任務
(五)
アメルリア海軍第三艦隊所属、シルベスター級攻撃型原子力潜水艦『サターン』は、太平洋カーソン諸島沖、水深二百メートルを西へ向かって航行中だった。この艦は、昨日コーラルシティーのタマス海軍基地より失踪した、最新鋭の攻撃型原子力潜水艦『CSN-X1』の緊急捜索命令を受けていた。
サターンの艦長、ネイサン・ヘイウッド中佐は、グラント司令長官から下されたこの指令について、ミーティングルームに集まった幹部たちとともに作戦の検討を続けていた。
「まったく、この時期にやっかいな問題を持ち込んでくれたものだ」
ヘイウッド艦長は、ため息混じりにそう言った。無精ヒゲ混じりで、屈強な体つきをしたこの軍人は、典型的な海の男であった。
「この『X1』という艦は、いったいどんな潜水艦なんです?」
副長の、ケント・マニング少佐がたずねる。
「なんでも、人の手を借りず、コンピュータが自分自身で操艦してくれるらしい」
「本当ですか? それじゃあ、アメルリアの原潜すべてがこの艦に置き換わったら、我々潜水艦乗りは即刻失業ですね、艦長」
「まったくだ」
ヘイウッド艦長はそう言うと、X1の資料を広げた。
「形状もずいぶん変わっていますね。この操舵もヒレみたいで……。なんだかシャチかクジラみたいだ」
そこに描かれたX1の図面を見て、マニング副長は率直に感想を述べた。
「それにしても、この性能はちょっと信じられませんよ」
サターンの幹部たちは、資料の数値を読みながら口々に驚きの声を上げる。
フン、と鼻を鳴らして、ヘイウッド艦長は資料から顔を上げた。
「まあ、スペックなど結局は、紙に書かれた数字に過ぎん」
「ですが……」
ヘイウッドは、ざわつく士官たちに向かってこう言った。
「最新鋭とはいえ、コンピュータの動かす艦など、しょせんは豊富な実戦経験を持つ我々の敵ではない。勝手に牧場を逃げ出したはぐれ牛を、すみやかに見つけ出して捕獲——」
ふと思いついて、ヘイウッド艦長は言い直した。
「いや、撃沈しろ」
マーヴェリックは、タマスの整備ドックを出航してから、次の日の朝を迎えていた。
バーニィ・キャプリス艦長は洗面所の鏡の前で、身だしなみをチェックしていた。制服のタイを整え、ボタンのひとつひとつがきちんと掛けられていることを確認すると、自分の荷物の中から制帽を取りだして頭にかぶった。
「うん、オッケー!」
それは、かつて父親が自分に譲ってくれた、アメルリア海軍の正式な制帽であった。実はバーニィはタマス海軍基地を訪れる社会科見学に、こっそりとこの帽子をカバンの中に忍ばせていたのである。
海軍の制帽は、バーニィの着ているサングリア中学の制服にも、なかなか似合っているように思われた。ビシッと服装が決まり、あらためて潜水艦の艦長としての自覚がふつふつと沸き上がってくることを、バーニィはうれしさとともに感じていた。
「よおっし、やるぞ~!」
バーニィは部屋を出ると、意気揚々と発令所に向かった。これから、夢にまで見た潜水艦による航海が、自分の手ではじまるのだ。
発令所のドアを開けると、バーニィは元気よく声を上げて敬礼した。
「諸君、おはよう!」
しかし乗組員たちの誰からも、艦長へのあいさつの声はなかった。唯一、通信席にいたマノンだけがバーニィの方を振り向いて、黙ったままペコリとおじぎをした。
「おはよう、マノン・タチバナ通信長」
どうやら記念すべき航海最初の朝ということで、バーニィは昨夜みんなで決めた役職名付きで、乗組員たちを呼ぶことにしていたのだった。
マノンは一応、この通信長という役職となっているが、マーヴェリックの通信機能はロックされていて使用できないため、仕事らしいものはとくに何もない。みんなよりも年少であるマノンに対し、バーニィが配慮した形だった。彼は、腰掛けているマノンの肩にそっと手を当てて軽く微笑むと、発令所の中をゆっくりと見回した。
