表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
OLYMPOS  作者: 天津石
3/4

Ark


「今日はここまでにしましょう。上々ね、アストラ」

「ああ、もう良いのか」

 低酸素室でのトレーニングを終え、息を切らしながら満悦な様子のマリナに間の抜けた返事をする。彼女によれば俺の体力と筋力、そして環境適応能力は火星の過酷な環境に十分対応できるのだという。

 座学と称して使い道があるのかどうかわからないような知識ばかり教えてくるマリナに少しはうんざりしたが、平然とした会話を人間と行えること自体が思えば不思議だった。

「アストラ!マリナ!トレーニング終わった?遊べる?」

 トレーニング室の扉が開く音を察知したフーリエが、ぱたぱたと駆け寄ってくる。

「フーリエ、ごめんなさい。私は用事があって少しの間留守にするわ。今日はアストラと遊んでね」

「えへへ、わかった!」

「うわっ!飛びつくな!」

 フーリエが並外れた跳躍力で頭に飛び移ってきた。フーリエは俺の頭の上を定位置だと思っているらしく、最近は角の上に顎を乗せるのが好みらしい。

 そんな俺達を見て、マリナは目を細めて笑った。

 マリナ・アカツキという女は、関われば関わるほど謎が深まる不思議な存在だった。大国のお偉いさんにも顔が利き、火星の環境を再現した巨大な研究施設にも平然と出入りをするのにもかかわらず、宇宙船の建造や打ち上げ計画に関しては驚くほどに自由が効かないのか常に頭を悩ませている。

 聞くところによると、火星開発を独占したのちにその環境を破壊したという濡れ衣を着せられた「アカツキ・インダストリ」は地球の宇宙開発事業者の中で締め出しを食らっているらしい。

「なんだ、どこか出かけるのか」

「ええ、ようやく打ち上げの目処がついた。あなたの話を聞いてから彼らに接触するのは気が引けるけど、手段は選べない」

 彼ら、と呼ばれているのはマリナが雇った傭兵団、もとい非合法カルテルのことだ。フーリエの身体そのものを目的としている彼らに彼女の身柄を引き渡す契約を結んでいるマリナは、彼らの協力を得る必要がありながらもフーリエの身柄を守ることを俺に約束した。

 いくつかの疑問が残ったが、マリナは「うまくやるわ」とだけ言い残し、研究所を後にした。残された俺達は特に何かを指示されたわけでもなく、数日の間、思い思いに過ごした。

 俺達の待遇は、まるで主要国の要人だ。研究所の敷地外に出ることばかりは叶わないが食べたいものがあればすぐに取り寄せが出来るし、娯楽にも困らない。俺は特に娯楽がなくても日光を浴びながらのんびりしているだけで十分だったが、幼い少女であるフーリエはそうもいかなかった。特に彼女は地球の多様な生態系に興味を示しており、モニター室で観た映像から学習しては俺に花や虫、鳥の名前を教えてくれた。

「ああ、その果物は俺も知っている。食ったことはないが、甘くて美味いらしいな」

「職員さんが今日買ってきてくれるって!」

「そうか、そいつは楽しみだ」

 はじめは鬱陶しかったフーリエとの会話も、気がつけばそれなりに気に入っていた。フーリエは獣人でありながらも、人間と積極的に関わり、また受け入れられている。恐ろしい巨体や角を有しない上に顔はほとんど人間だ。彼女に対してほんの僅かな嫉妬が生じてしまっていることを自覚した自分が少しだけ恥ずかしかった。

「すっかり打ち解けたみたいね、良かった良かった」

 ふらりと舞い戻ってきた声の主――マリナは、どこか他人事のように無機質な声を張った。

「マリナ!おかえり!」

「ただいま、フーリエ。アストラに意地悪されなかった?」

「いっぱいされたよ!」

「そんなわけあるか!」

 フーリエも、軽口を叩くくらいには信用してくれたようだ。変にいじられるのは内心複雑だったが、悪い気はしなかった。

「早速だけど、今夜出発する。少しだけスリリングな旅程になると思うから楽しみにしておいて」

「わかった!」

 フーリエは無邪気に頷くが、俺の方はというと最悪な気分だった。マリナが軽口を叩くときは、とんでもなく過酷な状況が待ち受けている気がしてならないのだ。

 というのも、故郷の山から異国に渡り、この研究所に移動するときですら、気流が複雑に入り乱れてるが故に到底旅客機が進入しないであろう岩山の間の危険空域を縫うように飛行するし、経由地の飛行場に着いたかと思えば乗っていた飛行機ごと分解され、「あくまでも航空機部品を輸送する貨物機」でやってきたわけだ。

