新たなる敵と粘着ラブレター
真っ暗な闇の中、ぽつり、と豆電球のような小さな明かりが一つだけ付いてゆらゆらと揺れている。
冷たい空気の流れる室内は小さな明かりがあるものの辺りは真っ暗なため全く見ることができず、辺りはしん、と静まり返り物音ひとつ聞こえないが、そこには確かに何かいる気配が感じ取れる。
「全員いる、ということでいいのか ? これは…… 」
明かりから少しだけ離れた闇の中から少し飄々とした感じの男の冷静さのある声が聞こえた。
暗闇に浮かぶ小さな、唯一の光が大きく揺れる、光は蝋燭に灯された小さな光る火の光だった。
「他の2人は知らないけれど、私がここにいるのは確かよ、確かよね ? 」
と、その反対側の闇の中から今度は余裕の含まれた冷静な少し大人のような鈴のように通る少女の声が聞こえる。
「いーるーよー」
よく通る少女の声が聞こえた真っ先の対角線上の少し離れた場所から間延びした男か女か分かりづらい間抜けな感じの声が聞こえる。
こつっ、べちょり。
と、間延びした声の聞こえる場所から足音に混じり、粘液の様な物が滴り落ちる少しだけ不快な音がする。
「ああ、いるのは分かったから君はできる限りそこから動かないでくれ…特にこの蝋燭には近づかないでくれ…こっちの身も危なくなってしまうからな君の場合は…」
再び闇の中の張り詰めた冷たい空気の中から聞こえる、冷静さの混じる飄々とした声が間延びした声のほうへと発せられる。
「わーかーたー」
間延びした声が再び聞こえ、聞こえるこつり、と言う小気味のよい足音に混じり、べちょべちょとヘドロの滴り落ちるような粘ついた落下音が真っ暗な闇の中へと響く。
「で、もう一人はここにいるのかしら ?どうなのかしら ? 」
先ほどの少女の声が再び闇の中を真っ直ぐに通っていくように聞こえる、暗いために周りの温度が低いからか相変わらず鈴のような声が響く。
「ん ?それなら君の丁度、左の斜め前に四歩程進んだところにいる、今は恐らく寝ているようだな」
「あらあら、流石は『テンソ』ね、私にはまるで見えないわぁ、みえないわね ?」
冷静に『もう一人』について変わらない口調で位置を教える男の声、それにくすくす、と嬉しそうに微かに笑いつつも褒めるように言う大人っぽさのある少女の声。
「これが俺の『超人機能』だからな」
褒める少女の声に対し、変わらずに飄々とした声でそう答える男の声。
「でー、何ーでーあーつーまったーのー ?」
再び聞こえる間延びした声、そしてその声が聞こえた後に響くべちゃり、べちゃり、という不快な粘着質な水音。
「ああ、集まったのは他でもない『加賀見甲太郎』について、だ……」
急かされたためか少し急いだ様子で本題へと入る男の声。
「加賀見、甲太郎というとあの『超人』達を何人も病院送りにしているって言う、超凶暴な『超人』、だったかしら ?だったわよね ?」
先ほど切り出すように言った男の声に対し、確認するように言う少女の声。
「ああ、『あのサイト』でも散々話題に出された極悪人、通称『超人』殺しの甲太郎だ」
少女の声へ答える飄々とした感じのする男の声。
「こーうーたーろーがーどうーしーたーのー ?」
再び闇から響くべちょべちょとした不快音に間延びした緊張感に欠ける声。
「そう、その甲太郎がまた『超人』を始末したようだ……」
先ほどまでは飄々とした感じの声を少しだけ引き締め、一気に言いきるように男の声がそう言う。
「そりゃ『超人』殺しの甲太郎だもの、やるわよ、それでこんな真っ暗闇の中でのオフ会なんて前代未聞のものを開催しておいてまさかそれだけじゃあないわよね ?ないかしら ?」
「冷静を装っているような所で悪いが……体が震えているのが見えるぞ」
変わらない声色と口調で喋る少女の声に探る様に指摘するように言う男の声。
「うふふふ、本当に憎たらしい『超人機能』ね……それに、そんな面白そうな奴の話しを聞かされちゃ、居ても立ってもいられないわ、そうでしょ ?」
「うーふーふーふー」
高揚感に少し震えている声で嬉しそうに言う少女の声、それに続きぐちゃぐちゃぐちゃ、といつもより激しく早く鳴り響く不快な水音に続いて聞こえる間延びした嬉しそうな笑い声。
「まあ、ここに集まったのは『あのサイト』の中でも特に血の気の多い4人……実際の所だ、俺も自分よりも大暴れしている『超人』がいたのではどうにも我慢ならん性質だ」
