気に喰わなかった道標
そこは僅かな光に照らされた空間。
床を這うケーブルや壁に張り付いた用途の解らない機械、簡素な作りの鉄色のパイプベッドに業務用の机等のそこにあるもの達が薄明かりに照らされて辛うじてその正体を現している。
部屋の壁際に位置する場所、そこには脚の低い木製の長机と真っ黒な皮のソファが4つ、二つがきっちりとくっ付く様に並び、机を挟んで並行に並んでいる。
その一対のソファに二人の男女、向かいのソファに一人の女性が座っていた。
「死人が出る……」
女の隣に座った男が声を発する。
「何人集まっているかは知りませんが、相手は複数の……しかも強化された可能性もある『超人』ですよ、たった一人の『超人』に抵抗が出来るとは思えませんが」
男が続けるように疑いの篭った声で言葉を発した。
真っ直ぐとした癖一つ見当たらない黒い髪、目元を覆い、肩の入り口付近まで伸びた長さの髪に細めの輪郭の顔。
広めの肩幅にしなやかさのあるそこそこにがっしりとした体格、上半身は露出しており、彼の胸板と腹部に巻かれた包帯が見え、下半身は真っ黒な長ズボンを履いているといった格好である。
そんな彼が真っ直ぐと対面に座る女性へ顔を向けている。
前髪に隠された目から射抜くような視線を送っているのがわかる程に見据えている。
「……とりあえず隕石を取り込んだ『超人』について説明する必要があるわ」
視線に射抜かれた女性が先程の男の質問へ返すように透き通った声を発した。
細く整った眉に長い睫毛の切れた目、レンズの薄い銀のフレームの眼鏡、口元と頬を覆い隠す白く、大きなマスクのどこか知的な雰囲気の顔立ち。
水色のカッターシャツに黒く短めの丈のタイトスカート、そこから伸びるすらりとした褐色のストッキングに包まれた長い脚、そして体全体を包み、床へ付きそうなほどの長さの真っ白な白衣。
高めの背丈に引き締まった腰元の整ったスタイルの良い体つき、青みがかった黒い肩の中程まで伸ばされた髪の毛のに少しだけ眼鏡に掛かった前髪。
知的な雰囲気を漂わせている女性。
この到底病院とは思えない場所『霧崎クリニック』の主、霧崎李沙紀である。
「甲太郎君は不意打ちでやられたからイメージは湧かないかも知れないけれど、隕石を取り込んで更に進化を遂げた超人とそうでない超人では闘争能力に置いて雲泥の差が出るわ」
少しだけ重さを乗せた声を先刻発言した青年、加賀見甲太郎へ向ける霧崎。
「一撃でやられちゃあねぇ、こういう時にRPGみたいにダメージが表記されればわかりやすいんでしょうけど」
甲太郎の隣にいるもう一人の女がくすくすと微かな笑い声を混ぜた鈴の鳴るような透き通った声で甲太郎へ向けられた言葉へ反応する。
大きめの端の釣りあがった、少しだけ瞼の下がった余裕の篭った目に薄い紫に染まった大きな瞳、整った眉の下に位置するどこか挑発的な雰囲気のする目付きの目である。
そのような感じの目が二つに鋭利な刃物の切口に似た鼻筋、瑞々しく微かに歪んだ小さな唇、それらが整った位置取りですっきりとした輪郭の顔に収まっている。
黒く染め上げられた絹が川のように真っ直ぐと流れた艶めかしい黒髪が腰の辺りまで流れている。
膝にへ伸ばされたほっそりとした腕に到達点で行儀良く交差された人形のそれに似た二つの掌、それらは彼女が着ている薄いピンクの清楚な気配を漂わせた、いわゆる女性の看護師用のナース服の袖から伸ばされたものである。
ナース服は彼女のサイズにあわず、小さい為彼女の体に密着し、その体形に合わせ凹凸を作り出していた。
霧崎に負けず劣らずなスタイルの良さにふくよかな太腿、隣にいる甲太郎と比べれば流石に低くは見えるが女性の中では高い部類に入るであろう背丈。
少し大人びた雰囲気を漂わせてはいるが甲太郎と同い年の少女、紅 真白が霧崎の言葉へ口を挟んだのだ。
