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第12話やらかしていた皇帝

「只今皇帝陛下は危急の案件で遠出なされていて不在です。しばらくお帰りにはなりません」


 皇帝の執務室前でそう告げるのは大雑把男ロベールだ。彼の扉を挟んで反対横には優面のフィリップが姿勢良く立っている。二人は至っていつも通りだ。少なくとも表面上は。

 彼らは報告や奏上で他の者が訪ねてきたらそう言って追い返すよう、ヴィクトルから前以ての命を受けていた。

 皇帝の案件としては思い切り私的だが、もし露見しても現地視察をしていたという名分は立つような案件だ。

 対策を講じ準備や手配を完了させて出掛けたので不手際はないが、向こうでの結果の善し悪しでこの先の自分達の命運も決まるかもしれないと思えば、ロベールもフィリップも「どうか陛下にとびきりの恋愛運を」と天に願った。

 上官エドゥアールは現在休暇を取っている……事になっている。

 二人は極秘任務遂行中の彼の事は極力考えないようにしていた。あの人は強運なので何があっても大体大丈夫と、そう心に涙して。


「いつ帰ってくるのかわからないのか?」

「はい。申し訳ありません宰相閣下」


 普段から人当たりの良いフィリップの極めて深刻な様子に、ヴィクトルが有能過ぎてお飾りと言われる年寄り宰相は、ちょっとたじろいだ。下手に邪魔をしたり首を突っ込めば老い先短い命を不用意に散らす羽目になると感じたのかもしれない。


「こほん、まっ全く、教会側との折衝案の相談をせねばならんのにな。仕方がない、日を改めよう」


 虚勢なのか不機嫌顔で踵を返して廊下を戻って行く。本人に自覚があるのかは不明だが、口が悪いのは毎度の事で時々ヴィクトルとも口論になりかける怖い物知らずのジジイとも陰で言われていたりする宰相だ。

 矍鑠(かくしゃく)とした足取りで老人が去ると、ロベールとフィリップは偉い宰相の次は誰が来るだろう、軍務大臣辺りだろうかと、精神的疲労の滲む目で互いを見やるのだった。






 猫のいる生活二日目。

 私は適度な運動と気分転換のためとで、敷地内をぐるりと歩いて回ってみる事にした。案外広いから一番初めは老シスターに案内をお願いした。勿論ジャンヌも同行してくれる。


 何故か銀猫も。


 だって付いてこようとして足元に纏わり付いて離れなかったから仕方なく抱っこした。一応ヴィクトルからの借り物猫だから室内飼いしようと思ってたんだけど、頭が良いからいつか逃げられそうだ。

 外に出たら暴れるかと一応は警戒したんだけど、今の所は大人しい。


「シスター、手始めに畑の方から見せてもらってもいいですか? 滞在中は園芸に従事するのもありかと思うので」

「わかりました。菜園に薬草園、果樹園がありますけれど、どこからにしましょうか?」

「んーじゃあ果樹園で」

「果樹、ですか……」


 ん? シスターは何故か物問いたげに私をじっと見つめた。私何かしたかな? 問おうとしたら慌てて目を逸らされた。変なの。

 そういえば、差し入れた林檎は美味しかったかな。そうだといい。お礼は昨日のうちに言われたけど、その時はまだ食べてはなかったろうから。


 畑区画は寄宿舎からはそこそこ遠く、シスターを先頭に敷地内を進んでいく。農具の収納庫らしい納屋の横を通って低い垣根に囲まれた果樹園に出ようって頃合いだった。

 間引いたり雑草を抜いたりと栽培の世話をしているシスターなのか、ちょうど果樹園の入口から人が一人出てきた。

 体格の大きなシスターだ。

 男、なわけはないか。女装盗賊はとっくにお縄だ。

 向こうも私達に気付いて動きを止める。

 相手は何故か目元だけを見せていた。他は覆面の下。


 まるで、あの盗賊団みたいに。


 それを悟った瞬間、ギクリとした。ううん、血の気が引いた。ざわりと嫌な悪寒が肌を走る。


「あら、いつの間に畑に……あぁいえ違う方ね」


 シスターが足を止め怪訝そうに呟く。誰と間違ったのかはわからない。緊張のせいか急激に喉が渇く。


「シ、シスター、あの」

 

