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第13話バレちゃった妊娠

 現在、私の居室には私とジャンヌを含めた四人の人間がいる。


 テーブルを挟んでヴィクトルの真向かいに腰掛ける私の中では、ネズミ算式に疑問符が量産されていたけど、絶対的に彼に何かを訊ける空気じゃなかった。

 だってヴィクトル・ダルシアク皇帝陛下は美しくも怖い顔で腕組みしている。

 単なるシーツを巻き付けただけなのに、弥生時代とか古代人の服ですらそれと比べたら服だよねって思うのに、何故だっ、不思議と最先端の神ファッションにすら見えてくる!

 一方、エドは女装シスターとは言えヴィクトルより文明的な格好をしているくせに、部屋の隅の床でダンゴムシみたいになって激しく退化していた。今ならアンモナイトとも交信できそう。ジャンヌは壁際に控えている。


 まあそうは言ってもただ徒に過ごす無駄はできなくて、私は何とかダンゴムシと交信を……じゃなかった床でまるで屍のように静かなエドとの会話を試みた。


 Q,何故エドに?

 A,ヴィクトル様に話し掛けるの怖い。


 そんなわけでエドに駄目元で質問した。ポツポツとは答えてくれたから良かった。

 その話を纏めると、ヴィクトルは猫、エドは赤林檎になって潜入したんだそう。

 林檎……。きっとあの時の差し入れの一つがエド林檎だったんだろう。だけど自らでは動けない物体で良かったんだろうか。


 二人の変化魔法には制約があって、人に戻るにはどちらも誰かにキスしてもらう必要があるそうだ。童話カエルの王様みたいだけど、物理的に誰かの唇が触れればOKらしい。ざっくり~。


 だからエドは頑なに猫吸いを~っと押し付けてきたのか。結局はエド自身がキスしたけど。

 ならエドの場合、誰かがエドにキスと言うか、多分普通に林檎を食べようとしてかじったんじゃないかな。

 林檎が全裸男になった時はその人は死にそうになったんじゃなかろうか。想像に難くない。ま、ナイフでカットされなかったのは本当に良かったよねー。……たださ、林檎化の裏に何者かのそこはかとない殺意が潜んでいたなんて言わないよね?

 あと、騒ぎにならなかったのは不思議で、私はその相手が誰か気になってエドに訊いてみた。

 ……何と、世話役の老シスターだった。奇跡の巡り合わせだ。

 林檎を丸かじりしようとしていたらしい彼女からは、この上なく汚物を見るような目で見下ろされながら、正座で必死に事情を説明したって言っていた。

 なるほど、太っ腹な私の関係者だったから見逃してもらえたと。シスター服も融通してもらえたと。

 プラスαをケチらなくてマジで良かった。

 それにそうか、今日何か言いたそうにこっちを見てきたのはエドの件があったからか。関係ないけど、彼女もまだまだ歯が丈夫そうで何より。


 それにしてもどうしようこの状況。


 もうそろそろヴィクトルとも何か会話をしないとって思えば思う程息が詰まる。

 ちらちらと目だけを動かして様子を盗み見ていた私の視線に気付いたのか、バッチリ目が合った。

 スパイしてるのがバレたーっ。背中に冷や汗で無難に愛想笑いを浮かべたら、ふいっと視線を逸らされた。よ、良かった(くび)り殺されなくて。

 いや全然良くもなかった。だって何かを堪えるように眉間のしわを深くした。まままさか殺意……?


 ところで、ヴィクトルはあの銀猫だったんだよね?

 だけど猫の時と今とが違い過ぎる。

 可愛くスリスリゴロゴロにゃーんって懐いてくれてたのに……。今はとても表情が硬い。

 ん? あれ? そう言えばそうだ、私ってば猫だと思ってたからとんでもない秘密を暴露しちゃった~~~~っ!


 アデライドの中身は別人ですって!


