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夜北芋氷物語  作者: 幻華鼠(ネツミ)
巻一(日本語版)
7/15

第五章 端午の粽食べるまで夏は来ず

 菖蒲(しょうぶ)は魔除けの剣、ヨモギは厄払いの香り。

 そして粽は――


 ――戦争である。


 トントン…コンコン…チャントン……

 灶跤(台所)に飛び込み、棠硯(すずり)はそこで戸棚をかき回し、何かを探しているようだった。大きな物音に驚かし、地下室にいた兄は書斎に上り、何があったかを確かめに灶跤まで入ってきた。

Suzuri(すずり)是按怎矣(どうしたんだ)?」

 兄がそこで見たのは、散らばった灶跤だった。

 床には薪が転がっていて、箪笥の引き出しは全部開いたままで、調味料は食卓に散らかっていた。この混乱さを増すためだけにいたように、老いた雌鶏(めすどり)が一羽羽をパタパタ動かして、棠硯に向かってコココと鳴いている。

「……Onī-chan(おにいちゃん)、」

 この全ての真ん中に立ち尽くす棠硯は、不安げな眼差しで兄に向いた。

上好食的肉粽(一番おいしい粽って)……是啥物粽(どんな粽)?」


    ×


 太鼓の音が(かい)を催促し、巨竜の形をした小舟は酔潭(すいたん)の波を切り裂き、水しぶきを駆け抜ける。

「暑いぃぃ……」

 通学路。重い脚で校門前の坂道を上る玖瑠実は、和服の襟を引っ張って風を出しながら不平を言った。

「るみちゃん! そう引っ張ってたら中身見られちゃうよ~!」

 坂道はそれほど長くもないのに、一旦玖瑠実が苦情を吐いたら、なぜか長く伸びたようだった。

「ちょっと前は雨降ってたわよね…」襟を正しなおし、玖瑠実はやはり暑いと感じていた。

 一か月前から、料峭(りょうしょう)春寒(しゅんかん)から炎天に変わった夜北(やほく)は、まだ気候が不安定で、雨が鳥肌立たせるほどの涼しさをもたらした後、湿った蒸し暑さは耐えにくい。

「……五日節(ゴオジッツェ)が過ぎたら、もっと暑くなりそう」玖瑠実に合わさって、機械のステップを小さ目に踏んでいる棠硯は現状に何の助けもない、もしくは悪化させてしまう説明をした。

五日節(ゴオジッツェ)?」玖瑠実は猛然と振り向い、キラッキラな目で酔潭を走る龍船(りゅうせん)を見た。「(ちまき)の日! れんちゃんちの粽が食べられる日だ!」

 ……粽の日?

 棠硯は耳を立たせた。

 粽といえば、棠硯は毎年のこの時期に粽の材料を整え、兄と一緒に粽を結んでいる。不器用な義肢は紐を結びのに不向きだが、粽の味は毎年兄の称賛を受けている。

 ……れんちゃんの家の粽ってどんな味なんだろう。

「うん、今年も作るよ」

「やった! れんちゃん大好き!」玖瑠実は南蓮の元に飛び込み、熱々な頬っぺたで南蓮の顔にこすり付けた。

「粽が好きなだけでしょ」

「白くてフワフワモチモチ…」真っ直ぐに答えるんじゃなく、玖瑠実は南蓮の頬かなんの食べ物かがわからないものを述べた。

「やっぱり粽じゃん!」

 粽のことだった。

「……白くて?」

「すずりちゃん? どうしたの?」

 棠硯は粽を作る手順を思い返した。できたものは必ず醤油の飴色であること、昔から今まで変わることはなかったはず。

「……しょうゆ入りで?」

「うん、しょうゆ入り、」南蓮は大鍋のジェスチャーをし、ものを入れる様をした。「でもお湯でゆでたら白くなっちゃうんだ」

「……ゆでる?」

 棠硯はもう一度粽を作る手順を思い返した。思い出したのは(たけのこ)が土から生え、竹となり、葉っぱを生やす様と、日没から日の出の浩瀚(こうかん)な天の川の様子や、天地開闢(てんちかいびゃく)の始まりに、混沌が万物へと化した様……

「……粽って、蒸し物のはずじゃない?」

 ……

 校門前で足を止め、南蓮は肩の上の髪を掴んで考えた。そして、首を傾げる問い返した。

「すずりちゃんが言ってるのって、もしかして油飯(イウプン)?」

(※:油飯とはもち米をごま油、干しエビ、キノコなどで混ぜて炊くおこわ的な料理。出産祝いとして食べられることが多い)

 ――もしかして油飯?