「不意打ち喰らって無きゃ今頃あいつらの野望なんざ……」
こめかみに人差し指を当てながら甲太郎がむっとした微かに不機嫌そうな声を発した。
「間違いなくそのまま続行しても地面に突っ伏していた、と断言してあげるわ」
そんな様子である甲太郎の言葉を気にもせずに霧崎が力の入った言葉で彼を射抜き奪い取る。
「断言出来るほどですか」
「ええ」
甲太郎が突然の出来事のためかきょとんとした顔になり吐き出す疑問へ間髪入れずに肯定する霧崎。
「もしもよ、貴方が真正面からその旧友とやらに挑んだとしましょうか」
「俺が真っ先に飛び掛って行きましたがね」
今度は霧崎の言葉に対し、甲太郎が間髪入れずに言葉を放つ。
「随分と気の早いこと」
目を細め、薄紫を隠しながら掌で口元を隠し、くすくすと小さな笑いを含ませながら真白が甲太郎へ小声を向ける。
「あん時はあいつを阻止することで頭が一杯だったんだよ、お前だって友人が変な宗教入ったら止めようとするだろ」
真白の感想に口を尖らせる甲太郎。
霧崎が一つ咳払いをし、二人の視線を集める。
「じゃあ訂正して話を続けるわよ」
二人の視線を受けながら、霧崎が仕切り直しの一言を口にする。
「仮に甲太郎君が飛び掛った時に、まあ腕に貴方の『特殊機能』で電流を流して殴りかかろうとしたんでしょうけど」
霧崎の訂正した言葉に含まれた現場の想定へ肯定するように二回ほど頷く甲太郎。
「恐らく、相手は何らかの方法で回避されていたか、相手の超人の『特殊機能』で返り討ちにされていたかのどちらか、ね」
「貴方の行動はどちらにせよ実らずに終わっていたと思うわ」
霧崎の口からはっきりと響く甲太郎の敗北予想。
「ちょっと待ってくださいよ」
霧崎の言い終わった言葉へ甲太郎が意見する。
「俺はあの時、自分の脚を電流で強化していました」
「自分で言うのもなんですが……あれを回避するのは不可能なはず」
甲太郎が霧崎の方へ顔を一直線へ向けて、自信の込められた言葉を静かな声に乗せて発した。
「確かに、無理でしょうね」
霧崎が溜息混じりの声で呟く。
「今まで貴方が倒してきた超人ならばの話だけれど今回は勝手が違う」
霧崎が付け足すように言う、甲太郎が今まで戦ってきた相手とは格が違うのだと言いたげな言葉である。
「今までの甲太郎君の戦闘での相手との戦力差は身体機能的にも超人機能の強さでも、あくまで対等に近いものだったわ」
霧崎による甲太郎と彼に深手を負わせた相手との戦力差の説明が始まる。
「……先程言ったとおり、更に進化した超人とそうでない超人とは別物、遺伝子に限らずに身体能力、感覚、知覚的なものや特殊機能が更に次の段階へ進化している」
「最早、人間的な思考を持った猛獣や兵器のような物よ、明らかに人間やウィルスだけで進化した超人を更に超えた存在」
霧崎が甲太郎へ顔を向けながら脚を組む。
「貴方が今まで戦ってきた超人は人間的な身体能力や五感は人間レベル、そうよね ?」
霧崎の言葉に甲太郎が無言で首を上下し頷いた。
「そういう点では人間同士の闘争、そして超人を超えた超人とでは戦車と人間の一対一での戦いのようなもの」
甲太郎の肯定から間髪入れずに霧崎が話を再開する。
「つまり、甲太郎君は知らなかったとはいえ、丸腰の状態で立ち向かったということになるわね」
「その状況で相手を殴り倒す自信は ?」
甲太郎の状況を説明し終わり、話を終え、最後に質問を投げかける霧崎、甲太郎は何も言わずにゆっくりと顔を横へ振る。
「だから俺が殴りかかっても微動だにしなかったのか」
甲太郎が顎へ手をやり、どこか納得したように呟く。
「貴方の攻撃を捌く絶対的な自信が有ったんでしょうね」
霧崎の口から甲太郎が考えているであろう理由が代弁される、戦闘時に置いての甲太郎と戦った相手の心情の予測、少し前の彼女の説明通りならば当てはまるであろう予測。