 引き返そうと提案しようとした矢先だ。猫が私の腕の中から飛び出してフシャーッと威嚇の音を上げて毛を逆立てた。

 視線の先には覆面シスターが佇んでいる。

 そのシスターは懐からギラリと光る何かを取り出し手に握った。


 農具? じゃない、刃物だ。


「たたた大変っ、逃げなきゃっ!」


 私の声にジャンヌとシスターはハッとする。


「チッ、騒いだら殺すぞ!」


 声からして男だ。やっぱり盗賊団の残党か~っ。

 この数日間上手く隠れていたに違いない。シスター服は大いに役に立ったろう。遠目じゃシスターだと思って誰も疑わない。

 果樹園にいたのは腹を満たせる季節の果樹があるからだろう。塀は高いし門は厳重だから誰にも見つからないように敷地外に出る方策を練りつつ機会を窺っていたに違いない。

 女装シスターは凶器を手にこっちに突進してくる。

 ぎゃーっリアルホラー映画ーっ!!


「散って逃げよう!」


 まだ少し距離があるし相手は一人だし分散すれば全員を追っては来られない。

 私は猫を抱き上げるや駆け出した。他の二人も纏まっているよりは助かる可能性の高い私の意図を理解してほぼ同時に走り出す。ジャンヌは心配そうにしたけど。時間がないから四の五の言えなかったみたいだ。


「くそっ逃がすかあっ!」


 男はどれか一つを選ばざるを得ない。

 老シスターか、猫を抱っこする私かでちょっと迷ったようだけど、こっちに来た。嫌だけど、正直シスターじゃなくて少し安心した。

 まだまだうろ覚えの敷地内をひた走る。

 男は依然悪態をつきながらも後を追ってくる。しぶとい。けど寄宿舎が見えてきた。あそこに駆け込んで入口を閉めれば時間稼ぎができる。


「あっ――!」


 気が急いて、足が縺れた。

 猫ごと転ぶ前にどうにか放り出す。期待通り猫は自らくるりと華麗に着地。私も咄嗟に踏ん張ったおかげでおっとっとっとっ、と多めに多々良を踏んだだけで済んだ。


「はあっ、へっへっ追い付いたぜ。観念しろ」


 だけど大きく時間ロス。くそーっ追い付かれたあーっ。


「観念? それはそっちじゃん。どうせ仲間と同じく捕まるんだしさ」


 私は敢えて挑発的な態度を取った。

 男は刃物をちらつかせてにじり寄ってくる。


「だがあんたを人質にすれば逃げられる。良いとこのお嬢様よ。だからあんたを追ってきた」

「……」

「逃げようなんて思うな。女一人黙らせるなんざ朝飯前だ。痛えのが嫌なら大人しくしてろ。無事逃げられたら悪いようにはしねえからよ、へへへへっ」


 いやに下卑た臭いのする男だ。人質にされたらろくな目には遭わないだろう。

 手を伸ばしてくる男にあたかも怯えたように身を屈めた私は、すぐにも逃げたいのをぐっと堪えてギリギリまで待つ。

 男の指先が触れるか触れないかの刹那、握りしめた砂を男の顔にぶちまけてやった。砂が目に入った男はぎゃっと悲鳴を上げた。


「このアマ!」


 男は見えにくいながらも私が近くにいるのはわかっているからかめちゃくちゃに刃物を振り回し始めた。

 げえええーっ、早く離れないとっ。


 だけど、運がない。


 男の乱雑な刃物の軌道に入ってたみたい。


 あ、やばっ、――刺されるっ!


 まるであの雨の夜に見た殺される夢にも似て、やけにスローモーション。

 嫌だ、死にたくない、お腹の子だって護りたい。


 ――アデライド!