 彼が信じるか否かは別として、しっかりと覚えてはいるだろう。若い娘の戯れ言だと思ってくれてればいい。またそっと彼の様子を盗み見る。

 問うべきか、問わざるべきか。

 それは置いておくにしても、これからどうするのかとかの話をしないとだしなあ……。





 また、アデライドから見られている。


 ヴィクトルは敏感にも視線を感じ取っていた。望まずも立場上巻き込まれざるを得なかった政争で培われたものだ。視線だけではない、他者からの敵意に疎い者から命を落としていった玉座を巡る争いでは、彼にもその鋭さが必須だった。そうでなければきっとここにはいなかった。


 まあそれはともかく、好きな相手から見られている。


 彼にとっては実に至福の時だ。組んでいる腕にぐっと力が入って僅かに盛り上がった筋肉が痙攣する。

 視線を逸らしてしまったのは、つい、反射的にそうなった。見つめ合ってしまえば、真実の愛に気付いてしまった自分をたぶん、おそらく、持て余す。頭を冷やす時間が必要だった。

 これも全ては……。

 ヴィクトルは思い出していた。


 その身に起きた本物のアデライドとの邂逅を。


 あの時、襲われたアデライドを助けようと男との間に飛び込んで攻撃を一身に受けた。その衝撃はヴィクトルの意識を確実に飛ばした。

 防御魔法が有効なので命の危険はないが、アデライドに大事はないだろうか。それだけが気掛かりだった。

 その結果が本物との再会に至るなどとは誰が想像できようか。


『ここはどこだ?』


 気付けばどことも知れない空の彼方のような世界に彼は浮かんでいた。奇妙な空間に居るが見下ろせば手も足もあるし声だって出せる。

 だがしかし、これが現実の肉体ではないのは何となく悟っていた。


『お久しぶりです、ヴィクトル様』


 急に背後から声がして、それはよく知る声だった。彼は鋭く振り返る。


『お前は……アデライドか』

『はい、わたくしです』


 大きく驚くヴィクトルの目の前にはどこか気まずそうな面持ちのアデライド・ロジェがいた。


 ――本物の。


 先程まで猫の自分と居た方ではない、より以前から知っている方だと彼は一目で悟った。これも愛……たぶん!


『どういう状況だこれは。ここは現実世界ではないのだろう? ともすれば意識の世界なのか?』

『さすがですね。概ねその通りです。今が好機だと思い、天使様に頼んでここで会わせて頂いたのです』

『天使だと?』


 それは教会が定義している存在を指しているのだろうか。まあ何にせよこんな人知を超えた不可解な状況を作り出せるのはそういう存在には違いないと彼は思って勝手に納得する。

 アデライドは少し俯き加減の控えめな令嬢らしい様子で眉尻を下げた。


『このような事態になり、本当に申し訳なく思っています』


 彼女の言うこのような事態とはこの奇妙な場に対してなのか、それともカミングアウトされた中身別人の件なのか。どちらもかもしれない。

 後者に関しては途中から確信していたので今更それ程驚かないが、ここに来て懸念が表出した。

 眼前の魂が本物のアデライドだとすると、彼女は元の体に戻るつもりなのだろうか。

 もしそうであれば代行の方はどうなるのか。


 本当の名前さえも把握していないどこの誰とも知れない相手だ。このまま消えられてしまえば、全く追いかける手掛かりがなくなると言っていい。あのアデライドとは二度と会えなくなる。


 唐突に焦燥が込み上げた。


 即座に問い詰めたい。しかしぐっと堪えて彼女の言葉を促す。

 アデライドは配慮を察してか、彼の良く知るように控えめに微笑んだ。


『では、わたくしの正直な気持ちをお話ししますね』


 ――そうして告げられた彼女らしい率直な言葉に、ヴィクトルは唸るようにした。恋愛ではなかったと言う告白に傷付いたわけではない。彼女の紡いだ内容が自分の身にもよくよく覚えのある感情の気付きだったからだ。

