十四
お手紙、書こうか、どうしようか、ずいぶん迷っていました。けれども、けさ、鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ、というイエスの言葉をふと思い出し、奇妙に元気が出て、お手紙を差し上げる事にしました。
あなたに、御相談してみたい事があるのです。
私のこの相談は、これまでの「女大学」の立場から見ると、非常にずるくて、けがらわしくて、悪質の犯罪でさえあるかも知れませんが、けれども私はいまのままでは、とても生きて行けそうもありませんので、私がこの世で一ばん尊敬しているあなたに、私のいつわらぬ気持を聞いていただき、お指図をお願いするつもりなのです。
私には、いまの生活が、たまらないのです。すき、きらいどころではなく、とても、このままでは生きて行けそうもないのです。
修学旅行二日目も、くるしくて、からだも熱っぽく、息ぐるしくて、それでも修学旅行中だから休む訳にもいかず、あなたたちと一緒に京都へ向かいました。
「最初さ、どこ行くんだっけ」「八坂神社」「ああ、縁結びのやつでしょ」「…そう」「でもあれさ、多分縁結び以外にも色々と利益あるよね、なんか忘れたけど」「スサノオと関係あるとか聞いたことある」「そうなんだ、あれかな、天照大神とかその辺の神話絡みの神社なのかな」「多分そう」「そっかぁ、でもそれ縁結びと関係あるの」「さあ」「っていうかさ、あれでしょ、八坂神社ってさ、なんかの総本山なんでしょ」「そう」「うん、だから多分いろんな神がいるよ」「その中に恋愛の人もいるんだ」「そうだと思う、私は」「へえ」「でも縁結びって言ってもさ、特に結ばれたい人いないからなぁ」「本当に?」「うん」「いるんじゃないの」「いないよ」「よかった」「なんで良かったの」「…いやまあ良かったなって」「…Aさんはさ、なんか…ごめんこういう話しちゃいけないかな」「別にいいけど」「Aさんはなんか…好きな人と結ばれたいとかさ、そういうのあるの」「私はない」「ないんだ」「結ばれたいとは思わないから」「いやなんで」「好きな人が幸せでいられるならそれが私にとっても幸福になる」「受け身だね、もっと自分に素直になってもいいでしょ」「そうかな」「そうだよ、ずっと後ろから見てたって辛いでしょ」「まあ辛いね」「やっぱりさ、私よく分からないけど、こういうのはちょっと我儘になってもいいんじゃないかな」「…でも難しいんじゃないそれって」「まあね、でも大事だよそういう姿勢も」「…そっか」「…C君はいるの好きな人とか」あなたがC君に話しかけたこと、しかもそれが恋愛の話であったことが、私の血液を凍らせました。「いやなんで俺なんですか」「いやまあ適当に聞いてみただけだけど」「いないですよ」「ほんとに?」「はい」「へえ」「いやいるだろお前、昨日言ってたじゃん」「…それはまあ…はい」「えっいるんだ」「まあ…」「そっかぁ」横から男子が割り込んできたけれど、その会話はそこで終わりました。
「神社ついたしさ、参拝しようよ」「うん」「参拝してるところの写真とかさ、撮りたいよね」「そうだね」「じゃあみんなそれぞれ友達同士とかで参拝してさ、写真撮ろうよ、Aさん一緒に写ろう」「…いいの?」「いいよ」「ありがとう、嬉しい」私たちは写真に写って、それからしばらく後に、次の目的地へ向かいました。
「次あれでしょ、伏見稲荷大社」「そうだね」「私さ、このさ、事前に立てた計画、絶対おかしいと思ってるんだよね、八坂神社から伏見稲荷大社行ってそこから色々経由した後に清水寺ってさ、あれじゃん、京都駅から一回離れてさ、それでまた近づいてまた離れるっていう…明らかに時間がさ、移動時間に取られるじゃん」「でもどうしても八坂神社に行きたいってあの人が言ってたから仕方ないんじゃない」「うんもう一人の子のたっての希望だからね、仕方ないけどさ、でももうちょっとやりようあったんじゃない」「まあ今更言っても始まらないから」「まあそうだけどね、でも私あの伏見稲荷の千本鳥居好きなんだよね、一回行ってみたかったんだ」「アニメとかでよく出されてるイメージはある、アニメよく知らないけど」「そうかな、いやまあ割とありそうだよねイメージ的には」「あれでも私も行ってみたかったから」「そうだよね、憧れるよねああいう古い建造物とか」「うん」
