黒金町 ブラッドサッカー (中編)
蒸し暑くなり始めた季節の時は昼過ぎ時の事である。
少し埃っぽい、コンクリートの床に木製の下駄箱のずらりと並んだ場所、学校の下駄箱、その端の靴箱が開かれ、前に背丈の高めの人間が立っていた。
真っ黒なぼさぼさとした寝癖のような耳にかかりそうな程の長さの髪に、まるでハリネズミのように尖った後ろ毛が後ろ首を隠している。
いつもは寝起きの様に眠たそうな目つきであるが、今はその目を大きく見開いており、その中々に精悍な顔つきも驚いた表情になり、少しだけ頬が赤くなっている。
見るからに高めの背丈に結構がたいの良い体格、それらを真っ黒なボタンの全て外された学ランにそれに合わせるように真っ黒な制服のズボンを穿いている。
ボタンの全て外れた学ランの隙間から紫のシャツが除いて見える。
相変わらずの格好の加賀見甲太郎が開いた下駄箱の前で手紙を広げて固まったように立ち尽くしていた。
「これは、内容からして『ラブレター』、なんだろうか」
甲太郎が赤面したままに小さく呟く。
甲太郎が手に持っている手紙は彼の下駄箱に入っていたものであり、手紙にはいかにも『ラブレター』を匂わせるような内容が小さな文字できちんと書かれていた。
「うぅ、どうすんだよこんなの一度も貰ったことないぞ……」
嬉しいのやら困っているのやら額に手を当て、顔を隠しつつも呟く甲太郎、手にはしっかりと手紙が掴むように持たれている。
「女子と最後に深く関わったのはいつくらいだっけ ?たしか、小学校の6年生位までか ?
って何を言ってるんだ俺は」
激しく動揺しているせいか、甲太郎が額に手を当てたままに自らについて語り始める。
「ともかく、これをもらっても返事に困るというか、こんな時どんな顔すれば良いのかわからないっていうか……ああ、また俺は何を言ってるんだよ」
ついには頭を抱えてしゃがみこみながら少し跳ね上がった声でそう騒ぎ始める甲太郎、更に激しく動揺している。
「あー、つまり、もうどうすりゃいいんだよ !」
立ち上がり、声を張り上げる甲太郎、相変わらずに顔は赤い。
「……とりあえず落ち着け、俺」
それから、額に手を当て、自らに言い聞かせるように小さく呟くと、息を吸い込み、吐き出す。
「これは、あれだ、あのフランスパン頭かキタローの出来損ないの仕業って言う可能性もある」
少しだけ落ち着きを取り戻した甲太郎がはじき出した可能性は知り合いのイタズラというものであった。
「暴力系押しかけ女房は恐らく、『他事』が忙しいからわざわざ俺なんかに時間は割かないはずだ、そもそもアウトオブ眼中だし」
もう一人だけ『アテ』があったが、呆気なく候補からは外される。
「やっぱ、あれか ?巌か ?この前、何気なく言った『お前の頭ってさ、すげぇよな』ってのがいけなかったのか ?」
「あのとき『俺の髪型がサザエさんみてーだとォ?』って、すげぇキレてたしなぁ」
甲太郎が唸りながら考え込み、ぶつぶつと喋り続ける、話がまるで関係ない所へ進んでいる所から、未だに動揺しているようである。
「……冷静に考えて、あいつらはこんなめんどくさい事しないだろうなぁ」
ため息をつきながら後頭部を掻きつつ言う甲太郎、現実逃避から帰ってきたようだ。
「大体、何なんだよこの『貴方のことを知ったときから』って、つまりこの手紙を出した奴は俺のことを『見たことが無い』ってことなのか ?」
もう一度、手紙へと目をやり、気になった箇所について考える甲太郎。
「っていうことは、俺も知らない誰かからの『ラブレター』って事なのか……」
ラブレターだという可能性が彼の中で再び浮かび上がったのを認識してしまったためか、再び恥ずかしそうに頬を染めつつ呟く甲太郎であった。
「……そんなバカな」
日も傾き始め、その陽光に少しだけオレンジの色が混じり始めた夕刻の入り口。
まっすぐに並ぶ、家を囲った背の高い垣根に、年季の入った色素の薄れたアスファルト、ぽつぽつと均等な感覚で立っている灰色の背の高い電柱、特に目立つものの無い街路地である。
その電柱の一つから甲太郎の顔が覗き込む様に半分だけ隠れている。
電柱の影に隠れた甲太郎の視線の先、そこには一人の女性が立っていた。
腰まである癖のないさらりとした黒い艶のある長い髪、雪のように真っ白い肌にスタイルの良い体格に少しだけ高めの背丈、それらを至る所にフリルの付いた真っ白い袖の短い大きく花びらのように広がったスカートのドレス、遠目から見ても美少女であるとわかるいでたちの少女だ。
