アルテミスの神託は悪魔の囁き
「余計な力を使いたくないだけだよ。大勢の兵士相手になんだかんだってやると、すんごく疲れるだろ。下手したら死んじゃうし」
「それには自分も同感っす。最近、疲れがとれないんすよねー。回復ポーション飲んじゃおうかなーて」
ルシファー、疲れるんだ。
ベルゼビュートも、疲れてるんだ。
二人とも双頭のサタンと呼ばれていたほどの悪魔なのに、間違ったら死んじゃうんだ。
何となく弱点発見。
そうだよねー、お尋ね者の悪魔じゃ真面な加護受けてないもんね。
誰でもいいから、この人達に加護を授けてやってちょうだい。
「それなら今のうちにパッパッパッっとやっつけちゃって、すっきりさっぱりした方がいいっすね。神託を告げるのは誰にしたらいいっすか」
「その辺に生えている食虫植物でも、蛙に食われる寸前のバッタでもいいし、行き倒れの死神とか、双頭のサタンか、野垂れ死に寸前の疫病神なんて、んー、何でもいいんじゃないの。夜だし、暗いし、見えないし」
何でもいいって例えじゃないんですけど。
「思い切ってアルテミスでも騙りますか」
「それって、アルテミスにこってりみっちり叱られないか」
「それでしたら、わたくしがアルテミス様に許可を願っておきましょう」
台所で包丁をタントンやっていたかと思ったら、マグロの刺身を持ってきたエポナさんまで詐欺の片棒担ぎに大乗り気だ。
「ウフフフ」
神族という立場に有りながら、悪魔の手伝いがそんなに楽しいか、妙な色に染まっていくような笑い声だな。
スッーと奥の台所に行ったかと思ったら、生ビールの大ジョッキを持って再登場のエポナさん。
何時にも増して笑顔が眩しい。
「只今、アルテミス様に事情を御伝えしたところ、お名前を使う事を快諾してくださいました『なんだったら、私が出張っても良いけど』とまでおっしゃってくださいましたが、話が大げさになってしまいますし、十分なおもてなしもできませんので、丁重に御断りしておきました」
残念。生アルテミス見たかったー。
この言葉を聞いたベルゼビュートは特別な準備をするでもなく、炬燵に足を入れてくつろいだまま神託を唱え始めた。
右手におちょこ左手に徳利って、不謹慎過る気がするんだよね。
酔ってるのかな。
酔っ払いの神託って、それも偽物で悪魔って、信じてくれる人がいるのかな。
不安だな。
「戦場の兵士達よ、私の声を聞きなさい。今直ぐに争いを止め、己の故郷に帰りなさい。ただし、善良なる民を殺したる者・犯したる者・財産を奪いし者は、その場から動いてはなりません。逃げたる時は、その場で天罰を下します。これは月の女神であるアルテミスからの神託です。くれぐれも疑うことなかれ。繰り返します。これはアルテミスからの神託ですわよ」
悪魔のベルゼビュートが、よく言うわー。
「さてーっと、夜が明けたら戦場はどうなってるんすかね」
「今のあいつらに神託が通じるとは思えないが、半数は戦意喪失しただろうよ」
翌朝早く、私達は最前線の上空から、ぶつかり合う両軍とそれに巻き込まれて崩壊した街並みを見た。
「ダメだな。あいつら聞く耳をまったく持ってないよ」
「そのようっすね」
昨夜の神託で戦場を去った兵士は、ほんの一部でしかなかった。
せっかく逃げ道を作ってあげたのに、分らずやの大馬鹿たればかりだ。
それとも、右も左も敵も味方も分からなくなってしまったような乱戦の中、インチキ神託でも信じ込んだ者が、ほんの少しいたことに感謝すべきだろうか。
「ルシファー様、もう決めているのですね」
エポナさんが穏やかに聞くと、ルシファーが小さくうなずいた。
「私達は控えていようか」
麒麟にまたがったティンクが、空中に浮いた馬車の中に入っていく。