「で、力の差と自分がいかに無謀だったかを理解してもらえたかしら ?」
霧崎が全ての説明を終え、甲太郎へ質問を投げかける。
「正直、まだ理解できてない部分もありますが何となくは理解は出来ましたよ」
霧崎の質問へ甲太郎が説明への感想を述べる、どこか曖昧な雰囲気を感じ取れる言葉を紡ぎ出す甲太郎である。
「要は……あれだ、人間寄り、というより人間としての知能や感性を持った本物の兵器や猛獣、それ以上の力を持った存在、ですか」
甲太郎が脚を大きく開き、霧崎の説明から割り出した言葉を少し詰まりながらも淡々と口にする。
「大体、そんな認識で構わないわ」
霧崎のマスクからその言葉に対して、正解の回答に近い返答がされる。
「身体能力に関しての話はここまでね」
直ぐに付け足される一つの言葉、どうやらまだ説明は終わってはいない様である。
「……まだ何かあるんすか ?」
甲太郎が参ったと言わんばかりに声を発し、膝に肘を付き、後頭部をぼりぼりと掻き毟る。
「まだ何かあるのよ、それに研究の余地の残った代物だから私も把握していない部分や新しく発見される部分もあるわ、だからその『何か』はこれから増えるのでしょうけどね」
「参った石だ……」
淡々と答え返す霧崎に相変わらずの様子でぼやく甲太郎。
「で、次は石を取り込んだ人間の感情的な部分へ作用する話よ」
相変わらず甲太郎に左右されずに淡々と話を進行させていこうとする霧崎。
「感情、ねぇ『透き通ったブルーの石が綺麗だから見ていて心洗われる』って生易しいものじゃないんでしょうけど」
真白がくすりと微笑混じりに短いコメントを述べる。
「だったらどれだけ良かったことか」
目線を外し、ため息混じりに小声を発する霧崎、声色と様子から真白述べた言葉通りにはいかないという事が伝わって来る程である。
「で、それは正にそのままの事柄なんですかね」
そんな様子の霧崎へ甲太郎疑問を投げかける。
「ええ、そっくりそのままね」
甲太郎の短い疑問へ短く答える霧崎、目線は真っ直ぐに伸びたものへ直り、眼前の彼を捉えたままの直線的な返答をする。
「体内に取り込まれた石がその取り込んだ超人の願望や欲望を脳から発生する電気信号から読み取ってそれを増幅させる機能」
「他の欲求や理性を押しのけかねないほどに程に増幅させて行動原理を染め上げてしまう増幅ね」
「噛み砕いて言うならば性格や人格が石に増幅された願望や欲望によってほぼ支配されてしまう」
「それが石が感情に関与するっていう事で私の知っている全て」
霧崎が手短に説明を終える、身体機能の説明とは違い大雑把な説明である。
「この点に関してはだけはあまり私も話に聞いただけで詳しくは知らないのよ」
霧崎が少しだけ目線をずらしてぽつりと漏らす様に言葉を補足する。
「所謂洗脳てやつかしら ?」
真白が短く簡素な言葉で石に対する説明への質問を口にする。
「少し違うけれど、似たような物だと思って貰って良いわ」
霧崎が目を閉じながらすっきりとしない正解を口にする、認識としては『洗脳』と捉えて良いのであろう。
「そしてこれが最後の説明、甲太郎君の旧友から死人が出る可能性のある事と隕石に激突した少女『武尊夕麻』に関した話よ」
再び眼を開き、説明に移る霧崎、彼女の言葉に含まれたキーワードにより甲太郎の表情に瞬時に真剣さが表れる。
「取り込んだ隕石の量に応じて進化が行われる、と言う事はもう説明したわよね ?」
「ええ」
霧崎の問いかけへ甲太郎が直線的な返答を返す。
「それに取り込んだ量に応じて進化のスピードが違う、と言う事も付け加えておくわ」
霧崎がはっきりとした声で甲太郎へ向けて言葉を飛ばす、しかしそれを受け取った甲太郎はどこか小首を傾げている、理解が追いついていない様である。