恐らく甲太郎と同じくらいの年頃の彼女は甲太郎の隠れている電柱の更に先の電柱で立ち尽くしている。
「まさか、あれなのか、この手紙出したの」
甲太郎が顔を赤らめながら驚いた表情で呟く、まさか自分へ『ラブレター』を出した相手が自分も知らない美少女であるとは夢にも思わなかったからであろう。
「どうすんだよっ、俺こんな格好だぞ、しかもシャツに昼間こぼしたコーヒー牛乳のシミとか付いちゃってるし」
電柱の影に隠れた甲太郎が激しく動揺しつつ、自らの格好を見ながらその場にしゃがみこんで震えた声で言う。
「あんな、貴族のお嬢様みたいなのが来るとは予想外すぎた、今からでもスーツかタキシードを取りに帰るべきか ?」
「何の話かしら ?」
「うおおっ !」
しゃがんだままぶつぶつと独り言を呟いていた甲太郎の背後から突如、鈴の鳴るような、透き通った声が聞こえた。
そして、それに驚き思わず大声を上げてしまう甲太郎。
「あら、びっくりしちゃった ?」
そんな甲太郎を見たのか、再び鈴のような声がくすくすと小さく笑いながら聞こえた。
そして、しゃがんだままに大急ぎでぱっと振り返る甲太郎。
そこに立っていたのは、艶のある長く癖のない真っ直ぐな黒い髪に細い眉、薄紫の瞳の釣りがちな切れ目にすっと通った細長い鼻筋、そして、小さな唇に引かれた赤い口紅に傷一つ見当たらない真っ白な肌の胸元と背中の大きく開いた白いドレスの少女。
先ほど甲太郎が眺めていた白いドレスの少女がいつの間にか甲太郎の背後に立って覗き込むように見つめていたのだ。
「えーっと、これは……」
「あら、それ」
いきなりの登場に戸惑っている甲太郎、ドレスの少女はそんな甲太郎へと指を差して短く言葉を発する。
「え ?これ ?」
甲太郎が指を差された先を見る、その指先は甲太郎の手に掴まれた『ラブレター』へと向けられていた。
「もしかして……貴方が加賀見……甲太郎 ?」
「ええ、まあ」
甲太郎に対し、相変わらず笑みを浮かべながら少しだけ首をかしげ質問する少女、それに対し、照れたように後頭部を掻きながら答える甲太郎。
「それ、私の手紙」
にこりと、柔和な笑みを浮かべるドレスの少女、どうやら甲太郎の下駄箱へと手紙を入れたのは彼女で間違いが無いようだ。
「て、事は、あんた……いや、君が ?」
「ええ、あの手紙を貴方に宛てて書いた、紅 真白よ」
少し驚いたように少女を指差しながら言う甲太郎にくすりと小さく笑いつつ自己紹介をするドレスの少女、真白。
「まさか本当にこの子だったとは」
顔を赤くしながら真白に聞こえないような小声で呟く甲太郎、照れながら少しだけ目線を逸らしている。
「ここにいると言う事は、私が書いた手紙を読んでくれた、という事よね ?」
にこりとした笑顔のまま、目を少しだけ見開き、優しい口調で問いかける真白。
「ええ、まあ、その、読みました」
それに対し、どぎまぎしつつ答える甲太郎、相変わらず視線は泳ぎ、顔は赤い。
「そう……」
更に目を開き、静かに、息を吹くように口から小さく言葉を吐き出す真白。
「えっと、つまり、あの手紙は……」
そんな真白に対し、甲太郎が言い辛そうに途切れ途切れに言う。
「ふふ……そうね……」
またにっこりとした笑顔に戻り、真横を向いた真白が静かに小さく声を発して言う。
「私も甲太郎君のことは話しでしか聞いていなかったけれども」
「話を聞いたときはドキッとしたわ」
口元に手を添えながら息を吹くように優しく言う真白、それに照れているのか、再び甲太郎が目を逸らし、後ろ首をぼりぼりと掻く。
「それからと言うものの、貴方のことを考えるたびに、体が熱くなって、心臓が跳ね上がるようになってしまったの……」
そして、更に言葉を続ける真白に甲太郎はたまらなくなってきたのか、俯いたままに両手でばりばりと頭を掻く、相当照れくさいようである。
「それで、どんな人なんだろうってずっと思っていて、今日会ってみてわかったわ」
口元に添えた手を戻す真白。
「見た目はそこまで強そうには見えないけれど、今まで数々の『超人』達を倒してきた、何か雰囲気のようなものが、ね……」
「え ?」
突如、『超人』についての話が始まり、思わず気の抜けた声が出てしまう甲太郎。
「流石は、理由も無く無差別に『超人』達を葬り去り、『超人殺しの甲太郎』と恐れられているだけあるわぁ」
「えっ ?何の話 ?」
また目を細く見開いた真白が言う、甲太郎は急に自らの知らない事情を知らされ、目が点になってしまっている。
