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投げっぱなし短編 恋の猫魚

 これは、なんやかんやと甲太郎が大変なことになる1週間ほど前のお話である。


「はぁ」


 がやがやと大勢の男女様々な人間の話し声が聞こえる空間、大体の声から安堵感や高揚感を感じ取れる声の響く空間の中の左端から声にかき消されそうな小さな溜息が聞こえる。


 平均的な間隔で並べられた長方形の木の板に鉄のパイプの骨組みで組まれた人が一人座れる程度の無骨な机にそれに合わせるように作られた、これまた無骨な椅子が机の中に納まりそれらが群れを成している。


その机達の前方には薄く白い粉っぽさの感じられる文字が所狭しと並べられた壁の大半を占める真っ黒な黒板が見える。


ここは2110年の日本、S県のA郡某所にある黒金くろがね町の公立高等学校の一教室内であった。


時はその日の授業が全て終わり、生徒達に一区切りの解放感を与える放課後の始まり、教室内には真っ黒な学ランや真っ黒なセーラー服に身を包んだ生徒達がまばらに室内に残っていた。


大半が友人との会話や帰宅の準備に励んでいるが中には何か物を食べていたり、前方の黒板へ目を向けノートへシャープペンシルを走らせていたり、机に突っ伏してぴくりとも動かずに眠っていたりとそれぞれが教室内で放課後の1ページを刻んでいる。


その室内の出口とは逆方向の壁一面を埋め尽くしている大きなガラス窓からは日が差し込み机や生徒達を塗りつぶすように照らしている。

「はあぁ……」


 その窓側の机の列、最後尾の席から再び気の抜けた小さなため息が聞こえた。


発生源であるそこには机の上で頬杖をついている小柄な女生徒が一人いる。


赤みがかった黒い髪色のショートカットに顔の左半分を覆い隠すように伸ばされた左側の前髪、団栗どんぐりのような瞳の大きめの猫目に細い鼻筋の小さな鼻に小さな口の整った顔立ちの小さな輪郭の顔。


教室内にいる女生徒と見比べてみて、少しだけ低い部類に入る背丈に無駄な肉付きの少ないスレンダーな体つきの体格、そして教室内の生徒同様真っ黒なセーラー服に胸元の真っ赤なスカーフといった格好の少女。


「ふぅ……」


 女生徒がまたもやその小さな口を微かに開き、力なくため息を吐き出した。


彼女こそがまさに『心ここにあらず』といった様子の山音やまね 玲子れいこである。


教室内では既に自らの荷物を手に廊下へ繋がる扉を潜り抜ける生徒もちらほらと見える。


しかし、彼女、玲子は定まらない視線でじっと前だけを眺めだらりとした様子で頬杖をついたまま席から動かずにいた。


「あー、くそっ、今日も取り逃がしたわー」


 そんな彼女の前の席から突然少し疲れたような間延びした声とともにどさりと柔らかい大きな音が響く。


玲子の前の席に椅子の背もたれを横に倒れこむように一人の女生徒が力強く椅子へ座り込む。


亜麻色のさらりとした背中のあたりまで伸ばされた長さの髪、全体的に長めの髪であり、頭の右側で赤く透き通ったプラスチックの球体の飾りの付いたゴムの髪留めで髪を縛っている、いわゆるサイドテールといわれている髪型にしている。


 整った細い眉にそれに掛かるほどの長さの前髪、釣りがちな琥珀のような瞳の少し大きめの目に細く通った鼻筋、桃色の血色の良い唇に少し色白な肌色の綺麗な顔の輪郭をしている。


