祈り
店を出て、しばらく街中を歩く。
玄嗣が歩く後ろをミレナはぴったりとくっついてくる。
少し歩きづらいが、歩けない程ではないので玄嗣は何も言わない。
街中を抜けた途端、見渡しの良い閑散とした歩道が続いていた。脇には小さな雑草が茂り、家が点々とある。
玄嗣は迷いなく進み、ある所まで来ると大きな門の前で立ち止まった。後ろにいたミレナが背中にぼすんと衝突する。
門の向こうは青い芝生の丘が広がり、その上に石板がちらほらと疎らに建てられていた。
「ついた?」
ミレナの問いに玄嗣は無言で門をくぐり、目の前の緩やかな丘を登りはじめた。
ミレナは慌ててその背中を追いかける。
すると、足元の石板の角にぶつかり転びそうになった。
その腕を玄嗣がぐっと支える。
「軽い坂だから足元に気をつけろ」
芝生は少し湿っていて歩くと地面に足が軽く埋まるような感覚がした。斜面は傾らかだが歩きづらい。
いくつかの墓石の前を通り過ぎ、丘の頂上近くにくると、また玄嗣が立ち止まる。
そこにはまだ新しい石板の前に先客が置いていった白い花束が風に揺れていた。
石板には細い文字で『戦友たち ここに眠る』と彫られている。
「ついた?」
「ああ。」
「ここなに」
「連合軍共同墓地だ」
玄嗣はそれから黙ったまま、しばらくそこに立っていた。
ミレナは何も言わず、その場でしゃがみ込んで玄嗣を待つ。
星が見え始めた頃、玄嗣は突然振り返り、行くぞと言って来た道を戻り始めた。
街中まで来ると既にオレンジの街灯の明かりが灯り、道の脇の民家からはシチューのような香りが漂っている。
すると、ミレナが唐突に玄嗣の背中に言葉をかけた。それは「寒いね」と言った声の調子と全く変わらない風に。
「人殺しに何を祈ったの」
「…」
一瞬玄嗣の歩みの速さが緩くなる。
「特に何も。人殺し仲間に挨拶しただけだ」
玄嗣は無機質にそう告げた。すると急にその腕をミレナが今までにない強い力で掴んだ。
立ち止まった2人の横を通行人が通り過ぎていく。
「兵士なの?」
「そうだ」
「…僕と一緒だと思ってた」
聴いたことの無い戸惑ったミレナの少し震える声。
振り向くとミレナが玄嗣の腕を掴んだまま俯いていた。
サングラスの奥のまつ毛がほんの瞬間僅かに光る。
「母さんと南の街で暮してた」
風に流されて冷たい空気が舞うと、枯葉の音がした。2人のいる歩道の脇をライトのついた車が過ぎていく。
「一緒に買い物に行く途中、僕が忘れ物をしたんだ。母さんは置いていこうって言ったけど僕は取りに戻るって言った。母さんは仕方ないわねって言って一緒に家に取りに戻った。そしたら爆弾が落ちてきた」
「…」
「母さんは死んで僕は孤児院に行った。孤児院では戦う方法を教えられて、毎日毎日訓練ばっかだった。訓練から逃げて中庭で同じ部屋の友達と、隠れて遊んでた。空想遊び。中庭全部を海に見立てて海賊ごっこをしたり、松ぼっくりを爆弾に見立てて投げ合う遊び」
風が吹いて玄嗣の足元の枯葉が飛ばされ、道路に舞う。
枯葉はふわふわと風に揺れたが、黒い車がそれを素知らぬ顔で轢いて行った。
「そしたらまた爆弾が降ってきた。松ぼっくりじゃない本物の爆弾」
「…」
「目の前が突然真っ白になって、どこかから悲鳴が聴こえた。でも友達の声はいくら呼んでも聞こえなかった。それから世界は真っ白のままになった」
ミレナは抑揚のない声で早口に続けた。
掴まれた腕からミレナの僅かな震えが伝わる。
玄嗣はその瞬間言い様のない不安に駆られる。
「玄嗣は僕みたいにどこか欠けてるんだと思った。
僕と一緒と思った。だから僕みたいな戦争の被害にあった人が貰える国からのお金で生きていけるんだと思った。だから僕のこと…」
「違う。俺は」
「そう。ちがう。僕とは違った」
「…」
「だけど玄嗣が優しいのはほんと。例え母さんを殺して俺の目を奪った人だったとしても」
ミレナはサングラスをとり、すっと両手を広げた。
それでも俺を抱き締めるのか。お前はそれでいいって言うのか。
玄嗣が呆然としていると、頬にミレナの両手が触れた。次に位置を探るように鼻から唇に冷たい指先が動いていく。
黄色いまつ毛にはちみつ色の僅かに濡れた焦点の合わない瞳。ふいにそれらが近くなる。
ああ、俺はまた。またどうすることも出来ずにいる。
でも俺に拒否することなんかできない。そんな資格すらない。
玄嗣の唇に、少し湿ったミレナの唇がそっと重なる。
次の瞬間ミレナは音もなく身体をすっと離す。
そしてその顔は、見たことのない泣き笑いのような表情で玄嗣に微笑んでいた。
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