 この瞬間、重ね重ねの回想が棠硯の脳内運算能力の限界を超えたか、それとも言葉の矛盾が彼女の思考を麻痺状態にしたか、瞬時、彼女の丸い瞳は厚い呆気に覆われ、しばらく散ることはなかった。

「……肉粽(粽は)毋是油飯(油飯じゃない)」しばらくして、棠硯はこの一言を吐き出した。

「でも蒸し物だって…」

「あっ! わかったわ!」二尺の袖を組み、玖瑠実は二人の間に突っ込み、宣言した。


「誰の粽が本当に一番おいしい粽なのか、『食薙対決(しょくなぎたいけつ)』で決着付けよう!」


 ×


 しょくなぎたいけつ……ってなんなんだろう。

 聞きなれない単語がすずりの頭の中を鳴り響く。しかし、彼女の心にはなぜか、もう一つの声が深く考えなくていいと言っているようだった。


上好食的肉粽(一番おいしい粽って)……是啥物粽(どんな粽)?」

 カオスの真ん中に立ち尽くす棠硯は、兄に見当もつかない疑問を投げ出した。

 兄は髪を手で梳き、散らばった灶跤に足を踏み込み、雌鶏を払い、棠硯の元でしゃがんだ。

若是有(すずり)Suzuri的味(の味がすれば)啥物粽(なんでも一番)攏好食(おいしいんだ)

 そう言った兄は妹の目に笑みを浮かべ、彼女の少し遅れる反応を待っていた。

「……手指頭仔(手指)、」棠硯は四肢で唯一義肢じゃない右手の指を数えて言った。「Onī-chan(おにいちゃん)欲食佗一肢(どれが食べたい)?」

攏欲(全部)」兄は妹の両手を握りしめ、数えるのを止めた。「毋過指頭仔(でも食べたら)鉸掉就無矣(なくなっちゃうから)先莫啦乎(やめようね)

「……うん」

 兄の掌から感じてくる温度で、棠硯は目を閉じて、そのまま数秒間黙っていた。

 ……参考価値がない。

Onī-chan(おにいちゃん)其實(実は)……」


 棠硯の説明を聞き、すぐに自転車の蒸気機関を発動し、兄はどこかへ行ってしまった。妹が待ちに待った兄が帰ってくるところには、既に夜の色が門口埕(前庭)で干されている頃だった。

 カラカラ…

 夜色を被って帰ってきた兄を迎え、自転車がまだちゃんと止まってないところで、棠硯は小走りで兄の元にやってきた。

Suzuri(すずり)來看我對稻江津(おにいちゃんは稲江津)紮了啥物(からこんなもの)物件轉來(買ってきたぞ)」重たい革トランクを棠硯の手に運び、兄はトランクの縁を触り、カッと鍵を開けた。

 ――開けた瞬間、棠硯の目に映る景色はキラキラと光っているようだった。

 艶やかに眩しく輝く掌サイズをしたカラスミがトランクの中に待っている。そして、高貴な松茸は洛方(らくほう)薬材店の紙で寝ころび、その側に白くふくよかな貝柱がいくつか蓮の葉に包まれている。どれもこれも輝いているように見えるが、その輝きは決して「百年造り」と書いた小瓶の中の醤油を貫くことはない――これほどの漆黒は、甘楽商店の類の雑貨と比べられる品物ではない。