 フーリエは携帯端末で視聴していたという昔のアクション映画のようだと心を躍らせていたが、俺はそうではない。マリナに協力するとは言ったが、火星に飛び立ってすらいないのにこんなに危険だとは聞いていないからだ。

 そしてその予感は、見事に的中した。

 特別に配備された民間の宅配トラックに扮した車両の貨物庫部分に乗せられ数時間。巨大な飛行場に到着したかと思えば急かされるように降車を促され、今度は漆黒のピックアップトラックの荷台に身を潜める。

 計器の故障で「たまたま」緊急着陸していた可変翼爆撃機に乗り込むと、凄まじい加速を味わいながらものの数分で空へと飛び立った。

「ふう、とりあえず一段落ね」

「マリナ、説明しろ!なんでこんな危なっかしい移動になるんだ!」

 超音速で飛ぶ爆撃機の居住区画。まくしたてるような剣幕でマリナに詰め寄った。それでも彼女は嬉しそうに口角を吊り上げ、

「私だっていろいろ足がついているの。忙しなかったのは認めるわ。でも、この間みたいに撃たれたりはしなかったでしょ?」

「当たり前だ!――なんというか、こう、もっと穏便に行けないものなのか」

「十分穏便だとは思うけど。何がそんなに気に食わないのかしら」

「全部だ!全部気に食わねえ!いいか、せめて事前に何をするか伝えろ!そうでないと肝がいくつあっても足りねえ」

 食らいつく勢いでマリナに言葉をぶつける。どんな状況でも涼しい顔をしているマリナに対して、ため息をつくしかなかった。

「ごめんない、少しだけ楽しんでもらおうと思ったのは本当なの。全部話すわ」

「はじめからそうしてくれ」

 少しだけしゅんとしたマリナに、ばつが悪くなって尻すぼみに口をつぐむ。

 が、しかし、

「ふざけるんじゃねえ!」

 マリナから作戦概要を聞くと、思わず声が出た。そんなやり取りを見て、フーリエは相変わらず笑っていた。

 マリナから伝えられた作戦はこうだ。まず、激しい戦いに備えて機内にて数時間の休息を取る。その後居住区画から爆弾室に移動し、格納してあった特殊滑空機(グライダー)に乗り換える。

 高高度を飛行中の爆撃機から空中発進したグライダーは夜の闇に紛れながら滑空を続け、夜明け前に発射場が存在する地球最大の湖へと着水する。

「どうだった?宣言通りほとんど予定通りだったと思うけど」

「独裁政権の対空砲火を浴びてよくそんなセリフが言えるな」

 ちゃぷちゃぷと波が打ちつける湖岸。着水したグライダーの分解処理を手伝わされながらぼやく。

「アストラは心配しすぎなのよ。実際のところ奴らの高射砲は一発も当たっていないでしょ」

「ああそうだな、結果論で言えばそうだ」

 マリナに言いくるめられ、悔しいがこれ以上反論したところで彼女のやり方が改善されることは無いだろう。ならばせめて、もう彼女の言いなりになってしまおうかとすら考える。これらの作戦は無謀と感じるが、幾度もの計算の末導き出した最適解なのだろうと推測が働いた。

「まったく、山を出てから良いこと無しだ」

「そうでも無いわ、アストラ。この景色は、あなたを驚かせる自信がある」

「そんなわけが……」

 脱力気味にマリナの視線を追うと、思わず息を呑んだ。

 日の出だ。高山で見るぎらぎらとした突き刺すような日差しではない。立ち込める空気に和らげられぼんやりと輝く朝日。それに照らされて存在を顕にしたのは、無数の鉄骨に支えられた巨大な構造物。天まで届かんと放物線状に伸びる、鋼鉄の梯子だった。

