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OLYMPOS  作者: 天津石
5/5

Deus ex machina


 フーリエの容態が急変したのは、四日目の朝だった。


「暑い、暑いよ」


 声を張ることもなく、フーリエはだらだらと汗をかきながら不満を呟いた。


彼女の発言には疑問が残る。車内の温度は適正なのだ。


宇宙船の中と比較しても、小数点以下の誤差に留めて調整されており、フーリエが特別暑がりというわけでもない。


消沈した様子の彼女が回らない呂律で車内の気温に文句を言い始めたのは昨日からだ。


はじめは脈絡もなく着込んでいた服を脱ぎ始めたので先日の二の舞、凍傷とならぬように必死に押さえた。


「なあマリナ、フーリエの様子が明らかにおかしい」


「ええ、恐らくは火星病、地球でいう所の高山病のような状態ね。宇宙空間から船内を減圧せずに火星の大気圏に突入して、急激に火星の低温大気を吸い込んだ……私のミスね」


 マリナは俯き、ハンドルから離した手でフーリエの頬をそっと撫でた。


「マリナに責任はない。だが、なんとか治せないか?症状を和らげる薬でも良い。直感だが、このままではまずい気がする」


「出来ることはすべてやっているわ。車内は精密機器工場と同等のクリーンレベルまで陽圧されているし、取り込む外気もオゾンディフューザーに通している。あとは彼女の力信じるしか無い」


 マリナは唇を震わせて言葉を絞り出した。


「そんな……」


「とにかく、今できることはとにかく西に進むことだけ。生きている集落があれば、彼女を治療できるかもしれないわ」


 マリナの言葉に、嘘偽りは無い。希薄であろうとも、希望があればそこに賭ける。彼女はそういう性格なのだ。


 しかし現実は残酷だ。ドライアイスの吹雪は三日三晩止むことなく、俺達は立ち往生するよりほかなかった。


フーリエは目に見えて衰弱してゆき、ついには食べ物を口にすることもなくなった。


 火星病の症状に加えて、両親の喪失という少女にはあまりにも残酷な事実。


沈黙が支配する車内では、よく喋り、よく笑っていたはずの少女のか細い呼吸音だけが響いていた。


「マリ……ナ」


 フーリエがマリナの腕を、指先でちょいと引っ掻いた。


「フーリエ、どうしたの?お腹すいた?フーリエにおすすめのスープがあるの!温まるわよ」


 フーリエはゆっくりと頷いて、今度は俺の方をじっと見た。


「アスト……ラ」


「おう、フーリエ。そろそろ遊びたくなってきたんじゃないか?何をして遊ぼうか、俺の角を引っ張るの以外で頼むぞ」


「えへへ……」


 フーリエは力なく笑うと、ゆっくりとした手つきで俺の角をぎゅっと握った。今の彼女の体力から繰り出される、精一杯のいたずらだった。


「フーリエ、スープが温まったわ」


 マイクロ波調理器で加熱されたトマトスープが、フーリエの口元に運ばれる。


彼女が熱いものに敏感であることを熟知しているマリナは、すくったスープを自らの吐息で冷ましていた。


 くんくんと匂いを嗅ぎ、ぺろりと舌を出したフーリエ。


「あち、やへろひひゃった、えへへ」


 やはり彼女には熱かったのか、ただれた舌を見せて力ない笑顔を作った。


「ごめんね、ごめんね」


 ほどなくして、フーリエが繰り返す。


「あなたが謝ること無いのよ、フーリエ」


「わたしが、飛び出しちゃったから」


 フーリエはその小さな体に、研究自治区での後悔を募らせていた。


「良いんだ、家族が危険な目に合えば、俺だってそうしている」


「わたしね、火星に来れて良かったよ」


「ああ、俺も良かった。フーリエと一緒にいると退屈しないからな」


 少女にかける声が、乾いていることを自覚した。眼前の少女の内に灯る、ろうそくのような生命の灯火が揺らいでいるように見えて、無力感を感じさせた。


「なんだか、眠くなってきちゃった」


 目を擦って、フーリエは俺の膝で丸まろうとする。それに待ったをかけたのは、マリナだった。


「アストラ、声をかけ続けて。眠らせてはダメ、昏睡状態になってしまうわ」


「そうだ、フーリエ!この間観た映画の続きなんだが、どれから観ればいいと思う?いろんなヒーローのお話があって選べないんだ。フーリエの好きなヒーローのやつから観てみようと思うんだが」


