北方よりの使者
春も半ば、涼しいくらいの気温が心地よい季節の事だった。
時は高校の一日の時間割の最後の時限、皆が終わるのを今や今やと待ちわびている時であった。
そんなときに先ほど放送で緊急の職員会議のため一部の教師以外は教室待機の指示が下されたのである。
「一体、どうしてこうなった…」
そう呟くのは耳が隠れそうな程のぼさぼさとした黒い髪、制服の黒いズボンに学ランのボタンが全て外れ中のシャツが見えているといういでたち。
そこそこに筋肉質な体つきに高身長、どこか精悍な顔立ちではあるが眠気を帯びた瞳、加賀見甲太郎だ。
加賀見甲太郎は信じられないといった表情で教室の窓際の自分の席から窓の外を見て呟いた。
教室中がざわめいている。
生徒たちや教師までもが驚いたように窓の外を眺めていた。
「ありえないだろ… なんでいきなりこんなことに」
「まあ、確かにこれはビックリだよね」
まだ信じられないといった表情で呟く甲太郎の横から少し凛とした声が突如聞こえる。
声の主は山音玲子のものであった。
相変わらず引っかかりの少ないスレンダーな体系にショートカットの髪に左目が前髪で隠れていて、余裕のある表情を浮かべている。
「自分のクラスにいなくていいのかよ」
甲太郎は机の上で頬杖をついて面倒そうに玲子に言い放つ。
「甲太郎君はこの状況でどうしてるのかなって、ちょっと気になって抜けだしてきたんだよ」
「いや、そこは大人しくしてろよ」
手を組んで真上に伸びをしながら答える玲子につっこむ甲太郎。
「でもまあ、確かにこの状況は異常だな」
「さっきまではぽかぽか春の陽気で昼寝したら気持ちよく眠れるような日々だったのに」
「ああ、突然の吹雪とはな…」
窓の外、甲太郎のいる校舎と向こう側の校舎の間の地面では雪が積もっており、外の風景が白く霞むほどの吹雪が巻き起こっていた。
「思ったんだけどさ、何か人の声みたいなの…聞こえない ?」
窓へ顔を近づけ耳をすませる玲子。
「ん ?」
顔をしかめ、玲子にならい同じく窓へ耳を引っ付けるように耳を窓へ近づける甲太郎。
微かにだが確かに聞こえる、甲高い何処か快調なリズムを刻んでいるようなそんな声だ。
「確かに聞こえるな…」
玲子の方へ顔を向け、同意する甲太郎。
そんな甲太郎の言葉に腕を組み、考え込むようなしぐさをする玲子。
「突然の猛吹雪に謎の歌声…」
「この吹雪はもしかしたら『超人』の仕業じゃないかな…」
『超人』、とある特殊な『ウィルス』によって遺伝情報をいじられ、その人間が望んだ機能を手に入れることができ、それによって特殊な機能を得た人間のことをある医者はそう呼んでいた。
甲太郎や玲子もその『超人』であり、その医者にならってそんな人間のことをそう呼んでいた。
「考えられんことはないな…」
ここ、甲太郎達が住んでいる黒金町は特にその『ウィルス』に適した環境であるらしく、『超人』が誕生する比率も高いのだ。
故にこれが『超人』の仕業であるという可能性は考えられなくもない。
「はーいちゅうもーく !」
突如、手をパンパンと叩き教室中に届く声を発する玲子。
「これから私と甲太郎君が外へ様子を見に行くので、何か防寒に使えそうなものをかき集めてほしい」
「はぁ !?なんで俺 ?」
玲子の言葉に自らを指差しすかさず文句を言う甲太郎。
「ほら、甲太郎君一回『超人』と戦って勝ったじゃない」
「ああ、巌の事か…」
少し前、何の因果か玲子に付きまうストーカー疑惑の男、鬼瓦巌と『超人』の特殊機能を用いた戦闘をし見事相手を気絶させるにいたったことのある甲太郎である。
「その時のことを見込めば行けると、私は思うね」
腕を組み何故か自身ありげな表情の玲子。
「加賀見っ !本当に行ってくれるのか !」
「マジかっ !甲太郎」
「加賀見君、私たちの放課後を取り戻してっ !」
「加賀見 !お前ってやつは…」