 そして最もすごかったのは、「金」と書いた木箱には、本当の金箔が中に畳んでいた。

 ……な、なにこれ。

妳就用遮的物件(これらを使って)來做上好食(一番おいしい粽)的肉粽(でも作ろ)」そう言っていた兄の笑顔は、高級食材の輝きに照らされているようだった。

 ……そうだ、粽…

Onī-chan(おにいちゃん)我決定矣(私決めた)、」トランクを兄に返し、棠硯のつやの欠けた瞳に高級食材の輝きはなかったが、闘志という名の炎がしっかりと燃えていた。「我欲做我逐年(毎年作ってきた)做的粽(粽を作る)――上普通的肉粽(一番普通な粽を)

 そう聞いた兄はトランクを下ろし、寝ぐせの立ちやすい妹の頭を撫で乱し、丁寧に指で梳いた。

Suzuri(すずりが)做的粽(作った粽だから)才毋是啥物(普通な訳は)上普通的肉粽咧(ないよ)


    ×


 食薙対決(しょくなぎたいけつ)

 それは少女たちが「料理」という名の薙刀を動かし、料理人としての尊厳を賭け合い、殺し合う決闘である。

 この勝負では、参加者両方が観客や審査員の目の前に一品の料理を出し、奇数の審査員に試食し、白黒が付けられる。

 ――即ち、いたって普通な料理対決のことである。

「あっあー、聞こえる?」玖瑠実の声は酔潭の街を響き渡った。


 夜北炊粽 対 万鳳水粽


 文字が旗に大きく飾られ、竹で作った舞台のすぐそばに、先進的な音声拡大用の伝音管が真鍮色の日当たりを反射している。舞台の前にはコンロ、調理用具、そして調味料が揃われていて、客席の椅子まで用意されていた。

啥物水粽(何が水粽だ)? 一箍爛糊糊(ぐちゃぐちゃなもん)毋知咧哺啥貨(なんぞ意味がわからん)……」「はあ? 共油飯包包咧(包まれたおこわなんて)呔會講是肉粽(粽だというのか)? 恁遮的夜北人(お前ら夜北の連中は)嘛較差不多咧(いい加減にしろ)!」「這馬是欲輸贏矣是毋(なんだ やんのか)? はあ?」

 盛大な場面に、南蓮は……

「どうしようどうしようどうしよう……」棠硯と料理を比べるだけで訳が分からなかったのに、まさかるみちゃんがこれほどの大会を用意すると思わなかった。南蓮は舞台の側を歩き周り、頭の中は一片の空白だった。

「……れんちゃん」

「はい!」友人の呼びかけだったのに、南蓮の返事は先生へのもののように堅苦しかった。

 南蓮の元にやってきた棠硯は、レンズ越しに南蓮の憂いに満ちた目を見て、彼女の頬を両手で持ち上げ、揉み始めた。

「ううわああううぅぅ……」頬が揉まれた南蓮は変な声を発した。「希按碗啊啦(ろうひらよ)……」

 一言も話さず、棠硯は揉み終わり、少しドヤっとした顔で行った。


「あっあー、声聞こえるかしら?」舞台に立つ玖瑠実は再確認をし、伝音管に行った。「始まるわよ~!」


「第二回はないと思うけど――第一回酔潭(すいたん)食薙対決(しょくなぎたいけつ)、始めたいと思うわ!」

 雷のような喝采が客席から広がり、司会者を務める玖瑠実も手を叩き始め、その音を長く、長く伸ばした。

「まずは今日の審査員をご紹介するわ。酔潭市場代表――バブーのお姉さん!」

「何がバブーのお姉さんヨ? お姉さんの名前は陳玉霜(ちんぎょくそう)、ちゃんと紹介しなさいヨ」舞台上の審査員席に座ったアイス売りのお姉さんは抗議した。「っていうか、なんでお姉さんが市場の代表なのヨ」

