃあ…」
「もしも、優衣が大きくなって…」
「『虎みたいに強くなったら、お嫁さんにしてあげる』…か」
黒金第二高校の職員室から約40メートル先にある家庭科室の隣に点在する家庭科準備室。
先ほどまで二人いたはずのその部屋は今は一人の女生徒がぽつんと立ち尽くして、小声でつぶやいている。
亜麻色の肩のあたりまで伸ばされた琥珀のように透き通ったきれいな髪だ、前髪は眉毛を隠すくらいの辺りで綺麗に切りそろえられるようになっていて、頭の右上辺りで赤いビー玉のような装飾が二つ付いた
髪留めで髪の毛が細い尻尾のように纏められている、所謂サイドテールという髪型であろうか。
小さな輪郭の顔に茶色い大きな綺麗な瞳にほんの少しだけ釣りがちな目、小さくすっとした鼻筋に小さな口、同年代の女性の中では少し高めであろう背丈に女性的にめりはりのある体格。
今日この学校へ転校して来た秋山優衣であった。
先ほどまではもう一人、彼女のクラスの担任になる教師が一緒にいたのだが、先ほどのいざこざの時、優衣が出した気迫を察したとたん、優衣の目の前にある家庭科準備室の扉を開け逃げていった。
「…そんなに嫌がらなくても…いいのにな」
少しだけ苦笑しながら呟く優衣。
「でも…」
「十年間も待ったんだから…後には引けないよ…」
優衣が決意を固めたように搾り出すような声を出す。
「それに、考えるのは…性に合わないしね」
すっ
と、優衣が右足を斜め後ろへ踏みなおし、少しだけ腰を落とした。
目の前には家庭科準備室から外へ出るための唯一の扉がある、ご丁寧に鵜野花恭介教諭が逃げていくついでに鍵も閉めていった、内側から開けられるので足止め程度のつもりであろう。
「ふっ !」
息を吐くように優衣が力のこもった声を出す。
突如、風を切る轟音が響く、優衣が体をコマのように少しだけ回し、速く、強靭な半月のような横なぎの蹴りを繰り出したのだ。
気が付けば轟音とともに足の裏、校舎内で履くスリッパの靴底が扉に突き刺さるように当たっていた、上半身は扉のほうを向いており、腰がひねられたように曲がり少しだけスカートが捲れた体勢で時間が止まったような空気になる。
扉はミシリとうめきを上げ、木製の体の所々にひびが入り、枠から外れそのままばたりと倒れ、ぽっかりとそこに扉があった形跡、廊下へと続く道が出来上がった。
そして、自らの前に出来上がった穴に向け、大きく息を吸い込む。
「おにいちゃぁああああああああああん !」
吼えるように叫ぶ優衣、周りの時空までも震えんばかりの雄たけびである。
そして、ロケットの様に飛び出し、すぐ近くの家庭科室の扉の前へ先ほどの体勢で向き直る、どうやらまた犠牲になる扉が増えてしまったようだ。
「うわぁっ !」
突如、男性が驚く。
耳にかかりそうな黒い清潔感のある長さの髪、特徴のない眼鏡、整ってはいるがごく普通の顔だち。
中肉中背の少しだけ痩せ気味の体を黒いスーツと白いカッターシャツに深い紺のネクタイといういでたちで包んでいる。
彼こそが優衣が探している、鵜野花恭介であった。
彼の『特技』のお陰で優衣の鳴き声は3階にいる彼の耳にも入った、あまりの大声で驚いてしまったようだが。
彼は特殊な『ウィルス』によって遺伝子の情報が変わり『進化』した人間であった、彼を診察した医者はそういった人間たちのことを『超人』と呼んでいる。
異常なまでに発達した聴力、集音能力、逃げるのに適した脚力が彼が『進化』で手に入れた新しい機能だ。
『兎人間』、彼を診察した医者は彼のことをそう断定した。
確かに『情報収集』や『索敵能力』、『逃走』には長けている機能ではあるが、相手がリンゴを握り潰すほどの怪力の持ち主では対峙した瞬間に捕まってしまう。