どこか幼さを感じさせる顔立ちである。


そして、玲子とは対照的に同年代の少女の中では高めと呼べる背丈に真っ黒なセーラー服の上からでも確認できるグラマラスな凹凸に富んだ体型。


玲子の前の席に豪快に座り込んだのは秋山あきやま 優衣ゆいであった。


「まったくもう……お兄ちゃんもあんなに必死に逃げなくてもいいじゃない……」


 額に手を当てながら少し疲れたような声色で優衣が呟く。


「恥かしがり屋さんなんだからっ」


 しかし、すぐに打って変わった様子で紅潮した頬を両手で押さえながらくねくねと椅子に座ったまま蠢く優衣。


 彼女は先ほどまで彼女のお熱であるこの学校の男性教諭の『お兄ちゃん』こと鵜野花うのはな 恭介きょうすけ教諭を少し過激で一方的な愛情を原動力に追い掛け回していたのであった。


彼女の右肩には丸められたロープが掛けられている、おそらく件の男性教諭を捕獲しようとしたのであろう。


「ふぅ……」


 そんな彼女に目もくれず、相変わらずの様子で本日、最早もはや数え切れないほどに出したであろうため息を再びつく玲子。


そのため息を聞いたためか、優衣が表情を戻し、顔を玲子の方へ向け向ける。


「あら、いたの ?」


 そして、少し驚いたかのような声色の言葉を玲子へ向けて放つ優衣。


「ちょっと、聞いてよ、今日は本当に惜しいところまで行ったんだから」


 再び前を向き、自らの戦いの記録を声高に語り始める優衣、しかし玲子は相変わらすの様子で上の空である。


「壁際まで追い詰めて、後一歩って所で……まさかあんな脱出法があるなんて思わなかったわ」


 構わず続けていく優衣にまるで聞いている様子のない玲子。


「もーちょっと、こう積極的になって欲しいんだけどなぁ」


 こちらの方も玲子と同じくため息吐きつつも呟いている。


 しかし、それも耳を通り抜けているのか、相変わらずの様子でぼけっとしている玲子である。


「聞いてる ?」


 ついにそんな彼女の様子に耐えかねたのか優衣が視線の定まらない玲子へ顔を寄せて声をかける。


「はあぁ」


 そんな優衣の言葉に対し返ってきたのはまるきり生気のないため息である。


「あんた、今朝からそんな感じじゃない……」



 少し呆れた様子で優衣が玲子の顔を見つめたまま呟く。


「どうしたのよ、あんたにしては珍しく何か悩みでもあるの ?」

 

更に顔を寄せて問う優衣。


「秋山さんには言われたくないな」


「そこは聞こえるんかい」


 呆けた声でようやく問い返す玲子、そしてそれに対し優衣に答え返す優衣。


「てか、今の私には何の悩みも無いみたいな言い方はなにさ」


 

少し怒った表情で顔を玲子へ近づけたままに言う優衣。


「そんなことは微塵にも思ってないよ、唯、単純そうな悩みでいいなと……」

 