 一緒に帰ろうって訴えたヴィクトルの必死な顔が浮かんでズキンと胸が痛む。

 今更だけどごめん、酷く突っぱねて。

 ごめん、この体を護れなくて。

 ごめん、もう一度会いたかった。

 走馬灯じゃない一瞬の思考に過ぎていく大きな罪悪感と諦念。

 それと同じくらいに願っていた。


 助けて、――ヴィクトル。


 刹那、銀色が翻った。

 刃物の銀じゃない。

 一匹の猫が男との間に飛び込んできた。


「なっ!?」


 私の真ん前で、銀の毛並みが男の顔面に飛び掛かったかと思えば、男から乱暴に地面に叩き付けられピクリとも動かなくなった。

 その拍子に刃物は傍の植え込みに飛ばされ見えなくなった。


「てえええっ、このくそ猫がっ……!」


 顔を、ううん血の流れる片目を押さえて男ががなり立てる。

 猫が本気で引っ掻いたんだ。その傷は深いだろう。

 だけど、ならず者の怪我なんて気にしている場合じゃない。


「猫ちゃんっ!」


 私は銀猫の傍らに膝を突いた。猫にしたら相当危ない力が掛かったはずだ。骨が砕けてもおかしくない。 

 猫は全然動かない。血が出たりはしてないから刃が当たったわけではなさそうだけど。


「どうしよう、やだよ死なないで!」


 主人を護ろうと勇敢に立ち向かう忠犬ならともかく、私とこの子は会ったばかりで主人と言えるかもわからない。

 なのにこの子は私を助けてくれた。その身を挺して。

 無謀や蛮勇なんて揶揄される事もあるけど、私は確かに救われた。

 そっと抱き上げると視界が滲んで、ぽろぽろと涙が落ちて銀の毛に吸い込まれては消える。


「お願い起きて……!」


 私は馬鹿だ。愚か者だ。だって猫を優先して折角の逃げるチャンスを棒に振った。でもどうしても、どうしてか、この子を放っておけなかった。

 片目は見えているようだから、ならず者から決して目を離したらいけなかったのに。


「その猫共々容赦しねえぞっ!」


 激怒し拳を振り上げる。相手にナイフを拾いに行く頭がなかったのは良かった。

 猫を護るように抱き込んで殴打の痛みを覚悟する。

 だけど直後、そいつの顔面に分厚い聖書が減り込んだ。


「ぶぐぅっ……!」


 男は鼻血を出し、呆気なく白目を向いて昏倒。

 助かった……?

 でも聖書なんてどこから。


「ご無事ですかロジェ嬢ーーーー!!」


 あっ、エドだ。

 赤毛でどう見てもエドだ。エドだねエド……ってエド!? 本物!?

 すごっ、広辞苑レベルの書物を結構な距離から投げて大の男を気絶させる強さで命中させるとか、こわっ、やばっ! 伊達に隊長やってないっ。

 でもさ、仕事で来た聖職者とかアドリアンみたいな幼子はともかく、基本男子禁制の女子修道院にどうやって入ったのあの人。帝国兵は勝手には入れないはずなのに。

 ってそれよりも何故にお宅も女装シスター?


「遅くなってすみませんっ、どこもお怪我は!?」


 駆け付けたエドは真っ先に私の心配をしてくれた。彼の後ろからはジャンヌが駆けてくる。

 もう大丈夫なんだって悟ったらエドの格好なんてどうでも良くて、張っていた気が抜けてじわりと更なる涙が溢れた。普段はこんなに泣き虫じゃないのに。


「エド、猫が……っ、私を庇ってこんな事にっ……どうしようっ、お願い助けてあげて……っ」


 涙目で訴えると、彼はようやく銀猫に気付いたようでそちらを見やった。

 ハッとした面持ちで何だか私以上に慌てたように顔を近付け様子を確かめる。けどすぐに安堵したように深い息をついた。


「大丈夫、心配ないですよ」

「ホント!?」

「はい。このお猫様には防御魔法が掛かっていますから。それ以前にこのお猫様のフィジカルの強さは某以上なので、あの男の腕力程度では掠り傷すら負わせられませんよ」

「うそ、エドよりも!? この子はスーパー猫?」

「まあそんなところですね。おそらくうっかり気絶したんだと思いますよ」

「うっかり? そうなんだ」


 エドが言うんだし猫もうっかり気絶するのかもしれない。

 二人が一緒なのは、走るジャンヌを見かけたエドが何事かが起きたのを察して声を掛け、状況から私の進路を予測して捜しながら来てくれたんだそう。


 その後、残党はぐるぐる縛られ、別の場所に逃げて無事だった老シスターから通報を受けて飛んできた教会騎士に連行されていった。

 エドはやっぱり許可無しらしく教会騎士達に潜入がバレないようにささっと隠れてやり過ごしていた。


 恩人な銀猫は今は私のベッドの片隅に寝かせてあげている。


 未だに目覚めない。


 部屋には私とジャンヌと、女装シスターエドがいる。


「うーん心配はないと思うんですがねえ。どうしてまだ意識を戻さないのかは某にも疑問です。すぐに気が付くと思ったんですが。……猫の体だから普段と魔力循環に差が生じるのかもなあ」


 猫の体だから? 私にはよくわからない独り言を零すエドは考える時の癖なのか顎を摩っていたけど「ならいっそ正常状態に戻してみるか」と、何かを思い切るように顎からその手を離して私にやけに真面目な目を向けてくる。


