そしてフェンリル
急ぐ旅だからか、それともこれが普段の勢いなのか。
エポナの料理教室は、言葉と同時に下処理を完了していく。
攻撃開始からイルヤンカが食材や素材に変身するまで、僅か十分。
「血の匂いで獣が集まってくる前に退散しましょう」
馬車に勢いをつけて、素早く殺害現場から立ち去る。
派手に揺れる馬車の中。
皆さんが返り血を浴びている。
リアルなホラー映画の一場面になっている。
ティンクとエポナさんが一緒にお風呂。
ルシファーは自分のクローゼットに戻って、入浴と着替えだ。
ルシファーが何着同じデザインの服を持っているかは不明だ。
着替えたとしても、どうせ同じ衣装なんだよね。
よくよく考えてみたら、クローゼットは宙に浮いている。
馬車の揺れがまったく伝わらない。
お風呂の御湯が零れる心配もないし、ガタゴトで体が痛くなる事もない。
快適な馬車旅を望むなら、クローゼットの中に入っていれば良かった。
何で今まで気がつかなかったんだろう。
私ってば、お馬鹿さん。
皆さんの入浴中は私が馬車の見張り番をする。
馬と馭者はエポナさんの分身。
私なんかより、よほど熟練している。
まかせっきりでもいいけど、やはり前を見ている人がいないと不安なものだ。
前を見ているのが私と言う現実を、不安材料としてもいいんだけどね。
お風呂から上がると、エポナさんは休みもしない。
馬車の中で早速調理開始だ。
「ねえ、食べていい」
バスローブのティンクは、料理が出来上がるのを待ちきれない。
「良いわよ」
割烹着姿のエポナさんが、肝臓の切れ端をティンクに差し出す。
これをツルッと口の中に入れて、もぐもぐ。
口の周りが血で赤く染まっていく。
妖精じゃなくて吸血鬼だよ。
昼食は調理をしながらのつまみ食いでまかなっている。
私は蛇というのがひっかかって一口も食べられない。
見かねたルシファーが、マグロの目玉の煮つけを持ってきてくれた。
白目が私を見ている。
これも食べられないわ。
挙句の果てに、私は昼食抜きー。
空腹に耐えるには寝るのが一番だ。
安眠できるように、私は自分のクローゼットに引き籠った。
そして、カップ麺を発見した。
今夜の野営地と決めた場所に馬車を停め、焚火に鉄板と焼き網をセッティング。
ひょっとしてもしなくても、歓迎すべき串焼きバーベキューの仕度をしている。
それなら私にも食べられそうだ。
早く焼きたい。
焼いてやる。
食べてやる。
出てきた食材はマグロに蟹とロック鳥。
昼間の蛇とクックバット。
野菜はないのかなーと思っていたら、ティンクが大皿に盛られた野菜を軽々持って来た。
「どこからこんなに野菜を仕入れてきたんですか」
かねがね食卓の野菜不足を痛感していた私にとって、目の前に起きた現象は実に喜ばしい。
「その辺の荒地からですわ」
それって、ひょっとしたら雑草という解釈でよろしいのかしら。
「あたしがね、ビュンビュンって飛んで、野生化した野菜を集めてきたの」
放置された農地では、育てていた野菜が種を作り野生化して増えている。
嬉しい誤算。
途中、遠くの野原で草を食む黒い牛達を見掛けた。
カウベルをぶら下げていなかったが、あれは自然繁殖したものなのか、それとも飼い主がいるのか。
犬猫なら、首輪がなければ野良として扱っていいはず。
だったら、彼奴等は全頭首輪無しの野良牛だった。
出来れば牛さんのお肉なんかもあると最高なんだけどなー。
「はい、黒毛牛でございますわよ」
エポナさんがにっこり、私の前に適度に脂ののった厚手の牛肉を置いてくれた。
「こんなもの、いつー」
感激で胸いっぱい、お腹空っぽ。
「僕が外を眺めていたらね、ちょうどうまい具合に真ん前にこの肉がいてくれたんだ」