 今なら似て非なるものだとわかる。


『あなたに申し訳ないという気持ちはありますが、後悔はしていません』


 彼女は一見おっとりとしているようで、芯は強い。ヴィクトルは彼女のその強さを時々羨ましくも感じていた。


『それに、わたくし達は似た者同士なのかもしれません。ですからあなたも気に病む必要はありません』


 小首を傾げ小さく笑う本物はヴィクトルの心を読んだかのような台詞を口にする。

 参ったな、との称賛と降参が自然とヴィクトルの心に溢れ出た。


『……よき理解者を得られて幸いだよ』


 溜息をつく彼へとアデライドは口元を緩めた。

 しかし彼は急に深刻な面持ちで額を押さえる。


『ところで、代行者は所詮代行者なのだろう? 属する世界に戻ると言うような事を言っていた』


 あぁ、と彼女は既にそれも知っていたらしく驚きはない。


『それが何か問題なのですか?』


 しかも天然か、キョトンとしてそう問いかけてきた。


『いや問題だろう、あのアデライドとは共に居られないんだ。元より彼女はアデライドではない別の人間だしな』

『あなたは悪党をスパッと処断なさる割に意外にも小難しく考えるのですね。アデライドかそうでないかとそのような括りであの方を捉えているのですか?』

『……どういう意味だ?』

『もしもあの方がわたくしの姿ではなく、別の女性の姿で現れたならどうですか? 好きにはなりませんか?』

『いや、惹かれるだろうな』


 良くできましたと、彼女は教師が難問に正解した生徒へ向けるような優しい目を向ける。


『要はそう言う事ですよ』

『いや、すまないが言っている意味がよくわからない』


 アデライドは期待通りにはいかなかったと見て少し残念そうにした。


『では、例えばエドゥアール・ギュイ隊長さんを好きになれますか?』

『不可能だ』

『でしたら、もしもその中身があの彼女になったとしたら?』


 ヴィクトルはしばし想像した。

 赤毛の臣下の笑顔が浮かぶ。……正直殴りたい。

 そこに代行アデライドの笑みが重なる。好きだ抱き締めたい。

 アデライドとエドゥアール、アデライドエドゥアール、アデライドエド、――アデラエド!


『誰だそれはっ! くっ……!』


 ヴィクトルは苦悩に思わず額を覆った。

 エドゥアールが()の太陽のようなアデライドのように無邪気に喋って笑い、自分に親しげにしてくる。普段甲冑道が暑苦しく絡むのを避けていたエドゥアールだとしても、その中身はあの者なのだ。ヴィクトルはフッと脱力した。


『…………――アリだな』


 彼は荒療治でようやく思考が晴れた気がした。一方アデライドは穏やかな教師の笑みだ。


『そういえば、お前も彼女と言っていたし代行者は元の性別も女性なのか。本当の姿を知っているのか? 叶うなら見てみたい気もするが』

『あら、それは直接ご本人にお尋ねになれば宜しいのでは?』

『そ、れはそうだが……』


 アデライドはくすくすくすと小刻みに笑い出す。


『まさかこのようなヴィクトル様を拝見できるなんて。ふふふ、安心しました。後はあなたの魅力全開で乙女心を攻めて擽って陥落させるだけですね。自信を持って下さい。本気になったあなたの溺愛の抱擁から逃げられる女子なんていませんから』

『……』


 その後、二人が今後において必要な会話を交わし終えた所で、どこからか少年のような声がした。


『あははホ~ントどっちもどっち。ヴィクトル、もう君は戻った方が良いみたいだから戻すね~』

『ではヴィクトル様、他にも男女、ああいえ男男、うーん女女、ああやっぱり男女でしょうか? として無視できない重大な秘密はありますが、概ねそういう感じですので』

『は?』


 正体不明の声は彼女の言っていた天使だろうか……とか何とか考えていたら、アデライドが思い切り引っ掛かる発言をかまして、秘密とは何だと問い返そうとした矢先、彼はもう生身の自分へと帰還を果たしていた。


