第壱拾参話 眠り姫
麗那を除いた4人と黎明、白斗の6人は宿の一階で遅い朝食を取っていた。
「全く起きませんね、麗那のやつ。」
龍牙が不安そうな顔で、二階に目をやる。
「あれだけの力を使ったんだ。仕方がないだろう。」
目玉焼きを口に運びながら言う鶯劍。
龍牙は麗那の繭のおかげか、あれだけの傷を受けながら、2日目には目を覚まし、3日目の時点では完治すらしていた。
しかし、それに対し麗那は、5日たった今日でさえ全く目を覚ます気配がない。
「早く龍影様を助けなくてはって時に、なんでここまで戦闘が・・・」
苦虫を噛み潰したような顔で呟く龍牙。
それを聞いていた鶯劍は、ナイフとフォークを置き、口を拭い、立ち上がった。
「・・・仕方がない。今日の正午、出発する。」
その言葉に一瞬その場にいた全員が驚いたが、すぐに納得したような顔をした。
「僕が言うのもなんですが。麗那ちゃんはどうするんですか?」
ただ1人、驚きを隠せない白斗が尋ねる。
「・・・置いて行くしかあるまい。」
「そんな・・・」
あまりの冷徹な鶯劍の答えに白斗は言葉を失った。
「・・・あんまりじゃないですか。」
龍牙がぼそりと呟く。
「なんだと?」
鶯劍が鋭い眼差しを龍牙に向けるが、それにも動じず、龍牙は言い放った。
「先生が勝手に連れて来たのに、使えなくなったら捨てていく。そんなのあんまりじゃないですか!!」
「龍牙くん。」
ケイミーが宥めようと声をかけるが、龍牙は止まらない。
「蔦轡さんとの約束はどうするんですか!?」
龍牙は鶯劍に詰め寄る。
「こんなのあんまりですよ・・・。麗那があんな状態になったのは、俺達の、いや、俺のせいなのに。」
「そうか・・・」
俯き、唇を血がにじむほど噛み締める龍牙の頭に鶯劍は傷だらけの手をのせて言った。
「なら、お前も残れ。」
「えっ?」
驚きのあまり、龍牙は目を丸くさせ、鶯劍を見つめた。
「そんな中途半端な気持ちでついてこられても、はっきり言って、『邪魔』だ。」
「鶯劍さん!!」
ケイミーの呼びかけに全く見向きもせず、自分の弟子を凝視する鶯劍。
その龍牙は、怒りで肩を震わし、
「あんたって人は!!」
殴りかかった。
しかし、それは鶯劍の顔面に当たりながらも全くと言っていいほどダメージを与えられていなかった。
「師に刃向かう、か。なら、」
鶯劍はその拳を掴み、ひねりながら反対側へと投げた。
「もっと、力をつけろ。守りたいものを守り抜くために。」
鶯劍はそう呟くと戸口から外へと出て行ってしまった。
「ぐっ。かはっ。」
突然の投げ技に、受け身をとれず、龍牙は床に寝転がりながら荒く呼吸していたが、すぐに起き上がり、二階へと上がった。
麗那が寝ている部屋に入り、その安らかな寝顔を見ていると、龍牙はまた怒りに掻き立てられた。
「くそっ。なんで、あの人は簡単に仲間を見捨てられるんだよ!!」
すぐ横にあるベッドに腰掛けうなだれる。
(それとも俺が間違ってるのか・・・。)
陰鬱とした気分のままどのくらいが経っただろうか、
部屋のドアがノックされた音で龍牙はハッとしてドアを開けると、そこにいたのは、軽く手を振る奏香だった。
「ちょっといいかな?」
「ええ、どうぞ。」
龍牙は奏香を部屋の中へと通す。
「どうかしたんですか?」
「麗那ちゃんのお見舞いをしようと思って来たんだけど。さっき白斗と話してたら、1つ用事が増えちゃってね。」
「用事、ですか?」
「そ、龍牙くんが落ち込んでるって聞いたから。」
微笑みながら言う奏花から龍牙は視線を外す。
「話は全部聞いたよ?だけど、もし私が鶯劍さんの立場でも同じことを言ったと思うよ?」
「なんで、ですか?なんでそんなに簡単に仲間を見捨てられるんですか!?」
龍牙の肩がまた怒りに震え始める。
「本当にそう思うの?」