ルシファー、それって良い具合だったのは私達だけで、牛さんにしたら生涯最悪の出会いだったって気付いているかな。
黒毛牛さん、迷わず成仏してください。
馬車に揺られ揺られて空っぽになった胃袋に、大量の食料をぶち込む時が来た。
各自好きな食材をバンバンジュウジュウ焼き始めると、勢いづいた煙が月明りの空に立ち昇っていく。
エポナさん特性のバーベキューソースがこれまた格別。
いくらでもお肉が胃袋に吸い込まれていく。
今夜ばかりは、しずちゃん差し入れの生ビール派になっている。
売れ行きが非常によろしい。
しかし、ところが、BUT。
異世界にはどうしても魔物が付き物なのね。
出てこなければいけない仕様になっているのかな。
安心して食事をするのも難しいだ。
焚火の灯りとバーベキューの臭いに釣られ、遠くから危なっかしい四つ足の影がゆっくりこちらに向かって歩いてくる。
和やかな夕餉は一時中断、緊迫の臨戦態勢となった。
やがて、毛足が長くて灰色の、大きな犬っころが目の前に現れた。
「フェンリル様ではありませんか」
ルシファーが肩から力を抜いて、構えていた刀を鞘に収める。
「いかがなされました、こんな所で何をしているのですか」
エポナさんは包丁の刃先を、慌てて牛肉に向けた。
「あの犬っころ、何者?」
犬っころの前でへつらっている二人を横目に、ティンクに念話で状況を聞く。
「フェンリル様だよ。魔界の女王・ヘルの兄ちゃん」
ゲッ。
いかん時に、いかん所で、いかん奴が、いかん状況を、いかん具合に作り出している。
「いやなに、その臭いがわしの鼻腔を心地よく刺激してな、ついフラッと立ち寄ってみたのだが、実は腹もへっている」
「ああ、これは気が付きませんで、どうぞこちらに」
エポナさんがフェンリル用のテーブルを、ガレージから引っ張り出してセットする。
「して、いかなる御用向きでこのように辺鄙な所へおいでなさいました」
元魔王のルシファーが、魔界の女王ヘルの兄ちゃんだというだけの犬っころに対して、必要以上にへりくだっている。
「うん、最近になってな、ここら辺りにイルルヤンカシュが現れているとの噂を聞いてな。奴の肉は無上の佳味ゆえ、気配を頼りにここまで来たのだが、昼頃になって突然気配が消えてのー、狩りにならんのだ。いくら捜してもみつからないので、もう帰ろうとしていたところだ」
「イルルヤンカシュって何者」
ティンクにそっと聞いてみる。
「イルヤンカのことだよ、さっきの蛇だよ」
ティンクの声が明るく大きくて、確実にフェンリルの耳に入った。
「なに、さっきの蛇とな、どこにいたのだ。今はどの辺りにいるのかな」
ティンクが、焼き網に乗ったイルヤンカの肉を指さす。
「お主等、奴を狩ったのか」
フェンリルの口が開いたまま塞がらない。
よだれが垂れてきているから汚らしいよ。
「はい、我等にて調理いたしまして御座います。ささ、一口どうぞ」
ルシファーがバーベキューソースをフェンリルの目前に置く。
「どーれ、遠慮なくいただくとするか」
有言実行、本当に遠慮のない奴だ。
蛇は食べないから食べようが吐き出そうが、それはどうでもいい。 だけど、ぶしつけを絵に描いたようで、こいつは好きになれない予感。
フェンリルはグーの手なのに、上手に箸を使いこなしている。
イルヤンカ焼肉をソースに浸し口へと運ぶ。
誰に教わったんだ、そんな箸使い。
「おー、何という美味。なんという珍味。これは美味いぞ。ソースがまた格別ではないか。後でレシピを伝授せよ。それから、この生ビールもなかなか美味いのう」
生ビール、取り上げちゃったら怒るだろうなー。