「えへへ、私の好きなヒーロー?……うーんとね、アストラ」


「俺か?俺があんなヒーローたちの仲間入りか?」


「うん」


 フーリエはあまりこちらの話に興味を示さなくなっていった。丸まって眠ろうとしていたかと思えば、今度は空に向かって話し始めた。


「お母さん、えっとね……今度は、お友達を連れてくるね」


「お父さん、わたしね、また湖に遊びに行きたい」


 幻聴か、防御反応か。どうやら彼女には両親が見えているようだ。


「フーリエ!フーリエ!」


「ごめんね、アストラ。お父さんとお母さんが呼んでいるの」


「フーリエ!」


「マリナ、わたしも大きくなったら、マリナみたいになりたいな」


「ええ、あなたならなれるわ、フーリエ。だからもう少し、もう少しだけ頑張って!」


「うん。ちょっとだけ、ちょっとだけ休んだら、頑張ってみる、よ」


「フーリエ!」

 呼ぶ声に、彼女は応えなくなった。ろうそくの火が消えるように、ひとしきり続いた吹雪は、小康状態へと遷移していた。


 胸の奥に、穴がぽっかりと空いたような感覚が迫る。否、それはもともと空いていた穴を埋めていた少女の存在を失って初めて認識する喪失だった。


「間に合わなかった……」


 マリナは、フーリエの手に額を当てながら、静かに涙を流していた。ただ、膝の上で丸まったまま動かなくなった少女に手を触れる。


ぽつりと、少女に雫が落ちた。


「あ、あ……」


 俺は泣いていたのだ。初めてだった。


 空腹に苦しんだときも、痛みに悶えたときも涙一つ流さなかったのに、フーリエという少女の喪失は、俺の心臓の中に眠っていた感情を呼び起こしていた。


 それからどれほど経っただろう。声も涙も枯れ果てて、ついには自身の乱れた呼吸を知覚するのみだった。


「フーリエは残念だった。私も悲しいわ。彼女の明るさに、何度救われたことか」


「ああ、だがここで止まるわけには行かない。そうだろ?」


「その通りよ。彼女が導いてくれた超小型反応炉(マイクロリアクター)があるんだもの。吹雪が止んだ今こそ、車を進めるべきよ」


 マリナはハンドルをぎゅっと握り、アクセルペダルを踏み込んだ。


 フーリエと、その両親がもたらした無限の動力。それらを使わずして何が彼女のためになるのか。


 半ば暗示のようにも感じられたが、それでも進み続けるよりほかなかった。


 数日間落ち着いていた天候も、俺達が吹雪から逃げることを許してはくれなかった。


「今日は、いつにも増してひどいな」


「ええ。――二時の方向に岸壁がある。岩肌沿いに進んで吹雪を凌ぎましょう」


「賛成だ」


 車両を岩肌に寄せ、前進する。まるで人の手が加えられていない荒々しい岩肌が迫りくる様子は、故郷を思い出してどこか懐かしい気持ちにさえなった。


 岸壁沿いに進むことで、吹雪はかなり軽減された。眼前が激しく吹雪いていても、地形探知システムで岩壁との距離が分かればある程度容易に進むことが出来たのだ。


「どうした?」


 不意に、車両が停止した。


 マリナがブレーキを踏んだのだ。圧縮空気が放出され、車体下部の雪が舞い上がった。


「見て、アストラ」


「なんだ、こいつは……」


 いつの間にか眼前にそびえ立っていた巨大な人工物。


 地球では考えられないような構造と規模で立ちはだかるチタン合金製の防壁は、異物の侵入を拒むがごとく無機質にそびえ立っていた。


「分からない。私の知る限りでこんなものはなかったわ」


「なんだそれ。アカツキ・インダストリの幹部でも知らない情報があるのか?」


