第四話(改)
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それから一週間近く、未だ件の青年と会うことが出来ずにいる。
タバコの煙を吐き出しながら、休憩時間に社内の喫煙室でぼんやりと窓の外を見ていた。他に数人、喫煙者が灰皿を囲んで一服していた。皆微妙に疲れた顔をしている。
「どうしたもんかな――……」
ふーっと煙を吐き出しながら小暮は考え込んだ。
初めのうちは、部活の先輩なのだから息子に尋ねれば連絡先は簡単に分る、と単純に捉えていたのだ。しかし、何の関係も接点もなかった青年に突如連絡を取りたいとなると、どんな理由がいいのか。自然な理由で無ければ確実に不審がられる。
北海道から自宅に戻って冷静さをいくらか取り戻した小暮は、あっさりと行き詰った。
息子経由であれ部の担当教師経由であれ、尤もな理由がいるだろう。連絡網のプリントは各自で必要な番号が書かれているのみで、表ですらなかった。LINEやメールアドレスも考えたが、ハードルは更に高い。個人情報保護や関連する諸々の危険性が叫ばれる現代、さすがに昔のようにはいかないらしい。
「どうしたもんかな――……」
繰り返し呟く。吐き出した青白い煙の先を、なんとなく目で追った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
遠くでインターホンが鳴った気がして、小暮は読んでいた新聞から顔を上げて耳を澄ます。
やはり鳴っている。折角の日曜だというのに誰だろう……?
空耳ではないと分かり、居間の隅にある自分専用の書斎スペースから、顔だけ出して声を張り上げた。
「おーい、誰か来てるぞー!」
「えー? なーにー?」
洗濯機と掃除機の音が響き渡る中、隣の和室から妻の大声が応じる。これだけ賑やかだと、流石にドアホンは聞こえないのか。しかも外は雨である。小暮は急いで小部屋から出ると居間のドアを開けた。すぐ横の壁にあるインターホンの応答ボタンを押して返事をしながら、小さなモニターが映しだした人物に目を見開いた。
「こんにちは」
玄関のドアを開けると一人の青年が頭を下げる。
どうやって会えばいいのか考えあぐねていた青年が目の前にいた。あの休暇から、結局三週間ほど経過している。
挨拶も忘れて茫然と彼を見つめる小暮に構わず、青年は訪れた目的を口にした。
「文也君はいますか? この前の、バーベキューの時に撮った写真を渡しに来たのですが……」
「! あ、ああ。文也か。ちょっと待ってて、呼んでくるよ」
ひとまず青年を玄関に通すと、息子を呼び出すべく背後の階段を上った。
「文也! 部活の先輩が来てるぞー、写真を持って来たって」
「はーい。今行くー」
声を掛けて直ぐ、バタバタと賑やかな音を立てながら息子が階段を駆け下りていく。小暮も後に続いた。
「夜刀神先輩! 有難う御座います」
「はい、これ。一応、間違ってないか中を確認してくれるかな?」
青年は、肩にかけたバッグから洋判の茶封筒を取りだして渡す。受け取った文也はその場で封を開けて写真を引き出した。
二人のやり取りを背に、小暮は居間に戻ると台所の並びにある脱衣所を覗いた。妻は洗濯機の蓋を開けて中身を取り出している最中だった。
「ああ、母さん。悪いけど、ちょっとタバコ買に行ってくるよ」
「えー? この天気で? 強くないけどそれなりに降ってるわよ?」
「構わないよ、別に」
「はーい。じゃあ気を付けて行ってらっしゃーい」
妻の返事を聞き終わる前に寝室に入り、ジャケットをひっつかんだ。袖を通しながら玄関へ続くドアに手を掛けると二人の会話が聞こえる。まだ帰ってはいない。ほっと胸をなでおろし小暮は改めてドアを開けた。
「それじゃあ、僕はこれで。またね、文也君」
「はい、有難うございました。気を付けて下さい、先輩」