「だって甘楽伯仔(駄菓子屋さん)がやってくれないから。でもちゃんと調味料提供してくれたわよ」

「適当すぎるヨ……」

「そして次、酔潭(すいたん)小学校(しょうがっこう)先生代表――松田先生!」

 立ち上がってお辞儀をした松田先生だったが、座るとき、彼女はいささか不安げに隣の席を見た――なぜここに空席があるんでしょう。

「玖瑠実ちゃん、この席は…?」

「最後に、酔潭小学校小学生代表――このわたくし! 西宮玖瑠実だわ!」言いながら、玖瑠実はその席に勢いよく座り込んだ。

「めちゃくちゃヨ!」バブーのお姉さんがツッコミを入れたら、観客は一斉に笑った。「で、こんなめちゃくちゃな生徒に付き合う先生は、結構大変でしょ」

「そ、そちらこそ……うちの生徒が普段大変お世話になってます」

「いえいえ」

「お二人でひそひそ話しない!」司会者兼審査員の女の子は急に椅子を立ち上がり、両手を腰に当て、文句を言った。「参加者を紹介するわよ!」

「「…どうぞ」」

 大人の二人は息ぴったりに手を上げた。玖瑠実は素早く席から飛び跳ね、司会者の位置である伝音管の元に戻った。

「それじゃまずは萬鳳水粽(バヌホンツイツァン)代表――れんちゃん選手!」

 ……なんだか代表だらけだけど。

 震えながら登壇する南蓮を見送り、棠硯も少し緊張してきた。

「続いては夜北炊粽(イアパㇰツエツァン)代表――すずりちゃん選手!」

 自分の愛称を聞いた棠硯は、機械のステップを踏んで舞台に立ち、つやの欠けた瞳で下を見た――見なければよかったかもしれないが、いざ見てしまうと、どれくらいの目にジーと見つめられていることに気づき、最初からぎこちなかったステップが更に堅苦しくなってしまった。

 ……お、おにいちゃんは……?

 その視線の群れを探り、棠硯がようやく見つけたのは片目を瞑り、目を生えている妙な機械を持ち、その機械の目で自分をしっかり見つめている兄だった。そうやって目を瞑る兄が自分が見えるかどうかはわからないが、兄の存在の確認ができた時点で、棠硯の緊張は結構解されていた。

「じゃ、れんちゃん、始まる前に一言」玖瑠実は南蓮に伝音管の前を譲った。

「う…えーと……」眼鏡の下で視線が泳ぎ、南蓮の震える唇はゆっくりと言った。「お湯で茹でる粽は、母が故郷から持ってきた味で、ど……どうぞ召し上がってください!」

「れんちゃん、それは料理ができたあとのせりふだよ」

「え? うう……」手で顔を遮った南蓮の耳は真っ赤になってしまった。

「じゃ、すずりちゃんの番!」

 伝音管の前一歩進み、棠硯は真っ白になった頭の中で使える単語を探り、しばらくして、ようやく口を開けた。

「……調理、開始」

「それわたくしのせりふだよ! すずりちゃん!」


 調理開始。

 定位置についた棠硯は兄が貸してくれたトランクを開き、使い慣れた包丁を取り出した。日差しの中、その四角い刀身から閃く冷たい光で、いつもの包丁さばきが完璧に発揮できるように、彼女は刃の鋭さを確認した。

 トランクの中にもあったのは、事前に洗っておいた茶色い桂竹(けいちく)の葉、蓮の葉で包まれた四角いバラ肉、新鮮な紅葱頭(アンツァンタウ)が一つまみ、黄金の色をした塩漬け卵黄、そして水で戻した椎茸、栗、干しエビと干しイカなどの食材。食材を全部机に並ばせた棠硯は全てが整えたことを確認したら、包丁を持って丸木で作られたまな板へ向かった。

(※:紅葱頭はフランス料理のエシャロットと大体同じものである)

「あれ? 二人とも使う材料ほぼ同じじゃなくない?」玖瑠実は驚きの声で問いかけた。

 一方、南蓮も風呂敷から食材を取り出した。脱皮するまで水に浸かれた落花生と緑色の麻竹(まちく)の葉を除き、事前に切り分けられた豚肉と刻まれた紅葱頭(アンツァンタウ)、そして栗、椎茸、干しエビ、塩漬け卵黄と干しイカは全部相手の食材と一致している。

「塩味の粽と言えば、中身の材料は大体こんなもんでしょヨ」顎を撫でるバブーのお姉さんは分析した。「しかし、二人とも干しイカを海の味として使うのは、結構息ぴったりだヨネ」

