終わりし逢瀬と薄闇色の空間
『…ねぇジェームズ、知ってる ? アジフライを食べると恋が実るのよ』
少しかすれた大きな落ち着きのある女性の声が響き渡る。
『何故だい ? 』
今度は少しかすれた紳士的な雰囲気のある落ち着いた男性の声が響き渡る。
『ほら、あれって尻尾のほうを下にすると…ハートの形になるでしょう ? 』
『なんて斬新で素敵な発想の女性なんだ…結婚しよう ! 』
女性の声がどこか恥ずかしそうに答え、男性の声が弾むように大きくなる。
辺りは真っ暗な正方形の大きな部屋であり、沢山の椅子が階段状に並び、正面には巨大なスクリーンが輝いている。
女性と男性はスクリーンの中にいる映画の登場人物であり、ここは『映画館』であった。
「俺んちさぁ…アジフライって真っ二つにカットしてから皿に並べて食うんだよな」
どこかつまらなそうな青年と思わしき程の年齢の男性の小声が聞こえる。
相変わらずのぼさぼさとした耳にかかりそうなほどの長さ黒い髪の毛に眉のあたりまである前髪に首を覆い隠している後ろ毛。
高い背丈にそこそこにがっしりとした体格に真っ赤なシャツの上からボタンが全て外された真っ黒い学ランを羽織っている、下は学校指定の黒いズボンといった格好である。
加賀見甲太郎が映画館の14段ある座席の5段目の真ん中あたりの椅子に足を組んで座っている、手にはポップコーンが抱えられ椅子に備え付けられた飲み物受けには紙コップが置かれている。
中身はジンジャエールだ。
「こう、丁度ハート型が真っ二つに割れる具合に切ったあとソースかけて食うみたいな…」
先ほどのつまらなそうな声色と表情で足を組んだまま、右手の指ではさみを作りちょきちょき、とやる。
「……そうだな、すっごくどうでもいいな」
がっくりと、両膝に腕をつきながら、うなだれて甲太郎の隣に座る男が元気のなさそうな声で呟く。
甲太郎と同じくらいの年の男で、背は甲太郎よりも少し高く体格は同じくらいであり真っ黒い長ランと黒い制服のズボンをきっちりと着ている。
黒く後ろ首を隠している長めの真っ直ぐとした後ろ毛に耳の辺りまである揉み上げに精悍な意志の強そうな顔立ちを今はどこかどんよりと曇らせている。
そして何よりも目立つ巨大な軍艦の様な真っ黒いリーゼントが特徴である、あまりにも長くうつむいていると下の席の背もたれに先端が付くくらいの長さだ。
落ち込んでいる鬼瓦巌である。
「…ところでよ」
「…なんだ ? 」
「何でそんなに落ち込んでるんだよ ? 」
手に持ったポップコーンを口へ入れながら気になっていることを巌へと質問する甲太郎。
それに対し、巌ははぁ、とため息を吐く。
「そりゃあ、俺だってお前なんぞとこんな恋愛映画見に来たくはないわ…」
「…」
そして、突如、棘っぽく失礼なことを言い放つ巌と眉をひそめストローに口をつけジンジャーエールを啜る甲太郎。
「本当はよぉ…玲子さんと来る予定だったんだぜ…」
うつむき、悲しそうな少し涙声のような声で言う。
「何で断られたんだよ…」
面倒そうな口調の甲太郎。
「…さっき学校で『是非ご一緒に映画でもってお誘いしたら』、『ごめん、法事だから』って…」
「あいつ、逃げやがったな…」
更に悲しげな顔をする巌に顔を逸らし呟く甲太郎。
巌は同じ高校、同じ学年の山音玲子にお熱であった、そんな彼女を勇気を振り絞り誘った結果返ってきた返答がもっともらしく誰でもわかりそうな嘘だったのだ、それで誤魔化されたのが悲しかったであろう巌。
打って変わって画面の中では物語が進展している。
恐らく結婚したであろう二人の家のリビング、ジェームズともう一人の女性のほうが木製のテーブルを挟み向かい合わせで椅子へと座っている。
『アジアジアジフライアジフライソースドバドバドバー …』
空ろな瞳で無表情のジェームズが感情のこもらない声で皿に乗ったアジフライへとウスターソースを皿からあふれ出るほどにかけていく。
墨汁でもこぼしたかのように真っ黒に染まる皿とアジフライ。
『ジェームズ…一体どうしてしまったの ? 』