「そうじゃないわ。恐らくだけど、この壁のようなものは十五年前、私が火星を離れた時よりも後に作られた可能性があるということ」


 マリナは極めて冷静に分析する。その発言を聞き、ようやく彼女の意図が汲み取れた。


「ということはつまり……!」


「ええ、ここは新興の集落である可能性が高い!」


 防壁のすぐ近くまで車両を寄せる。警戒色があしらわれた認証ゲートのすぐ前までやってきたが、その防壁はまるで異物を寄せ付けない免疫のごとく反応すらしなかった。


「頭にきた、やってやるわ!」


 久々にマリナの悪い顔を見た。中央のディスプレイからケーブルを引っ張り出し、どこからか取り出したスマートグラスと分離型キーボードで不明な文字列を入力し始めた。


 これはおそらくあれだ。スパイ映画に出てくるハッキングのようなものだろう。


 時々鳴る電子音や警告音に唸り声や文句をぶつぶつ唱えながらも、マリナは十数分におよぶコード入力を終えてゲートを解錠した。


「ふふ、どんなもんよ!」


「――流石だな」


「もっと褒めても良いんだけれど」


 上目遣いでこちらを見るマリナに、ため息をついた。


 どうしてやろうかと考えていた最中、重厚な音が響く。ゲートが閉じ始めたのだ。


「マリナ!前だ!」


「ああもう!」


 マリナがアクセルを踏み込む。最大限の動力発揮を指示されたモーターがタイヤを高速で回転させ、車両をゲートの内側へと押し進めた。


 ゲートの内側は暗く、視界の確保がまるで出来なかった。


 マリナがハンドル基部から伸びるスイッチを操作すると、車両前方に設置されたハロゲンライトが点灯して前方の空間を明るく照らした。


 前方に見えたのは、車両全てが収まるほどの巨大な斜行エレベーターと、地下へと続く大空間通路だった。


「なんだ、これは……」


「分からない。でも電力系統が生きていたし、ゲートを閉じるためのセキュリティシステムの類も動作していた。とにかく、今は前へ進むしかない」


 マリナが慎重な様子でハンドルを握る。ゆっくりと前進した車両はエレベーターの安全柵内にわずかな余裕を持って収まり、エアブレーキの排気音とともに制動した。


 静寂の後、耳障りなほど大きなブザー音が鳴る。下部より感じた振動と前方の回転灯が知らせるように、斜行エレベーターが動き始めたのだ。


 天井部分に設置された蛍光灯が、通電音とともに地下に向かって順番に点灯していった。


「驚いた。火星ではこんなものまで数年で作り上げてしまうのか?」


「火星は地球に比べると重力が弱いから、地球では成り立たない構造でも耐久性を保てるの。つまり建設機械も、施設も大型化と効率化をしやすいのよ」


「なるほどな」


「でも、こんな大がかりな施設を作るなら別。これはきっと入念に計画されて、確実に進行された大プロジェクトよ」


 マリナの言葉には、アカツキ・インダストリによる火星技術への誇らしさと、己の知り得ない事業の完成度に対する嫉妬のような含みが感じられた。


 ゆっくりと降下する斜行エレベーターはやがて終端へと達し、車両を阻む安全柵は一方向に格納された。


 降りた先の空間は、それほど広大ではなかった。数字が割り振られたいくつもの隔壁が周囲にずらりとならんでおり、転回するほどの余裕がない床部分には転車台のような装置が埋め込まれている。


 この場所が車両用の格納庫および発着所の用途に供されていることを認識するのに時間はかからなかった。


不透過膜(スモーク)通電(オン)