「例えば、永沢君という超人と藤木君という超人が居たとして、永沢君に隕石の5センチ程度の欠片を、その2日後に藤木君に拳大の隕石の塊を投与したとしましょう」
理解していない甲太郎へ架空の人物を用いて説明を始める霧崎。
「この場合取り込んだ隕石の小さい永沢君よりも大きい藤木君の方が早く進化するという事ね」
「おおっ !」
霧崎の説明にびくりとしながら感嘆の声を上げる甲太郎、どうやら理解出来たようだ。
「更にさっき話した石の感情支配の度合いも石の大きさによって大きくなる」
「5年前隕石に衝突した『武尊夕麻』は既に自我が無い状態だと話しに聞いたことがあるわ」
霧崎の口から発せられる言葉にみるみるうちに顔が引きつり焦りの見えてくる甲太郎。
「夕麻は、どうなって……」
搾り出すように声を発していく甲太郎、焦りを隠しきれていない表情である。
「彼女は既に自我を失った、どういう訳か『自衛』の感情だけが残っていて触れようとするものを敵と見なして行動不能になるまで攻撃を続けるらしいわ、非公認の研究施設で実験体同然の扱いを受けていたそうだけれども、ある日、彼女に触れた途端研究施設が半壊する位の被害が出たそうよ」
「それから、既に触れられない存在となった彼女は封印同然の扱いを受けている」
霧崎から伝えられる甲太郎の幼馴染の経緯に息を飲んでいる彼、恐らく彼自身も全く知らなかった事実であろう事柄の含まれた言葉である。
「俺の旧友、武尊勇城の妹がその夕麻なんです」
甲太郎がやっとの思いで出したかのような声を繋ぎ合わせ言葉にする。
「……目的が彼女の体内の隕石ならば接触せざるを得ない、そして彼女は恐らく兄を認識できずに攻撃するでしょうね」
「幾ら徒党を組んでも、隕石の欠片を取り込んでいても彼女を止める事は出来ない」
霧崎が通り抜けていく風のような声を言葉にする。
「どうにかする……方法は ?」
甲太郎が小さな声を霧崎へ向ける。
「……非公式の研究機関は莫大な資金力を持った人物か団体が絡んでいる可能性がある悪い意味で非公式な物なのよ、前回の『武尊夕麻』の件でもまるで無かったかのような扱いで世間に公表されず煙のように消されてしまった、もみ消されたって奴ね」
「それに『超人』も隕石も認知されていなさ過ぎるから知らない人からしたら夢物語か妄想で片付けられてしまうわでしょうね」
「今回犠牲者が出たとしてもスルーされるか、もしくは事が起きた後に国が動くかのどちらか、事前に動くことは無いはずよ」
「この国でも貴方でも勿論、私にも今のところ打つ手は無い、残念なことにね」
霧崎が押さえ込んだ声で話を終える。
彼女は話の終始まで彼女の組まれた腕、その右腕の手の平から伸ばされた人差し指でとんとん、と一定の間隔で二の腕辺りを叩いていた。
落ち着きの無さを体現しているかのような行動である。
これで彼女の語ることの出来る全てが終わったのかその後彼女が口を開くことは無かった。
その場にいる俯いたまま背もたれに両腕を伸ばして座っている甲太郎も表情無くその隣で座っている真白も微動だにせずに黙っている。
写真の風景のように止まったその場。
そんな中で真白が唐突にテーブルに手を伸ばす、伸ばされた手の先端、白磁のような滑らかさのある肌の細長い指の生えた掌がテーブルの上に置かれた物を掴む。
その空間に居る誰もが全く口を付けずに放置されていた緑茶の注がれた湯飲みにその細長い五本指が巻く付くとゆっくりと持ち上げられる。
持ち上げられた湯飲みが彼女の口元へ近づき、縁が唇へと寄せられ、密着する。
ずず、と液体を啜る小さな音が聞こえる。
目を細めつつ、湯飲みの底へ手を沿えて上品に緑茶を啜る真白、それを横目に眺める甲太郎、彼も目線を正面へと戻し、自分の眼前に置かれた湯飲みへ手を伸ばす。