「え? すずりちゃんも干しイカを?」審査員の分析を聞いて、南蓮は驚いて振り返り、包丁で穏やかなリズムで紅葱頭(アンツァンタウ)を刻む棠硯の手元に、お碗に入った切り分けられた干しイカが見えた。

「……うん」

 こんな偶然なんて予想したわけがなかった。南蓮は呆然と棠硯が紅葱頭(アンツァンタウ)を薄く刻むところや、バラ肉を一口大に切り分けところを見て、しばらくしてから、自分も動かないといけないことを思い出した。「あ、紅葱頭(アンツァンタウ)!」

「お! 両方ともお鍋をアツアツに焼いて、最初の材料を入れるわ!」

 コンロの炭火に熱く焼かれた大鍋に滑り込んだサラダ油は歓声を上げた。二人は大体同時に鍋へ紅葱頭を投入し、香りの挟んだ蒸気を噴かせた。香りは会場を漂う。この紅葱頭を揚げるという過程だけで、観客と審査員の食欲は侵略されていた。

紅葱頭(アンツァンタウ)を油で揚げた油葱酥(イウツァンソヲ)は長持ちできるから、出来上がったものをそのまま持って来てもいいけど、置く時間が長くなっちゃうと香りも減っちゃうから、二人とも現場で油葱酥(イウツァンソヲ)を揚げようとすることは、やっぱり最高の香りが立ちたいんだヨネ」

「バブーのお姉さんはこれもわかるの?」玖瑠実は聞いた。

「一応食べ物の商売やってるから、わからないはずないヨ」売るのは甘くて冷たいアイスだけどね。「いや、待って…」

 南蓮の鍋に、白と紫色をした紅葱頭は熱い油の催促に、油葱酥(イウツァンソヲ)のあるべき姿である黄金の色に羽化した。その同時に、それまで待たなかった棠硯は干しエビと豚肉を鍋に投下して炒め、豚とエビの旨味を湧かせ、紅葱頭の純粋な香りがだんだんとすり替わられていく。

「違います。すずりちゃんが作っているのは油葱酥ではなくて、角煮を作っているんです!」調理の過程をもっと鮮明に見るように、松田先生は軽く前に傾けた。

 皮付きのバラ肉は脂が滲み出し、炒めていくと、だんだんと香ばしい衣を身に纏っていく。そして、干しイカ、栗、椎茸も大鍋の踊りに参加し、ジカジカと鳴り響く舞曲は、醬油がすすぎこんだ瞬間に最高潮を迎えた。

 そして、全ての音楽は煮込みの中で終止符を打った。

 砂糖、五香に胡椒。蓋をかけ、棠硯の準備作業はここでひと段落。

()我嘛欲來滷肉(私も角煮を)!」油葱酥、椎茸、干しエビと干しイカはそれぞれ鍋に独奏を展示させ、それぞれのお碗に分けた南蓮はこう宣言した。

 鍋の中にはまだ食材の香りが残っているすきに、南蓮は豚肉を鍋に転がし、中火で焼いていき、頻りにへらで油を掬い上げ、豚肉に丁寧にかけていく。

「……れんちゃん、これ、何しれる?」

「これ? 西洋料理の本で読んだ技術でね、「アロゼ」って言うんだよ~! お肉を焼いてるときに、こうやってアツアツの油をかけてあげると、水分が中から出ないようにできるんだよ…って? 何ですずりちゃんがここに?」

 阿羅災(アアロオツェエ)…なんか病気の名前みたい……

「……れんちゃんが角煮作ると言ったのに、黒酢を持ってるから、心配で……」

 南蓮は頭を下げて手の中の瓶を見て気づき、その瓶に貼られた札が「醤油」ではなく「黒酢」だった。

「え? うっ、あ、ありがとう、すずりちゃん…」

「おーい、そこ!」司会者は指差しで不満を言った。「対決中お手伝い禁止!」

 玖瑠実に自分のコンロへ追い出された棠硯は鍋の蓋を開けた。すると、顔面に当たる湯気は鼻に入り込み、棠硯の瞼を伏せらせた。

 ……そろそろ。

 飴色になった煮込みを掬いだし、棠硯は水に漬けたモチ米の水を切り、まだブツブツ言っている汁に入れた。汁と炭火の熱情により、米の香りが漂ってきて、「粽の匂い」というものが少しずつ形つけてきた。