 マリナが信号を入力すると、探査車両の周囲を覆うガラスが半透明に濁った。


 何のための措置かは分からなかったが、扉の向こうから小銃で武装した数人がやってきたことを認識してそれらへの備えであることが理解できた。


「アストラ、一度だけ『あなたの設定』を伝える。覚えて――」


「ああ」


 マリナはいざとなれば何やら演技でもするようだが、その真意は理解しがたかった。


『不明車両に次ぐ。エンジンを切り、何も持たずに下車ののち、こちらの質問に回答せよ』


 拡声器から男の声が響く。「降りるか?」と聞くと、マリナは待機を指示するハンドサインを見せて頷いた。


「私が、責任者です」


 マリナは普段のきびきびとした動作とは打って変わって、極めて女性的な仕草で扉から降りていった。


「なぜこの場所を知っている。目的を話してもらおうか」


 男の一人が銃口を上げ、マリナに迫る。


「や、やめてください!敵意はありません!お願い、銃を向けないで」


 体全体で銃を恐れるように腰を引くマリナ。


「銃を下ろせ」


 リーダー格のような男が出した指示を他の隊員たちは遵守した。大げさにため息を付いたマリナに、男がさらに問いかける。


「気を悪くさせてすまない。警備が我々の仕事なんだ。いくつか質問をさせてもらっても構わないか?」


「え、ええ」


「まずはここへの侵入についてだ。ゲートは閉じられていたはずだが、なぜ侵入できた?」


「それについては謝らなければなりません。私がゲートに不正アクセスをして解錠したんです。彼らを助けるために……」


「彼ら?車内に人がいるのか?」


「ええ、ただし、絶対に銃を向けないでください。彼らはすごく怯えています」


 男の間に割って入るような仕草でマリナが扉を開ける。


 俺はマリナの指示通り、人間を信用しなかったあの頃の目つきで男を睨みつけた。


「こいつは……!」


「どうか銃を向けないで!彼は雪原で倒れていて、私が保護したんです」


「――君はどこから来たんだ」


「研究自治区周辺の穴蔵で数人の仲間と共同生活をしていました。枯渇しかかった物資を巡って争いが起きて、恐ろしくなった私はこの車両で逃走しました。その途中で出会ったのが彼です。見た通り獣人で身体も大きいですが、ここに至るまで決して悪さはしていません」


