第1話 彼女の常識は、僕のそれとは異なっているらしい
初めまして。よろしくお願いします。
たまに忙しくなるだけの、穏やかな日常。
やることのない日は、一日中眠っていられる自由な国。
その中で僕だけが、言いようのない焦燥感に囚われていた。
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「勇者様が参られました」
「通せ」
伝令の声に、厳かな男性の声が答える。それを聞いた見張りの兵士が玉座の間の扉をゆっくりと開く。僕は最後まで開ききる前にその両開きの扉の間をすり抜けた。
玉座の間に入ると、扉から最奥に鎮座する玉座までまっすぐと赤いカーペットが敷かれており、それに沿うように全身鎧の兵士が意味もなく配置されている。
僕はカーペットに沿って進み、広間の中央で立ち止まった。どうやら今日、王妃は不在らしく、2つある玉座のうち一つは空席になっているのが見えた。
「お呼びですか?王よ。前口上は必要ですか?」
目の前で肘をついて座る偉そうな爺に話しかける。爺はひじをつくのをやめ、姿勢を正した。
「...いや、必要ない。早速だが、今回はゴブリン退治にでていただきたい」
ゴブリン。緑色の肌にぎょろぎょろとした目を持つ、基本的には性悪な小型の魔物だ。統一感のなく壊れた防具や武器を身に着けており、がむしゃらに殴るように攻撃する。つまりは弱い。
しかし、これは通常の場合だ。通常でない場合が存在し、その時は僕だけの任務になる。
「また『アノマリー』ですか?」
《アノマリー》は、定期的に不規則な場所で発生する災害だ。魔物の大群として現れる蝗害型や、竜巻などの災害として現れる地震型などがある。そろそろ発生してもおかしくない時期のはずだ。
「いや、そうではない。今回は、私の娘と共に退治をしてほしい」
「...へえ」
僕は口の中で小さく呟き、改めて玉座の男を見つめた。
先ほどまでの王としての威厳はどこへやら、今はただ、娘の将来を案ずる、どこにでもいる父親の顔をしている。思わず舌打ちが漏れた。
「一応、詳しく聞きましょうか」
勇者と王はある意味対等の立場だが、今の僕はこの国に滞在している。よほど面倒でなければ受けておくに越したことはない。
「どうやら娘が勇者殿に憧れたようでな。社会見学の一環として体験させてやりたい。」
「へえ、社会見学は結構ですが、その前にご自身と娘さんを正気に戻すのが先では?」
「貴様は...はあ、報酬は弾む。受けてくれないか?」
王は一瞬不愉快そうな顔をしたが、すぐに疲れたように息を吐いた。
明らかに面倒な用事だ。何かあった際のリスクを考えても、受けない方がよさそうだ。
「....ええ、わかりました。出発はいつですか?」
なぜか、思ったことと反対の言葉が出た。王は僕の言葉を聞いてほっとした笑みを浮かべる。
「感謝する。それで、出発についてだが」
「勇者様ー!!」
突如割り込んだ声に、心臓が跳ねる感覚がした。その奇妙な感覚で、声の主を察した。
「ノア。まだ話は終わっていないぞ」
「大丈夫!私が説明しますわ!!」
王の苦言を意に介さず、なぜか大扉から入ってきた王女---ノアは駆け足で僕の方へ走ってきた。いつも通りの無邪気な笑顔を浮かべた姿に、毎回違和感を感じる。
「こんにちは王女様。相変わらずお元気ですね」
「ノアで構いませんわ!ところで、いつ出発するのですか!?私はいつでも準備万端ですわ!!」
「それを今聞いたところだったのですが」
「つまり...ベストタイミングですわね!?」
「....」
ちらと横目で王を見る。見られた王はそれに気づいたのか、慌てて続きを話し始めた。
「準備さえできていれば、明日にでも出発してもらいたい。」
「それは急ですね。何か特別な事情でも」
「...まあな。とにかく、ノア、準備は終わったのか?」
咎めるように王がノアを睨む。ノアはさらに笑顔になると
「もちろんですわ!見てくださいこれ!!」
そういってノアは宝石の埋め込まれたバッグを掲げた。おそらく、空間魔法の施されたものなのだろう。その中に必要な荷物を入れているらしい。
「で、何が入ってるんですか?ノア王女様」
「ふっふっふ、よく聞いてくれました勇者様!あとノアだけで構いませんわ!」
あまりのテンションについていけない。明日、これを引き連れて雑魚討伐に行かねばならないと考えると辟易する。
僕が要求する報酬を引き上げようと決心する中、ノアはバッグから次々とアイテムを取り出していく。
「回復薬に、予備の服10着、これは図書館の本棚ですね」
取り出された豪華な装飾のついた本棚を見て、王が頭を抱えた。
「本棚は今すぐ返してきてください」
「王族なのでやりすぎない程度なら持ってきても大丈夫ですわ!」
「それにしても多すぎです。アイテムを取り出すときの邪魔になるので10冊程度にしてください」
「それだとすぐ読み終わってしまいますわ!」
「まず本を読む時間なんてありません。返してきてください」
「なるほど...過酷なのですね!!」
「ええ、過酷です。返してきてください」
「わかりましたわ!」
ゴブリン討伐程度で過酷も何もないが、とりあえずは無駄な荷物を減らさせることが重要なのであえて訂正はしない。
王女がドレスをはためかせて去って行った後、気を取り直した王が言った。
「とりあえず、応接間に移動するぞ勇者殿。またノアが乱入しては話が進まん」
僕は黙ってうなずいた。