(第3話)歪んだ優越感~双子の兄ジャレット~
もしも誰かに『双子の妹であるソフィラをどう思っているか?』と問われたのなら、僕は笑顔と共に答えるだろう。
『かけがえのない大切な存在だ』と。
だけどそれは外面的な言い訳で。僕の心の底には、ソフィラへの嫉妬と優越感と憎しみ。それらの醜い感情が渦巻いていた。
僕は、ママから惜しみ無い愛情を注がれて育った。
「ジャレット。私の天使。スタンリー伯爵家の後継者である貴方だけを愛しているわ」
僕は愛されていた。姉のローズよりも。ましてや双子の妹なんかよりもずっと。
なぜママは、双子なのに僕だけを愛して妹を憎んだのか。理由なんて正直どうでも良かった。
だって僕は愛されている方だったから。
僕さえママから愛されていれば、妹がどんな扱いを受けているかだなんてどうでも良かったんだ。だからソフィラに会いたいだなんて思ったこともなかった。
自分とは違う世界で惨めに生きている妹のことなんて、どうでも良かったから。
「義務だからアレにもスキル判定を受けさせるけど、ジャレットが気にかける必要なんてないわ。ママは貴方が素晴らしいスキルを授かることだけを祈っているわ」
僕が十歳になってスキル判定を受ける日に、ママは聖母のような優しい顔をして言った。ママに言われた通り僕はソフィラを気にかけなかった。
そもそも僕はソフィラの顔さえ知らない。
馬車だって別々だった。僕はスタンリー伯爵家の家紋付きの馬車に乗っていたけれど、ソフィラは僕達よりずっと早く出発して使用人と一緒に辻馬車に乗ったらしい。
「ジャレット・スタンリー伯爵令息のスキルは、『経営』です」
スキル判定の結果は、その場で周知される。
ちっ。『経営』は、領主になるには役立つがよくある凡庸なスキルだ。ママから愛される僕に相応しい稀少なスキルでなかったことに内心で舌打ちをした。
イラついた気分で付き添いの使用人にあたろうとした時、会場がざわめいた。
「ブラウン公爵の妹であるレイン嬢のスキルは、『夢』です」
なんだそれは。『夢』だなんてスキルは、聞いたことがなかった。
なんで僕ではなく、あんな傷物女に稀少なスキルが。
それだけでたまらなくイラついたのに、更に僕を驚愕させる声が響いた。
「ソフィラ・スタンリー伯爵令嬢のスキルは、『ミラー』です」
なんなんだそれは。そんなスキルも聞いたことがない。今までにないスキルが出ることすら異様なのに、同じ年に二つも出るだなんて未だかつてないはずだ。
しかもまさかそのうちの一つを出したのが僕の双子の妹だなんて、僕にはにわかには信じられなかった。
この時、僕は生まれて初めて双子の妹であるソフィラを見た。
顔だけは確かに僕と似ているのかもしれない。でもその赤い瞳のせいで、茶色い瞳の僕とは受ける印象が全く違うものになっていた。
そして着ている服は、まるで使用人のお下がりのような汚いものだった。そんなみすぼらしいソフィラを見て、僕の自尊心は満たされた。
たとえ稀少なスキルがあったところで、ママから愛されている僕の方がソフィラより価値があることに変わりはない。
だけど聞こえてきた周りの大人達の囁き声に、僕は体を強張らせた。
「スタンリー伯爵家に次女なんていたのか?」
「聞いたことがないわ。それにスタンリー家の馬車から降りてきたのはジャレット様だけだったわよ」
「あの服……。とても伯爵令嬢だとは思えないわ」
ソフィラのスキルが稀少だったせいで、その存在が注目されてしまっていた。
ママはまさかソフィラが注目されるだなんて想像もしていなかったからか、公の場でもソフィラを取り繕うことをしなかった。そのせいで双子の兄である僕まで好奇な目に晒されてしまっている。
同じ伯爵家なのにあまりに違う僕とソフィラの待遇。
それなのに平凡なスキルしかない僕と、未曽有のスキルを持つソフィラ。
こんなに屈辱的なことは、今まで一度だってなかった。
僕は、逃げるように会場を後にした。
そして僕にこんな屈辱を与えたソフィラに対して、ほの暗い憎しみを抱くようになった。
スキル判定の結果を知ったママの命令で、それからソフィラは僕らの家族になった。と言ってもただ一緒に食事をしたり、マナーを学ばせるようになっただけだ。
むしろママは、積極的にソフィラを虐げるようになった。
「マリーとトムとジョンは解雇するわ。ソフィラと親しくする使用人は同じ目に遭わせるからね」
マリー達がソフィラを大切にしていることを知ったママは、見せしめのように使用人を全員集めて宣言した。