 何故か眼前にエドゥアールの顔があった。


 即座に状況を悟ると、やはりこの赤毛男がこの赤毛男である限りは無理だと、彼はこの上なく自分を理解もした。






「あのー、ヴィクトル陛下」


 私はとうとう意を決して話しかけた。このまま無言を貫いて事態を悪化させるかもしれないより、誠実な態度を示して少しでも怒りを解こうと思ったからだ。

 ヴィクトルは視線だけをこっちに向けてきた。よかった話を聞いてくれそう。


「その~、先日は雨の中で追い返したり、あまつさえ怪我までさせてしまい本当に申し訳ありませんでした」

「無理に敬語を使わなくていい」


 彼の眼差しにお前白々しいんだよって言われてる気がして、私は「わ、わかった」と頷いた。下手に反駁して機嫌を損ねるのは得策じゃない。


「別にあの時の事は気にしていない。こちらも少し強引だったからな」


 じゃあ不機嫌そうなのは何で?

 それにしても、強引だった……ね。


「でも本当は、あの時あなたはテレポートの魔法をゆっくり発動させてくれたよね。問答無用で連れて帰ろうと思えば、魔法陣なんて目に見える物を出さずともそうできたのに」


 エドだって初めて会った時に音もなくテレポートしてたし、エドができるならヴィクトルだって然り。あれはあのまま私に無理を通していいのかって、彼の中で迷いがあったんだろう。


「まさかそこまで察しているとは……」


 彼はふっと小さく笑った。嬉しそうだ。

 蓋を開けてみれば、この人ってただの残酷皇帝じゃない。決して地位や権力にふんぞり返って弱者を見下す横柄な人間じゃないってのもわかった。そういう思いやりも持てる男ってわかったら胸の中があったかくなったっけ。

 とは言え、現在進行形で私の肝は冷えまくってる!


「と、ところで昨日の夜中に私が言った話は……」


 示唆する内容を的確に察したヴィクトルは、少し目を伏せ静かに息を吐く。


「別人、というやつか?」

「う、うんそれ。あれ実はちょっとふざけただけでさ」


 ヴィクトルは口元だけで薄く笑む。


「嘘は良くないな。私が少しも本物との違和に気付かなかったとでも?」

「う……ですよねーハハハ」


 この男の前では懸命に令嬢演技をしてみたりしたけど、銀甲冑はエドオンリーだと思ってたからめちゃ素で接してたもんなぁ。


「で、でも安心して。本物の魂が見つかれば天使が戻してくれるって言ってたし!」

「しかしそれまでの間、お前がアデライドでいるのだろう?」

「それは勿論」

「なら問題ない」

「はい?」


 問題ない? 周囲に気付かれないようきちんとアデライドとして過ごせば確かにこの先彼女が戻ったとしても別に弊害はないって意味?

 うん、問題はない。意味不明な会話に戸惑いを浮かべるジャンヌと、エドもたぶん聞いてないから安心の放置でいいだろうし、問題なんてない……――って、んなわけあるかい大問題はあなただよヴィクトル!


「でもあなたは知ってるし」

「それが何か問題になるのか?」

「なるでしょーがっ、正気!? 好きな子の中身が別人なのにっ。大体さ、騙してたのに怒ってないの?」


 彼は暫しこっちを見つめたかと思えば、徐に腰を上げテーブルを回って傍に立った。

 やっぱり堪忍袋の緒が切れた?


「怒っていないからそう身構えるな。私としては、お前というアデライドだから何も問題にならないんだ」


 その声音は予想外にも落ち着いていて柔らかい。


「まあ、もしも中身がお前でなかったのなら、その首はなかっただろうがな」


 故意になのか表情を変えず、彼は立てた親指を首の前で横に引いてみせた。ひいいいッ!