そして、真白に習い緑茶を飲み始める甲太郎。
突然の無言とともに始まった小休止の様な空気、霧崎も特に何も言葉を発さずに脚を組んだまま目を閉じて相変わらずの位置でどっしりと座っている、彼女の目の前、木のテーブルの上に他の二人と同じ湯呑みに同じ中身の物が置かれているが手を付けようとする気配はない。
ことり、小さな音と共にとテーブルの上に空になった湯飲みが置かれる。
「仮に、もしも仮にですよ」
俯いたままの甲太郎がはっきりとした声で静寂を切り裂いた。
「俺がそいつらに対抗できる程の強さがあれば研究施設に到達するまでにあいつらを阻止できる可能性は出てくるんですか ?」
矢継ぎ早に繰り出される彼の声、早い返答を求めるかのような意思が伝わってくる声色である。
「確かに、今現在の状態よりはその可能性が出てくるでしょうね」
霧崎が無感情な声で答える。
「雀の涙ほどの可能性の変動だけれども」
更に続けて出てくる甲太郎の希望を打ち砕きかねない一言。
「そうですか……」
霧崎のネガティブな言葉に小さく口を動かし呟く甲太郎、感情の篭らない声色の為に彼の今の心情はわからない。
「唯、僅かな希望が生まれるだけで、状況が絶望的なことに変わりは無い、残念だけど仮にそうなったとしても誰も止めることは出来ないと言うしかないわね」
いつもの落ち着いた雰囲気が少しだけ弱まり、弱弱しい声で仮定の話へ食い入る様に言葉を続けていく霧崎。
「十分だ」
ぽつりとした独り言と共に甲太郎の脚へ力が入りぐっと床を押し込む、それと同時に彼の履いているゴム草履が微かな軋みを上げた。
曲がっていた膝はゆっくりと伸び上がり、腰がソファーから離れて浮き上がり、胴体は天へ上るように上昇する。
甲太郎がソファから離れ、机との僅かな隙間のに立ったのだ。
「何を考えているの ?」
霧崎の底冷えするような冷気混じりの声が甲太郎へと突き刺さる。
「紅、今日は何日だ ?」
そんな霧崎の声に微動だにせずに隣に座っている真っ白へ質問を投げかける。
「5月22日、甲太郎が運ばれてきた日から丁度4日後ね」
真白が目を細めて、いつも通りに余裕たっぷりの口調で質問へ返答する。
「ありがとうよ、つーことはだ、あいつ等が行動に出るまで大体25日位か……」
甲太郎が手を顎に当てて今現在の日にちから、大雑把な計算を口にする。
「……阻止しに行くつもりなの ?」
霧崎が眉間を押さえつけながら相変わらずの絶対零度の声色で甲太郎を射抜く。
「行きますよ」
対する甲太郎が間髪入れずに力強い意思の篭った返答を返す、真一文字に閉じられた口にいつもとは様子の違う光の宿った黒い瞳の力強い無表情を真っ直ぐと向けている。
「私の話を聞いてたのかしら ?今現在の貴方では力の差は歴然それに」
「強くなれるかもしれない、その方法にはアテが有ります」
霧崎が苛つきの篭った凍てつく声で甲太郎へ再度説明を続けようとするが甲太郎の強く大きな声がそれを掻き消し、言葉を奪った。
言葉を奪われた霧崎は小さく咳払いをして黙り込み射抜くような視線を甲太郎へ発する。
「もしアテが有るとしても、それで本当に貴方は彼らを阻止出来るほどの戦力を身に付けられるの ?後20日で」
そして、冷ややかな視線と共にきつい口調で甲太郎へ言い放つ。
「不確定すぎる上に仮にそれが成功したとしても、貴方が命を失う危険性がある事に代わりはない」
「今までのように貴方一人でどうにか出来るレベルの問題ではない、結局のところ貴方の出る幕は無い、諦めて考えを改め直しなさい」
霧崎が更に口調を強めて甲太郎へ命令するように制止の言葉を投げかけていく。
「嫌だ」
甲太郎から短く発せられた霧崎の制止を振り切る言葉、甲太郎は身じろぎ一つせずに瞳で霧崎を捉えている。
「あいつらのやり口が気に食わない……」