「いい匂いぃ…」司会者兼三番目の審査員は審査員の席に座り、疲れたのか飽きたのか、机に伏せ、喉じゃ作ることができまい低い音を発した。「ぐ……」

 腹がすいただけであった。

「玖瑠実ちゃん、あなたは司会者でしょ? お客様に選手の行動を説明してあげないと…」松田先生は俯いて、耳が真っ赤に染められた玖瑠実に言った。

「ぐ……」玖瑠実は口を開けずに答えた。

這个囡仔疕(このガキが)…」バブーのお姉さんは手を額に当て、イライラした。「先生、私は和語が下手だから、引き続きの解説は先生に任せるヨ」

「ん? え? 私が?」

 司会者は飢えと香りに倒されていて、隣のパートナーは自分の洛人(らくじん)訛りに不満足である。故に、(てん)のまさに大任(たいにん)をこの人に(くだ)さんとする。仕方なく、松田先生は伝声管の受話器を持ち上げた。

「れんちゃんの角煮はここで完成しました! お肉とクリを取り出して、また生のモチ米を汁に入れました。入れたモチ米になんか点々が…もしかして落花生でしょうか? 一方で、すずりちゃんは紐を掛けて粽を結び始めました。しかし指さばきが少し不慣れなようで、うまく結べないようです。苦戦中です!」

 ……先生の司会、上手すぎない?

 棠硯は壇上の先生を見た。やむを得なくしたことではあったが、普段の授業みたいに渾身の振る舞いをした先生に、彼女は少し感心した。しかし、手に握りしめた粽の葉に、どうしても粽の簡単な結び目が作れなかった。

 棠硯が客席へ向けた眼差しは、誰かへの救助信号みたいだった。

 しかし、その救助信号を受けた者にして、家で結び役をしている兄は観客席に座り、焦燥感が顔に出しているであろうと、彼からの手伝いは許されていなかった。

「すずりちゃん、私が手伝いましょ」

 南蓮は自分の材料を運んできて、棠硯の隣に座った。

「……でも、対決……」

「抗議しちゃう司会者はもうペコペコで倒れてるからいいヨネ、先生?」バブーのお姉さんは代理司会者に聞いた。

「多分…大丈夫だと思います」三番目の審査員が倒れている以上、松田先生は対決の公平性より、料理の出来上がりを選んだ。「最後の手順です。れんちゃん、すずりちゃん、二人とも頑張って!」


「料理を前へ!」

 先生の言葉を聞いた玖瑠実はすぐに頭を上げ、審査員用の箸をつかみ取り、期待しているように正座をした。

 最初に登場したのは棠硯の粽だった。結び目を解け、熱く蒸しあがった桂竹の葉が綻び、中の三角をしたつややかな米を晒しだした。一粒一粒キャラメルのようなつやを煌めく米は色んな食材を包み、油の光沢で翳す。

「……ただうちで毎年作る粽です。どうぞ」

「じゃ、食べてみるヨ」

「いただきます」「いただきま――す!」

 松田先生は箸の先端で豚肉を切り、粽の一角と共に口に入れた。

「こ、これは……」

 目を丸くしたバブーのお姉さんは米が喉を通った刹那に怪訝そうな声を上げた。松田先生も口中の美味に不思議そうな顔をし、口を遮った。

khiū嗲嗲(もっち)嗲嗲khiū(もちだ)。こういう粒々がはっきりしてる米が炊粽(ツエツァン)の特徴だ。でも、この粽はこれだけじゃないヨネ」

「お肉、油、お米、笹の葉、山の幸と海の幸、そして香辛料の香りとの組み合わせに、材料は各々の個性がありますのに、この香りのピラミッドに積み上げていて、まるで奏鳴曲(そうめいきょく)のように交わって…いいえ、これは!」松田先生は黄色い卵黄を箸で持ち上げ、鼻に近づいた。「この卵の黄身は酒と炭火の香りがします!」