 戦慄と同時に私は一体何を言わんとされているのかよくわからずに戸惑って彼を見上げる。

 対して見下ろすギリシャ神話コスのヴィクトル様は、片腕を伸ばして頬に触れてきた。


「ほわっ!?」

「私はお前が好きだ」

「え、まあ私はアデライドだしね。さすがに知ってますよそんな事は。猫の時に自分の身を擲ってまで助けようとしたくらいに惚れてるって」


 だけどどこか困惑させられる真摯な紅の眼差しは、根気強く諦めずに何かを訴えかけてくる。


「アデライドだからではない。アデライドという器だからでもない。私はお前の善良な魂にこそ惚れたんだ」

「わ、私?」

「ああ」


 びっくりして目が丸くなる。

 見れば見る程ヴィクトル・ダルシアクって男の容姿端麗さを実感する。ホントこの男って神懸かったレベルで綺麗。睫なんかも長いし、赤い瞳なんてルビーみたい。彼の他にこんな美形なんて知らない。あの美形司教はまた違うタイプだから除外してだけど。

 我知らず感心して見惚れてからハッとして、私は内心じゃまだ半信半疑だった。


「えっでもあなたは甲冑に入ってまで追いかけるくらいにアデライドが好きなんだよね?」

「それもお前版アデライドになってから、どうにも気になってつい魔が差した」

「魔が!? それたぶん好意じゃないよ!!」

「言い方が悪かった。お前だったからこそ、嫌われたくなくて甲冑で姿を隠したんだ。本当の自分の気持ちだって知る事ができた。もしも本物が戻った時は決別するつもりでいる」

「なっ、そんなの最低じゃん! このお腹にはも――」

「お腹?」

「あっそのっお腹つまり腹に据えかねるって事!」

「それでも、もう後戻りはできない。私はお前がいい。お前でなければ駄目なんだ」

「……っ」


 真っ直ぐな強い目。

 この人をここまで駆り立てたのは本当の本当に私?


「嘘じゃなく、私?」

「そうだ」

「好かれる理由がまっっったく思い当たらないんだけど」

「まあ、本人にとったらそうだろうな。別にわからなくてもいいだろう。私が確実に好きでいるんだからな」

「……何か納得いかない」

「なら納得させてやろうか?」

「どどどどういう意味!?」


 思い切り動揺したのが可笑しかったのか彼は笑った。この目で初めて見る冷笑じゃない微笑。

 えっそれ反則、アデライドの記憶ですら見た事のないとびきり魅力的な笑みなんだけどっ。

 不覚にも私は思いっ切り赤面した。 

 今まで一度だって俺様キャラ推しになった事なんてない。一途で優しい王子様キャラにしかメロキュンした事ないのにっ。なのにドキドキしちゃって彼の顔をまともに見てられないっ。

 ええい早まるな落ち着けっ。混乱して誤った思考回路に陥ってるんだきっと。そう思ってちらりと床のエドを見やる。うん、これっぽっちもときめかない。安定のダンゴムシに感謝……!


 でもじゃあどうしてヴィクトルにだけ心拍数上がってるんだよーっ!?


 ふと、私だから惚れたって言葉が甦る。


 私も、――ヴィクトルだから、とか?


「きあああああああああっ! そんなわけないから落ち着けえええええ!」

「いや落ち着くのはお前だ。気長にやって行こうと思っているから安心しろ」


 へえっ、そっ、気長にねっ! それはどうもありがとござんした!

 思考が破綻し病的な奇声を上げて頭を抱える私に冷静に対応してくれるこの包容力ッ! 悔しいけどこれもこの男の魅力だ。

 ああもう、ヴィクトル・ダルシアク。

 危険人物め。

 彼から好きだと言われても、彼に殺されたくない~って恐怖はやっぱり消えてない。

 だけど、もっとこの怖くて一途で不器用でもある男を知ってみたいって思ったのは否定できない。


「そうだ、お前の本当の名を教えてくれ」


 真摯な目をするヴィクトルを私は面食らった心地で見上げる。立ってないで横の椅子に座ればいいのに。

 他方、ジャンヌは理解不能な部分はそのままでいいかと思ったのかは知らないけど、いつもの調子であたかも映画のエンドロールまでをもしかと見届けようとする観客みたい静かに見守ってくれている。エドは、略。