「……クリフ・パーキンス副長?」
バーニィはまず、艦長席の隣に座っていたクリフに向かって話しかけた。しかし、彼は無言のまま、お決まりのようにノートパソコンのキーボードを叩いていた。
「……」
本来ならば、艦長に選抜されなかったジオが副長に就任すべきだった。だがジオは、どうしてもバーニィ艦長の補佐というこの役職が気に入らず、クリフにその地位を譲ったのである。気むずかしくて扱いづらい面もあるが、バーニィは人並み外れた頭脳を持つこの小さな副長に、大いに期待を寄せていたのだった。
そのそばには、慣れないコンソールを前に四苦八苦しているアニスがいた。
「えーっと、アニス・ブレア航海長、君は何をしているの?」
「あ、バーニィ、おはよ」
アニスは、いつもと変わらない調子でバーニィに手を挙げた。
「海図のデータを調べてるのよ。航海長は航路の把握と艦位測定が大切な仕事、でしょ?」
彼女も、航海長という役割にそれなりに責任を感じているようだ。そんな姿に、バーニィはちょっとだけ安心した。
「そうか。よろしく頼むよ、アニス」
「あいあいさー♪」
バーニィに向かって奇妙な敬礼をしながら、アニスはちょっとおどけたようにそう言った。
そして、発令所の前方にある操縦席に並んで座っているふたりの少年たちの姿を発見すると、バーニィはあきれたように声を上げた。
「ジオ・カートライト操舵長! フリッツ・エイモス水雷長!」
ジオとフリッツは、お互いに携帯ゲーム機で対戦して遊んでいたのだ。もっともフリッツは、ジオに無理矢理付き合わされていたようだったが。
「っんだよ、うるせえなあ」
ジオは画面を見ながら、面倒くさそうに返事をした。
「持ち場にいるときは、自分の仕事に責任を持ちなよ」
いちどだけ顔を上げると、ジオはまたゲームに戻ってこう言った。
「俺が何もしなくても、艦はまっすぐ進んでるみたいだぜ」
確かにマーヴェリックは現在、オート・パイロット・モードで順調に航行中だった。
「ま、心配しなくても、イザとなったら俺が操縦の腕を見せてやるからよ」
フリッツは、そんなやりとりを交わすジオとバーニィを交互に眺めた後、少し申し訳なさそうに肩をすくめて、またゲームを続けた。
「ちょっと、ふたりとも真面目に……」
そう言いかけたとき、バーニィは後ろのクリフからチョンチョンと肩をつつかれた。クリフは黙ったまま、エミリアの座っている席の方を指さした。
「エミリア・シャンディ水測長……?」
生まれつき耳がいいと主張する彼女は、ソーナーを担当する水測長に任命されていた。だがエミリアは、大きなヘッドセットを耳にあてたまま、イスの背もたれにもたれかかって気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「まあ艦長、とりあえず今のところは、通常配備ってことでいいんじゃない?」
そう言うとクリフは、またパソコンに向き直った。
バーニィは、がっかりした様子でため息をつく。そのとき彼は、もうひとりの乗組員について思い出した。
「……そうだ、ハンス・フリューゲル機関長は?」
その問いに、クリフが答えた。
「ハンスなら、機関室だよ。でもいちどあそこに入ったら、しばらくの間は出てこないんじゃないかな」
機械好きのハンスにとって、機関長はピッタリの役目だと思って任命したものの、バーニィは多少心配になってきた。
そんな気持ちを知ってか知らずか、アニスがバーニィに声をかける。
「大丈夫だよ、艦長。みんなでがんばろっ!」
その言葉に、バーニィは再び元気を取り戻した。
「……よし、それじゃ諸君、今日も一日よろしく!」
発令所には、携帯ゲーム機からの軽快なBGMが流れ続けていた。