伏見稲荷に着いて、千本鳥居の中をあなたと二人、歩きました。
「いいよね、なんか幻想的でさ」「そうだね」「そういえばさ、“おもかる石“っていうのがこの境内にあってさ、それを持ち上げてね、予想より軽かったら願い事が叶うみたいな、そういうの聞いたことあるよ」「そうなんだ」「通り終わったら持ち上げてみようよ、Aさんはなんか願い事とかあるの」「私は…ない」「ないの?」「ないよ」「なんかあるでしょ、小説もっと書けるようになりたいとか」「いやない」「ないのかぁ」「私は…私はこうやってあなたと一緒にいられるだけでそれが幸せだから」「急に重いね」「冗談だけど」「冗談かぁ」「まあでも私は今のままやっていければそれが幸せだからこれ以上もう何も望まないけど」「そっか、私はね、願い事あるんだよ」「…何?」「秘密」「そう」「気になるでしょ」「いや別に」「気にならない?酷いな」「でも…」「でも?」「なんでもない」
やがて鳥居を通り終わって、おもかる石のある場所へ行きました。あなたは「何これ重っ、予想以上に重いよ」と言って、「これ男子なら持ち上げられるかもしれないけど女子は厳しいんじゃないの、C君とかも腕に筋肉なさそうだからめちゃくちゃ持ち上げづらそうだし」とまたC君に話を振ります。「いや自分は意外と筋力ありますよ」「ほんとに?じゃあちょっと持ち上げてみてよ」「…重いですね」「でしょやっぱり、Aさんもやってみる?」「私は遠慮しとこうかな」「そう言わずに」「いやいい」「卓球で鍛えた筋力を見せるんだよ今こそ」「そんなに筋肉ないんで」「いいから」「じゃあやるけど…」「どう?」「重いね」「全然重そうな顔してないけど、本当に重いの?」「重いよ」「そう?」「まあ想像よりは軽かったけど」「マジか、じゃあ軽いじゃん」「想像よりは軽いけどでも重い」「どっちよ、でも軽かったんならAさんの願い事叶うね」「願い事ないけどね」「じゃあ今決めようよ願い事、せっかく軽かったんだし」「じゃあ…どうしようかな、Bさんがずっと私のことを忘れないでいてくれますようにとか」「また重いこと言うじゃん、正直石よりAさんの感情の方が重いよ」「そうかな」「でも忘れるわけないじゃん、友達なんだし」「そうだよね、そうなんだよね」「そうだよ」
皆がおもかる石を離れて、次の目的地に向かおうとしている時、私はあなたに近寄って、小声で「…本当に忘れないでいてくれるよね」と言いました。「うんそうだよ、どうしたの今日Aさん、なんか様子おかしいけど」「全然大丈夫」「そう?」「…うん」「もしかしてさ、ホームシックとかで気分暗くなってる?」「まあそうかもね」「私もよくあるよそういうの、でもAさんでもホームシックとかなるんだ」「なるでしょそれは」「そうだよね、Aさんも人間だからね」「人間だよ」
それからいくつかの神社に参って、清水寺が次第に近くなってきた頃、雨が降ってきました。「ヤバい雨降ってきたじゃん、みんな傘持ってるのかな」「私は持ってる」「ちょっとカバンの中探してみるね、あった」誰もが傘を持っている中、C君を含む男子二人は持ってきていなかったのです。C君でない方の男子が「俺はあいつに入れてもらうけどさ、でもCも入れて3人で傘の中入るの厳しくね?」「ああ、じゃあ自分は傘ささずに諦めて雨の中に濡れます」「いや可哀想だよそれ、入れてあげなよ」「でもあいつの傘小さいんで3人も入らないんすよ」「そんなに小さくも見えないけど、うーん…じゃあさ、私の傘入る?