今は優衣の場所を断定しながら逃げるしかない彼であった。
「それにしても、いくらテンパっていたとはいえ上へ逃げたのは失敗だった…」
優衣といた家庭科室を飛び出し逃げている間はまさに頭の中が真っ白であったため、つい何も考えず階段を上り上へと逃げてしまった。
2階から3階までの階段は一方通行で1つしかない、そしてその上の階は屋上、逃げ場はない、優衣がもしこちらの場所を知ればすぐに追い詰められるだろう。
「さっきの大声の場所からすると2階辺りかな…降りたら間違いなく見つかるし、もうすぐ僕のところまで追いついてしまう…」
「それに、時折聞こえるこの『ドカンドカン』鳴ってる爆音はいったい何なんだ…」
授業中の3階の廊下のど真ん中で立ち尽くしたまま弱音を吐く恭介だった。
場所は変わり、ここは2年A組の教室。
恭介のいる3階への階段近くに点在する最後の教室である。
優衣が恭介を探している間にどうやら放課になってしまったようで、教室内は人の話し声や携帯電話の音、雑誌や漫画をめくる音であふれ返っていた。
「おい !加賀見甲太郎、剥ぎ取り中に蹴るんじゃあない !剥ぎ取れない !ああ…時間がなくなる」
「カーッカッカッカッカ」
その教室内にとある二人の男子生徒がいた。
一人は黒い長ランに学校指定の黒いズボンそして精悍な顔立ちを今は困った表情に歪ませている、筋肉質な長身、ミサイルのように巨大なリーゼント、鬼瓦巌である。
もう一人の人物はボタンがすべて外され中の青いシャツが見えている学ランに巌と同じ黒いズボン、耳が隠れそうなぼさぼさの長髪、精悍そうだがどこか眠気の含まれた目、巌より少し低めの背丈で少しだけ筋肉質な体格。
加賀見甲太郎、一応この小説の主人公だ、久しぶりの登場である。
そんな二人が前後の席に座りながら携帯ゲームに興じている。
「ときに加賀見甲太郎よ、それやると貴様も剥ぎ取りできんのではないのか ?」
「あっ…」
恭介の今の状況とは違い、とても平和な空間が形成されていた。
と、思ったその時である。
ドカン ! バキィッ !
突然、甲太郎達のクラスのドアにヒビが入り、枠組みから外され、ばったりとその場に倒れる。
「全員 !その場を動くな !」
倒れたドアの先から女生徒が一人教室内に飛び込み叫ぶ、秋山優衣である。
「この中で鵜野花恭介を見たものは正直に喋りなさい !」
物凄い気迫だ、教室中が一瞬にして静まり返り、全員両手を挙げて緊張した面持ちでいる。
両手を腰に当て丁度、一番前の席が並んでいる真ん中あたり、教卓の近くまで歩いてゆく。
「なんなのですかっ !あな…ぐべぇ !」
空気を読まずに優衣へ向かっていった眼鏡の七三分けの細い男子生徒の腹部にいつの間にか横なぎに繰り出した蹴りが、膝面の辺りが腹へめり込んでいた。
蹴り飛ばされ宙を舞い地面へ落ちる、このクラスの副委員長の御前崎君だ。
「…なんか、貴方わかってないみたいね」
優衣が能面のような無表情と感情のこもらない声で言う。
つかつかと地面へ倒れた男子生徒へ歩み寄り、うつ伏せに倒れた背中を強く踏みつける。
「いい ?貴方、いえ…貴方達がしゃべっていいのは『鵜野花恭介の居場所』だけよ、それ以外の一言でも喋ってみなさい…」
「『ひと言』につき1回蹴る ! 『何 ?』って聞き返しても蹴るッ ! クシャミしても蹴るッ !」
「黙ってても蹴るッ !あとでウソをついたとわかったらまた蹴るッ !」
「ぐえっ…」
能面のような表情で威圧的に言う優衣、感情的になり副委員長を踏みつける脚に力がこもり苦しそうな声を出している彼。
「私の蹴りの威力は証明済み、よね ?」
微かに能面のような表情に不敵な笑みが浮かぶ。