「これは……」

電磁発射台(マスドライバー)『カラドボルグ』。地球最大の湖の上に建設された、地球最大の貨物輸送プラットフォームよ」

「すっごい!大っきいね!アストラよりも大っきい!」

「それは当たり前だろう」

 フーリエも興奮した様子で跳ね回る。どこか調子の外れた回答しか返せなかったのが心残りだったが、陽光を受けて鈍く輝くそのマスドライバーは、見るものを圧倒する巨大さを誇っていた。

『カラドボルグ宇宙港』。伝説の剣の名を冠する巨大なマスドライバーを中心に発展したこの宇宙基地は、主に二つの区画で構成されている。企業が拠点を置くオフィスエリアと空港・湖港・宇宙港の三要素を併せ持つ宇宙港エリアだ。管制塔とオフィスの機能が混ざりあった地球で最大の高さを誇る超高層ビルはよく目立ち、マスドライバーにも引けを取らない存在感を放っている。

 この場所がマスドライバーの建設地とされた理由はいくつかある。巨大な湖に面して建造されているために輸送飛行艇による重量運搬物の受け入れがしやすく、発電用反応炉を冷却する水の入手も容易であるためだ。それでありながら年間を通して安定した乾燥気候と晴天の多さが発射の確実性を担保するため、当初は産油拠点に過ぎなかった都市が宇宙開発バブルの中で急成長を遂げたのだ。

 一国の首都機能も担うこの宇宙都市はかつて多くの企業が拠点としていたが、その立ち位置に胡座をかき、引き上げ続けた発射台使用料が企業の反感を買った結果、街は廃れ、設備維持費もままならなくなってしまたのだという。

 人の手が入らなければ、巨大な発射台はやがて塩湖に蝕まれる。砂と錆にまみれたそれは、依然として存在感を放つもののかつての栄光は乏しく、ときどき鋼鉄が軋む悲鳴を上げながら朽ち果てるのを待っているのみだった。

「使えるのかよ、こんなボロボロで」

「どうかしらね。うまく行かなければそれまでだけど、電力系は生きているから問題はないはず」

 もはや恒例となってしまったぼやきは、マリナの綱渡りのような憶測にねじ伏せられた。

「ねえねえ!登れるの?これ」

「ええ、登れるわよ。一緒に登りましょう」

 ぴょんぴょんとはねて喜ぶフーリエの癖毛頭を、マリナはさらりと撫でた。

「超音速で吹っ飛ぶことを登ると言うのか……?」

「あら、私の思いが通じるようになってきたようね」

「おかげさまでな。このペテン師め」

 どれだけ貶そうともマリナは嫌な顔ひとつしない。心の奥底に、いつかこの女の表情をぐちゃぐちゃにしてやりたいという猟奇的な感情が微かに湧き上がった。

「さあ、お遊びはここまで。始まるわよ、戦いが」

「戦いって……」

 訝しむ間もなく、巨大な爆発音が轟いた。思わず音の方向へ振り返ると、世界最高峰と謳われていたガラス張りのオフィスビルが爆散していた。

「……は?」

 マリナに向き直る。その吊り上がった口角は正義のヒーローとは真反対の、正真正銘の悪党の表情だった。

「今よ!突入!」

 号令をかけたマリナの上空を、巨大な輸送機が通過した。四基のプロペラが空気を切り裂き、耳障りな振動が背筋をなぞった。

「にゃああっ!」

 強烈な下降気流(ダウンバースト)が吹き付け、吹き飛ばされそうなフーリエを抱きとめる。

「くそっ!一体何なんだ!」

「なに突っ立ってるの!走って!」

 マリナは怒号とともに腕を大きく動かして前進を促した。銃声とともに傭兵部隊が突撃を開始した。

 明らかな不法侵入、いや、テロ行為だ。マリナによればフーリエを目当てとしている不法集団が前線を張って戦っているようだが、こんな危険な仕事に彼らを縛り付けられるマリナの財力と交渉力には思わず舌を巻く。

