第十章第一話 海底都市
「うわあ。」
トンネルのような通路を歩いていた龍牙は感嘆の声を漏らした。
目の前にあるシャボン玉のような薄い膜の向こうに様々な形をした建物が並んでいるのが見える。
「この街って本当に海の中にあるだ。」
「それがこの『アトランティカ』の最大の特徴ですからね。」
急に丁寧な口調になったことを訝しむが、
「だけど、どうやって移動するんですか?」
礼儀をわきまえている龍牙は大人な対応をとっていた。
「見れば分かります。」
「え?」
「では行きましょう。」
リンダはそういうと膜を通り抜け、外へと出た。外とは言っても水の中なのだが。
「さあ、早く。」
「俺、息続かないと思うんですけど・・・」
「いいから早く!!」
リンダは耐えきれずに龍牙の腕を掴み、その体躯に似合わない力で外へ引っ張り出した。
「溺れる、溺れ、る?あれ?呼吸が出来る」
龍牙はもがくのを止め、体中を見回した。
「あれ?これって」
「ええ、あの出入り口の膜が体を覆ってくれるんです。だから抵抗もなく地上と同じように歩けるんですよ。
では、行きましょうか」
随分大人しく敬語などを使うようになったリンダに返事をすることなく、体中に薄く張られた膜を子供のようにはしゃぎながら龍牙はその後を追う。
「王の間ってどこにあるんですか?」
「上です」
リンダは人差し指で指したその先には三本の搭が並んでいた。恐らくその真ん中を指しているのだろう。
だが辺りを見回した龍牙は気づいた、周りに全く上に昇る手段がないことに。
「どうやって上に行くんですか?」
「これですよ。」
龍牙の横を歩いていたソフィアが小走りで泡を噴き出す岩の方へ行くと、その横で立ち止まった。
それは直径が龍牙の背丈程もある円形の岩だ。
ソフィアはその上に立つと、足下からブクブクと泡が吹き出し始める。そして、一瞬のうちに大きな泡で包まれ、そのままふわふわと上へ昇っていった。
「へぇ」
「『発泡岩石』というこの辺りにしかない特殊な石です。建物の出入り口にも使われているのもこれなんですよ」
「そういうことか」
龍牙は頷くと円形の岩の上に乗った。
「行き先を心の中で呟いて下さい」
「はい」
(王の間へ)
すると、それを待っていたかのように足下から大きな泡が現れ、龍牙を包みこむ。
「スゴい!!」
そしてふわふわと浮かび上がって行った。
意外にも早く、ものの1分ほどで最上階についた。
パチンと弾けると龍牙はゆっくりと床に足をつける。
最上階であるそこは、下から見るよりもかなり高い場所にあることが分かった。
「こちらへ」
リンダの声に頷き、一際大きな入り口の中へと歩き出した。
暁天城 広場
鶯劍は濃姫を抱えたまま、その場にいるものを見て、驚きを通り過ぎて呆れていた。
それもそのはず、そこにいたのは何十もの帝国軍の戦闘服を纏った兵士達だったからだ。
「こんなにいたのか・・・」
「っと、恐らくは他に潜入していた工作員を導入したんちゃいますか?」
鶯劍に降ろしてもらった濃姫もまたそのいつもとは違う光景にあきれかえっていた。
「まあ、聞けばわかりますよって。それに私はあのムカデの回収をいわないけまへんしな。
鶯劍はんは、どないします?」
「信長にあってくる。」
「そうですか。なら私はこれで失礼します」
濃姫は深々とお辞儀すると、兵士達が集まっている方へと歩き出した。
「行くか」
何かいやな予感がする心を抑えながら、鶯劍は最上階を目指し、歩き始めた。
暁天城最上階『魔窟』
「そうか、我の『世界』を飛び出したか」
いつものように女神像の前に立っていた信長は呟いた。
いや、その口調は誰かと話しているような印象を受けた。
「無意識の内に出たのか、意識して出たのか。または第三者の手によるものか。どう思う?」
信長は女神像を見上げていた目を閉じるとふっと微笑んだ。
「ああ、我も同じ考えだ。だが、誰がこんなことができる?」
信長にしか聞こえない声に目を見開いた。
「『ニヒリズム』だと?まだ残っていたのか・・・」
「信長、話がある。入っていいか?」
そこへ扉の向こうから声がした。
「鶯劍が来た。また後で話すとしよう」
信長は女神像から視線を離すと椅子に深く腰を掛けた。
「入ってよいぞ」
信長のよしの声と共に少し大きめの扉が左右に開かれた。
「少し話があるんだが、いいか?」
「奇遇だな、我も主に話がある」
「それは良かった。どちらから話す?」
「主からでよい」
「分かった」
鶯劍は傍らにあった椅子に腰をおろさず、柱にもたれかかった。
「ついに帝国軍が、『古代種』の力を乱用してきた」
『古代種』とは聖霊や精霊などこの世界において人間よりも早く生まれたもののことを言う。
「ほう」
「どうする?向こうがそれを使うとすればこちら側は不利になるぞ」
「その程度はどうとでもなる。我が手を打ってないとでも思っているのか?」
「それを聞いて安心した。で、そっちはなんだ?」
「ふむ。実は、我の世界から龍牙が消えた」
「なんだと?」
「それも恐らく第三者によってな」
