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第三話


「――時間を取らせて悪かったね。色々とごめんよ」

 小雨も上がり陽射しが戻ってきている。腕時計を見ればそろそろ良い時間だ。

 小暮は弁当殻の入ったコンビニ袋を片手に椅子から立ち上がると、スーツのポケットに手を伸ばした。特徴的な丸いカギを探り握りこむ。

「こちらこそ、きちんと話せなくてすみません」

 頭を下げる青年にかるく頷いて応じ、背を向けて歩き出した。公園の出入り口近くに止めた車へ向かって握った遠隔キーのボタンを押す。少しの間をあけて、聞き慣れたエンジン音が耳に届いた。

 違反切符を切られていないか確認して軽く車内をみまわす。異常は特に見られない。運転席のドアを開け、コンビニ袋を助手席の下に放り込んだ所で呼び止められた。

 振り向けば、小走りに近寄って来た件の青年が小暮に片手を伸ばす。

「これを――」

 差し出された指先には折りたたまれた紙片があった。四阿に居た時の柔い表情は変わらないが、纏う雰囲気はどこか薄暗い。硝子玉のような眼に見つめられ、小暮は戸惑いながらも紙片を抜き取った。

 メモ用紙に書かれた文字を目で追ううち、無意識に開いた唇から息を吐き出した。ゆらりと顔を持ち上げる。

 青年に表情はない。

「どうされるかは、小暮さんにお任せします」

 静かな声と共に頭を下げた青年には応じず、シートに身を沈ませると無言のまま車を車道に向けた。


 会社の駐車場に車を滑り込ませエンジンを切る。スーツの内ポケットからメモ用紙を引き出し、もう一度目を通した。何度読んでも文字は変わらない。

 早く部署に戻らなければと思いつつ、食い入るようにメモを見つめ動く事が出来ずにいる。気持ちの糸が途切れてしまったようだった。

(そんな……)

 小暮が呟いた言葉は音になること無く、車内の空気を微かに震わせて消えた。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 彼女から入籍の知らせを受けた後の事を、小暮は一切知らない。


 痛ましい事件の後、誰にも何も言わずに彼女はひっそりと高校を辞めていったのだ。一月近く学校を休み、いつ来るのだろうとクラスの皆が心配していた矢先、担任が、家の事情で彼女はやむなく転校したと話して聞かせた。

 信じられなかった小暮は放課後、一人で職員室に乗り込み教師を問い詰める。粘りに粘ってようやく、実際は退学したのだと知った。理由については口を閉ざしたが、事情を知っていた小暮は、けれどクラスメイトにそんな事を話せるはずも無かった。


 三年に上がった夏、沙季江から小暮宛に葉書が届いた。

 本家の遠縁にあたる親戚の男性と入籍したと、優しい丸みのある文字で書かれていた。ショックだった。なぜ突然? あんな事があったのに? 相手はどんな奴だ? 親は何と? 沙季江は大丈夫なのか? 頭の中は衝撃と動揺と沸きあがる疑問符で混乱した。


 彼女の家を訪ねた時、自室のベッドから上半身を起こし抜け殻の様な笑顔で 「また、学校でね」 と小さく呟いた姿が目に焼き付いている。パジャマに隠された体のそこかしこに、痣や擦り傷があるのを知っていた。

 傍にいてやりたいという小暮を彼女は遠回しに拒否した。「私はもう、大丈夫だから」 と、震える肩を軽く竦める事で誤魔化し布団を握りしめて。疲れ切った表情の彼女の母親に帰り際、「ありがとう。ごめんなさいね」 と頭を下げられるにつけ、己の無力さ加減をこれでもかと思い知る。

 何もかもが大人たちの手によって秘密裏に処理される中、流れに逆らう事の出来ない自分を悔やみ、彼女の心を置き去りにしたまま、世間体や自分達の事ばかりを心配する大人達を呪った。


 見覚えのある葉書は二枚で一つの絵になる対の片割れで、ハンドメイド作家の品だった。行きつけにしている喫茶店の小さな展示スペースに並べられていたそれを、沙季江が気に入り互いでそれぞれを購入したのだ。

 大切にしまってあった絵葉書を机の引き出しから取り出し、片割れに沿わせてやる。こんな形で一つになった絵に、言葉にできないやるせなさが込み上げた。名前だけで差出人の住所は何処にもない。知られたくないのか。それでも知らせてくれた。丸く愛らしい文字は彼女の物に違いなく、懐かしくて愛しくて悔しくて、小暮は密やかに自室で涙した。

 後日、元級友たちに彼女の事をそれとなく尋ねたが誰も知らなかった。知らせが届いたのは小暮だけで、他の誰にも何の音沙汰もないようだった。

 自分にだけ便りをくれた事に、また、泣いた。


 ぽっかりと空いてしまった心の穴を埋められないまま高校を卒業し、流れに任せて職にありつき数年、知り合いの勧めで見合いをして所帯を持った。平凡でも温かい家庭。子宝にも恵まれたが、それでもふとした拍子に彼女を思い出しては、心の奥がじくじくと痛んだ。


 少しでも傷は癒えているのだろうか。

 幸せなのだろうか。

 大切にされているのだろうか。

 家族に囲まれて、笑ってくれていればいい。


 蒲公英たんぽぽの綿毛ような柔らかい笑顔を思い描く。

 彼女はいつも、照れくさそうにはにかんでからふんわりと笑う。幼さの残るその笑顔が小暮は大好きで、見る度に抱きしめたくなってしょうがなかった。


 せめて少しでも。

 せめて、


 せめて――――――――



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「は、はは、はははははははは……」

 メモを頼りにその場所に辿り着いた時、小暮の口から最初に漏れたのは乾いた笑い声だった。

「なんだこれ。マジかよ。冗談にしては質悪過ぎだろうが」

 青年とのやり取りを思い返す。

『その人は……、もうここにはいません』

『? 日本にいないって事?』

『いえ。日本にはいます』

 確かに、彼女は 「日本ここ」 にいた。

 そしてもう 「現実ここ」 にはいない。

 彼が言った事は正しい。小さな墓石の前で小暮はくずおれた。

 青年が渡したメモにあったのは、北海道にある大規模霊園の住所と区画番号、まさしく小暮が今いるこの場所。

 墓石に刻まれていたのは、当時、愛してやまなかったその人の名だった。

「こんな、こんな事ってあるかよ……」

 残酷にも程がある。墓石の側面に書かれた没年を読んで、さらに衝撃を受けた。彼女が亡くなって既に十年近くが経過している。自分と同い年のはずだ、三十歳になる前に彼女は死んだことになる。

 なぜ、

 どうして、

 何も考えられなかった。


 どれくらい時間が経過したのか、小暮はぼんやりと周辺を見回す。時期的には盆暮れではないので人気はほぼないに等しい。遠くで鳶がふらふらと飛んでいるのが見えるくらいだ。ゆらりと立ち上がり、足についてしまった土埃を払い落とす。

 上司に無理を言って無理矢理休暇をもぎ取り、家族には昔し仲の良かった友人が亡くなったのだと嘘とも本当とも言えない事を言ってここまで来た。最初にメモを見た時はまさかと思ったし、信じられなかった。当たるも八卦当たらぬも八卦と楽観的にとらえ、最悪の答えははなから除外していた。

『どうされるかは、小暮さんにお任せします』

 言葉と共に静かに頭を下げた青年を思い出す。あの、彼女の面影を残す青年を――。

 

 もう一度会わなければ。


 何としても、再び彼に会わなければいけない。

 小暮は小さな墓石の前で、強くそう感じた。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


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