 後から聞いた話だが、使われなくなった宇宙基地にはならず者たちが住み着いており、交渉などは不可能に近かったそうだ。

 輸送機から次々と投下された球状の無人機が、傭兵部隊に随伴する。

 拠点侵入こそ多少の苦戦は強いられたものの、最新装備を与えられていたマリナ直属部隊は巨大な宇宙基地をものの数十分で制圧してしまった。

「なんだ、思ったより呆気ないな」

 泥沼の戦闘を想定していた俺は制圧した管制室にてつい間の抜けた声を漏らした。

「所詮はならず者のたまり場。私の立てた作戦が失敗するなんてありえないわ」

 マリナは自信に満ちた様子で髪をかきあげる。だが彼女にとっての本番はここからだ。

 傭兵部隊の一人が、銃口を突きつけながらマリナに迫った。

「銃を下ろして。公平でない取引は望まないわ」

「よく言うぜ、これまでさんざん俺達を欺いてきた小娘が。さあ、今回ばかりはあの少女を引き渡してもらうぞ」

「分かった、分かったから銃を下ろして」

 マリナの要求に、男たちは応えない。ため息をついたマリナは俺の方に視線をやり、黙って頷いた。

「……」

 担ぎ上げていたフーリエを、地面に下ろす。フーリエはその小さな体を震わせ、涙を浮かべていたがそれを必死に堪えていた。

「よしよし、いい子だ」

 にやりと笑った男が、フーリエの小さな腕をぐいっと引っ張った。

「やっぱり嫌だ!」

 フーリエはとっさに身を翻し、男の顔面を立てた爪で引っ掻いた。

「こいつ……何しやがる!」

「どうしたの、フーリエ。彼はあなたの身元引受人だと言っていたけど」

 マリナはわざとらしくフーリエに問いかける。あたかも何も知らなかったように。

「そうだ、俺はこいつの保護者だ」

「ちがうよ!」

「何か理由があるようだな。おい、何を企んでいる。フーリエに危害を加えるようなことは無いだろうな」

 強く否定したフーリエを抱き上げ、男を睨みつける。

「何を言っている。俺たちは紛争地で身寄りのない子供たちを保護する慈善団体だぞ。彼女を預かってくれる里親が見つかったから紹介と護送することになっているだけだ」

 男はあくまでも冷静に応酬したが、その内にある怒りのようなものは容易に読み取れた。

「攫っても足がつかない火星産の半獣人、いや、愛玩動物はさぞ高値で売れることだろうな。あるいはお前の目当てはその身体か?幼女趣味の変態め」

 怒りを隠せないのは、こちらも同じだった。

「やはりお前か。勘づいて吹き込んだのは」

 男もまた、声にどすを聞かせてこちらを敵意の眼差しで突き刺した。

「さっさと引き渡せ。俺がまだ寛容でいられるうちにな」

「断る、って言ったら……?」

「――死ね」

「”テーザー”」

 男が引き金を引く直前に彼の死角、天井に張り付いていた球状無人機からワイヤーが放射状に射出された。マリナの号令によるものだ。

 男の上半身に突き刺さったワイヤーから流れた高圧電流が、男のあらゆる筋組織を伸張させた。引き金にかけた指もそれを押し込み弾丸を発射するには至らなかった。

 彼の仲間も瞬時に制圧され、倒れ伏した男達は苦悶の声を上げることしか出来なかった。

「ふざけ……やがって」

「悪いわね、私、人道主義者なの」

「ハッ……よく言うぜ、外道が」

 おそらくマリナは本気でそう言っているのだが、傍から見ればたちの悪いブラックジョークだ。内容が内容ではあるとはいえ、約束を反故にした上で痛めつけるとは、なかなかのものである。ほんのわずかにだが、男に同情する余地があった。

「クソ、お前のせいで台無しだ……俺の故郷も、人生も……」

 男が倒れながら力なく呟く。聞くところ、彼も何やら訳ありのようだ。そんな男の傍らに、手のひら大のカードがぱさりと落ちた。マリナの名刺だ。

「あなたの出自は知らないし、知る由もない。でも、あなたがすべてを失っても何かを得たいと願うなら、生きたいと願うなら、火星に来なさい。アカツキ・インダストリにはあなたを救済する用意がある」