「…いい ?注意深く神経使って喋りなさい…それじゃあ質問するわよ…」
「『鵜野花恭介の居場所』を知っている人はいるかしら…」
「「「「「「いいえっ !存じ上げませんっっっっ !!!!」」」」」」
この時ほどこのクラスが団結した瞬間はおそらく無い。
刻一刻と迫る優衣の恐怖に疲れた顔つきの恭介。
彼は今廊下にある柱と柱の陰に隠れ震えていた。
「鵜野花先生、ここに居ましたか…」
細身の白髪に白い立派な口髭の落ち着いた中年男性が恭介を呼び止める。
「教頭先生…」
落ち着いた声で呼び止めたのはこの学校の教頭先生であった。
思わず物陰から出てくる恭介だった。
「実は…今日来たあなたクラスの転校生がハイジャックまがいのことを各教室で行って回っているとの報告を受けているんですが…」
「ああ…」
恭介はおそらく自分のことを探すためにやったのだろうと察する。
「あ…」
恭介は微かな声を感じ、丁度教頭先生の向かいあった先の廊下を見る。
そこには優衣がいた。
丁度、恭介のいる廊下の反対側の向こう端に優衣が立ちつくしている、しかも恭介と眼が合ってしまった。
優衣の口が緩み綻び、にこりとする。
目の瞳孔は完全に開かれ、恭介の姿以外はまるで視野に入っていない。
「ぅおにぃちゃあああああああああああん !」
優衣が大地を揺るがすような雄たけびを上げ恭介めがけて嬉しそうな顔で両手を広げ突進していく。
「ちょっ !まってっ !」
脚力に自信のある恭介でさえ驚愕する速さ。
思わず体をそらし、背を向け目をつむるほどだ。
「うおおっ !はええッ !」
ちなみにこれは何事かと振り向いて、突進してくる優衣を見た教頭先生の感想である。
まるで、攻撃目標が動けばそれにぴたりと狙いを定め、加速し、撃ち落とす誘導ミサイルである。
「かあっっ !」
教頭先生は気合の込めた声をあげるとその動きを瞬時に察知し横っ跳びで優衣のロケットの様なタックルをかわす。
しかし、屈んでいた恭介にそれが避けれるはずもなく、優衣の体が吸い込まれるように恭介へと飛びかかる。
そして、恭介はついに優衣に捕まってしまった。
廊下の壁に背をもたれ下半身を伸ばして座っているような状態のだ、そして優衣が下半身の上にのしかかる様に四つん這いになり恭介を押さえつけている。
すごい力で押で彼の胸板を手のひらを広げ、抑えそれだけで動きを制している。
「やっとつかまえた…」
優衣が呟くように安堵の声を出す。
優衣が恭介の顔へ自らの顔を近づける、目は開ききり、瞳からは光が消え口は小さな三日月のようになっている。
「後は…」
優衣は自らのスカートのポケットをまさぐり一枚の紙を取り出し突きつけるように恭介の顔の前へ晒す。
「ここの部分に…名前を書けば、ずっと一緒だよ…」
興奮しているためか、震える声を出す優衣。
恭介は恐怖に顔を引きつらせる、体がぶるぶると震え歯の根が合わないようにガチガチとなる。
「む、無理…だよ…」
その言葉を聞くと、鼻先が付くほどに恭介へ顔を寄せる。
「どう、してかな…がんばって強くなったのにな…10年も待ったんだけどな…教師と生徒ってそんなにダメかなぁ…」
その体勢のままぶつぶつと呟く優衣。
「い、いや…強さとか教師と生徒とかじゃなくて…」
絞り出すような声を出す恭介。
「それ、り、『離婚届』なんだけど…」
「あっ…」
少し恭介から離れ、紙を裏返し驚いた声を出す優衣だった。
確かにそこには『離婚届』と書いてある。
更に後日、『霧崎クリニック』の診察にて秋山優衣が『超人』虎人間であることが発覚したのだった。
名前:鵜野花恭介/超人種類:兎人間/特殊機能:異常聴力と逃げ足
名前:秋山優衣/超人種類:虎人間/特殊機能:強靭な腕と脚