龍牙の横に奏香が座る。
「どういう、意味ですか?」
「本当に、鶯劍さんが麗那ちゃんを見捨てたと思っているの?」
「そんなの本人がさっき言ってたじゃないですか。」
「確かに鶯劍さんは、麗那ちゃんを『置いていく』と言ったみたいね。だけど、『見捨てていく』とは言ってないんでしょ?」
「えっ?」
龍牙は、奏花の方へ顔を向ける。
「多分、鶯劍さんは、麗那ちゃんが心配だからこそ、ここに置いて行こうとしたんだと思うよ、私はね。」
「これから先、敵のレベルは今までと比べものにならないくらい上がるのは必然。樹海とか鉱山とかもあるしね。
それを、1人を守りながら戦うということはそれだけ他の4人の死亡までいかなくても負傷する確率ははね上がる。
だからこそ、あの人はあの人なりに悩み抜いて、この決断を下した。私はそう思うよ。」
「・・・」
「僕も全く同じ意見ですね。」
いつの間にか、ドアの所にユウが立っていた。
「あの人に限って、自分の仲間を、特に弟子ともなれば見捨てるはずがない、いや、見捨てられないはずですよ。」
龍牙は顔を上げ、ユウを見上げる。
「君は自分の師を信じられないのかい?」
「・・・そうだよな。先生が麗那を見捨てるわけないもんな。
ハハッ、俺は馬鹿だ。」
龍牙の目から涙がこぼれた。
「先生がどれだけ悩んでこれを決めたのか分からないくせに、怒鳴りつけて、馬鹿だよ、俺は。」
両手で握っていた麗那の白い手に一つまた一つと雫が落ちた。
その時、その白い指がピクリと動いた。
龍牙はそれにハッとし、呼びかける。
「麗那!!麗那!!」
その声に反応したのか、麗那の瞼は一度強く瞑られた後、ゆっくりと、少しだが開かれ、漆黒の瞳がその間から見えた。
「龍・・・くん?」
そしてその小さな唇から細い声が紡がれた。
「そうだよ。俺だよ、麗那。」
「良かった・・・元気そうで。」
力なく微笑む麗那を見て、龍牙はまた涙が溢れそうだった。
しかし、その時龍牙は気づいた。
麗那の瞳が明らかに自分に向けられていないことに。
「なあ、麗那。」
「・・・なに?」
「俺のこと見えてるか?」
「・・・見えてるよ。」
「じゃあ、俺、今どちらの目を瞑ってるか分かるか?」
「右でしょ?」
その答えに愕然とする龍牙。
「・・・俺はどちらの目も瞑っていないぞ。」
「えっ?」
「本当に、見えて、ないんだな。」
龍牙は俯きながら呟く。
「・・・うん。だけどね、」
同じように俯きながら麗那は呟いた。
「全く何も見えていないわけじゃないの。薄ぼんやりとだけ見えるの。」
包帯を巻かれた手を目の前に広げる麗那。
「ねえ、」
「んっ。なんだ?」
「私、一体どうしたの?これ、包帯、だよね。怪我したの?」
龍牙は伝えるべきかどうかわからず、ユウに視線を送る。
ユウもその視線の意味を理解し、首を横に振った。
「・・・、ああ、俺の怪我を治してた時に、あの2人に攻撃されたらしいぞ。」
「そう。」
「ごめんな。俺のせいで。」
俯き、麗那の横で泣くまいと、涙をこらえる龍牙。
「いいよ。すぐに治る気がするし。それに・・・」
龍牙が顔を上げると、微笑む麗那と目があった。
「龍くんを助けられたしね。」
「もう傷は治ったの?」
「えっ・・・あ、ああ。」
急にもたれかかってきた麗那に動揺する龍牙。
「良かった。」
龍牙は抱き起こそうとして、手を上げるが、それは麗那の肩に置く前に空中で止めた。
「本当に・・・よかった・・・ 」
龍牙は肩に置くはずだった手を、震えている麗那の背に回し、優しく抱きしめた。
麗那は堪えきれなくなったのか、龍牙の腕の中で大粒の涙を流し始めた。
龍牙はただ、そんな麗那を抱きしめるしかできなかった。
もう二度とこんな顔をさせないよう強くなると誓いながら、ただ、ただ強く抱きしめた。