 マリナは自身の胸に手を当て、訴えかけるような口ぶりで男の目を見た。


「私がここを見つけたのは偶然です。ですがどうか、私たちを難民として受け入れていただくことは出来ませんか!」


 マリナの声が、男を動かしたように見える。だが彼らは、実に優秀な警備隊であった。


「あなたには同情するが、私の一存で貴方がたの処遇を決定はできない。そして気を悪くしないでもらいたいが、獣人の受け入れについては我々のボスの判断が必要になる」


 俯いた男。マリナは首をひと回しして、俺に合図を送った。


「そうだろうな、どこにいっても俺達は忌み者だ。お嬢さん、助けてくれたことには感謝するが、俺達は肩身狭い思いをして生き永らえたいわけじゃない。ここから出してくれ」


 可能な限り、冷たく言い放つ。


「待ってください!どうか彼を、彼だけでも助けていただけませんか?」


「必要ないと言っているだろう、獣人への同情はよせ!偽善だ」


「そんな……」


 マリナはしゅんと肩を落とす。心からの信頼を寄せているからこそ言えた言葉だが、彼女の反応を見てわずかに心が痛んだ。


「私は一介の警備兵だから参考程度にしかならないが」


 警備兵の男が見かねたように口を開く。


「一つ情報をお伝えすると、我々のボスは頼りがいのある獣人だ。だいそれた事は言わないが、少しは希望を持っても良いかもしれないぞ」


 リーダー格と思しき男は次点の隊員に場を任せ、その「ボス」とやらを呼びに退出した。


 気の遠くなるほど待たされたのち、現れたのはいくつもの階級章や飾緒を携える厚手の軍服に身を包んだ犬面の獣人だった。


「――お嬢!」


「バルト!?」


 犬面の獣人はマリナを司会に捉えるやいなや反射的に叫んでいた。対するマリナも顔なじみなのか、その男を「バルト」と呼称していた。


 状況が理解できない。だがそれは、彼ら警備兵も同じだろう。バルトと呼ばれた犬面の男が席を外すように指示すると、警備兵たちはそろって格納庫を後にした。


「アストラ、演技はおしまい」


「マリナ、説明しろ。どういうことだ」


 訝しむ様子を隠しきれずにマリナに詰め寄る。対面する犬面の男もまた、ため息を付いて首を振っていた。


「彼はバルト。アカツキ・インダストリ最高幹部の一人よ」


「バルトだ。今はこの峡谷集落の統治と管轄を行っている。アストラと言ったか。歓迎しよう」


 バルトと名乗る男が手を差し出す。まるで狼のような顔立ちの彼の握手には応じたが、俺の方は依然状況を理解するには至っていなかった。


「立ち話もなんだ。集落を案内しよう」


 バルトに案内され、隔壁の向こう側へ通じる通路を抜ける。その先に広がる光景に、思わず息を呑んだ。


 氷点下の気温と猛吹雪が当たり前だったこの凍りついた星の地下に、温暖な環境に整えられた巨大な集落が存在したのである。


 地下とは思えない、極めて明るい大空間。赤い岩肌に埋め込まれた無数の照明がまるで自然光のような役割を果たしており、行き交う人々にも活気がある。


 収穫された野菜や果物を売る露店や服屋、煙草や菓子、パン、そして蜂蜜まで売られている。


 バルトが言うには、それらは全てこの集落内で生産され、流通しているのだという。


「すごい……」


 マリナは本心から、その言葉を発していた。マリナの認識では、火星最大の都市は研究自治区だった。


 火星随一の科学技術と工業力、そして未来の観光資源になりうるとまで期待されていたかつての大都市と比較しても、この集落は幾分か大きいのだそうだ。


「マリネリス峡谷」


 集落内の通路を歩きながら、バルトが口を開く。


「火星の赤道沿いに位置する巨大な峡谷だ。深さ数キロメートルにも及ぶこの峡谷の岩盤は宇宙放射線シールドとして機能している。岩壁の溶岩層は優れた蓄断熱効果を発揮し、太陽からの熱収支をかろうじて保てている。物資のやりくりはまだ課題が残るが、少しずつではあるが生産性も上がってきた」


