玲子の追跡者 ~紙がもったいない~
黒金第二高校。
S県のA郡黒金町の商店街出口より南西約25度へ徒歩13分程度の場所に所在する高等学校である。
中心の一番大きな建物を挟むように前後にそれよりも少しだけ背の低い校舎が二つ建てられている、建物の高さよりも、横幅の高さの目立つ建てられてから結構な歳月の経った形跡の見られる真っ白い風体の校舎だ。
生徒数は約1100名、部活動数は約20ほどのどこにでもありそうな至極普通の高等学校である。
その、黒金高校の3棟並んだ校舎の一番奥の校舎の屋上に一人の人間がいた。
ところどころが跳ねているぼさぼさとした耳が隠れそうなほどの長髪、後ろ首を隠している後ろ髪などはまるで針鼠のような鋭ささえ感じられる。
強面ではあるがどこか精悍さを感じさせる顔立ちに寝ぼけ眼のような目であり、今はそれを閉じている。
背は高くそこそこな筋肉質な体を真っ黒な制服の学ランとズボンで身を包んでいる、しかし学ランの前のボタンがすべてはずされていて中の青いシャツが見えているどこかだらしのない格好の青年だ。
そんな人物が屋上のフェンスに背もたれ、胡坐をかいて座っていた。
手には2,3口ほどの食べられた虫食いのように欠けたカレーパンを持っていた、胡坐のかかれた膝の近くに紙パックの乳酸菌飲料が置かれている。
空は濃い水色といってもいいほどに晴れており、大きかったり小さかったり細かったりといろいろな形の雲が浮いている。
太陽の日差しも眩しすぎず、気温も暑すぎない上にそよ風まで吹いている気持ちのいい気候と相まって最高の気候であった。
そんな、気候の中で彼は食べかけの昼食を手にまどろんでいたのだ。
目を瞑り首をうとうと、と上下に揺らし今にも眠りそうだ。
気候のいい日に日光と風を感じながらまどろみつつも昼食を取るのは彼にとって学校での密かな楽しみの一つでもあった。
もうすぐで眠りに入れる。
ガタン !
突如、屋上へ向かう扉が乱暴に開け放たれた。
「甲太郎君 !」
どこか切羽詰った感じの凜とした声が屋上全体に響き渡る。
開け放たれたドアの先から少女が一人入ってくる。
赤みがかった黒髪のショートカットだが前髪で顔の左半分が覆われるように隠れている。
釣りがちの大きな目にすっきりとした鼻筋、小さな輪郭の顔立ちの美少女である。
青年よりも頭2つ分ほどの小さい背丈でほっそりとしたフラットな体格に黒金第二高校のものであろう制服をきっちりと着ている。
彼の認識が正しければ彼女は山音玲子、だ。
「甲太郎君 !こんな所にいたのか」
「俺の…り…をるの…は誰」
「なんだって ?」
先ほどの体勢でうつむきつつ震え、何かを呟いている青年に聞き取れなかったのか聞き返す玲子。
「俺の眠りを妨げるのは誰だぁっ !!!」
次の瞬間、優雅なひと時を壊された彼の怒りが爆発した。
「…痛いよ、甲太郎君」
額をさするように押さえながら青年に少し上目遣いで元気の無さそうに訴える玲子。
「俺の眠りを妨げるものに裁きの鉄槌を下したまでよ」
「だからって思いっきりデコピンしなくても…」
まだ痛そうに額を押さえている。
先ほどから玲子に甲太郎と呼ばれている彼こそが加賀見甲太郎あった。
「大体なんでこんな所に ?」
思い浮かんだ疑問をぶつける玲子。
「いい天気だからそこのフェンスに張り付いて日光浴してたんだよ」
「君はトカゲか」
疑問に答える甲太郎とそれに対し率直に感想を言う玲子。
「で、わざわざ俺を起こすような大声で俺を探すほどの用件ってのは ?」
未だに眠そうな顔で玲子に刺々しく言う甲太郎。
思い出したかのように、はっとする玲子
「そうだ、すっかり忘れてたよ」
「実はだね、甲太郎君に頼みがあってきたんだ……」
話を切り出す玲子。
そして、そんな玲子の言葉に嫌な予感を感じずにはいられない甲太郎であった。
屋上は相変わらずいい天気だ、澄み切った青空を浮かぶ先ほどの雲たちはずいぶんと違う場所へと流れて行ってしまっている。
相変わらず金網のフェンスにもたれかかりコンクリートの地べたに胡坐をかいて空を仰いでいる甲太郎と、少しだけ離れた彼の隣で体育座りをする玲子。
相変わらず、穏やかな風がそよそよと吹いている。
「……ストーカー、ねぇ」
玲子の話を聞き終わり空を仰ぎながら呟く甲太郎。
玲子の話とは、どうやら彼女にストーカーらしき人物が付きまとっているかもしれないというものだった。
「ちょっと、これを見てくれないかな」
玲子が制服のスカートのポケットから何やら平たいものを取り出す、茶封筒だ。
「こんな物が最近一日おきに私の靴箱に入ってたんだ」