あちらこちらから甲太郎を応援するようなコールが響く。
「…言い伝えは…言い伝えは本当じゃった…」
突然、しわがれた老婆の声が聞こえる。
「…大ババ様」
呟くように言うクラスメイトの一人。
白髪でどこかの国の民族衣装のような服に樫の杖を携えた腰の曲がった老婆が教壇の影から出てくる、先ほどまでこのクラスで古典の授業をしていた古典の教師、剛堂寺ウメ世、通称大ババ様である。
「『その者 黒き衣をまといて 放課後近くの教室に降り立つべし 失われた大地との絆をむすび ついに人々を青き清浄の地にみちびかん』…言い伝えは本当だったんじゃぁあああああ !」
目を大きく見開き甲太郎をにらみつける様な視線を突き刺しつつ叫ぶように言う大ババ様。
「大ババ様っ !」
「大ババ様 !」
クラスメイト達が驚いた声を出し、皆が大ババ様に注目する。
「…」
何も言えず、何故か後に引けない気分になってしまった甲太郎、もはや行くしかないようだ。
建物の外は思ったとおりの状況であった。
学校にもとより植えられていた青々とした木々の上には雪が積もり、地面は誰も踏み入っていないため綺麗な白色に染まっている、校舎の屋根のヘリの部分につららができているところすらある。
「おお…さむいさむい…」
「お前がこんな事言い出さなきゃこうもならなかっただろうに…」
男と女の声が聞こえる。
二人の青い厚手のコートを着て、そのコートに備え付けられたフードを被った人間が歩いていた。
甲太郎と玲子である、先ほどの一件の後クラスメイトが何処からか探し出してきた全体的に青く、白い毛のついたフードつきのコート、エスキモーコートというのだろうか、それらしいコートに大ババ様が職員室から持ってきた大量の張るホッカイロを大量に貼り付け外に出た二人であった。
「でも、このまま誰か行かなきゃ状況が変わらない気もしてさ…」
「まあ、職員会議ってもこんな事例どうすりゃいいかわかんねぇだろうしなぁ…」
話しながら雪に足跡を付けつつ吹雪の中を進む二人。
「しかし、あれだな外に出てみると声もはっきり聞こえてくるな…」
「ああ、まるで歌っているみたいだねこの声…」
先ほど玲子が窓へ耳を傾け聞こえるといった声が外では明確に聞こえるのだ、二人にはそれはまるで軽快な調子で歌っているように聞こえた。
二人はその歌声をたどって歩いているのであった。
「それにしても、お前がそのコート着てると何かアイスマンみたいだな、目でかいし体系的にもそっくりだしその前髪なかったら本人だわ…」
「失敬な」
そんなこんなで二人は歩き続ける。
「この先は…校庭か」
「第一グラウンドだね」
校舎の調度曲がり角で二人は声の発生源と思わしき場所を突き止める、校舎の曲がり角の先の第一グラウンドからその歌声と思わしきものは聞こえる。
二人はそろりと忍び足で第一グラウンドへ近づく、確実にグラウンドから歌声が聞こえる、そして屈みこむと覗き込むようにグラウンドを見た。
そのグラウンドの中心にははっきりと人の姿があった。
腰の辺りまでありそうな黒い髪、玲子よりも頭一つ分大きいほどの背丈にほっそりとした体格、死人のように青白い肌に死装束のような白い着物に黒い帯、遠めで見てもわかる美しい顔立ち。
そんな人物がマイクを持って歌って踊っていた。
「…」
「…」
あまりになんともいえない光景に迷いを抱く二人。
確かにあれは吹雪の発生源と思われる、歌っている彼女の体から吹雪が飛び出し舞い散っている。
「甲太郎君、十万ボルトだ…」
「ちょっと待て…」
踊っている女を指差し攻撃の指示を出す玲子の肩に手を置き制する甲太郎。
「…先制攻撃よりもまずは落ち着こう、あれが何かを考えよう」
そう言うと、眉間に指を当て考え込む甲太郎。
「敵に対する考察ってやつだね甲太郎君」
「ああ…」
先ほどのポーズで考え続ける甲太郎を見つめ納得する玲子。
「…よしっ !」
