意味
ミレナと共に淡々とした日々を過ごして、そろそろ1ヶ月が経とうとしていた。
その間も玄嗣の中にあるミレナへの罪悪感らしきものは消えず、煙のように胸の内に渦巻いていた。
戦場で敵を撃つ時、こんな風に感じたことが1度でもあっただろうか。
何百人、何千人の死を前に自分は今まで平然としてきたではないか。今更なにを思い詰めることがある?
「ねえ、お腹すいた」
朝起きてベランダの植物に水をやっていると、ミレナが後ろから抱きついてくる。
「ここに居るってよく分かったな」
「水の音がしたのと、玄嗣の匂い」
本当に耳と鼻が効く。視力と引替えに研ぎ澄まされたそれは、毎度玄嗣を驚かせる。
「少し待ってろ」
ミレナはうんと頷くも、玄嗣の後ろにぴったりとくっついて離れない。
動きづらい…
玄嗣は後ろのミレナに気を配りながらベランダからキッチンに向かう。
「で、何食いたいの」
「プリン」
玄嗣は冷蔵庫から買っておいたプリンを2つ取り出すと片方を背後のミレナに手渡した。
「あと少ししたら飯作るけど、何がいい」
「いいよ今日は。ピザ取ろう」
「ピザか」
「うん。来るまで俺に構ってよ」
「…」
玄嗣がピザを適当に注文し終えるとミレナはにこにこしながら玄嗣の正面に立った。右手にプリン、左手で玄嗣の手を握り、そのままソファへ引っ張る。
「おい、また転ぶぞ」
「今日は大丈夫だよ」
ミレナは玄嗣をソファに座らせると、その膝の間に自分も腰を下ろした。その暖かい体温に何故か玄嗣の胸の苦しさが増す。黄色の巻き毛がふわふわと顔に当たり、シャプーの香りがした。前が見えない。
「食べにくいんだが」
玄嗣がそう言うとミレナは振り向いてふふっと笑う。前髪の奥で焦点の定まらない瞳が微動する。
「はい」
ミレナはその手に持ったスプーンでプリンを掬い、玄嗣の口元にそれを差し出した。
この遠慮のない距離の詰め方。恋人にするような行動。相変わらず何がしたいのか分からない。
玄嗣はミレナの手からスプーンをすっと奪い、自分でそれを口に運んだ。するとミレナは悪戯気に「恥ずかしかった?」と微笑んでキスをしてくる。
プリンの甘い香り。
その途端、玄嗣の胸にまた黒い煙のような苦しさが広がる。
人間のような肌、唇、体温。
いや、こいつは人間なんだ。
生きた人間。
そして人殺しの俺に何を求めてる?
寂しい。誰かに愛して欲しい。自分を破壊したい。
そんな声が聴こえる気がした。
甘い香りに胸焼する。気分が悪い。玄嗣はやっとの思いで息を吐くように言葉を吐き出した。
「なんで」
キスされた唇を親指で拭う。
なんで?なんでかなんか聴きたくない。なのに言葉が零れ出た。
玄嗣の少し震えたその声に、ミレナの顔が不安気な表情に変わる。
「はるつぐ?」
その手のひらで玄嗣の頬を包み、指先が顔をそっと探っていく。
「泣いてる?ごめんね」
ミレナはそう言うと悲しそうに微笑んで優しく玄嗣を抱きしめた。そして柔らかな声で耳元で囁く。それはまるで子どもをあやす時の様に。
「ほんとにね、なんで俺たち生きてるんだろう」
なんでって。そういう意味じゃない。
だけど…
だけどそうだ。
俺たちは生きてる。
残されたものはもう何もないというのに。
途端、玄嗣は胸が熱くなり、更に息が苦しくなる。
怖い。怖い怖い怖い。
このままただ生き続けていくことも、ミレナの目を奪った事実を背負うことも。自分が殺してきた人間に心があったと知ることも。
今更。そう本当に今更だ。
自分に呆れながらも、玄嗣は久しく忘れていた恐怖という感情が今、自分の中に溢れていることを実感していた。
これ以上知りたくない。
俺はこいつが怖い。
気づくとミレナの肩を両手で掴んで身を離していた。
はっとしてミレナの顔を見る。
するとミレナはまた玄嗣を気遣うように微笑み、「ごめんね」と言った。
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