第壱拾壱話 光の粒
体から切り離された黒龍はドサリと地面に落ちた。
『ありえん。この私が、こんな下等種族なんぞに負けるなど!!』
血走った瞳を目の前に平然と立つ、憎き相手に向けた。
『くそ、くそくそくそくそくそ、このくそがっ!!』
黒龍の声が大地を揺らす。だが、ケイミーは微動だにしない。
ただそれを冷ややかに見下ろすだけである。
『そんな、そんなゴミを見るような目で私を見るな!!』
『黒い塵』となって消えていく体の端から黒龍はまたあの触手を打ち出した。
それは寸分違わずケイミーの頭へと伸びていく。
だが、それは届く前にドサリと地面に落ちた。
『老いぼれ!!』
また黒龍の叫びが木霊する。
その標的は、ケイミーの前で剣を振り下ろした状態で固まる、マーズだった。
「見苦しいぞ。闇に落ちた哀れな龍よ」
『哀れだと?』
人間の時なら眉をピクリと動かすような、怒りが隠れた静かな声。
だが、マーズは臆さない。
「龍とは長い時を生き、それぞれの生き方に誇りを持つ気高き竜に与えられる称号じゃ。だが、おぬしからそんなものは全くもって感じられん」
『なにを・・・』
「もうこれくらいいいじゃろ?恥さらしは」
『私を、私を恥と言うか!?この私を!!』
激昂した黒龍の叫びに初めてケイミーは肩を跳ね上がらせた。
「消えゆけ、龍の里より追放されし黒龍よ」
それに対しマーズは、ただ冷静に黒龍の下に魔法陣を展開しながら冷ややかな目でそれを見た。
『貴様らに何が分かる!?』
黒龍は叫ぶが何も返ってこない。ただそこには自分を見下ろす四つの瞳があるだけだ。
『私を、私をそんな目で見るな!!』
もう首だけしか残っていない状態でさらに触手が生成され、打ち出された。
「『長政』」
それが二人に届くまでに呟かれた二文字、それを合図に残った黒龍の首を巨大な槍が貫いた。
『く、そ、が』
刺さったところから蜘蛛の子を散らすように『黒い塵』となり消えていく。
そして終わりを告げるように、二人の目の前で止まっていた触手が消えていった。
その黒い塵が完璧に消え去ったところで、十字架に架けられたように縛られていたロジャーの体が落ちてきた。
「父上!!」
ドサリと雪が取り除かれた地面に落ちるロジャーに、ケイミーは急いで駆け寄った。
「父上!!」
その体を抱き起こしながら、ケイミーはただ父を呼んだ。
すると、その閉じられた瞼がゆっくりと開かれていく。
「ケイミー、」
「父上!!」
紛れもない父の言葉にケイミーはたまらず抱きついた。
それにロジャーは弱々しくだが苦笑した。
「はは、痛いよ。ケイミー」
「あっ、ごめんなさい」
自分が思いっきり抱きついているのに気づき、顔を赤く染めながらケイミーは離れた。
「だけど、よかった。本当に・・・」
ケイミーは安堵から、涙が零れた。
「さ、父上、一緒に家に帰りましょう」
ケイミーはすぐにそれを拭いとると、しっかりとロジャーの手を掴んだ。もう離さないようにしっかりと。
だが、ロジャーから返事がない。
不思議に思ってその顔に目を向けると、そこにある予想外の光景にケイミーはその形のいい目を見開いた。
「父、上。その、髪・・・」
「ははは、どうやら時間みたいだな」
ケイミーは目を疑った。なぜなら、先までケイミーと同じ輝かしい金だったロジャーの髪が、白く染まっていくのだから。
髪だけではない。その肌からはみずみずしさが消え、シワが深く刻まれていく。
「私はあの黒龍の生命力で延命していたんだ。それがなくなった今、この体もそう長くは保たない」
「そんな・・・」
ケイミーは奈落の底に突き落とされた気分だった。
「なら、私がアイツを倒さなければ、父上は・・・」
「それは違う」
ケイミーの言葉をロジャーは即座に否定するが、その声は届かない。
「だって私が、私がアイツを倒さなければ父上はもっと長く生きれたんですよ?それを私は・・・」
「ケイミー」
ケイミーはその優しい声に口を噤み、顔を上げた。
そこにあるのは懐かしい、父の笑顔。
「君なら分かっているはずだ。私がどれだけ『誇り』を大事にしてきたか」
ケイミーは滴を落としながら頷いた。
その頬にロジャーの手が触れた。
それを両手でしっかりと押さえるその視界の端でふわふわと舞う光の粒を見た。
「そんな・・・」
ロジャーのつま先から出ているそれが何を意味するか、ケイミーは即座に理解した。
それは即ち、『消滅』
「父上!!」
「君が、私が最も愛する娘が、私が最も大切にする『誇り』を守ってくれた。これ以上何を望む?