そんな彼の様子に驚く彼の妻。
『私の仕業よ ! 』
突如、二人の下へ聞こえる甲高いヒステリックな女性の声、そして前に立ちはだかる黒い長い髪に白いドレスを着た背の高い女性。
『あなたは…ジェームズの義妹の郁美っ ! 』
『兄上の『記憶と精神』は私の『能力』によってフロッピーディスクとして抜き取ったわ、彼がああなってしまったのもそのためよ…』
手に黒い正方形で薄いフロッピーディスクを女のほうへとちらつかせにやりと口元を吊り上げる郁美。
『ああ…なんてことなの…』
それを見て絶望に打ちひしがれる女。
「どこのホワイトスネイクだよ…」
半ば呆れながら映画へとつっこむ甲太郎、そしてポップコーンを口へと放り込み咀嚼する。
「…で、お前もまだ落ち込んでんのか ? 」
そして、呆れたままにポップコーンを食べながら横目で巌を見ながら問いかける甲太郎。
「…ああ」
俯いたままに答える巌。
「大体よ、ここに来るまでは格別変わった様子はなかったのに急にどうしたんだよ…」
「周りを見てみろ…」
不思議そうに聞く甲太郎に対しそう答える巌、そして言われたとおりに辺りを見回してみる。
この映画館の八割程度が逢瀬を楽しむカップル達で占められた空間と化していた、恋愛映画なので無理もないのかもしれないが。
気付けばそこは独り身の者にとって絶対に侵攻不可の魔の地帯と化していたのだ。
「ああ、今気付いたが、アベックだらけだな…胸糞悪い事に…」
嫌そうに眉をひそめつつ言うと、紙コップに刺さったストローに口を付け凄い勢いでジンジャーエールを吸い上げる。
「俺も玲子さんと来ていたらああいう風になれたんだなーって…」
霞がかったようにかすれた気力の欠片も無い声で巌がうつむいたままに呟く。
それを聞き、腕を組んで目を閉じる甲太郎。
巌の全く口を付けていないアイスコーヒーの入った紙コップから水滴が浮き出ている、時折その中の一粒が流れ星のようにすっ、と紙コップの表面を滑って行く。
目を見開く甲太郎。
「巌…」
「どう考えても、俺はそういう風になれないと思うんだが…」
そして、真面目さの含まれた声でそう呟く甲太郎。
「…」
それを聞き黙りこくり、すっと背筋を伸ばし座る巌。
「キャウッ ! 」
そして、甲太郎の方へ向くと奇声を上げつつ水飲み鳥のように首を振り自らのリーゼントを甲太郎へと叩きつけ続ける。
ドスッドスッ、と軽い打撃音とともに甲太郎にまるで餅つきの時の杵のようにリーゼントが突き刺さる。
「うおっ ! やめろって ! 痛くはないがなんかモシャモシャして気色悪い」
どうやら肉体的よりも精神的なダメージの大きいこの攻撃、甲太郎は思わず身をかがめる。
「全く…」
攻撃の手を止め、元の体勢に戻る巌。
「第一、お前まだ山音の『盗撮写真』持ってんだろ ? それも嫌われるのに一役買ってると思うぞ…」
「今は『寝顔』のじゃなくて『食事中』の玲子さんがアツい ! 」
肩に付着した巌の毛を手で払いながら言う甲太郎に、巌が腕を組み脚を広げ座ったままににこやかな笑顔で甲太郎へ手に扇のように写真を広げ、気合たっぷりに答えるが全く答えになっていなかった。
どうやら彼の中では流行があるようだ。
「…すっげぇ間抜け面」
広げられた写真を一枚取りそこに写っていたものに対して呟く甲太郎。
写真に写っていたのは大口を開けて今にもおにぎりに噛みつかんばかりの勢いの玲子、まるでおにぎりを食べるシレンのようだ。
「第一…写真部は滅んだんじゃないのか ? 」
「写真部なら『カメラ部』として復活したぞ」
「ラーメン屋と中華麺屋くらい違いのない名前だな」
甲太郎の質問に答えた巌の返答を聞きかなり呆れた様子でそう感想を述べる甲太郎。
写真部は滅んだがどうやら予言道理に復活したようだ、さぞ喜んだであろう一部の男子生徒と再び潰すための画策を立て始めたであろう一部の女子生徒達。
『…まだまだっ ! もっと気を練るのじゃ、ジェニファーよ ! 』
『はぁあああああああああああああ ! 』