「血気盛んなある『超人』達は興味津々だったわ、そんな自分達と同じ……いえ、それ以上に『超人』と戦い全てに勝ち抜いている『超人』がいるなんて、ね」
「そんな『超人』達が甲太郎君との『戦闘』以外、つまり情報の交換とかの範囲だけで同盟を組んで戦おうって話になったわけ」
甲太郎を気にせずどんどんと笑顔で話を進めていく真白、甲太郎は付いていけないのか固まってしまっている。
「あなたに手紙を送って、万全な状態で戦いを挑んだわけだけれども、皆やられちゃったわ……」
そんな、真白の言葉に甲太郎は少しだけぴくりと反応する、甲太郎には覚えが合ったのだ。
恐らく彼女が言っていたのは甲太郎が過去に倒した『油人間』に『蝙蝠人間』のことであろう。
「つまりね」
短く言いよどむ真白。
突如、何か鋭い物が甲太郎の目の前で振りかぶられる。
物凄い早さで上から襲い掛かるそれを甲太郎は間一髪で見切り、背後へ一歩だけ下がり、辛うじて交わすことに成功する。
「私がその最後の一人ってわけ」
不適な笑みで腕を甲太郎へ振り下ろした体勢の真白が言う。
先ほど、甲太郎へと振り下ろされたのは真白の腕であった。
甲太郎が冷や汗をかきつつ、背後へ飛び下がり、真白から距離を取る。
「成程ね、挨拶代わりとはいえ、あの不意打ちをかわすとは」
「益々、ドキドキしちゃうわぁ」
手の甲を顔の前に持ってきながら笑みを浮かべつつ嬉しそうに震えた声で言う真白。
その手の指からは細長くまるで鎌のように曲がった刃状の爪が伸びていた。
先ほど真っ赤であった甲太郎の顔は今は真っ青である。
やはり、甲太郎は戦う運命から逃げることはできないようである。
「……危なかった、あの爪をモロに喰らっていたら間違いなくバッサリ斬れてたな」
咄嗟に顔を引き締め、両腕を突き出し、脚を肩幅程度に開き、構えの姿勢をとる甲太郎、度重なった戦闘のおかげか切り替えだけは早くなったようだ。
「あら、やる気になってくれたの ?」
そんな甲太郎を見て嬉しそうに跳ね上がった声色で目を見開きながら言う真白。
「どうせ、止めろっていっても無駄なんだろうしな、説得するよりとっとと気絶させたほうが早い」
甲太郎が真白に向かって言う。
「しかし、あいつの爪に目……」
真白をじっと見据えた甲太郎が小さく独り言のように呟く。
甲太郎には真白の『爪』と見開かれた『瞳』の形状に見覚えがあった。
少し前に戦った彼の学校の同学年の生徒であり『超人』である山音玲子。
『ネコの超人』である彼女の『特殊機能』と酷似していたのだ。
「あいつも同じ『猫の超人』なのか ?」
甲太郎が先ほどと同じように呟く。
「ならばありがたい、どんな能力かを知っていれば対策も立てやすくなる」
甲太郎が冷や汗をかいたままに、顔に不適な笑みを浮かべる。
「それじゃあ、今度は」
「少しだけ本気を出しましょうか !」
嬉しそうににや付いた表情で甲太郎の方へと向かい特攻するように走ってくる真白。
「早いっ……」
それを見た甲太郎が思わず呟く、走ってくる真白は風のように速いが、まるで足音は聞こえず、軽やかささえ感じさせるものであった。
その真白が走りながら腕を真横に振りかぶる。
そして、甲太郎に接近するとそれを真横へ薙いだ。
しかし、甲太郎は難なくそれを後ろへ下がり回避する。
「……っ !」
しかし、真白は今度は逆の腕を振りかぶり、すかさず振り下ろして追撃する。
しかし、それも甲太郎は至って冷静に回避する。
それから、更に2回3回と追撃するが甲太郎は更に回避する。
「あの時は真っ暗だったから回避できなかったがよ、今はよーく見えるぜ」
甲太郎がその次々と繰り出される素早い攻撃を回避し続けながら言う。
甲太郎の『充電器超人』の『機能』である放電を使い、視神経に微弱な電流を流し、動体視力を強化したのだ。
「ふふ……じゃあこれは ?」
突如、攻撃の手を緩めた真白は手のひらを開き甲太郎の前へとゆっくりと差し出す。
すると、その手のひらから、ゴッ、と大きな風の通り過ぎるかのような音が鳴ったのだ。
「あづっ !」
突然、甲太郎が腕を十字に交差し、後ろへと飛び下がった。
真白は手を突き出したまま、嬉しそうににやりとした顔でそんな甲太郎を見ている。
そして、更にじりじりと後ろへと後ずさり、距離を置く甲太郎。
「なんだ、今の『熱波』のようなものは」
そして、距離を置いた甲太郎が再び構えなおして呟く。
真白の『超人機能』についてはまだまだ謎が残されていたのだった。