…私あんまり気にしないし、そういうなんか…あれ」あなたのその言葉を聞いて、誰もが固まったけど、私はそれ以上に、全ての血液が絶対零度まで達して、体中を回り、逆流させて、心拍数がどんどん上がっていく、そんな気持ちになって、思わず「いやダメでしょ流石に」といつになく大きめの声で言ってしまいました。「そうかな?」「…Bさんが気にしなくてもC君は気にするかもしれないから」「まあそうかもね」「っていうか男子さ、なんで入れてあげないわけ?別にちょっとくらい雨に濡れたって傘入ってるんだから誤差でしょそんなもん、っていうか別に3人入れられないような傘の大きさにも思えないしさ、C君とあんたらがそんなに仲良くないのは別に知ったことじゃないし勝手にやってろって話だけどこういう時はそういう変な…よくわからないカースト意識とか選民思想的なの捨ててさっさと傘の中入れてあげればいいでしょ、ただでさえ時間ないのにこんな傘に誰が入るかとかそんなバカみたいなことで話し合ってたらどうしようもないじゃん、協調性ないんじゃないの」Bさんの言葉が心を揺るがせて、つい強い言葉で男子二人に当たってしまいました。身勝手な人。自分でも随分とまあ嫌な性格だと思いますが、それでもそれが私だから、致し方ないのです。「…あっはい、じゃあそうするけど急にキレんなよたかだか傘くらいで、選民思想とかそんなんじゃないんですけど」「…ごめん」前を向いてまた歩き始めました。男子たちが小声で「神経質すぎんだろ、生理中かあいつ?」と陰口を叩いているのが聞こえて、ふと殺してやりたくなりました。
「Aさんやっぱり調子おかしいんじゃない」「おかしいね」「もっと落ち着きなよ、Aさんの気持ちもわかるけどさ、男子たちだって必ずしもそういういじめみたいな感情でやってるわけじゃないだろうしさ」「まあね、そうでしょうね」「…私がC君と一緒に傘に入るのが嫌だったの?」「…別に」「…」「変な勘違いしないで」「…なんかごめんね」「なんで謝るの、Bさんは何も悪くないのに」「うん…でも」「私が悪かったから、私が悪かったからそんな顔しないで、お願いだから、私のせいであなたが傷つけられるのが一番苦しいから」「…もっと明るい話しようよ、せっかく修学旅行なんだし」「そうだね」
私たちは清水の舞台へ到着したのです。「なんかさ、いい景色だよね、雨が降ってなきゃいいのに」「そうだね」「清水の舞台から飛び降りたら願いが叶うっていうけど本当かな」「叶う前に落下の衝撃で命落とすでしょ」「今はそうだけどさ、でも昔はね、この下に木々が生い茂ってたおかげで飛び降りた人の8割くらいは生き残れたらしいよ」「でも残り2割死んでるじゃん」「まあそれはね、誤差だから」「誤差にしてはあまりに大きすぎる犠牲だと思う」「でも昔って割と人死にまくってたし2割死んだ程度でどうってことないでしょ」「怖いね昔」「そう、割とヤバいよ昔は」
表向きはいつも通り会話をしていても、心の内では必死でした。動揺を、気取られたくなかったから、おわかりになりますか、私の気持ちが、あなたに。
やがて宿へ向かって、夕食など済ませて、また部屋のみんなは騒ぎましたが、私はずっと黙りこくっていました。優しいあなたはそれを見て「…Aさん大丈夫?」と聞いてくれて、私は「うん」とだけ答えました。
やがて消灯時間になりみんなが布団の中へ入って、それからしばらく経った後のことでしょうか。あなたが私の枕元に来て、「Aさん起きてる?」と話しかけてくれました。眠れる訳はないのです。「うん」「ちょっとさ、トイレ行かない?」「いいよ」私たちはトイレへ向かいましたが、あなたのその目がいつになく真剣なのを見て、私は何かあなたに重大な事実を明かされるのではないか、トイレに行くというのは建前に過ぎないのではないかと、心中でずっと不安でした。