 そうだまだ名乗ってすらいないんだ。こうなっては名乗らないのも失礼だ。

 十分遅い自己紹介に、深く息を吸う。


「――ノア」

「ノアか。良い響きだな。お前の世界でもこちらと似たような文化なのか?」

「かなり違うけど、普通はそうすんなり私が他の世界の住人って信じられるもの? ……もしかして何か奇跡体験でもした?」

「さてな」


 彼は意味深に目を伏せるだけでハッキリとは明言しなかった。こんな風に謎めいて言うのも何か反則。知りたくなる。ある種のハニートラップみたいだから踏み込まないけどっ。


「話は変わるが、向こうの世界に恋人はいるのか?」

「変わり過ぎだよっ。いませんよっ」

「そうか、へぇ、好都合」


 ヴィクトルは機嫌良さそうに喉の奥で笑う。


「心置きなく恋人でいられるな」

「こっ恋人おおお!? 何勝手に!」

「世間では既にアデライド・ロジェは私の恋人と噂されているが?」

「そ、れはそうだけどっ、あくまでも私はこの体の生存のための臨時アデライドなの。ベタベタはしません。さすがにもう残党はいないだろうから安心して皇帝業に戻って大丈夫だよ。魔法は駄目だから、シスターに頼んであなたをこっそり出してもらえるように手配もするし」


 さっさと帰れって明るくからりとして臭わせてやれば、ヴィクトルは身を屈めた。目論見に反してぐっと距離が近くなる。


「なら、共に帰ろう」


 彼の真面目な面持ちが既に出ている私の答えを鈍らせる。まだ帰るわけにはいかないのに、ひたと見据えてくる双眸が落胆に染まるのを見たくないと思ってしまう。


「悪いけど、まだ帰れない」


 絞り出した声には苦渋が滲んだ。


「何故だ?」

「元々しばらく滞在しようって思ってたんだ。じっくり考えたい事があって。あと前も言ったようにあなたの安産ごほごほっ安全を祈りたいなって」

「何故ここなんだ?」

「ここじゃないと駄目だから」


 頑固な口ぶりに向こうは不服そうに口元を引き結ぶ。そして何を思ったか私の腰に腕を回して立たせると自分の方に引き寄せた。必然的に密着する。抱き寄せられているから顔と顔の距離がキスできる程に近い。


 なななな何!?


 掛かる吐息が思ったよりも熱いしシーツ越しの彼の体も熱いから無駄に意識しちゃって羞恥心が込み上げる。


「ここに居られては、自由に会えない」


 だからこそのチョイスなのだよヴィクトル君、とは口が裂けても言えない。

 こっちの動揺と慄きを知ってか知らずか、彼は困ったような弱ったような表情を浮かべた。


「お前は、私と会えなくて寂しいと思ってくれないのか?」


 うぐっ、こんな切ない顔されるとは思わなかった。


「えーっと、一年。一年待ってくれたら必ず帰るから!」

「……一年だと?」


 彼は明らかに不機嫌に片眉を持ち上げて、急に私を抱き上げるとベッドまで運んだ。


「駄目だ、さっきは気長にと言ったが、そんなに待てない。今だってこのままお前を押し倒したいのを必死で堪えているんだ」

「!?」

「アデライド、いや、ノア」


 ザ・半裸ファッションの色気駄々漏れ美丈夫が耳元に唇を寄せてくる。


「今後のためにも試しに一度、私のものになれ」

「は!?」


 はあああああ!?

 それはあれだよね、そういう意味だよね。

 おおーいここは厳格な女子修道院ってわかってる?

 私は妊婦だし、気持ちを加速させたら駄目だ。

 だけど、心拍数MAXで耳まで熱くて強い拒絶ができない。

 私って案外強い押しに弱かったのか~~ッ。


「抵抗しないのは、承諾の意と取っていいのか?」


 良くないっ!

 その腰砕けな甘い囁き勘弁してーっ。女心わからない男ですって思わせておいて実はわざとやってる?

 そうこうしているうちにもう唇が触れそうな距離にいる。


 待って待ってジャンヌでもエドでも誰でもいいからホントに止めて~~~~っ!


「――ななな何をなさっておいでですかあああ!」


 よっしゃ天の助けー!!