私には思いつかないよ」
下半身と上半身の左半分を光に変えたロジャーは優しく微笑んだ。
「ありがとう、ケイミー」
「父上・・・」
大粒の涙を零すケイミーに微笑みながら、ロジャーはその後ろに立つ老人に目を向けた。
「ロジャーさん」
「迷惑をかけたね、マーズ」
「いえ、」
「後は、頼むよ」
「・・・はい」
マーズが頷くのを満足げに見てからロジャーはもう一度、愛娘に目を向けた。
「花嫁姿が見れなかったのが唯一の心残りかな」
「父上、消えないで、消えないでください!!」
懇願するケイミーにロジャーは満面の笑みを浮かべた。
「さようなら、ケイミー」
ケイミーがその体に抱き付くと同時に、ロジャーの体は、光の粒となって舞い上がった。
「父上ぇ~!!」
天を仰ぐようにして泣くケイミーの上で、その粒たちは、雲の隙間から射し込む光の柱を昇るように、ゆっくりと天へ舞い上がっていく。
ゆらゆら、ゆっくりと天へ昇る光の粒たちは、どこか嬉しそうだった。
黎明に肩を貸してもらいながら遠巻きにそれを見ていたユウはすぐ横の茂みが不自然に揺れているのに気づいた。
「ん?」
するとそこから何かが飛び出してきた。
ユウも黎明も声をあげることすらできずそれを見つめた。
「あたた、ロッソさん大丈夫ですか?」
「なんとか」
地面に寝転がり息を荒げていたのは麗那と負傷していたはずのロッソだった。
「あ、ユウさん。よかった、やっとついた」
麗那は初めて横にユウがいるのに気づいたようで安堵の表情を浮かべる。
そこで首をめぐらし、離れたところで俯くケイミーを見つけると大きく手を降り始めた。
「あっ、ケイちゃ・・・」
「ごめん、麗那ちゃん。そっとしてあげてくれないかい?」
「え?」
名を呼ぼうとした麗那はキョトンとした後、もう一度見たケイミーが泣いているのに気づいた。
それからは予想するのは簡単だった。
「死んでしまったんですね、ケイちゃんのお父さんは・・・」
そのストレートな言葉にユウは頷くが、でもと繋げる。
「彼女は命を救うことはできなかったけど、お父さんの、ロジャーさんの心を救ったんだ」
「心?」
「そう、何にも屈しない気高い一人の戦士としての誇りを守ったんだ」
「だけどそんな、命と比べれば・・・」
麗那の言葉にユウは違うんだと首を振る。
「人には生きるために誇りというものが必要だ。例えそれが何であれ、もしそれがなくなれば、人は生きながら死んでいる、『生きた屍』となってしまう」
「生きた、屍」
「ケイミーさんも分かっているんだ、自分が最善の選択をしたことに。
だけど、それに心がついてきてくれない」
ユウは泣き続けるケイミーを見る目を細めた。
「だから少し整理する時間をあげてもらえないかな?」
しばし考えこんだ後、麗那はコクリと頷いた。その横のロッソもまた寝転んだまま微かに動かした。
その間に泣き声がやむことはなかった。
帝都アルケイディア 地下
「ん?」
「どうした?龍牙」
また一つ扉を開けてから鶯劍はボーっとしている龍牙に声をかけた。
「いえ、何でもないです」
その反応に訝しみながらも鶯劍は鍵束を見た。
「まだ二十個もあるのか。長いな」
「後二十個ですよ。最初百近くあったんですから」
ぼやいていた鶯劍だが、ソフィアの言葉にそうだなと頷き、龍牙の首根っこを掴みながら歩き出した。
先ほど開けた扉をくぐり、新たな通路へと踏み出す。
そこは巨大な水道管のようで、真ん中には結構な量の水が流れている。
どうやらここは水道管の下部のようで全く枝分かれしていなかった。
曲がりくねった一本道をしばらく歩くと、次の通路までの最後の角にさしかかっていた。
「ん?」
だが、その向こうを確認した鶯劍は全体に止まれの合図を出した。
その角の向こうに、誰かがいた。
靴音からして人数は二人。だが次の通路から三手に分かれる予定だったために十一人という大所帯の今、見つからないという可能性はゼロ。
(さて、どうしたものか)
枝分かれのない完璧な一本道。そうくれば、やることはただ一つ。
「龍牙、行くぞ」
「はい」
見張りの二人が通路の入り口を見た瞬間、二人は飛び出した。
たった一歩で接近した龍牙と鶯劍は、布でその口を覆ってから、腕で首を締め上げる。
不意打ちをくらった兵士達はただ手足をばたつかせるだけで、すぐに意識を手離した。
それを縛り上げ、猿ぐつわを噛ませてから全員は入口の中へと進んでいく。
薄暗く、所々に水が溜まった通路を音をたてないように通り抜け、次の通路に足をつけた。
「あれ?」
だがすぐに違和感を感じた。
そこは地図だと幅二メートルほどの通路のはずなのに、そこは真っ白いドーム状の部屋だった。
「どういうことだ?地図にこんな場所はないぞ?」
『ようこそ、待ってたよ』
突如その部屋の中に響いた声に全員が身構える。
『そんなに固くならなくても、不意打ちなんてしないって』
声の主を探して辺りを見回し、見つけた。
なぜそれまで気づかなかったのか疑問に思うほどに、見覚えのある真紅の髪の少年がドームの中心に立っていた。まるで元々いたと言わんばかりに。
笑みを浮かべるその少年に、龍牙は無意識にその名を呟いていた。
「彗厭・・・」