「お願い。マリー達を辞めさせないで。私をいじめるのは好きにしていいから。でもマリー達に意地悪はしないで。お願い、です」
信じられないことにソフィラは、教養を全く感じさせない拙い言葉でママに懇願した。あまつさえ使用人達も見ている全員の前で土下座までした。
ママはそんなソフィラを見て、とても嬉しそうだった。
「たかが土下座くらいでお前の願いなんて聞くはずがないでしょう」
絶望で顔を真っ青にするソフィラを見るママの笑顔は、僕がどんなにママを愛していても庇いきれないほどに、歪んでいた。
「マリー達が辞めなくて良いように、ジャレットお兄ちゃんからも夫人にお願いしてほしいの」
なぜか頬を赤く腫らしたソフィラが、こっそりと僕に話しかけてきた。
ソフィラが自分から僕に話しかけたのはこの時が初めてだった。いや、この時以来ソフィラから話しかけられたことはないから、最初で最後だったのかもしれない。
そして僕がソフィラから『お兄ちゃん』と呼ばれたのも、この時だけだった。
それなのに。『面倒くさいな』。その時の僕は、ただそう思った。
だから僕は、顔だけは申し訳なさそうに繕ってソフィラに告げた。
「ごめんね。僕にはソフィラを助けてあげられるような力はないんだ」
ソフィラは、その赤い瞳をまっすぐに僕に向けて、だけど諦めたように悲しそうに瞳を伏せた。
力なく去っていく妹の後ろ姿を見て、だけど僕は何も感じなかった。
もちろんママが考えを改めることなんてなく、マリー達は追い出されるように屋敷から出ていった。
その日、唯一の味方達を失った可哀想なソフィラに、僕はこっそりと声をかけた。
「ソフィラ。マリー達のことは残念だったね。僕に力がなくて助けてあげられなくてごめん。でも安心して。僕がいるよ。僕だけはいつだってソフィラの味方だからね」
あぁ。一人ぼっちになってしまったソフィラに優しくしてあげる僕は、なんて慈悲深い人間なんだろう。ねぇ? ソフィラ。君は僕だけを心の支えにしていればいいんだよ。
僕が君を助けてあげることはないけれど、優しい言葉ならいつだってかけてあげるからね。
それからもママはソフィラを傷つけるためなら何でもした。
使用人や家庭教師にも、ソフィラに嫌がらせをした分だけ褒美を与えていた。
姉のローズだってソフィラをいたぶっていた。
ソフィラの食事をわざと床に落として、『貴女にはこれで十分よ』と言って自分のパンを投げつけ、自分の食べ残しを食べさせていた。
ソフィラの婚約者は冴えない子爵令息に過ぎなかった。だからこそママはローズではなくソフィラの婚約者にしたのだろうけど、ローズはそれすらも許さなかった。
「貴女が子爵夫人だなんて分不相応よ。その地位は私が貰うわ。彼も、陰気な貴女なんかよりも私の方がよっぽど良いと言ってくれているの」
ローズはソフィラを嘲笑いながら、家族の前で宣言した。父は渋い顔をしていたけれど、ママはやはりソフィラの不幸が嬉しかったのだろう。嬉々として婚約者変更の手続きをしていた。
可哀想なソフィラ。この家に誰も味方のいないソフィラ。そんな惨めなソフィラに僕だけは優しい言葉をかけてあげた。
誰にも見られないように、いつだってこっそりと。
「大丈夫だよ。僕だけはソフィラの味方だからね」
それはきっと孤独なソフィラの心に染みただろう。
ねぇ? ソフィラ。君には僕しかいないんだよ。
絶望にも似た苦しみの中で、君は僕だけを信じて心の支えにしていれば良いんだよ。
あぁ。だけど僕は、決して君をこの境遇から救うことはしないんだけどね。
それでも僕という希望は、今の君には必要だろう?
だからどうか、そのスキルを活かそうなんて考えないでね。世界で唯一のスキルなんて、ソフィラにはもったいないから。
君はそのまま、無価値なままのソフィラでいればいいんだよ。
僕のこの優越感を満たすために。
僕の君への憎しみは、この優越感で晴れるから。
そう願っていたのに。それなのに。
「ミラー」
スタンリー伯爵家を出るその日に、ソフィラは初めてスキルを使った。
どうしてソフィラにスキルが使えるんだ? ママはソフィラにスキルを使うことを許さなかった。だからソフィラには、そのスキルがどんなものか試すことさえ出来なかったはずだ。
それなのにソフィラは当たり前のようにその世界で唯一のスキルを使った。ためらわず自分の家族に向けてそのスキルを放った。放ってしまった。
ソフィラのそのスキルで、僕は、僕達は、スタンリー伯爵家は、その未来は。
—――すべて変わった。