距離
8年前、北にあるQ国とその隣国で南に位置するK国の間で戦争が勃発した。
それまでも両国は長年宗教的な価値観の違いによってギスギスしていたが、K人のテロによってQ国の大神殿が爆破されたのが戦争の発端となった。
両国局地が業火に呑み込まれ、両軍は疲弊し、後がないと感じながらも奮戦していた頃、Q国は東のL国と同盟を組みQL連合軍を結成。
QL連合軍はそこからあっという間にK軍に勝利し、5年間の戦争が終結した。
その後和平条約が締結。
Q国と同盟を組んでいたL国が、今度は中立的立場から戦争によって深い傷を負ったK国民に対し経済的支援を行うことを約束した。
しかし、戦争終結から3年が経っても、K国内では条約を受け入れた国への反発からテロ組織が横行している。和平条約を結んだL国は今尚、そんなK国の難民を多く受け入れている。
玄嗣はQ国に生まれ育った。平穏に暮らしていたが、戦争勃発とともに出頭命令が下され、兵士となった。
激しい戦火を幾度と越えた夜。
突然命令が下され、連合軍に配置されることになった。
配属が変わろうと役割は変わらない。
玄嗣は兵士として戦い続けた。
生き延びるため、敵を殺すため。
仲間の兵士が目の前で死に、次の日には新人の兵士が隣で共に戦う。
その者がまた死に、それを繰り返す。
いつの間にか最初に共に戦っていた者は周りにはもういなくなった。
そして、玄嗣は兵士として功績を積み、大佐にまで昇格していた。
先のことや他人のことなど何も考えず、ただ敵を殺すことだけを考える。その日々が永遠に続くように思えた。
しかし思っていたよりすぐ、終戦の日は訪れる。
連合軍がK軍の精神的支柱であった聖地を堕としたことが戦争を終幕へ導いたのだった。
戦争が終わると玄嗣は、L国で医者をする兄の元で治療を受けるため、L国市内に移住した。半年間セラピーも受けた。
戦時中はL国でも空襲があり、街中に戦争の傷跡はあるものの、Q国や激戦区だったK国に比べれば、今は穏やかで治安もいい。傷跡を隠すように平穏で静かな日常が過ぎていく。
玄嗣は空想の中に居るような気分だった。
あの戦火を知らない街。この街は業火に呑み込まれる人々や銃殺されていく兵士たちを知らない。
全てがよそよそしい。
自分がとことんこの地に似つかわしくないと感じる。道行く人も街灯の明かりも笑い声も冬の空気も何もかも自分の中には入らず、そっと表面を撫でて、流れるように時の狭間に過ぎていく。
ミレナはそれからたまにキスしてくるようになった。
何かを確かめるような軽い口付け。
玄嗣の胸の中にはそのたびに言い知れぬ苦しみが溢れ出す。
喉を押しつぶされるようにきゅうと呼吸が浅くなり、胸の中が焼かれるような感覚。この苦しみが何なのか玄嗣には分からない。
罪悪感…なのだろうか。
人としての感情が欠落する自分自身にそんな大層なものがまだあったのか。
兵士と戦争孤児。
こんな共同生活が上手くいく訳がない。
ミレナはなぜ、俺といて平気なのだろう。
「母さんと南の街で暮らしてた」
ミレナはあの時そう言った。
南の街ということはミレナはK国出身なのだろう。
兄はそれを分かっていて、何も言わずにルームシェアさせたのだろうか。何を企んだにせよ、糞野郎に代わりない。
共同生活から1週間が過ぎた頃だった。
その夜、玄嗣はシャワーの音に目が覚めた。
時計を見ると針は3時を指している。
こんな時間にシャワーか。
風呂場の方から聞こえる水の音に、ミレナに最初に会った時の姿が頭を過ぎる。
玄嗣は起き上がり、風呂場に向かった。
脱衣所の扉を2回ノックする。
だがノックの音はシャワーの音にかき消されてしまったようで、返事はない。
「入るぞ」
脱衣所の扉を開けるとシャワーの音は大きくなった。
床には脱ぎっぱなしのパーカーと緩いスエットが落ちている。曇ったガラス戸の向こうには動かない人影がぼんやり映っていた。
玄嗣はガラス戸に背中を預け、影に向かって声をかける。
「大丈夫か」
「…はるつぐ。起きたの」
「…眠れないのか」
「気分でシャワー浴びてただけ」
いつもの声色のあとシャワーの音に紛れて鼻をすする音が聞こえた。
「そうか」
玄嗣は脱衣所を出ると、キッチンに向かい2人分のコーヒーを入れた。リビングのテーブルに片方のコーヒー置くと、自分のコーヒーを持ってそのまま奥のベランダに出る。
風が冷たい。
空気を吸い込むと少し湿った空気が肺に流れ込んできた。ベランダから見える街灯の明かりがぼんやりと広がり誰もいない歩道を照らしている。コーヒーを持つ手のひらだけが暖かい。
空には星もなく吸い込まれそうな闇が広がっていた。
煙草がほしい。
元々喫煙者でなかったが戦地では仲間とよく吸っていた。
明日買ってこよう。
戦地だったK国は温暖な気候で昼間は日差しが強く、夜は乾いた風が吹く、砂漠の多い土地だった。
こんなに湿った風が吹くことはない。
街の人々は貧しくその日暮らしがほとんどで、夜は物乞いや孤児、行方不明者を探す人々が往来していた。
玄嗣は戦争が始まる前のK国を知らない。
ミレナの育った国。玄嗣にとっての戦場。
玄嗣は初めて会った日以上にミレナとの距離を感じた。
決して交わらない油と水のように、あまりにも違う。
理解してやれるはずも無い。
ミレナの苦しみなど何一つ。
続きます。感想、レビュー、評価大歓迎です。どうぞよろしくお願いいたします。
ミレナ、玄嗣の2人に幸せがありますように。