「そこの所、君らはどうだ ?」
長々と語った後に他のメンバーへと問いかけるように深い暗闇へと声を発する。
「ぶくぶくぶくぶく……」
それに答えるようにまるで水中で息を力強く吹き出し、ぼこぼこ、と泡を噴出しているような声と音が聞こえる。
「愚問ね、まったくもって愚問だわ、うふふ……許せるわけが無いでしょう ?そうでしょう ?今すぐにでも戦いたい気分よ」
先ほどよりも震え、興奮しているのがはっきりとわかる声色ではっきりと通るような声で言う少女の声。
「まあ、そうであろうな」
微かに笑いつつも納得したように言う男の声。
「一人は眠っているのでわからないが、残りの二人はいずれ加賀見甲太郎と遭遇し、戦闘を持ちかけるつもりはあったのか ?」
と、寝ている一人を切り離し、残りの二人へと問いかける男の声。
「ええ、いずれは……と、思っていたのだけれど、さっきの話を聞いてもう我慢ならなくなったわ、このオフ会が解散になったらもう襲い掛かるつもりよ、うふふ……」
はあはあ、と微かに吐息をはきだしつつ、恍惚感の混じる艶っぽい高揚感に震えた少女の声。
「こーろーすー」
相変わらず迫力の無い間の抜けた声。
「やはり、二人とも、いや三人とも、もしくは四人全員がすぐにでも加賀見甲太郎と戦いたい、というわけか」
再び納得したような声で言う男の声、予想が的中したのが嬉しいのか少し含み笑いの混じった声だ。
「まあ、今回君たちをここへ呼び出してこんな話をしたのも、俺に『提案』があるからさ」
「単刀直入に言わせてもらうと『加賀見甲太郎と戦うのは一人づつ順番』にしたい、ということだ」
男が本題と提案について述べる、今にも甲太郎へと襲い掛かりそうな二人へと言い放った。
「どーしーてー ?」
「……何故、かしら ? どうしてかしら ?」
間の抜けた疑問の声と少し声のトーンが下がった少女の声が聞こえる。
「複数対一という状況になる可能性、弱った相手と戦う可能性、そして、このメンバー内で同士討ちになり加賀見甲太郎との戦闘どころでは無い状況になる可能性が非常に高い」
「全員それは避けたいところだろう ?私もそれは避けたい」
「……」
「……」
理由の説明をする男の声に聞き入っているのか、納得する部分があるのか、または他の思惑があるのか黙っている二人。
どれだけ経っても一向に目の慣れない暗闇の沈黙の中、冷たい空気の流れと揺らめく蝋燭の灯だけが動いている。
「と、言うのが理由なんだが……」
吐き出しきるように言い終える男の声。
そして、男の声はぷつりと聞こえなくなる、まるで残り二人の同意を待っているようなそんな雰囲気を感じられる沈黙、相変わらず部屋の中心では蛍の光のように小さいが赤々と力強く燃えている蝋燭が一本。
「……わかったわ、私は賛成」
「さーんーせー」
しばしの沈黙の後、二人から発せられる同意の声。
二人とも男の声と同じ考えなのか、他に何か目論見があるのかは解らない感情のこもらないような声色での同意である。
「一つ確認したいんだけれども、これはあくまでも『ルール』であって『協力』、では無いのよね ?」
いつもの良く通る鈴の様などこか大人っぽさのある少女の声色で確認する少女の声。
「ああ、勿論だあくまでこれは『約束』の様なものであって、我々が一緒になって戦うというわけではない、加賀見甲太郎との戦闘になれば泣こうが叫ぼうが手助けはしない」
こちらも、いつもの飄々とした声で少女の声の質問に回答する男の声。
「そう、こっちもそれが聞きたかっただけ、もしも抜け駆けしたり戦闘に割り込んだら……」
「容赦なく加々見甲太郎共々八つ裂きにするから」
うふふ、と嬉しそうに静かに少しだけ笑いつつはっきりとした声で二人へ宣言するように告げる少女の声。
「案ずるな、元より加賀見甲太郎と真っ向から戦える予防線のようなものが欲しかっただけの事、無論『約束』を破るようなら俺も『ブラッドサッカー』が言った通りに知り合いといえど君らを遠慮なく加賀見甲太郎と一緒に始末するまでの事」
「うーふーふーふー」
同じ気持である事を明確に伝える男の声、そして間延びした不敵な笑い声を上げべちゃべちゃ、とまたもや不快な水音が鳴り響く。