 複雑に入り組んだ立体交差通路や螺旋階段、そしてトンネルを進み、バルトの執務室に通された。


 彼によるとこの集落唯一の欠点として、複雑な地形によって利便性が悪いことだという。


 バルトは大きな机の向う側にある自身の椅子に腰掛け、仕切り直しと言わんばかりに切り出した。


「遠路はるばる歓迎、と行きたいところだが、私の立場上、君たちを尋問しなければならない」


「私が話すわ、バルト」


 マリナが前に出る。


「お嬢、なぜ火星に来た?」


「決まっているでしょう。私がそうしたかったから」


「では隣にいる彼は?望んでやってきたというのか?凍りついたこの星に」


「ええ、そうよ――」


「彼に聞いている」


 マリナの言葉を遮って、バルトが釘を差した。


 めったに怯まないマリナが気圧されて沈黙した。彼女に視線をやるが、目は合わなかった。


「確かに俺はマリナから勧誘される形で地球から来た。だが、それは俺がこの星に期待し、選択した結果だ。彼女は俺に強要していない」


 本心から答える。バルトは少しの沈黙の後、もう一度口を開いた。


「お嬢、もう一度聞く。火星に何をしにやってきた」


「それは……」

 マリナが言葉をつまらせた。普段の毅然とした態度とは全く異なるその不自然な応対に、疑問を隠せなかった。


「図星だな。アストラ、君はお嬢に利用されているぞ」


「――違う!」


 マリナが叫ぶ。これまでで最も、彼女が感情的になった瞬間だった。


「いいや、違わないな。おそらくお嬢は話していないだろう。アストラには私から伝える」


 バルトは息を吸い、意を決したように口を開いた。


「オリンポス作戦は、十年前に失敗している」


「なんだと!」


 思わず声を上げた。作戦の概要はマリナから伝えられていたし、プランが予定通りに進んでいない現在も、マリナはオリンポスを目指して最大効率を追求していた。


「やはり言っていなかったか。都合の悪いことを隠すのは君の悪い癖だ、お嬢」


「違う!私は勝算があるから火星まで来たの!頭でっかちに突っ走っているわけでは決してないわ!」


「論点をすり替えるな。結果だけを考慮して辻褄を合わせることがどれだけ危険な綱渡りか分かっているのか?ここに来るまで、何回彼を危険に晒した?犠牲者を出していないか?」


「それは……」


 マリナは顔を真っ赤にして俯いた。無邪気に駆け回る、少女の姿が脳裏に過った。


「お嬢、私はアカツキ博士――君のお父さんと同じように君がこの星を愛する気持ちはわかる。私も同じ気持ちだ、出来ることならこの星を救いたい。だが、この星はいま氷河期なんだ。惑星の気候を変えられるほどの科学力は、今の人類には存在しない」


 バルトが諭すようにマリナに語りかける。マリナはこらえきれずに、ぽろぽろと涙をこぼした。


「だから私はこの峡谷を開発した。実際に回ってみてどうだった?少しずつではあるが、火星は文化的な生活水準を取り戻しつつある。これから推進するのであれば火山の人工噴火ではなく、地下都市の開発のほうが現実的で、確実だ」


 論理立てて話すバルトの話は、妙に説得力があった。いや、実際にこの男は慎重派で現実主義なのだろう。


 常に理想を追い求め、人類の可能性を探究するアカツキ博士の側近として彼を支えてきた経験のあるバルトは、博士が失踪した今となってはこの集落を治める指導者となっていたのだ。


「話の途中ですまないが、聞いても良いか?バルト」


「ああ、構わない」


「オリンポス作戦の失敗について、だ。どのような経緯で失敗したかを聞かなければ納得は出来ないだろ」


「簡単な話だ。オリンポスは噴火しなかった」


 極めて冷静、かつ冷酷にバルトは言い放つ。


「私は当時結成された『オリンポス隊』の一員だった。極限環境に耐えうる十二人の獣人たちで構成された登山部隊を私は先頭で指揮した。過酷な山登りを耐え抜いた先にあるのはカルデラへの降下、そして爆弾の設置と起爆。極限状態で遂行した作戦が失敗に終わった時、すでに半数以上のものが息絶えていた。そんな仲間を置き去りにする下山行程、その途中で私以外の全員が、命を落とした」


「そんな……」


 思わず絶句した。バルトが語る、あまりにも過酷な体験。バルトの瞳は、懇願のような涙が溜まっているようにも見えた。


「お嬢。どうか、どうかその身を危険にさらさないでくれ。失意の中、仲間が次々と倒れてゆく――あんな思いをするのは、私だけで十分だ」


 先程の高圧的な口調とは変わって、バルトがマリナに掛ける言葉は本心からの心配と安息の願いだった。


「私は、諦めない」


「マリナ……」


 隣でぷるぷると震えていたマリナは、くしゃくしゃの顔のまま、バルトを見据えた。


「私は火星が好き。この星から見える、満天の星と二つの月が彩る夜空が好き。淡く青い、この星の夕焼けが好き」


 嗚咽混じりに、マリナは続ける。


「北大洋の海岸に出来る、きらきら輝く塩の柱が好き。大きな建設機械と建物が立ち並んで、どんどん発展していくこの星が好き。自己満足かもしれない、危険かもしれない。それでも――」


 マリナは、その小さな両手で、俺の手を取る。


「私は、この星をもう一度輝かせたい……!」


 俺が返す言葉は、決まっていた。



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