 靴音を鳴らしながら男を跨いだマリナが、男を見下ろして口を開いた。

「火星だと?笑わせるな、凍っちまった死の星じゃないか。地球で野垂れ死ぬ方がよっぽどマシだな」

 男のそれは微かな期待すら感じさせない捨て台詞。

「そうね、確かに今の火星はとても人を誘致出来る環境じゃない、認めるわ。でも――」

 マリナは少しだけ俯く。そして、

「もし一年後、ここから見上げる火星が灰色に凍りついた死星ではなく、赤く輝いていたのなら、アカツキ・インダストリが寄越すシャトルに乗りなさい。私の名刺は、火星への招待状そのものよ」

 きっぱりと言い切り、管制室を後にする。フーリエを担いだ俺は、黙って彼女に続いた。

「マリナ、すごい!かっこよかった!」

「ふふ、もっと褒めても良いのよ」

「マリナ!かっこいい!『女傑ダイアナ』みたい!!」

「なんだ?そりゃあ」

「えー!アストラ、知らないの?」

 ふと湧いた疑問に、フーリエは大きな声で茶化してきた。

「昔の映画。面白いわよ」

「悪いな、映画なんて観たことがない」

「これから観ればいいわ。打ち上げてから火星に着くまで百八十日、時間はある」

「一緒に観よう、アストラ!わたし、あのお話大好き!」

「……気が向いたらな」

 曖昧に答えると、俺の頭によじ登っていたフーリエは角を掴みながら身体を前後に揺すって喜んだ。

「さあ急いで。宇宙船に搭乗するわよ」

「ああ」

 巨大なクレーンに吊り下げられた小型宇宙船が、陽光を受けてぎらりと輝いた。

 マリナに聞いた話だが、このマスドライバー「カラドボルグ」は専ら貨物運搬用となっており、有人宇宙船の発射は想定されていない。実際、自律飛行を行うカーゴパッケージか軌道向けの補給往還機程度しか射出する能力はないそうで、この数十トンの宇宙船でさえカタログスペックの許容重量を大幅に超過しているらしい。

「こりゃあ、本当にそっくりだ」

「そっくり、じゃなくて同じなの。あのシミュレーターは、この船と同型のモックアップよ」

「なるほどな、わけのわからない操作訓練をやらされたのはこのためか。だが、本当にこんな船で火星まで行けるのか?」

「いいえ、これだけでは無理よ」

 狭苦しい船内でぼやく。それに対し、マリナはきっぱりと言い切った。

「じゃあどうやって――」

「落ち着きなさい、大丈夫だから」

 諭すように言われ、押し黙る。「よろしい」とばかりに満足気な表情を浮かべたマリナは俺に目配せすると、操作パネルの確認を指示した。

 マリナの横の副操縦席に腰掛ける。広がっていたボタンや計器・レバーやトグルスイッチの類は研究所のシミュレーターと全く同じ配列で、初めて見るものであるにも関わらず妙な既視感があった。

「フーリエ、宇宙までは座っていてね」

「うん、わかった!」

「それとアストラ、なんであなたまで震えてるのかしら」

「し、仕方ねえだろ!自分の足で立てないのは慣れねえんだ!」

 首筋から血が昇ってきたのを確認する。それを見たマリナはころころと笑いながら、一度息を吸って前方に向き直った。眼前に見えるのは、錆びと埃にまみれた巨大な軌条。天に向かい、マリナが口を開く。