「誰だ?」
「『ニヒリズム』」
鶯劍はその名を聞いて目を見開いたのがサングラス越しでも分かる。
「またあいつらか」
「知っていたのか。奴らがまだ残っていることに」
「ああ」
そう言うと鶯劍はすぐさま信長に背を向け歩き出した。
「どこへ行く?」
「弟子を迎えに行ってくる」
「場所も分からないのにか?」
鶯劍の足がピタリと止まる。
「・・・どこだ?」
「分からない」
「なぜだ?」
「確かに我の世界から出たものはどこへ出たのかはっきりと感じ取れる。
だが、全く分からない場所がこの世界に3ヶ所存在する」
「・・・」
「この世界の北端にある『北神殿』。同じく南端にある『南神殿』。そして4つの大陸の中心にある『中央神殿』だ。」
それを聞いてしばし鶯劍は沈黙する。
「南に行こう」
「・・・そうか。北と南には明日、先遣隊を送る。それに乗せてもらえばよい」
「ああ、助かる。何せ俺の飛空挺は東に置きっぱなしだからな」
「取りに行かせようか?」
「頼む」
鶯劍はキーを取り出すと信長に投げた。それを目の前スレスレで信長はキャッチする。
「鶯劍、分かっているとは思うが、北と南には・・・」
「4神のうちの残り2つがいる、だろ?」
「分かっているならよい」
鶯劍はふっと微笑むとそのまま信長の視線を背に部屋を後にした。
アトランティカ 王の間
「ここです」
リンダに案内された部屋は『王の間』というだけあって、他よりも遥かに豪華な造りになっていた。
壁や床は半透明な石材を使っているようで、鏡のようにはっきりと自分の姿が映っている。
天井には豪奢な水晶のシャンデリアがぶら下がっていた。
「うわあ」
ここに来てから龍牙は驚きっぱなしである。
キョロキョロと目を輝かせながら辺りを見回す龍牙に何もいわず、リンダは2つの王座の前に誘導した。
「王様、王妃様。先ほど姫様をお迎えに上がったところ、恐らく白狼村の使者と思われる者がおりましたのでお連れしました」
「うむ。ご苦労」
「へ?」
龍牙から見て左側に座る人が答えた。つまりそれが王だと言うことなのだが、
「あなたがこの街の王様ですか?」
「そうだが」
それは龍牙よりも背が低かった。
顔つきは確かに何十年もの時を過ごした重さがあるが、やはり、小さい。
「がはははっ、そう驚くな。
我らドワーフ族は平均身長が低いのでな。エルフ達はそうではないが」
その視線の先には王妃がいた。見るものを魅了する容姿だが、その耳は異様に尖っている。恐らく彼女はエルフ族なのだろうと思いながらも豪快に笑う王の前に龍牙は跪いた。
それを見た王は真剣な顔つきになり、口を開いた。
「では、使者よ。なぜこの街に来た?」
「・・・分かりません」
その答えに王は訝しげな顔をする。
「分からんとな。ならどうやってここに来た?」
龍牙は右のズボンのポケットから方位磁針を取り出し、床に置いた。
「それは?」
「これは村を出る時に龍影様に渡されたものです。使命を果たす道標として持っていけといわれました」
「だがどうやってここまで来た。生身でここまで来るのは不可能に近いはずだが?」
「実は、俺はついさっきまで西大陸にいました」
「ではどうやって来たと言うのだ?西大陸からここまで来るのに普通の飛空挺なら一週間はかかるのだぞ?」
「後、もう一つ」
「なんだ?」
「ここがなんという街で、どこにあるのかすら俺には分かっていませんでした」
「・・・そうか。なら質問を戻そう。どうやってこの街まで来た?」
「それは・・・」
龍牙は自分の身に起こった信じられない出来事をできるだけ細かく説明した。
最初は信じられないという顔をしていたが、何か思い当たることでもあったのか、最後の方は体を乗り出していた。
「空間の歪みと言ったな」
「はい」
龍牙はしっかりと頷く。
「実はな、ここから少し離れたところで私達の生命線とも言える漁業を行っているのだが、最近、おかしな歪みがそこら一帯を囲むようにして現れたのだ」
「え?」
「幸いにも漁業の方にそこまでの被害は出ていないが、民は怯えている」
「今、私達は捜索隊を結集しています」
隣の王妃の凜とした声に龍牙はほけ~っとしてしまった。それほど聞いていて神々しさを感じるような綺麗な声だった。
「そこであなたにその隊に加わって欲しいのです」
「えっ?なんでですか?」
我に戻った龍牙は目を丸くする。
「そなたはその歪みを通り抜けたことがある。もしかしたらそなただけでもあの中に入れるかもしれないからだ」
「そんなことは・・・」
「今は1人でもこの国を守るために人手が欲しいのです。だからお願いです。引き受けては下さりませんか?」
一国の王と王妃にここまで頼まれては龍牙も頷くしかなかった。
「捜索隊は明日出発する。今日は部屋でゆっくりするといい。 リンダ」
「はい。では行きましょうか」
「ソフィア。あなたは残りなさい」
妃のその声にソフィアはピクリと肩を震わし龍牙の方を見るが、龍牙は頷いた。
しょぼくれながらソフィアが王座の方へ行くのを見てから、龍牙はその場を去った。