「それで、順番の決め方だが……」
男が話を切り出すと、なにやらごそごそ、と探るような物音が響く。
そして、こつこつ、と闇の中心に配置された蝋燭へ向かい小気味の良い足音が響く。
「クジを作ってきた」
蝋燭の上でめらめらと燃え盛っている火の明りに照らされ、ティッシュ箱程度の大きさと寸法の箱の角と手のひらが入るほどの横へと細長い穴が照らされて見える。
「まぁ、まるでカイジと兵藤会長のギャンブルみたいね……うふふ」
それを見たのであろう少女の声がまたも嬉しそうに跳ね上がった声で言い、くすくすとどこか妖艶な声色で静かに笑う。
こうして、加賀見甲太郎の新たなる敵たちの思惑が静かに回り始めた。
「……ふぁああーあっと」
どこかだるそうな間の抜けた青年のあくびの声が聞こえてくる。
ぼさぼさとした真っ黒い耳にかかりそうな跳ねた髪にハリネズミのように鋭く後ろ首を覆ってしまっている後ろ毛、眉の下辺りまで伸ばされた前髪、精悍な顔つきであるがどこか眠気のこもったような目つきをしている。
高い背丈に中々に筋肉質な体つきに長い脚といった体格、上に着た真っ黒な学ランはボタンが全て外され中の青いシャツが見えどちらかというと羽織っているような感じだ、下には学ランとセットになっているような学校指定の真っ黒なズボンを穿いている。
右手に長方形の真っ黒い薄い鞄を持ち肩に手を掛け背負うように肩にかけている。
先ほどの会話で話されていた件の男、加賀見甲太郎が真っ白いリノリウムの階段を下りていた。
場所は彼の通っている黒金第二高校、全ての授業が終わり今まさに下駄箱へと向かい履きものを入れ替え下校しようと言う所である。
こつこつこつこつ、と足音を響かせ階段を下りていく甲太郎、そして階段が終わり平地、廊下の床が見える。
そして、甲太郎の目の前に現れるきっちりと横向きに並ぶ白い金属製の背の高い下駄箱の群れ、生徒たちの靴が仕舞われている下駄箱だ。
下駄箱は左右両面に靴箱が付いており、その中の自分の靴箱のある15列並ぶ中の右から4番目の下駄箱の向かって左側の靴箱の付いている方へと迷わず歩み寄っていく甲太郎。
甲太郎の靴箱はちょうどその羅列の一番右端の真ん中あたりにある。
そして甲太郎が自分の白く塗装の剥がれ黒い錆の目立つ靴箱の取っ手に手を掛け、自分の方へと引く。
どぼっ !べちゃっ !
「…… !」
靴箱から何かが飛び出す。
驚いた甲太郎はすかさず取ってから手を離し、後ろへ一歩下がる。
飛び出した何かはそこまでの距離は飛び出さず、甲太郎の一歩前の地面へとべちゃり、と落ちる。
飛び出したのは、蜂蜜にも似た琥珀色の見る限りに粘度の高そうなねばついた液体の塊だった。
「……何だこれ」
気色悪そうに表情を歪め、自分の足元のコンクリートの地面を濡らし、どろどろ、と広がって行く粘度の高そうな琥珀色の液体。
甲太郎の下駄箱から流れ出る謎の液体は甲太郎の下の縦一列にずらりと並ぶ下駄箱たちにも粘液がべったりと滴り落ちその靴箱の扉をべったりと濡らし、被害を被ってしまっている。
「まさかっ !」
はっ、と気が付いた甲太郎が自分の靴箱の中を急いで見る。
そこには哀れにも謎の液体で琥珀色厚い流動体の層に包まれたようにべとべとの液体に塗れ、市販の餡に浸けられたミートボールのようになってしまっている甲太郎のスニーカーがあった。
「…… !」
ショックにうちふるえ何も言葉の出てこない甲太郎が液体塗れのスニーカーを凝視する、しかし、甲太郎は何かに気づく。
「なんだ ?ビニール袋 ?」
ショックの抜けきらない声色で甲太郎が液体塗れの正方形の狭い空間の中へと手を伸ばす。
べとべとになったスニーカーの上に何かを入れ、口の縛られたビニール袋が液体塗れのスニーカーの上へ乗っていた。
甲太郎は嫌そうな表情で縛られた口の部分を摘むと、ビニール袋を取り出す。
「きもちわりぃな……」
袋の底の部分が液まみれのスニーカーに密着していたため、そこからぽちゃぽちゃ、とねばついた液体が床へと滴り落ちる。
甲太郎は自分に液体が付かないように用心しながら袋の口を開ける、中に入った薄い何かを取り出す。
「これは……手紙 ?」
中身を取り出した甲太郎がビニール袋を地面に放りながら言う。
そこに入っていたのは、白く几帳面な便せんに入れられた一通の手紙であった。