「ロジェ嬢、一つ頼み事をしても?」

「頼み事? 実家じゃないから私に出来る事は少ないと思うけど」

「ああいえ、それほど難しいものではないですよ。単刀直入に言いますと、――この猫を吸ってやって下さい」

「…………えーっと、ごめんもう一回言って?」

「この猫を吸ってやって下さい」

「…………顔を埋めてにおいを嗅げって?」

「まあ、そんな感じです」


 うーん私、猫アレルギーなんだけどなあ。


「昨日からずっと本当はそうしたいって思ってはいるんだよ。でもくしゃみ止まらなくなるからそれはちょっと無理かなあ」

「えっ……うーん、では息を止めて、ちょんっと少し顔を埋めるだけでも結構ですので」

「はい?」


 エドの言いようは明らかに怪しい。それじゃ猫吸いって言わないよ。


「それは何で必要なの?」


 エドは溌剌とした輝くイケメンの笑みで言った。


「それで万事解決だからです! 甲冑に誓って!」

「すごい言い切るね!」


 余計に不審だ。警戒心も露わに一歩退がると、エドは何を思ったのかベッドの猫を持ち上げて両手で脇を持ってぶら下げた。猫はやっぱりこれと言った反応も見せず、暴れもしないでぶら下げられている。


「とにかくお願いします」


 エドは神妙な顔付きで猫を押し出すようにして近付けてくる。何で無理やりな感じでこっちに寄せてくるの?

 不可解に過ぎてまた退がれば、その分エドも詰めてくる。

 退がって詰めて退がって詰めて退がって詰めて…………。


「ちょっとエド! どうして付いてくんのー!」

「あなたが逃げるからじゃないですか!」


 いつしか私と、エド+猫は、テーブルを中心にぐるぐると追いかけっこをしていた。


「はあっ、はあっ、はあっ、良い運動になった――って違う、ホンット何なのエド! その子とちゅーでもしろって!?」

「そうですっ!」

「何でッ!? そんッなに好きならエドがしてあげればいいじゃん!」

「……某、まだ死にたくはないので」

「死!? それってつまりエドは私に死ねって!?」

「は!? いえいえいえっそれは誤解ですっ。ロジェ嬢は絶対的に大丈夫です、甲冑に誓って!!」

「また甲冑だし! 多用し過ぎると逆に信じられないよ! そもそも根拠は!?」


 私達はまだテーブルの回りをぐるぐるしてたけど、卑怯にもエドが身体能力でテーブルを飛び越えて来た。だからとうとう壁際に追い詰められて、壁ドンみたいな距離感になる。なのに微塵もドキドキしないのはやっぱりイケメンでも相手が女装シスターエドだから?

 話は逸れるけど、どうして女装シスターする状況になったのか後で訊いてみよう。

 それに銀猫もさっきから荷物よろしく結構揺れたりしてるのに起きないのは、やっぱどう見てもおかしい。穏やかに息はしているようだけど。


「さあロジェ嬢、後生ですから!」

「待ってエド、正直に言って! その猫はもしかしなくても普通の猫じゃないんでしょ!」

「ぎくっ!」


 口で言った、ぎくって口で言った!


「そっその動揺っぷり、冗談抜きに化け猫だったりするんだね!?」

「化け……てはいます、っていえいえいえ安全安心猫です!」

「工事現場のスローガン?」


 実はヴィクトルから私の暗殺の密命を受けてやって来たとかだったら詰むッ。


「お願いしますロジェ嬢!」

「エド待って早まらないで!」


 最早背中は壁にピッタリくっ付いてこれ以上は下がれない。

 エドによってぶら下げられた猫の顔が徐々に近付いてくる。美猫だったと記憶してるけど、何故か今は魂が抜けたみたいな半目で白目な不細工顔だ。ひいぃ~~ッ。


「ブサカワにだって限度があるんだよーーーーっっ!」


 無我夢中だった。

 己の唇を死守せんと、決死の覚悟で猫を掴んでエドに突き返すように前に出した……のは辛うじて覚えている。


「んぐふッ!?」


 エドの変なくぐもった声が上がっての次の一時、私が見たものは、猫とエドとの奇跡のキスショット。


 稀に見る奇跡の光景が創造された。


 嗚呼猫を愛でるイケメン、映えるわーなんて白け半分に思った刹那、何と猫が人に変わった。


 一糸纏わぬ青年の姿に。


 私の位置からだとさらりと揺れる銀髪の後頭部しか見えないから、どんな顔をしているのかはわからない。

 だけどその人はタイミング良く覚醒したのか猛烈に憤ったようにして、信じられない事に、何とまあ、容赦なくエドの股間を膝蹴りした。


 きゃあああエドオオオオオーーーーッッ!