相変わらずの破棄の無い様子で答える玲子。


「この相思相愛ラブラブカップルにとっては十分死活問題よ !」


「はぁ……」


 顔を寄せたままに一方通行な愛情の雪崩に直面している教諭の目玉が飛び出そうな台詞を力説する優衣にまた再び聞いていないかのようにため息を吐き出す玲子。


「で、いったい何の悩みよ」


 一旦顔を離し、再び玲子へ質問を投げかける優衣。


「……どうでもいいじゃないか、そんなこと」


 投げかけられた玲子は目線を逸らし、微かに頬を染めて誤魔化すように小さく呟く。


「ふふーん、わかったいわゆる『恋』の悩みって奴でしょ ?」


「うっ……」


 小馬鹿にするような表情で玲子に言う優衣。


玲子の方もその言葉に対し、正に図星といった反応を返す。


「すげぇ、適当に言ったら当たった」


 玲子の反応を見て自分の言った言葉に驚いている優衣、どうやら虱潰しに聞くつもりだったようだ。


「べ、別に恋なんかじゃないよ、ちょっと特定の人物を見ると胸が苦しくなって心臓がドキドキしてなんとも言いがたい感情が沸きあがって来るだけで……」


「十分に恋じゃねーか」


 目線を逸らしたまま口早くぼそぼそと言葉をつらねる玲子に指摘するように言う優衣。


「で、相手はどんな人よ、お姉さんにいうてみ」


「女の子が主人公の萌えアニメとかのちょっと鬱陶しい元気だけが取り柄の主人公の友人みたいな言い方だね」


 再び顔を寄せ、問い詰めるように言う優衣に謎の例えで答え返す玲子。


「そんで、どんな相手なのよ」


 話を戻し、再び質問する優衣。


「その……実は、その相手の人で困ってるんだ」


 その問いに玲子が観念したかのように顔を赤らめながらもじもじと呟くように言った。










外は既に夕刻、空のオレンジ色に夜空の色が混じり始めた頃である。


 場所は変わり、ここは先ほどの二人が通っていた高等学校から徒歩で西部へ約20分程の場所であった。


雑木林の中を切り出した中に、石畳で円形に整えられた地面、それ以外は芝生が敷き詰められている。


所々に背の高い電灯やベンチが取り付けられている。


そして、その中で一番目立つ物がその場所の中心にある白く塗装された大きな噴水である。


底にタイルの敷き詰められた円形のプールの様な水貯めの中心から塔の様に伸びた太い柱が一本という簡素な作りの噴水である。


夕刻から夜へと移り変わりそうな今でもその柱の頂点から滝のように水を噴出している。


主に子供が遊びに来たり、犬の散歩やランニングコース、学生のたまり場として活用されている小さな自然公園もどきである。


「で、本当にここに居るの ?」


 石畳と雑木林の境が背の低い植込みの壁のように厚い小さな木が囲うように植え込まれている。


その植込みの背後からその声は聞こえた。


 少し高めの愛らしい声、優衣の声である。

「う、うん、いつもこの時間にこの場所に来るんだ」


 優衣の問いかけに答える鈴を転がしたような声。


少し恥ずかしがるような玲子の声である。


茂みの向こう側で二人が背をかがめて向き合っていた。


学校での会話の後、中々その人物について話そうとしない玲子に優衣が業を煮やし、無理矢理首根っこを掴んでここまで連れて行き、直接その人物を拝もうと現地まで乗り込んだのである。


