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別離

(十三)



「ハア、ハア、ハア……」


 呼吸を荒げていたバーニィは、膝を折ってその場に崩れ落ちた。

 マーヴェリックの艦内は、すでに浸水がはじまっており、沈没の時が刻一刻と迫っていた。シャッターをたたき続けたバーニィの拳は、もはや血で真っ赤に染まっていた。しかし、どんなに渾身の力をもって打ちつけたとしても、その扉が開くことはなかった。

 精根尽き果てたバーニィは、マノンが閉じ込められているシャッターを背に、うつむいたまましゃがみ込んでいた。


「バーニィ……。もう、あなただけで脱出して。早くしないと手遅れになるわ」


 シャッター越しに聞こえるマノンの言葉に、バーニィが小さな涙声で応える。


「僕だけ逃げたりできないよ……。僕は艦長なんだ。艦長は、最後に(ふね)を降りるんだ」


 それはバーニィにとっての、最後の信念だった。




「……ねえ、マノン」


 しばらくして、少し落ち着きを取り戻したバーニィは、扉の向こうのマノンに話しかけた。


「なあに?」


「君はどうして、僕らをこの航海に連れてきたんだい? やろうと思えばきっと、ひとりだけでも来ることができたのに」


「……後悔してる? バーニィ」


「ううん。……むしろ、感謝してるよ」


 バーニィは答えた。


「僕は、今まで自分にどんな力があるのかを知らなかった。いろいろあったけど、みんなといっしょにここまで来られたことを、僕は誇りに思っているんだ」


「そう……」


 しばらくの沈黙の後、マノンは話しはじめた。


「私ね、ずっと人間が怖かったの。お父さん以外の人が、何を考えているのかわからなくて、人と話したり、触れ合ったりするのがいやだったわ」


 バーニィは、マノンの話を黙って聞き続けた。


「それに、いつか私の頭が拒否反応を起こして壊れてしまうんじゃないかって……。海の中にも怖くて入れなかった。おかしいわよね。私、本当の正体はイルカなのに。どうしても、この体が自分のもののように思えなくて、ずっと不安だったの」


 イルカの脳を移植され、『実験体D(エクスペリメント・ディー)』という名で呼ばれた少女。そんなマノンの数奇な運命を思うと、バーニィはどうしようもなく悲しく、そして愛おしい気持ちになった。


「でも、自分と同じくらいの年頃のバーニィたちを見て、ひょっとしたらあなたたちとなら仲良くできるかもしれないって思った。だから私は、あなたたちを乗せたまま、マーヴェリックを出航させたのよ」


「……それで、僕らはどうだった?」


「はじめて会った私を南極に連れて行くって言ってくれて、とってもうれしかった。それに、人が誰かを傷つけてしまったときに、それと同じくらい自分の方も傷ついているっていうこともわかったの」


「マノン……」


「私、バーニィたちとここまで旅を続けることができて、本当によかった。だからもう、これ以上あなたに迷惑をかけたくないの。だから、わかって、バーニィ……」


 バーニィはマノンの言葉を聞きながら、そっと涙をぬぐっていた。




 そこに、救命ボートでようやくたどり着いたアニスが、コンピュータルームへとやって来た。


「バーニィ、早く! もう沈没しちゃうよ!」


「アニス……ごめん、僕……」


 バーニィはアニスの姿を見ると、たまらず彼女の体を強く抱きしめた。アニスもバーニィの無事を確認したことで、大粒の涙を流す。


「よかった、無事で……あたし、心配したんだから!」


 すると、シャッターの奥からマノンの声が聞こえてきた。


「アニス、バーニィを連れてマーヴェリックを出ていって」


「そんな、マノン……」


 マノンの声に、戸惑うアニス。だがすでに冷たい海水が、彼らの腰のあたりまで押し寄せてきていた。


「私は大丈夫だから、ね、お願い」


 そのとき、航海の最中に聞き慣れたあの機械音声がコンピュータルームに響き渡る。


《艦長、脱出してください。本艦はあと三分で沈没いたします》


「マーヴェリック!」


 バーニィはその声に応えた。抑揚のない機械音声のはずなのに、マーヴェリックの言葉は今はなぜか温かく彼の心に染み渡ってくる。


《キャプリス艦長、あなたたちがこれまで行ってきた南極への航海は、申し分のない内容でした。そして、核ミサイル撃墜というミッションも、見事にこなされました》


「マーヴェリック……」


《すべてのミッションを無事に遂行されたキャプリス艦長以下乗組員(クルー)の方々に、本艦は心より敬意を表します。そして、最後にお別れを申し上げます》


「お別れだなんて……。そんな、いや……」


 その言葉に、アニスの頬を再び涙が伝う。


《マノン様は、本艦が責任を持ってお守りいたします。どうか安心して退艦してください。幸運を(グッドラック)艦長(キャプテン)


 その言葉に、バーニィは意を決すると、アニスの手を引いて脱出口へと向かった。すでに海水は、彼らの腰のあたりが浸かるところまで迫っていた。




「うわっ!」


 脱出口へ続く最後の扉を開けると、ふたりをさらなる海水が襲った。


(こんなに水が……)


 バーニィがかぶっていた海軍の制帽が、そのまま勢いよく奥の方へと流されていく。しかし、そんなことにかまっている余裕など、すでに彼らには微塵もなかった。


「大丈夫? バーニィ!」


「うん。こっちだ、アニス」


 ふたりは、ついに艦橋(セイル)へとつながるはしごまでたどり着いた。バーニィは先にアニスを登らせると、それに続いていく。


「バーニィ! 早く、早く!」


 艦橋(セイル)にたどり着いたアニスが、振り向いてバーニィを呼ぶ。マーヴェリックの艦内はもはや、海水で満たされようとしていた。


(くっ、はっ、はあっ……くうっ……)


 バーニィは海水の冷たさと疲労のため、はしごをつかむ手の力が限界にまで落ちていた。


(はあ、はあ……、もう少し、あともうちょっとだ……!)


 最後の段に手をかけようとしたときに、バーニィははしごから手を滑らせてしまった。


「!」

(しまった、落ちる——)



 そのとき、間一髪でバーニィは手をつかまれた。


「……ったく、世話焼かせるんじゃねえよ、艦長(キャプテン)!」


「ジ、ジオ……」


 それは、ジオの腕だった。ジオは渾身の力を発揮して、バーニィの体を船外に引き上げた。


「ありがとう。助かったよ、ジオ」


「へっ……。行くぜ、バーニィ!」


 バーニィとアニス、そしてジオの三人は、救命ボートに乗り、マーヴェリックの艦橋(セイル)を離れた。そして、それとほぼ同時に、マーヴェリックは轟音を響かせながら海面の下へとその姿を消していった。




続く



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