 声にならない絶叫を上げてエドは床の上をのた打ち回る。

 あれは相当痛いって聞いた。男同士で喧嘩してもそこは勘弁って慈悲深さで避ける場所だとも。


 凶手は間違いなく、全裸の銀髪美神、ヴィクトル・ダルシアク皇帝陛下。

 ぬわぁーんと、銀猫の真の正体は残酷皇帝陛下だったのだああっ!


 何って鬼畜ッ。女の私まで心で悲鳴を上げちゃったよ。

 ごくりと息を呑んで恐る恐る覗き込んだ横顔は、どこまでも冷たく配下を見下ろしている。

 伸びた首筋から至る綺麗な鎖骨に堂々たる胸筋にその下のシックスパックに割れた腹筋、そしてスッと伸びた背。肩甲骨も素敵な背中だけでも美しい。

 その姿にはどんな女の子だって惚れ惚れしちゃうと思う…………きちんと下を穿いてれば、だけど。……別の意味で悲鳴ものだ。

 うーんまあ人によってはむしろ隠さない方が嬉しいのかもしれないけど、私は穿いてますよで安心したい。

 って言うかそれよりも、そのさ、――お前もかヴィクトル……ッ。

 ブルータスだってきっとびっくりだ。ホント主従揃って不法侵入とかこの国の将来が不安だよ。

 呆れる以前にひしひしと湧き上がる思いがある。女装に全裸、こんなの他のシスターに見られたら私にはイケメンなのに変態……こほん、頗る開放的な知り合いが多いって思われる。

 隠そうにも、男物の服を調達する必要があるから知られるのは避けられない。ジャンヌはジャンヌで恥じらって目を隠して……いない、うん。指の隙間からばっちり見てる。

 私はもう猫がどうしてヴィクトルに変わったのかとか彼の怒りがどうとか彼への恐怖がどうとか、エドの不運がどうとかを考えるのも面倒になって、二人に背を向けるとベッドに寄った。


「とにかく、早く隠してっ」


 ヴィクトルへとぞんざいに私のシーツを突き出してやった。






 そもそもどうして皇帝陛下が女子修道院に(おわ)すのか。

 それは猫から人間に進化した男として後世に語り継がれる事にな……らない元々人間の男たるヴィクトルが、アデライドをとても案じたからだ。

 アデライドの事を人任せにしたくない。しかし身バレせず入るにはどうしようかと考え閃いた方法が猫に化ける、これだった。


 日頃から女子修道院への差し入れは珍しくはなく、特に重要でも目立つでもないドヌーブの女子修道院では、魔法の有無を厳しく調べられたりはしないからこそ可能だった手でもある。

 加えて言えば、皇帝たる者が教会管轄地で魔法を行使するなど禁忌を破るのかと万一糾弾されても、入る前から元々変化魔法が掛かっているものはセーフだと言い逃れられる。セコい手だ。


 問題は、動物に変化している間は特に感情の制御が難しくなる点か。

 化けた先の生態というか本能に引っ張られてしまうのだ。

 皇帝たる者、感情の赴くままに動いてはならないと何度も言い聞かせてはみたものの、自然体のアデライドと同じ部屋で過ごしていると思えばテンションが上がってされるがままに撫で撫でをしてもらったり、自分からすりすりまでしてしまう始末だった。嗚呼愛玩動物の性よ。くしゃみが出るからと悲しくも遠ざけられたりしながらも、彼はとても幸せだった。

 更には至福の一夜のベッドタイムも味わった。

 しかし、アデライドの真夜中の告白が彼をフリーズさせた。


 ――本物のアデライドではない。そして、彼女には彼女の属する世界がある。


 薄々元のアデライドではないと感じていたものの、実際彼女の口から飛び出したとんでもない真実に、驚き過ぎて凍り付きうっかり文字通り魂消たが割とすぐに我に返った。その間どこか空の上で元のアデライドの顔を見た気がしたが、気のせいだろうとその時はそう思った。

 だがしかし気のせいなどではなかったのは、ついさっきまでトリップしていた彼の意識が彼自身に証明していた。

 そこで彼は、アデライドに会った。

 本当のアデライドに。

 故に、もう困惑も混乱もなく、彼の心は決まった。

 現在彼はシーツ一枚に包まり、女子修道院のアデライドの部屋の椅子に静かに腰掛けている。

 テーブルを挟んだ真向かいにはアデライドが座っていた。

 彼の、恋に落ちた、愛しいアデライドが。

 さて、何からどうしようかと、彼は彼女を眺めつつ内心で様々に思索を巡らせるのだった。

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