玲子は、茶封筒の中から4枚ほどの厚さの綺麗に3つに折られたA4のレポート用紙程度の大きさの白い紙をを取り出し甲太郎に手渡す。
甲太郎は何も言わずに手渡された白紙を開く。
『ご趣味は何ですか ?』
と、綺麗な文字で白紙の丁度中心あたりにつつしまやかに収まっていた。
「……」
まっさらな白紙の中心に『ご趣味は何ですか ?』という文字、顔をしかめる甲太郎。
その紙は4枚ある、甲太郎は今読んだ紙を一番後ろへ回し次の紙を見る。
『好きな食べ物は何ですか ?』
次の紙には先ほどと同じように紙の中心に書かれた文字。
先ほどと同じように紙をめくる甲太郎。
『好きな男性のタイプは何ですか ?』
『お風呂に入ったらどこから洗いますか ?』
と、残りの紙にも丁度真ん中のあたりに綺麗な文字でそう書かれていた。
ますます顔をしかめる甲太郎。
「こんな手紙がなぜか何も書かれていない茶封筒に入って私の下駄箱に入ってたってわけさ」
「で、極め付きはこれさ……」
今度は反対側のポケットから4つ折りにされた白い紙を取り出し甲太郎に手渡す。
『今日の放課後、午後五時に校舎裏まで来てください。
大切なお話があります』
「……」
またしても、先ほどと同じような手紙だ。
「体育が終わって教室に帰るときに私の靴箱の中に入ってたんだ…」
体育座りのまま甲太郎の方へ顔を向け話す玲子。
「丁度その時に玄関口から上に向かう階段あるよね」
「そこから誰か覗いてるの人がいてちょっと眼が合った瞬間に逃げてったんだ…」
いつもと違い少し緊張した様子の口調で言う玲子。
「で、こんな物俺に見せてどうしたいんだよ」
手渡された手紙から目線を体育座りしている玲子に変え聞く甲太郎。
少しだけ真剣な口調だ。
玲子は体育座りしたまま自分の膝を凝視しつつ口を開く。
「頼む、甲太郎君……」
「私と一緒に校舎裏まで来てこの手紙の人物がもしもストーカーだったらとっ捕まえて欲しいんだ」
少し躊躇った口調で言い淀んだ後にきっぱりと言い放つ玲子。
再び心地の良い風がそよそよと吹き始める。
屋上のから見える校庭で細やかな砂埃が微かに舞った。
「で、何で俺 ?」
顔をしかめつつも真っ先に頭に浮かんだ疑問を玲子にぶつける甲太郎。
「頼れる男の人が甲太郎君しかいないからね、何か強そうだし」
「それにいざって時はそれもあるし、ね…」
再びいつもの余裕のある表情で甲太郎の手のひらを指さす玲子。
「用心棒って訳か」
指の差された自分の手のひらを見ながら呟く甲太郎。
空に浮かぶ雲が更に流れ太陽を薄く半分だけ隠し、甲太郎たちのいる場所に影が差す。
「第一、とっ捕まえてどうするんだよ」
と、甲太郎が問う。
「とりあえずこの手紙の真意を聞く」
「で ?」
「私の気に入らない理由だったら、甲太郎君がぶちのめして相手にごめんなさいしてもらうんだ」
体育座りのまま右手をぐっと上げて握り拳を作り、静かに力説する玲子。
「でも」
「甲太郎君が嫌って言うならあきらめて交番に駆け込んで相談してみるよ、大事にはしたくないけど仕方が無いからね」
ふぅ、とため息をつきつつそう言う玲子。
「まあ、いいよ」
「え ?」
「だから、その件については頼まれてやるって事だよ」
少し驚いた様子の玲子に再び空を仰ぎつつも答える甲太郎。
「……てっきり嫌がるかと思ったのに」
以外だというような顔つきで呟くように言う玲子。
「この前、俺を保健室まで運んでくれたことあったろ ?そのときの借りをまだ返してないからな……っと」
甲太郎がその場から立ち上がりながら言う。
そして、伸びをした後に肩をぐるぐると回している。
玲子は相変わらず体育座りのまま屋上の床に座り、立ち上がった甲太郎へ顔を向けている。
「随分と義理堅い人だったんだねぇ」
未だ驚きを隠せない玲子。
「ああ、受けた必ず恩は返し、受けた恨みは必ず晴らす」
「一応、俺なんかにも『信条』みたいなのがあるんだよ」
玲子の方へ向き直り得意げな顔で言う甲太郎。
「ふっ、じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな」
いつもの余裕ある表情と口調に戻り、甲太郎にそう告げる玲子。
「じゃあ、午後の授業が終わったらまたここで合流って事でいいか ?」
「ああ、そうしよう」
甲太郎の提案に素直に肯定する玲子。
「甲太郎君」
「なんだ ?」
「……ありがとう」
体育座りのまま顔を膝に埋めながら言う玲子。
「……どういたしまして」
それに対し玲子に背を向け屋上から出る扉に歩きながら呟く甲太郎だった。