「電力回路接続、通電。電磁発射台『カラドボルグ』起動」

 彼女の指示のもと、大きなレバースイッチを押し動かした。直後、強烈な振動とともに、眼前のレールに積もる土埃が煙のようにふるい落とされた。

「アストラ、給電を開始して」

「了解、チャージコイル起動、充電開始。内部バッテリー臨界まで四分」

「濾過装置通水、放水開始」

 マスドライバーの周囲から、大容量の放水が開始された。発射の衝撃による被害と騒音を軽減するためだ。

RDE(エンジン)始動、燃焼開始」

 放水膜が揺らいだ。突き抜ける爆轟が船内までをも振動させる。

「充電完了、電力供給を絶ち、内部電源に切り替える」

「安全装置解除、出力最大」

 マスドライバー全体が振動する。尋常ではないほどの発熱が、船内温度を如実に高めていた。

 直後、白濁する放水膜の中を、轟音とともに稲妻が駆け抜けた。船内に警報音が響き渡る。

「な、なんだ!」

「濾過装置がイかれてるのね、放水膜中でナトリウムイオンが電気の通り道を作ったみたい」

 マリナはあくまでも冷静に分析し、濾過装置に強制停止コマンドを送り込んだ。

「大丈夫なのかよ!」

「大丈夫よ、焦らないで。まあでも、運良く”理由”ができたわ」

 横目で見るマリナは、なにか良からぬことを思いついたときの悪い顔をしていた。

「エンジン出力最大、さあ、錆びた剣を岩から引き抜くわよ!」

 マリナの発した詩人のような合図をもとに、訓練どおりのプロセスを実行する。

「爆裂ボルト起動、強制固定解除――発射!」

 轟音という単語で片付けられないほどの巨大な衝撃波が辺り一帯を突き抜けた。

「ぐううっ!」

 フーリエが思わず声を上げる。連続的にもたらされる電磁加速は肉体を座席に強く押し付け、船体をがたがたと揺らしていた。

 時間にして十数秒、いや、それよりも短かったかもしれない。瞬く間に飛び立った宇宙船は、見下ろす地上を凄まじい速度で遠ざけていた。

「お、おい!あれ……」

 思わず指を指す。空からでも容易に目視できたその巨大構造物「カラドボルグ」が発射の衝撃に耐えられず、先端よりバラバラに崩壊している最中だった。

「数十年ぶりの起動と使用、損傷防止目的の放水設備は故障。それに加えて積載超過。おまけに発射中もエンジンの爆轟でレールや支柱を切り刻み続けたの。想定はしていたけど、なかなかに派手なものね」

 にやりと口角を吊り上げたマリナは、してやったような笑みを浮かべていた。

「マリナ、前から思っていたことなんだが」

「なに?愛の告白かしら」

「いや、お前ってつくづく性格悪いよな」

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 マリナはその表情を崩さずに髪をかきあげた。

 窓の外は青を濃くして暗くなり、見上げる蒼穹は闇を射抜かんと輝いていた。

 生涯見ることはなかったであろう景色が眼前に広がっているのを感じた俺は、思わず息を呑んだ。

「よし、軌道に乗った。フーリエ、もう動き回っていいわよ」

「ほんと?やったー!」

 重力の制約を逃れ、船内に浮遊したフーリエは予測通り俺の頭に飛びついてきた。

「浮いているのか……?」

「アストラは無重力、初めてね。試しにベルトを外してみなさい」

「これは……」

 地球での重量にして数百キログラムを超える俺の体が、ふわりと浮かび上がった。

不思議な感覚だ。空を飛ぶのは恐ろしかったが、こうやって浮かぶのは不思議な高揚と開放感があり、悪い気はしなかった。

 同じようにふわりと浮かんだマリナが、俺の目を見て手を掴む。ふわふわと浮かびながら三人で手をつなぎ、輪になって笑った。今まで己を支配していた孤独とは全く異なる感情がじんと胸に広がった。

「どうしたんだ、マリナ」

「何でもない」

 マリナが突然、首に手を回してきたのだ。獣人の肉体と比べて彼女のそれはあまりにも小さく華奢で、それでも質感はしっかりと感じられた。

「何でもないことないだろう、なんで――」

「言わないで、それ以上」

 肩越しに見たマリナの目元に、透明な雫が球状に浮かび上がった。これまでの苦節と忍耐、そして彼女の抱く郷愁と、計画実現に向けた達成感のような感情が押し寄せてきたのだろう。

 少しだけ、背中を貸してやった。精一杯声を押し殺した彼女のすすり泣きを、

フーリエは不思議そうに見つめつつも、声を上げることはなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