ぽつりと甲太郎が小さく声を漏らす。
「あいつは昔、俺と幼馴染達を道に外れないようにいつも正しい道へ一人で先に進んで待っていてくれた……」
「しかし、今じゃそいつの方が道を踏み外しちまってる、そして他の幼馴染達もそれに付き従っている」
「『超人』がそうでない人間を統括する存在になるっていうあいつらの選んだ道が気に喰わない」
甲太郎が無感情な声色で眼中へ捉えた霧崎へ言葉を連ねていく、脚を崩し、左腕を腰に据えた落ち着いたポーズではあるが声からは力強い信念がひしひしと伝わってくる。
「貴方の言いたい事はわかった、けれど……」
「どうしても止めるつもりなら」
言いかけた霧崎の声を途中で遮り、甲太郎が肘を曲げて腕を上げ、自分の体の前で拳を作る。
バチバチッ !、と炸裂音と共に硬く結ばれた拳が光に包まれる。
「あんたを張り倒してでも行きますよ」
甲太郎が圧力の感じられる声で言い放つ、その間も拳は炸裂音と共に光を放っている。
甲太郎の『進化』により手に入れた『特殊機能』電力の無効化、蓄積、放出の力により拳に電流を纏わせている。
微かに目が据わっており、もう一度霧崎が否定の言葉を口にすれば言葉通りに攻撃に移るであろう雰囲気を漂わせている。
しかし、そんな様子の甲太郎にも関わらず霧崎は相変わらずの姿勢で甲太郎を見据えている。
お互いに見合う二人、両者とも言葉を発さずに様子を伺っているようにも見える。
「ちょっと前に玲子ちゃんを止めに入ったのもそんな理由かしら ?」
膠着状態から少し経ち、先に行動に出たのは霧崎であった。
「ああ、そんなこともありましたね」
そのままの状態で甲太郎が短く霧崎の声へ相槌を打つ。
「あの時あいつの選んだ『霧崎さんの代わりに傷つけた相手を殺す』って言う選択が気に喰わなかった、それだけです」
静寂からの突然の質問、それにゆっくりと答えていく甲太郎、霧崎は微動だにせずに静止したままである。
再び黙り込む両者、相変わらず甲太郎の拳には電流が流され、薄暗い空間の中で光を放っている。
はぁ、と溜息を発して霧崎が微かに首を落とす。
「随分と自分勝手ね」
霧崎が首をもたげ上げながら、呆れた声色で呟く。
「それに命の恩人に拳まで向けて……」
霧崎が相変わらずの呆れた口調で続けていく。
「それに関しては、本当に申し訳ないと思っていますよ」
「だが、これだけはどうしても放っておけない」
甲太郎が真剣な声で言葉を紡いで行く。
「わかったわ、私はもう止めない」
霧崎が両手を広げ、まさにお手上げと言わんばかりのポーズを取りながら言う。
「と、言うよりもどうせ止めても無駄でしょうしね、貴方なら勝手に飛び出していって幼馴染達と接触するでしょうし」
腕を組みなおし、呆れた声で甲太郎へ言葉を掛けて行く霧崎、彼女の口から降参の言葉が出てくる。
「勿論、そのつもりですよ」
甲太郎も霧崎の言葉を信じたのか腕の電流を止め、腕を下ろしながら肯定の一言を霧崎へ放つ。
「でも、その前に貴方を助けた分の恩は返してもらうわ」
霧崎が付け加えるように言う。
「何を……」
甲太郎が警戒したのか顔を引きつらせて少し跳ね上がった声を吐き出す。
「あまり無茶をしないと約束して」
「そして、必ず死なないこと」
「これが私が望む貴方の恩返し」
霧崎が一言づつゆっくりと言葉を作り出して行く。
霧崎が全て言い終わると引きつった甲太郎の顔が戻り、口元を微かに歪め、ゆっくりと開口する。
「一つ目の約束は守れるかわかりませんが」
「二つ目のは元よりそのつもりですよ」
「俺は絶対に強くなるそして、生きてあいつ等を連れ帰って見せます」
甲太郎が自信に満ち溢れた声で霧崎へ声を投げかけていく。
「早く行った方がいいんじゃないかしら ?後20日しかないんでしょ ?」
霧崎は目を瞑り、いつもの口調でいつも道理の調子に言葉を発する。