「ねー、もういいよ、帰ろうよ、私なら大丈夫だよ」


 心底帰りたそうな口調で優衣へ願うように言う玲子。


「よくないわ、この恋愛マスターである私があんたの淡い恋心を成就してあげようってんだから」


 植込みの木へ顔を突っ込み、向こう側を探るように見渡しながら言う優衣。


「絶対面白そうだからやってるんでしょー、余計なお世話だよ、それに秋山さんの場合恋愛マスターってより恋愛ジャンキーじゃんか」


「ほれ、グダグダ言ってないで相手はどいつよ」


 ぶつぶつと言い続ける玲子を制止するように言い放つ優衣。


「しょうがないな……本当はあまり見て欲しくなかったけど相手を見ればなんで私が困ってるってわかって貰えるだろうし」


少し恥じらい、躊躇ためらいつつも観念したのかついに優衣の少し隣辺りの植込みの茂みへ首を突っ込む。


 その自然公園内には僅かだがちらほらと人が見える。


「で、どれよ」


 植込みから少しだけ見える玲子の顔を横目に優衣が問いかける。


 しかし、いざとなってか玲子の視線は下を向き、顔を紅潮させ黙りこくってしまった。



「あそこの仕事帰りのサラリーマン ?」


 仕方ないと思ったのか、優衣が目に入った人物を指して玲子に聞く。


しかし玲子は首を小さく左右に振る。


「じゃあ、あっちのランニングしてるおっさん ?」


 ふるふると首を振る玲子。


「あー、あそこの散歩してるお爺さん」


 これも違うらしく、首を振る玲子。


「んー、じゃあ、あのゴミを漁ってる野良犬」


「私を何だと思ってるんだね」


 流石にこの質問は言葉で返答する玲子。


「じゃあ、結局誰なのよ……いい加減白状しなさい」


 少し急かすように優衣が玲子へ強めの言葉を浴びせる。


「……あの、人」


 真っ赤な顔で俯いたまま、植込みの木から手を出してその場所を指差す玲子。


「えっ ?」


 指された指の先を見た優衣が目を見開き、驚いた声を出す。


「あれ……」


「女じゃないの」


 驚いたままの表情で呟く優衣、そして更に顔を伏せてしまう玲子。


玲子が指差した先、噴水のへりに備え付けられたベンチにその人物は座っていた。


ストレートのさらりとした肩に付くほどの長さの切りそろえられた綺麗な茶髪にフレームのない眼鏡に薄く化粧気のある綺麗な顔立ち。


遠目からでもわかる細身の体に少しだけ高めの背丈、しっかりと着てている女性用の黒いスーツ、上着に合わせられた黒いスカートといった女性がベンチに座り、文庫本を開きそれに目を落としている。


それが玲子の指摘した人物である。


「だから困ってるんじゃないか」


 俯いたままに玲子が呟く。


「あの人は女の人なのに」


「何故か胸が苦しくてどきどきして」


「姿を見ると少し息が荒くなってきて」


「なんともいえない感情が沸きあがってくるんだ」


 ぽつぽつと小さな声で語り続ける玲子。


「ちょっと !気っ色悪い事言わないでよジンマシンが出てきたじゃない !」


 それに対して腕を突き出しながら訴えかける優衣。


「あっ」


 しかしそれに目もくれずに玲子が短く跳ね上がった声を上げる。


 目線は先ほどのベンチの女性の方へと向いている。


いつの間にか自然公園の辺りに人気は無く、その女性がベンチに居るという状況になっていた。


そのとたん、ベンチに座っていた女性が立ち上がり辺りをきょろきょろと見回している。


その様子に二人は黙り、目線をその光景へ集中させている。


 女性はきょろきょろとするのを止めるとゆっくりと振り返り、噴水の方を向く、そして。


その場から高く飛び跳ねると噴水のプールの中へ飛び込んだのだった。


噴水の中、彼女の飛び込んだ辺りからばしゃりと飛び跳ねる飛沫、そして、驚愕した表情で茂みの中で顔を見合わせる二人。


「ちょっ !入水自殺 ?」


 思わずひっそりとした声色で驚く優衣。


 次の瞬間、再びぱしゃりと弱い水温が響く。


先ほど飛び込んだ場所で女性がまるで温泉に浸かっているような穏やかな顔つきで上半身だけ露呈ろていさせている。


「あれは色々と考え直すべきじゃない ?」


 女性の方を指差し眉をひそめて玲子の方へ顔を向けて優衣がひそひそという。


 すると、再び水音が響き、二人の視線がその場所へと集中する。


そして、再び彼女たちの表情が驚愕に染まった。


女性は噴水のプールのへりに腰掛けていた。


すっかり濡れて体に張り付いてしまった衣服に腰掛け、地面へ伸びている下半身。


二人の視線はその下半身へと集中している。


微かに青みがかった銀色の肌、タイルのように組まれた鱗、先端に付いた魚の尾びれ。


 まさに人魚であった。


女性はにこにことうれしそうな顔で腰掛けたままその魚の下半身を揺らしている。


 思わず顔を見合わせる隠れた二人。


「ほれほれ」


 突然、優衣が玲子の顎の下へ手を伸ばすと指先でこしょこしょとくすぐる。


玲子は心地よさそうに目を細めてごろごろと喉を鳴らしている。


「ほれほれ」


 今度は胸元のスカーフをひらひらと玲子の目の前で揺らす。


玲子はスカーフを凝視すると、顔をそれに合わせて左右に動かす。


「そういえばあんた『猫の超人』だったわね」


 スカーフの動きを止めて問いかける。


「うん」


 素直に答える玲子。


「ちなみに魚は ?」


「大好き」


 優衣の質問に素直に答える玲子。


「じゃあ、あれは恋じゃなくて」


「食欲だね」



 そして恋は終わった。


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