母は、つよし。
ぼくの母は、つよし。
若い時にイワシ漁できたえた体が、母のじまんだ。
今日もフリフリのエプロンをつけて、ごはんを作る。
母のうでは、ソーセージロールパンみたいにふかふかだ。むねから下は、板チョコレートみたいに四角い割れ目が入ってる。
おいしそうな体なんだけど、力持ちなんだ。そして、ぷよぷよのへなへなにならないように、毎晩「筋トレ」というのをしてる。
ぼくは、お茶わん一ぱい半のお米を食べられる。
母は、ぼくのよりうんと大きいお茶わんで三ばいお米を食べる。
ぼくは、毎朝ぎゅうにゅうをのむ。
母は、毎朝プロテインをのむ。チョコレートあじ、なんか、ずるい。
ぼくは、おかしとパンが入ったふくろなら持てる。お買い物のおてつだいは、ぼくのしごとだ。
母は、右うでと左うでに、ぱんぱんにつまったLサイズのレジぶくろを三つずつ持てる。お米なんか、お米やさんで、たわらを買ってくるんだ。かたにかついで、アッハッハと笑う。道でいろんな人が指をさしたり、びっくりしたりしてる。はずかしい。
じつは、ぼくには母が二人いる。ごはんもおふろもいっしょの、つよし母と、一年に一度しか会えない、かなめ母だ。
かなめ母は、せかいじゅうをとび回って、あんぜんなたてものを作るしごとをしてる。母のおみやげは、いつもわくわくする。
かなめ母は、赤ちゃんだった時のぼくに、おっぱいをのませてくれたそうだ。おむつもかえてくれて、こもりうたをうたってくれた、とつよし母がねる前にはなしてくれる。
かなめ母も、つよし母にまけないぐらい、力持ちだ。へんな人にかこまれても、すぐにやっつけちゃうんだ。うではボンレスハムみたいにむちむち、むねから下はかわらみたいにかちかち。
つよし母は、かなめ母にはかなわないんだって。かなめ母のたんじょう日をうっかりわすれたら、かなめ母、むきーっておこって、フライパンをまるめちゃった。
ぼくがさみしくないように、つよしは、つよし母にへんしんしたんだ。ほいくしょのともだちは「じんくんのおじちゃん」「じんくんパパ」ってよぶけど、ぼくにとっては「母」だ。
おまわりさんだって、プロレスのマスクマンだって、母たちにはこうさんするとおもう。二人がけっこんしたのは、山ツアーでそうなんして、クマにおそわれそうになった時に、いっしょにやっつけたからだ。ぼくもやりたい! って言ったら、母たちは「もっと大きくなったらね」ってとめられた。くやしい。
つよしとかなめのなまえをならべると「さいきょう」になるんだ。あれれ、かなめが先だった! かなめとつよしで「さいきょう」だよ。これは、ひみつにしてね。
あとがき(めいたもの)
改めまして、八十島そらです。「ガチムチ」を使わずに「ガチムチ」を表現することに挑戦してみました。いかがでしたでしょうか。
家族の形は、人それぞれ。母が二人、父が二人いても、立派な「家族」なのだと私は信じたいですね。
じんくんのお名前、漢字にしたら何なのでしょうか。十年後には、クマをひとりで狩れる男になっているかもしれません。