甲太郎は早足に机の間を抜ける、そして身を翻して部屋の中を堂々と力強く歩いて行った。
甲太郎がこの霧崎クリニックと商店街を繋ぐ扉の前へ立ち止まり、迷いなく扉を開きその空間から姿を消す。
「……困ったわね」
彼の消えた空間に響く透き通った声色。
今まで大人しくしていた真白の久々の発言である。
「そうね」
瞳を閉じたままに霧崎はその言葉に反応し、短い返答をする。
「ちょっと追いかけてくれないかしら ?」
そして、真白へ続けざまに頼みの言葉を投げかける。
甲太郎は変わらず薄暗い空間にいた。
彼の背後には扉、四方を囲むコンクリートの古びた壁、彼の前方のコンクリートの床から少し先に斜面の急そうなな階段が前方に待ち構えている。
甲太郎は迷いなく脚を運び、階段へ足を掛け、それをゆっくりと踏みしめていく。
一段目を踏みしめる。
二段目を踏みしめる。
「ストップよ、甲太郎」
彼が三段目を上がろうとしたときにがちゃりと扉の開く音と共に透き通った声に呼び止められた。
甲太郎が歩を止めて後ろを振り返る。
彼の背後、ドアの前に立っていたのは薄桃色の丈の短いスカートのナース服に流れるような薄暗さに浮き彫られた漆黒の長い髪、紅 真白がそこに立っている。
相変わらず、の整った顔立ちに余裕の笑みが浮かんでいる。
「そのままじゃ、強くなる前に補導されるわよ」
真白がくすくすと微笑交じりに笑顔を作り相変わらずの艶混じりの声で腕を前へ差し出す。
腕には真っ黒な大きな布が乱雑に掛けられている。
甲太郎が顔を落とし、自分の胸元へ目をやる。
限りなく肌色の部位の多い彼の上半身、腹部に巻かれた包帯を除いて、彼の今の姿は殆ど半裸である。
今の真っ黒な長い薄手のズボンのみの自分の姿に気づいた甲太郎が後頭部に手を回し、ぼりぼりと掻きながら進んできた道を引き返す。
「はい」
真白が一言と共に目の前まで引き返した甲太郎が恥ずかしそうに黒い厚手の大きなそれを受け取る。
「どうも」
差し出しされたそれを無造作に腕で掴み、恥ずかしそうに礼を言う甲太郎。
「それと……」
真白が音も無く密着しそうな程に甲太郎の眼前へ寄る。
「はっ ?」
驚ろき、吐息交じりの声を発する甲太郎。
そんな甲太郎を気にも留めずに爪先立ちになり、腕を伸ばす真白、顔は彼の首もと辺りに位置されて、体同士が僅かな隙間を作っている。
彼女の伸ばされた両腕は甲太郎の頭を挟むように左右で停止し、掌が彼の頭へ置かれる。
ぐしゃぐしゃぐしゃ、と。
甲太郎の頭で停止した掌がその上で素早く、激しく動き回る。
「うわ、っとっと、何すんだっ !」
振り払おうとする甲太郎だが、目の前の真白はするりと猫じゃらしのようにそれをすり抜け、彼から少し距離を取った位置に立っていた。
「さっきの髪型も素敵だったけど」
「私はそっちの方が好きよ ?」
にこりとした笑顔で唇に人差し指をあてがいながら、真白が艶めかしい口調で言葉を発する。
さらさらとし、目元を隠していた甲太郎の髪が四方八方に飛び散り、獅子の鬣のように癖のある物へ変化していた。
精悍な顔立ちではあるがどこか眠気混じりな彼の顔つきがはっきりと現れる。
「それじゃ、頑張ってね」
真白が静かに言葉を作ると、彼を送り出すように掌をひらひらと体の前で振ると、身を翻してさっさと扉の向こうへ姿を消してしまった。
それを眺めるようにして少し、ぽかんとしていた甲太郎。
彼が溜息と共に我に帰り、真白から受け取った『それ』を勢い良く広げる。
その『黒』が波打ちながら広がって行き、甲太郎は素早くそれに腕を通していく。
彼の露出していた上半身がその黒に包まれ、裾が彼の太腿辺りで落ち着く。
受け取った『学ラン』を羽織った甲太郎は自らの目的を成就すべく、再び光差す階段の上へと目指し始めた。