「……ここに持ってくる前に、酒を撒いて炭火で焼きました」

「やっぱり。すべての味から独立したこの香りや食感、まるで協奏曲(きょうそうきょく)独奏楽器(どくそうがっき)のようです」一気に棠硯のわからない評価をした松田先生は、最後の一言を上げた。「『香りの調律師(ちょうりつし)』――ぴったり調整してくれたすずりちゃんは『香りの調律師(ちょうりつし)』です!」

 ……ちょうりつしって、何をする人でしょ。

「おいしい!!」

 粽の葉を両手で持ったまま、猛然と頭を上げた玖瑠実は棠硯が絶対わかる評価を叫んだ。

「玖瑠実ちゃん、顔が米粒まみれですよ」

 粽の葉に米一粒も残さなかったが、玖瑠実の顔にはいくつかくっついていた。早速にも先生はハンカチを取り出して、生徒の顔を拭いた。

「次は眼鏡っ子?」バブーのお姉さんは聞いた。

「は、はい」はらはらして皿を机に運び、南蓮は紹介しながら結び目を解くつもりだった、が…「あの……お湯で茹でる……母……」

「れんちゃん、無理しなくていいですよ。さっき聞きましたから…」緊張で言葉の乱れがもっと大変なことにならないように、先生は生徒の言葉を遮った。

「先生の言う通りだわ!」粽を一個食して、体力が満タンに復帰した玖瑠実は粽の葉を持ち上げたが、熱くて持てなさそうで、手放した。「セリフ覚えてきたのもせっかくだけど、この『食薙対決』は料理で話し合う対決だわ!」

 青緑の竹の葉の両端を捻り、玖瑠実は粽の中身をじっくり観察した。一団結にまとめられた黄色い米粒は、朦朧と見える食材を抱きしめている。

 バブーのお姉さんは箸で米を払った。魔力の満ちた宝箱を開いたように、白い煙は竹の葉の清き香りを伴って漂い、食欲のそそる旨味で人の味覚を呼び起こした。

「まずは食べてみるヨ」「いただきます」「いただきま――す!」

 米を口に運び、噛んで噛んで、松田先生は両目を伏せ、もちもちとした米とふわふわな落花生の食感を楽しんで、うっかり陶酔してしまった。

「待テ、この肉…」バブーのお姉さんは粽の中から豚肉を拾い、じっくり見た。「脂が付いてるのに、脂っこくないし、軟らかくて口にとろけるヨ!」

「そ、それは腕肉です」自分の手を握りしめた南蓮は一息入れて言った。「ばら肉だと脂っこいから、代わりに脂っこくない腕肉を使いました」

「なるほど」松田先生は煮込み肉を呑み込み、評価した。「脂に味のバランスが崩されないように、豚肉は軟らかくて脂の少ない部分にして、全体の高級感を上げました。他の食材も完璧に合わさっていて、味は『あっさり』と言うより、『雅』と言うべきです。まるで生け花のように――そう、れんちゃんは『食材の華道家』です!」

 ……この試合に先生はあだ名を付けないといけないルールがあるのかな。

 棠硯と南蓮は三番目の審査員に目を向けた、まるで小学生でもわかりやすい評価を求めているように。

「おいしい!!」

 期待に裏切らず、玖瑠実の元気な評価は質朴なものだった。

「あんた何でもおいしいんじゃん」アイスのお姉さんはツッコんだ。

「違うわよ! わたくし、結構こだわりあるわよ!」玖瑠実はお姉さんの話をちゃんと理解できなかったようだ。「でもおいしいもんはおいしいもん――おいしい!!」

「両方ともおいしくて、決められませんね」

「そうだった。一つ選ばないと…」審査員兼司会者兼対決の主催者である玖瑠実は、この場に及んで、逆に決着付けたがらないようだった。「ん……そうだわ。わたくしが『一』と数えたとき、審査員は三人とも札を上げて、好きなほうを選ぶわよ。行くわよ!」