文也が玄関口から外へ出て青年を見送る。傘を広げにこやかに手をふった青年は、玄関の奥に小暮の姿を見ると軽く頭を下げ、ゆっくりと歩きだした。
ドアを閉めて家に入ると父親が靴を履いていて、文也は不思議そうに声をかける。
「あれ? 父さん出掛けるの?」
「おう、切らしそうなんでな、コレ」
小暮は右手を口元に持っていき、タバコを吸うジェスチャーをした。文也が呆れながら大げさに肩を落とす。
「そろそろ禁煙しなよ。値上がりしてるし、小遣い減ってんだろ?」
「よけーなお世話だ、こら」
息子の額にデコピンを喰らわせて笑い、傘を広げて外へ出た。
青年が向かった方向を思い出しながら家の門前で軽く左右を見回す。それほど離れていない距離に、濃紺の傘を差した後ろ姿を見つけた。小雨というにはやや強めの雨脚の中、歩いているのは一人しかしない。彼だろうと当りを付けて足早に近づく。
「ちょっと、そこの君……」
背中に声をかけると傘の人物は静かに立ち止まる。
「こんにちは」
ゆくっりと振り向き、青年は再び頭を下げた。
話が長くなるかもしれないからと小暮が提案し、二人は近所にある小さな喫茶店に入った。狭い店内の一番奥の席に落ち着き互いに注文を終える。それぞれの前にカップが置かれるまで、取り留めのない会話が続いた。自分たち以外に客はおらず、店内には静かなピアノ曲が流れている。
「北海道に行ってらしたんですね」
「どうしてそれを……」
「文也君から、お土産のお菓子をもらいましたから。御馳走様でした」
「ああ~。嫁さんから、行くなら絶対買ってこいって、しつこく頼まれてたもんでね」
薄く笑う青年に小暮は苦笑で返した。向こうに行くならコレというぐらい定番の菓子の人気はいまだ健在だ。
「それで、わざわざ用事を作って家を訪ねたのか」
「ご自宅に伺うのはご迷惑かとも考えましたが、あれっきりというのも……」
「正直助かったよ、君には、色々と尋ねたい事があるんだ。できればこの前の様に、誤魔化したりせずに答えて欲しい」
「……はい」
感情の窺えない声が応じる。
「まずは君の事だ。沙季江と君の関係を知りたい」
「僕は、彼女の息子です……」
小暮は膝に置いていた両手を強く握りしめた。
予想はしていた。青年には、見た目だけではなく沙季江との共通点が多い。同じ癖、よく似た話し方、顔を合わせていると気付く些細な事柄。それらがわかる自分の胸に過る一抹の哀しさ。
「……歳はいくつ? 今、大学何年生?」
「十九歳、大学部の二年です」
落ち着いた雰囲気で二十歳は過ぎているような感じたが、まだ十代とは思わなかった。頭の隅で、ふと何かが引っ掛かる。おかしい。
「ずっと先ですけど……、十二月には二十歳になります……」
「――!」
付け足された言葉に息をのんだ。脳裏に閃いた違和感の答えが、小暮の身体を震わせる。耳の奥にざあっと音が響き血の気が引いた。
「君は…………」
無意識に薄く開いた唇からは掠れた息が漏れる。何も考えられいまま目の前のカップに手を伸ばした。取っ手を掴んで持ち上げれば、コーヒーの茶色い水面に不自然な細波が走る。
「小暮さんは、ご存じなんですね」
男の動揺を見て取った青年が呟く。自身を納得させるような口調だった。
「っ、何の、事かな……」
「母に何があったのか。以前お会いした時、『事情があって離れた』とおっしゃっていました」
「…………」
青年は紅茶に手を伸ばし綺麗な所作で唇を湿らせる。
「小暮さんが考えている通りです。妊娠が分かって、母は結婚しました。自分を――」
「やめてくれっ!」
小暮は堪らず遮った。爪が手の平に食い込むほど強く握り込む。あまりの非道に言葉も出ない。やり場のない気持ちを代弁するかのような呻き声が零れる。
「ウチは、中途半端に歴史があるせいか、世間体の類を酷く気にする家柄でして……」
すっかり色を無くした男の様子に言葉を選びながら、青年は話し始めた。