映画の方も会話の間に随分と展開が進展しており今は先ほどの女、ジェニファーがフロッピーディスクを取り戻すべくギアナ高原で師とともに修行の最中の場面であった。
ジェニファーが仁王立ちで手のひらを合わせ気合の雄叫びをあげている、彼女の周りからは黄金色のオーラが出ており彼女の体も金色へと変わっていく。
「てかよ、断られたにせよなんで代わりに行く相手が俺なんだよ、秋山誘えば良かったじゃないか…」
「誘ったとしても勝率は極めて0に近いがな…」
甲太郎が再び巌へと質問する、何故自分が一緒に行く羽目になったのかと、自分がいくのなら同じ学校の知り合いの美少女である秋山優衣を誘えばよかったのではないのかと。
そして、それに対しどこか困ったような顔で言う巌。
「それに彼女はちょっと、ない…」
「ああ、あぁ…まあ、あれは、言っといてなんだが…まぁ、ないわな…」
少し暗い声で呟く巌とどこか納得したように短い返事を返す甲太郎。
秋山優衣、とある意中の人のために転校生してきた彼女は転校初日に館内のほぼ全ての扉を蹴破り、教室でハイジャックまがいの行為を働き、数人を見せしめに蹴り飛ばした程の人物だ。
外見的ではなく性格的なものが合わないのだろう二人である、そもそも誘っても豪速球のストレートで断ってくるであろうが。
余談だが、『後日何か失礼なことを言われた気がする』という理由で頭を引っ叩かれた二人、恐るべき野生のカンである。
「じゃあ、来ないという選択を取ればよかったんじゃないのか ? そもそも、俺は何を見るかも知らずに誘われてホイホイ付いてきてしまったわけで」
しばらく口を付けていなかったジンジャーエールへ再び口を付けて言う甲太郎。
「どちらかと言えば俺はあの、『いこうぜ ! チャッピー』が見たかった」
続けざまに文句を言う甲太郎。
ちなみに、甲太郎が見たかった『いこうぜ ! チャッピー』とはスッポンの『チャッピー』と少年の感動動物物の映画である。
ラストシーンの少年のサッカーの大会の決勝戦の前夜に『チャッピー』自らスッポン鍋になり少年にスタミナを付けさせ試合に勝つシーンが一番の見所だそうだ。
「カップル優待割引券とはいえこの出費はきつかったから…もったいないしできるだけ見ときたかったんだ」
「道理でチケット切るお姉さんが俺らを見てドン引きしてたわけだ…」
また落ち込んだようにうつむき呟く巌とどこか納得したような様子で嫌そうな顔をする甲太郎。
『食らえっ ! 魔法剣エーテルちゃぶ台返し ! 』
『オコジョッオオオオオオオオオオ !!』
更に進展する画面内の物語。
今は丁度、イタチ科四天王の一人、おこじょの化身であるオコジョーに向かいジェニファーが止めを刺したところであり、巨大なおこじょが断末魔の叫びを上げている。
『ククク…やるなジェニファー…しかし俺はただでは死なんっ ! 』
血まみれでうつ伏せの状態で穿いているズボンの中へ手を突っ込み何かをごそごそと探すオコジョー。
『しねぇ ! 』
オコジョーが叫ぶと、いつの間にか手に握られた大型のボウガンから短い黒光りする矢が放たれる。
『 ! 』
しかし、ジェニファーはすぐにそれを察知し横へ素早く、少しだけ体をずらし回避する。
辛くも矢を回避するジェニファー。
しかし、なんと矢はまるで平面から立体化するように映画の上映されている画面から飛び出す。
「 ! 」
思わず映画を見ていた甲太郎が声を出さずに目を見開き驚き立ち上がってしまう。
ヒュッ !
と、まるで風を切るように飛んでいく黒光りする光沢の光る短い矢が客席の中心へと飛んでいく。
ドスッ ! という音が響き甲太郎の耳に入る。
瞬きをするまもなく飛んでいったその矢は甲太郎の真横を通り過ぎ隣にいた巌の腹部の中心、丁度へその少し上あたりへ突き刺さった。
「…ぐふぅ…な…っ…」
自分に何が起きたのか理解したのか自らの矢の刺さった腹部を信じられないような表情で凝視し、苦痛に満ちたうめきを上げる巌。
「馬鹿なっ ! 何だっ ! これは ! 」
隣の巌を凝視しそう叫ぶ甲太郎。
そして、どさり、と椅子から転げ落ち足元の床へと転げる巌であった。