役職を決めてはみたものの、いたって簡単なチェック作業程度のほかは、今のところとくにするべき業務はなく、乗組員たちは自由気ままに過ごしていた。
マーヴェリックの艦内は、想像していた以上に広く、そして清潔だったため、彼らは快適に航海を送ることができた。中でも、豊富なデータベースを備えたライブラリは、クリフにとって一番のお気に入りの場所となっていた。
『まあ、ひとりで勉強するには悪くないね。とにかく、静かなのが気に入ったよ』
潜水艦の中とはいいながら、豊富な電力で海水を濾過する装置があるため、シャワーや洗濯機も自由に使うことができた。これは、きれい好きなエミリアに大好評だった。
『あとは、乾燥機じゃなくって、お日様の下で干すことができたら言うことないわね』
さらに、体を鍛えるためのトレーニング・ジムまでもが備えられており、これは体力をもてあましがちのジオに、毎日愛用されていた。
『フッ。……ま、柔道の乱取りができないのが、俺にはチョット物足りねえけどな』
だが、さすがにテレビやインターネットまでは用意されていないため、その点に関してはとくにフリッツが残念がっていた。
『ああ……あのアニメの録画予約、してくればよかったな……』
しかし故郷を遠く離れ、深い海の中にいるという寂しさや、見知らぬ土地へ向かうという不安は、バーニィら少年たちにはほとんど見られなかった。
『だって、最新鋭の原子力潜水艦だよ? こんな経験、そうそうできやしないって!』
とにかく、このマーヴェリックの中で体験すること。そのすべてが彼らにとってはあまりにも新鮮で、ネガティブな感情はどこかへ追いやられてしまっているのだった。
食事を作るのは、当番制で交代に行っていた。乗組員の中では意外にも、ハンスがすばらしい料理の才能を見せた。
『べつに……。いつも、弟や妹たちに作ってやってるからかな』
アニスもなかなか手慣れた様子ではあったが、味付けが少々繊細さに欠けていた。
『うるさいわねっ。ウチの家族は、みーんな黙って食べてるわよ!』
あとのメンバーに至っては、正直まったく話にならないほどの腕前揃いだった。その中でも、いちどだけ食事当番を任されたマノンは、残念ながらもっとも悲惨な結果をもたらした。
『ごめんなさい、私、ごはんって自分で作ったことなくて……』
そんなわけで、食事の用意はしだいにハンスが専門に任せられるようになってきた。そんなハンスも、いつも自分の料理をおいしそうに食べるみんなの姿に、けっこう満足しているようだった。
ある夜、乗組員がみんな寝静まったあとで、バーニィはひとり食堂にいた。そこに通りかかったハンスが、彼の姿に気づいて声をかけた。
「まだ起きてたのか、バーニィ」
「やあ」
バーニィは、ぶ厚いマニュアルを読んでいた。
「そうだ、いつもおいしい食事をありがとう、ハンス」
バーニィは、ハンスにそう言った。
「え、いや……」
思いがけず礼を言われたことで、ハンスは少し驚いた。
「こんな潜水艦の中じゃ、食事は僕らのいちばんの楽しみだからね」
バーニィはそう続けると、またマニュアルのページに目を戻した。
「それ、マーヴェリックのか?」
ハンスがたずねる。
「うん。艦長としては、この艦の持つ性能をちゃんと勉強しておかないとさ」
「そうか……」
その言葉に続けて、ハンスはポツリとつぶやいた。
「なあ、俺たち、無事に南極に着けるのかな……」
「うまくいくよ。僕らなら、きっとマノンをお父さんに会わせてあげられるさ」
いつものようにまっすぐな眼差しで、バーニィはそう答えた。根拠に乏しく、きわめて楽観的なはずのこの言葉も、バーニィが言うとなぜか信じられそうな気がした。
「ん……。そうだな」
ハンスはそう言うと、寝室へと向かうためにドアを開けた。
「あんまり遅くなるなよ、バーニィ」
「わかった。おやすみ、ハンス」
ハンスは、食堂を出ていった。
続く