1.隣国の王太子の来訪
バトラント国のノーマン公爵令嬢、アリシアは貴族にしては珍しく、権力欲の少ない令嬢であったが、それには当主である実兄アシュリーの考えが大きく影響していた。
彼らの父親は幼い頃に爵位を継いでおり、まだ四十代でありながら、在籍は三十年を超えるベテランであった。そのため、揺るぎない地位を有する大貴族のひとりとして数えられている。
十年も勤めれば長いとされる中で、三十年もの間、陛下に仕えてきた彼は、息子が成人すると早々に当主の座を渡してしまった。
「わたしはもう充分に働いた。これからは妻とふたり、水入らずで過ごさせてもらうぞ」
彼はそう言って最愛の妻を連れ、領地の奥に引っ込んでしまったのであった。
若くして公爵家当主となったアシュリーは父の築いた地位をそのまま引き継ぐ形となり、これ以上の栄華はむしろ一族を危険に晒しかねないと判断した。
そういうわけで、ノーマン家は血縁を利用した政略結婚は求めておらず、妹であるアリシアが、家格的にも年齢的にも隣国フリエールの王太子ルーファスに釣り合う相手だったとしても、その婚約者候補として積極的ではなかった。
基本的に王族というのはその伴侶に、自らと同じく王族を求めるものである。しかし、王家の血は限られており、また近親婚が続くことも好ましくない。
その為、各国の王族は時々、国同士の結託も含めた伴侶を国外に求める。
ルーファスもその例に倣い、留学という名の花嫁探しの為に来訪したのであった。
もっとも、ルーファスの父は寛容な人物であり、王太子妃の選出は本人に任せる、と公言していた。
巷の恋愛小説ブームも手伝ってか、国王の発言は歪曲してとらえられ、身分を問わず、誰にでもチャンスはある、ということになってしまった。
そのため、どの令嬢もルーファスとお近づきになりたがり、彼に茶会の招待状が殺到するだろうと予測した結果、ルーファスの歓迎会と称した王家主催の茶会を開催することとなった。
アリシアは今まさに、その現場にいるのである。
婚約者になりたいとは思っていなくても、隣国の王太子を歓迎する集まりだと言われたら欠席できるわけがない。
周囲の令嬢はアリシアの出現に戦々恐々としている。血筋からいけば、彼女が王太子の婚約者の座に最も近い令嬢だったからだ。
口から出そうになるため息をぐっとこらえて、アリシアは他の令嬢たちと同様にルーファスの訪れを待っていた。
彼女の隣には幼いころから親しくしているタイラー伯爵令嬢ことジャニスがいる。
「お顔に出てますわよ」
ジャニスはアリシアを揶揄するように扇で口元を隠して笑った。
アリシアも同じく扇を広げ、
「わたくしは素直さが売りなのよ」
と笑い、それから文句を言った。
「くだらないわ、こんな茶番に付き合わされるだなんて」
「仕方ありませんわ、ノーマン家は我が国の筆頭貴族のひとつですもの。アシュリー様がやむを得ない事情で欠席なさったのですから、アリシア様まで不在となれば国際問題に発展しかねません」
ノーマン家が手掛けている事業で緊急事態が起こった為、アシュリーは前日の早朝、馬を駆って飛び出していったきり戻ってきていない。
この集まりを欠席するつもりだったアリシアは急遽、身なりを整え、この場に臨んだのだ。
時間がなかったこともあって、ドレスも宝石も、もちろんヘアスタイルも、適当を通り越していい加減である。
ドレスは上等な生地で仕立てあるし、アクセサリーも一級品であるから、見劣りなどするはずもない。しかし、王家のイベントに参加する令嬢は、少なくともひと月前からその準備に取り掛かる。
正味二日もなかった為、紛れもなく怒涛の二日間であった。つまりアリシアはひどく疲れていて、要するにまったくやる気がなかったのである。
今すぐにでも帰りたいアリシアの願いが叶ったのか、思ったより早く、バトラントの王太子ライナスと共にルーファスがその姿を現した。
居並ぶ者たちは頭を下げ、彼が入場するのを静かに待った。
彼の花道には多くの令嬢が並んでいる。もちろん自らをアピールする為であったが、その気のないアリシアと、自称アリシアの護衛であるジャニスは後ろのほうで目立たないようにしていた。
どうせあとで挨拶に行かなければならないのだ、顔合わせはその時にすればいい。
人垣の向こうに見えるルーファスは王族らしく整った容姿をしていて、物語に出てくるプリンスそのものであった。しかし疲れで気持ちがささくれているアリシアには、それすら胡散臭いと感じたのであった。
バトラントの公爵家は全部で四つあり、そのうちの一つがアリシアのノーマン家であった。
アリシアは他の三家の挨拶が済んだ頃を見計らって王族の席へと出向いた。
公爵四家の中に優劣は存在しない。かといって対立する関係でもないため、順番を争うようなこともしなかった。
むしろ、助け合う傾向があり、当主不在のノーマン家のために、他家が率先して先陣を切ってくれた。そのひとりの従者からタイミングを知らされたアリシアは、こうして前に進み出てきたのである。
「ノーマン公爵家のアリシアでございます。当主である兄がやむを得ない事情で出ておりまして、代わりにわたくしがご挨拶させていただきます」
「初めまして、ルーファスです。アリシア嬢は、わたしがお世話になる学園に通われていらっしゃるとか」
「殿下のひとつ下の学年でございます。学内で困り事がございましたら、どうぞお声かけくださいませ」
これはもちろん建前である。彼と同級であるライナスがその対応に当たることは決まっており、いちいちアリシアがしゃしゃり出ることはない。
しかし彼の来訪を歓迎しているとアピールするにはこの発言が手っ取り早く、アリシアはそう計算した上で言ったのだ。
「それは助かります、遠慮なく頼らせて頂きましょう」
そう返事をするルーファスの発言も建前であり、それを本気にする者は誰もいなかった。
こうして、無事、フリエールの王太子への挨拶という外交を済ませたアリシアは、ジャニスと共にそそくさと会場を後にし、屋敷に戻るとのんびりと湯につかったのであった。
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