 私は反射的に両腕を突っ張った。

 ヴィクトルを押しやる格好で声の出所を見やれば、扉口でムンムが赤なのか青なのか忙しい顔色でくわっと大きく目を見開いている。


「ムンム!? どうしてここに!?」

「個人的なツテからドヌーブ異変の知らせを受けまして、急ぎこの街にやってきたのですが、途中で馬車が故障して予定よりも到着が遅れてしまいました。女子修道院に賊がと話を聞き及び、お嬢様の御身を案じこちらに伺ってみれば、半裸の変態に襲われていたとは何という……! いくら性欲が抑え切れなかったとしても今は駄目です! お嬢様にそのようなご無体はいけませんっ!」


 私がベッドに押し倒されてる光景が思った以上に衝撃的だったのか、ムンムは別に要らない経緯説明と皇帝への暴言すら吐き捨てながら鼻息も荒く私とヴィクトルを引き離さんとする。

 後から聞いたら、案内されてこの部屋の前にやってきたムンムだったけど、漏れ聞こえた会話から慌てて入ったんだって。

 とにもかくにも助かったあ~。


「ヴィクトル陛下、忍耐を学んで下さいませ!」


 ホッとする私の耳にムンムの鋭い訴えが聞こえる。うんうんもっと言ってやって。


「貴様に止められる筋合いはない」


 しれっとしているように見えるヴィクトルだったけど、彼は必要ならムンムを排除しようと考えてそうな目の色をしていた。ムンムの方も殺気に気付いたのかごくりと唾を呑む。

 しかし勇ましくもムンムは引き下がらなかった。


「す、筋合いならありますとも。お嬢様の主治医なのですから。見過ごすわけには参りません」

「ほう? 人の恋路の邪魔をして命を投げ出すつもりか?」

「この老骨、必要ならば相手が皇帝陛下でしょうとも……!」


 ムンムーーーーッ、惚れていいかーーーーって感激している私の前で、ヴィクトルがどこか嗜虐的な色を宿す。


「屋敷医風情が、どうしてそこまでする?」

「どうしてですと? そんなもの決まっております。お嬢様は、お嬢様はッ――妊娠中なのですから!」


 なのですから、なのですから、なのですから……とムンムの声がリフレインした。


 ちょっ……ちょおおおーーーーーーーーっっ!!


「――あっ!」


 綺麗な丸形に口を開け蒼白になったムンムとバッチリ目が合う。


 そしてうっかり口が滑ったムンムはムンムじゃなくて、一瞬でムンクになった。あの叫ぶ絵の。口が滑るにも限度があるだろーっ。


「ムンムッ、この馬鹿ちんがーーーーーーーーーーーーッッ!!!!」

「……今、何と言った? 妊娠中、だと? アデライドが?」


 あたかも頭痛に苛まれ額を押さえるようにしたヴィクトルがよろけて私とムンムから離れ、ベッドの前に佇んで低く気色ばんだ声を放つ。耳朶を打つその低音に私とムンムはひいいっとベッドの上で竦み上がって身を寄せ合う。

 バレた。もろバレしたっ。ああもうこんなの死亡フラグ確定じゃん!

 ジャンヌは手を口に当て絶句してる。エドは、略。


「答えろ。アデライドは、現在妊娠しているのか?」


 私もムンムもすぐには口を開けなかった。

 例えば首をギロチンに固定された状態で冷静にいられるわけがないのと同じだ。

 わああんっムンムのせいだーっ!

 嘆いても責めても、私達の命運は今やヴィクトル様の手の中だ。

 こっちの死後硬直ううん極度の硬直を見て取ったのか、ヴィクトルは小さく溜息を落とし何と予想外にも「一旦座って、少し落ち着いてから話を聞かせてもらおうか」って提案してきた。彼が一番冷静だった。


 程なく着席した私とムンムは隣同士、テーブルを挟んだ向かいにヴィクトルが腰掛ける。


 一分経って二分経って五分経った。テーブルの上には変わらずに食べられもしない大きな沈黙が横たわっている。私もムンムも俯いたまま微動だにできない。

 盗み見れば、ヴィクトルは眉間にしわを寄せて両目を閉じてへの字口。

 室内の気圧が標準の二倍はあるように感じる。重いっ。

 ムンムに何か言ってとこっそり横肘を突いて促せば、居心地の悪そうな眼差しが返ってくる。私にこそ何か言ってくれって目だ。

 こそこそしていたからか、向かいの席のヴィクトルが小声で何かを言った。

 私もムンムも肩をビクッとさせて飛び上がりそうになる。

 だけど彼は目を閉じこっちに注意を向けている様子はない。独り言か。


 でも何だろう?