「え?考える時間…」

「三……」

 心の準備もできず、カウントダウンは勝手に始まった。緊張感が倍に増し、瞬間で、最初から緊張だった南蓮は押し潰されそうだった。

「二……」

 凝結した空気。耳鳴りの音はカウントダウン以外の声を翳した。棠硯は南蓮の手を握りしめたが、耳鳴りは消えなかった。


「一……」


    ×


「……はっ」

 目を大きく丸くした棠硯は見慣れた紅眠床(アンビヌツン)の天井を凝視し、しばらくしてから、体を布団から滑り出した。

 隣に寝ている兄は眉をひそめたが、起きる様子はなかった。どうやら妹に起こされていなかったようだ。

 棠硯は機械のつま先で歩き、扉を開け、灶跤にいるべきはずのなかった老いた雌鶏を見たときは、なんだか既視感を感じた。

 トントン…コンコン…チャントン……

 すると棠硯は物を探し始めた。箪笥の引き出しを全部開け、調味料を出し、不意にもかまどの傍にあった薪を転がし……

Suzuri(すずり)是按怎矣(どうしたんだ)?」

 ベッドで起こされなかったとはいえ、こんな音に兄は起こさないわけがなかった。半分はまだ寝ているまま、寝ぐせを頭に付けた兄が見たのは、散らばった灶跤だった。

「……Onī-chan(おにいちゃん)、」不意に唇を動かし、棠硯の口から疑問がこぼれだした。「上好食的肉粽(一番おいしい粽って)……是啥物粽(どんな粽)?」

 そう聞いた兄は髪を適当に上に梳き、鶏を追い出し、片膝を地につき、棠硯の手を持ち上げた。

若是有(すずり)Suzuri的味(の味がすれば)啥物粽(なんでも一番)攏好食(おいしいんだ)

 棠硯は持たれた手を見て、兄の優しい眼差しを見て、つやの欠けた両目を伏せ、思考を少し走らせた。


 ……予知夢?


2020.04.14著作

2020.06.21翻訳

皆さんこんばんわ、こっちはネツミです。

変な日本語ですみません。

作中にあるルビ付きの「洛語」は実際台湾語です。今後もいっぱい出ることもあるだろう。

今年の6月25日は旧暦の端午の節句だけど、この章は去年の端午の節句から考えてたんだけど、なかなか文字にできなくて、実質一年間書いてしまったことになっちゃったw


そして何ヶ月も更新してなかったのは中国語版の連載を他のサイトに移すか移さないかの問題で粘ってしまったから今になっちゃった。本当申し訳ありませんでした。


日本に関西と関東の争いとか、きのこの山とたけのこの里の違いのように(例え下手か)、台湾では北部と南部の争いで一番激しい戦場といっても過言ではないのは「北部粽」と「南部粽」の争いである。

両者の一番の違いは作り方にある。北部粽は蒸し物で、南部粽は茹で物だから、食べ物的には全く違う製品になってしまってるのに、どっちも相手の粽を粽として認めてないようで、結構酷いだから…

…こんなテーマを選んだぼくってこの後どうなってしまうのだろう。

ところで、この作品においての世界観は台湾のように北と南に分けられていないから、「夜北炊粽(夜北の蒸し粽)」と「万鳳水粽(万鳳の水茹で粽)」という造語を作ってしまった((今後出ない言葉なはずだけどな

そして書き方は、まあ、例の服が爆発する媚薬料理漫画を参考にして書いていたけど…いいこともわるいこともあったね

いいことは、対戦システムは考えずに済んだこと。

わるいことは、南蓮が「アロゼ(arroser)」を使ったところかな。あれはその料理漫画の序盤にあった内容にインスパイアされたものだけど、その漫画でそのテクニックのことは「ポワレ」って書いてあったけど、「ポワレ(poêler)」は「フライパン(poêle)で物を焼く」意味だから、「鍋にある油を掬って食材に注ぐ」ことと全然違うんだ。

…いやでも、その場で南蓮がするべきのはarroserじゃなくてretirer l’alimentのはずなんだけどねw

まあ、愚痴はここまでにしよう。

次回は多分夏休みの話をすると思うけど、これからもよろしくお願いします。

それで、今回はここまでにします。

それじゃ、一旦シャーペン放します。


2020.06.22幻華 ネツミ

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