考えるポーズを解き、グラウンドへ歩き始める甲太郎。
「何かいい策でも浮かんだのかい」
「ああ、こういうのは本人に直接聞くのが一番だ、ちょっと行ってくる」
結局何も思い浮かばなかったそうだ。
甲太郎が歌っている女へ近づくが女は気づかないのか構わず歌い続けている。
女に近づけば近づくほどびしびしと雪の細かいつぶてが体に当たり付着する。
そして、その甲太郎を盾にするようにちゃっかりと付いていく玲子。
「あのー…すみませーん」
女の射程内へ入り込んだ甲太郎はあたりざわりのない台詞で女へ話しかける。
しかし、女は聞こえていないのか甲太郎に構わずに歌い続けている。
「あのーもしもーし !」
今度は少し語調を強くして聞いてみる甲太郎、しかし女は相変わらず歌い続けている。
「すいませーん !きいてますー ?」
更に語調を強め、女の肩をつんつんと人差し指で突きつつ問いかける甲太郎。
すると、突いた人差し指が先のほうからこちこちと凍りつき始めた。
「なんじゃこりゃ !」
「えっ ?」
凍りついた指に驚き、大声を出す甲太郎とその声に気づきようやく反応を返す女であった。
「…そうですか、私のせいでそんな事になっていましたか」
しゅんと落ち込んだような表情で申し訳なさそうに縮こまる女。
「やっぱりこの雪は君の仕業だったのか…」
辺りを見回し、納得したように言う玲子。
すっかりと吹雪は止み、空には元通りの青空が広がっていた。
猛吹雪は女の歌と踊りが終わったとたんぱたりとその彼女の体から出るのを止め始めたのだ。
「ええ、実は私、いわゆる雪女というやつでございまして…」
「…何だって ?」
縮こまりつつも言う雪女に甲太郎が先ほどまで凍っていたが何とか解凍した人差し指にふうふうと息を吹きながら聞き返す。
「だから、雪女です…ちなみに出身地は岩手で将来の夢はアイドルです…」
「アイドルになるために山から下りてきて練習しているんですが…私が歌うと吹雪が巻き起こるんで行く先々を追い出されてしまいまして…」
「それで、少しでも被害を抑えようと広い場所で練習しようと思ったんですがこの有様…」
ぽつぽつと語り続ける雪女。
「…はぁ、こんな事ならもう山に帰ろっかな…どうしよっかな…」
そして雪女は縮こまったまま、体育すわりをしつつマイクで地面をいじいじと弄り回しながらぶつぶつといい始めた。
すると、甲太郎達の背筋がぞくっとする、一気に辺りの気温が下がったような気になる。
「いや…実際下がってるよこれ」
「おい、足元の雪がカチカチに固まって来てるぞ…」
がたがたと震える玲子と足元をどんどん叩く甲太郎。
どうやら、彼女の今の精神状態によって彼女の周りの気候や気温が寒い方向で変わるようだ。
「…とりあえず、俺が何とかするから気を治してくれ…このままじゃ凍死しちまう」
がちがちと歯の根が合わず震えながら言う甲太郎。
「本当ですか !?」
そんな、甲太郎の一言にぱっと顔を明るくさせ、思わず甲太郎の右腰に抱きつく雪女。
「こんな温かい人に会えるなんてうれしいです !奇跡です !」
「ぎゃああああああ !」
雪女に抱きつかれた甲太郎の右腰がどんどんと凍り始めていく。
「おぉ…甲太郎君がレオナみたく氷漬けになりそうだ…」
「わかった、わかったから離れてくれ !」
「ああっ、すみません、すみません」
凍りゆく甲太郎を観察する玲子と離れるように催促する甲太郎、そしてぱっと離れる雪女。
「とりあえず、教室に戻って何とかなりそうな方法を考えてみるか…」
「ここじゃ寒いからね…」
一時的に室内へ移動することになった2人そしてそれについてゆく雪女。
「ああ、こんなに真剣に考えてくださるなんて、本当にあなた達に出会えて良かった !?」
「いいから !私には抱きつかなくていいから !!」
抱きつこうとする雪女を必死に止める玲子。
どうやら、彼女を助けるには相当苦労しそうであった。