ルシファーが何をしようとしているのか、いくら鈍い私にも分る。
私も馬車の中に控えた。
ベルゼビュートは暫く心配そうにルシファーの側に突っ立っていたけど、エポナさんに背中を押されてようやく馬車の中に入って来た。
「愚かで傲慢な兵士共よ、我の声を聞け。
罪なき人々を傷つけ殺害せし者・財産を奪いし者・姦せし者はその場を動くな。
戦意なき善良なる者は、ただちにその場を立ち去れ。
我は留まりし者を殺しはしない。
命をいただき魂を封印するだけである。
いずれ浄化されたる魂には、必ずや命を授けるであろう」
ルシファーが私の異世界司書の慈悲を参考に、堕天使の抱擁をしかけようとしたその時。
「あの時の過ちを繰り返すのか、愚か者が」
ミカエルがルシファーの目前に現れ、魔法をかけるのを止めた。
何してくれるかな。
「ちょっと、何の権利があって私達の仕事の邪魔するの」
私ったら、思わず飛び出してしまったけど、この先どうしたものやら。
ミカエルが私を睨みつける。
「非力な人間ごときに何が分る。大人しく馬車に控えておれ」
なんて生意気な奴。
もう頭に来ちゃったもんね。
「誰のおかげでそんな虚勢を張っていられると思ってんの、あんたが言う非力な人間の信心があってこそなんじゃないの。地球で信じられているミカエルは、あんたのように高慢ちきなろくでなしの意気地なしじゃないわよ」
うわっ、ありったけの罵詈雑言。
ミカエルがマジこっち向いちゃったー。
「このミカエルを高慢ちきなろくでなしの意気地なしとは、小娘、思いつく限りの悪たれ口、神をも恐れぬ傍若無人、お前ごとき虫けらなど一捻りしてくれるわ」
ミカエルが私に向かって何かを仕掛けてきた。
‥‥‥何も起こらない。
「おっさん、今ー、何か仕掛けたのかなー」
ひっとしたらこいつ、とっても弱いかも。
「おっ、おっさん。えーい、これでも喰らえ。神術・ゼウスのケラウノス!」
天が光で溢れると、その光が私目掛けて一斉に襲い掛かって来た。
激烈な雷鳴が大地を激しく揺らす。
私? 私はいたって元気ですよー。
まじか。
今のミカエルって、とっても弱いじゃん。
「怠慢を続けた今の貴方に、私達の仕事を阻止する力は残されていないわよ。ルシファーにも、ベルゼビュートにも、人間の私にさえ勝てないの。己のふがいなさを痛感しなさい。根性なしのフニャ。邪魔だからそこどいて」
私達がこの世界に来てから立て続けに起こした奇跡で、多くの人間がベルゼビュートを信仰の対象に選んだ。
人間の上級神に対する信仰心が、日に日に薄れてきているのは確実だ。
現状を見れば当然の結果だけど、私達の作戦が笑っちゃうほど見事に成功している。
「今は奈都姫様の御かげで、堕天使の抱擁を制御できるようになった。もう二度とあのような悲劇は生まない」
ルシファーがミカエルに向かって叫ぶと、再び堕天使の抱擁を仕掛ける。
「罪なき人々を傷つけ殺害せし者・財産を奪いし者・姦せし者はその場を動くな。
戦意なき善良なる者は、ただちにその場を立ち去れ。
我は留まりし者を殺しはしない。
命をいただき魂を封印するだけである。
いずれ浄化されたる魂には、必ずや命を授けるであろう」
同時に私も異世界秘書の慈悲を発動。
「罪なき人々を傷つけ殺害せし者はその場を動くな。
罪なき人々の財産を奪いし者はその場を動くな。
罪なき人々を姦せし者はその場を動くな。
戦意なき者はただちにその場を立ち去れ。
嘘偽りを告げたる者は覚悟せよ。
我は死者とて容赦なく処刑する。
汝の魂は永遠の業火で焼き続けられるであろう。
正直にとどまりし者を殺しはしない。
命をいただき魂を封印するだけである。
浄化されたる魂には必ずや命を授けるであろう」