 彼はまた何かを呟いた。


 その眉間には峻厳な奈落の谷を思わせる溝が深く刻まれ、実に苦悩に満ちている。


 興味本位で耳を欹てていると、その一部を聞き取れた。ムンムもじっと耳を澄ませていたっぽいけど、お年なのか聞こえてないみたい。


 スッと血の気が引いてしまった。


 だって、だって彼は……ッ。


 ――やはり殺すしかないのか。


 そう呟いた。

 その文の目的語、つまりは殺されちゃう相手ってのはこの限られた状況から言ってエド……なわけはない、私だよ私ッアデライドだよッ! もしかしたらムンムもその随伴に加えられるかもね。


「ム、ムムムム~ッ」

「どうされましたお嬢様、陣痛ですか!?」


 まだなるかいっ! 急な恐怖で一時的に呂律も回らなくなって言葉にならない生命の危機を訴える。


「落ち着いて下さいね、はい、いきんでー!」

「いやそっちこそ落ち着いて! まだまだ先だよ。それより今の聞こえた? 陛下の台詞聞こえたっ!?」


 言語能力を回復し器用に小声で叫ぶとムンムは困惑して首を横に振る。


「こ、殺すしかないって言ってた……!」

「な、何ですと!?」


 さすがにムンムもこればかりはチビりそうに顔色を失くした。


「私とムンムは一蓮托生の運命だよぅ~」

「お嬢様……っ」

「――誰と誰が一蓮托生だって?」


 ひいッ!

 急に割り込んだ声に私もムンムも竦み上がった。

 勿論ヴィクトルだ。


「どういう意味だ、お前とそこの老人が一蓮托生とは」

「だ、だってあなた私を殺す気なんでしょ。妊娠を一緒に隠してたムンムも連座だろうから、だから一蓮托生って」

「……」


 何もしないよりはマシと私は両手を合わせて頭を下げる。


「お願いっ、後生だから見逃してッ! あなたに迷惑はかけないからッ。どこか遠くの外国に行ってもいい! だからお腹の子も私も、ついでにムンムの命も助けて!」


 憤慨のためか彼は喋らない。

 私は背中が石膏になるんじゃないのってくらいに硬直して処断を待つしかない。さっきとは全然別のドキドキで心臓がはち切れそうだ。

 ヴィクトルは険しい顔のまま再び両目を閉じている。

 処断を迷ってるとか? 仮にも告白してきたばっかりだし、好きな相手を冥府送りにするのは忍びないと思って?

 だとしたら生き延びる道はある?


 彼は考え過ぎているのか、どこか顔色も悪い。


「ヴィクトル陛下?」


 返事はない。もう一度呼んでも反応はなかった。

 更にはしばらく経っても何も言わないからさすがに不審に思ってテーブルを回り込む。


「あのさ、きちんと話をしたいんだけど」


 そっと肩を揺すってみた。


 ぐらりと彼の頭が傾いで私に寄り掛かってくる。


「え、どうかし……熱っ!」


 たまたま彼の額に触れて異常を悟る。


「何でこんなに熱いの?」


 意識もなく、よく見れば具合の悪い人が見せるような冷や汗が滲んでいて呼吸も浅い。

 もしかしてずっと苦い顔をしていたのは体調が悪かったから?


「ヴィクトル陛下、しっかりして!」


 直前までの恐怖や気まずさなんて吹き飛んで、彼を助けてって縋るような目でムンムを見やった。

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