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日常系、時勢・時事問題のエッセイシリーズ

人間たるもの一度は体験した方がいいよ

銃社会米国にて銃規制の機運が高まっている。

それまで性善説とモラルによって成り立っていた銃社会の構造が完全に破綻したからだ。

とはいえ、じゃあ銃って何なのって人の方が日本人には多いと思う。


実は筆者は普通にフルオートまで射撃した経験がある。

2009年。北京での出来事。

ちょうど鳩山が総理になる前後。

youtubeでここ最近削除されまくっている射撃動画の中でいくつかアップロードがある、赤い色に染まった連中の中ではちょい有名な中華人民解放軍の副業の射撃場にて。


別に銃が趣味というわけではなかった。

ミリオタというほどでもない。


だが、単純に「1度ぐらいは体験した方が面白そうだな」というのと「クレイ射撃でも趣味にしてみるか」と、当時金がなくて自作PCぐらいしか趣味がなく、アウトドア系趣味を探していた時に「人間一度は体験してみるべし」ということで一生のうちに出来ることはモラルを逸脱しない範囲にて全てやろうってことで体験してみたもの。


ここで少し北京の射撃場、いや東側諸国の射撃場について説明する。

東側諸国の射撃場は当然「減装薬弾」というものは基本使わない。

手に入るものなら何でも置いてあって、フルオートも含む。


東側諸国系の変態武器も含めて多くある一方、民生販売されている西側の銃も数多く置いてある。

(AR-10とかね)


実はあまり知られてないことかもしれないし、ミリオタなら知ってるのかもしれないがこういった射撃場というのは仮想敵国を見立てた銃のテストなども行われる。

なので北京の射撃場は「的として物を置くことが出来る」ことは一部しか知られてないが、東側諸国のこういった射撃場では車のドアや空き瓶などの廃品を設置してそこを目標に撃てる。


そんな感じでヘルメットや防弾チョッキなどの性能などを試しているという。(自軍だけでなく敵国となりうる国のものも可能な範囲で手に入れて調べている)


東側は合理主義のため、単なる射撃訓練場ではない。


とはいえ、開放された状態の射撃場では最低限の操作方法を教えてもらったら後は自由。

周囲には趣味なのか訓練なのか人民解放軍の軍人(オフィサーと思われる)が射撃してたりする。


ただし周囲にはAK-74あたりのアサルトライフルをぶら提げたインストラクターがおり、最初にサインする誓約書には「こちらに向けた場合は問答無用で撃つ」ということが記載されている。


かなりの日本人がきたとのことだが、撃たれて死んだ人間はいないということで向けた人間は少なくとも日本人にはいないと聞いている。


まあ私のような初心者がいきなりフルオートなんて出来るわけもなく、最初はハンドガンで、そこからライフル、最後にフルオートサブマシンガンという順番で射撃することになり、インストラクターが目の前にいて指導を受けながら体験させてもらったが。


で、まず一番最初に恐怖を感じたのは、インストラクターが「日本語ペラペラ」

彼は純然たる人民解放軍の兵士だが、流暢な日本語を話せる。


まず彼が注意したのは「何があっても空に向けて撃たないこと」


これは非常に重要だ。

弾丸というのは運動エネルギーでもって飛ぶ。

この運動エネルギーは消費しつくすと重力(引力)によって地上に戻ってくる。


この時、消費した運動エネルギー分の高さから重力加速度と摩擦抵抗値を合算した速度で落ちてくるが、大半の弾丸が時速換算数百kmで落下してくるため、ヘタすると首などに命中したら冗談抜きで死ぬ。


そのため、絶対にやっていけないこととしては4つ指示される。

1つ、空中へ向けて撃たない。

2つ、銃口は何があっても絶対に覗き込まない。

3つ、銃をもったままこちらに向けない。(インストラクターも首からアサルトライフルぶら下げてるので撃ちます)

4つ、劇鉄を起こした後で銃を机などに置かない(暴発する危険性がある)


そんな感じで彼の指導によって他に安全装置関係の説明を受け、ハンドガンの最初のリロード前までは彼に手を添えられる形で射撃したが、


まーこれが当たらない。

ちなみにこの時のハンドガンは正体不明のシングルアクションリボルバー。

事前に頭にいろいろ知識を詰め込んだ筆者であるが、調べても何製かわからない東側の訓練用か何かのシングルアクションリボルバーで、「最も安全だから」とこちらから始めることになったのだった。


説明では38口径という話だけど、38口径の反動自体は大したことないが、それでもまるで当たらない。


まず、そのシングルアクションリボルバーは2kgぐらいあるらしいが、レーザーポインターがついている。

そのため的のどのあたりを狙っているかわかるようになっているが「この的に常にレーザーポインターを当て続けることが出来ない」(ブレまくり)


実はお手本で最初にインストラクターが射撃してくれるのだが、彼はいとも簡単にど真ん中に当ててしまった。


一方で素人むき出しの私は結局最後までまともに真ん中に当たることは無く。


彼曰く「君はライフル向きだ」ということで、リボルバー射撃は購入した弾丸分撃ったらそれ以上はオススメされなかったので、次はボルトアクションライフルで射撃することになった。


実はこれ、当初の予定になったが「ハンドガンの適正が無い」と言われ急遽「ライフルでやってみるかい?」ってことで追加でお金を支払ってやったもの。


こっちは普通に当たる。

いかにライフルという構造が射撃を考慮して作られた存在かがわかる。

西洋ではボウガンと並んで「殆ど訓練せずともそれなりの兵力を整わせることが出来た革命的な存在」として歴史に記されているが、それを体感することが出来る。


歴史を紐解けば、銃の基本はライフル型の銃床のついたものだ。

つまりこれで今日まで成り立っているわけだから、後から登場したハンドガンと比較になるわけがなく、


こちらは先ほどとは違い楽しむことが出来た一方……

ある程度撃つとここで私は違和感を感じ始める。


それは「これで本当に人が死ぬのか?」ということ。

撃ってみると本当に大したことがない。

引き金を引くと、火薬の反動で腕と肩が後方に少しブレるだけ。

ヒョロヒョロの人間でも反動制御できてしまう。


それで人が死ぬのだ。


実は射撃中私は思い切って彼に「妙な違和感を感じるが、この距離でも人は死ぬか?」と聞いて見たが、


その意見に対し彼はまじめな表情で「さっきと違い、今ちょうど約100ヤードある。(90m)君はこの距離を難なく的の中心部分に当てているが、私たちはこの2倍の距離で訓練していて、実戦では今使うライフルと同じ弾丸で別の銃を用いるわけだが、それでヘルメットを被っていても死傷者が出る。だからライフルは怖いんだ」とサラッと血の気が引く一言を言い放ってくれた。


このあたりで私は急激にテンションが下がっていった。


人間とはなんて脆いんだろうかと。


彼はちょっとニヤけながら「こういった7mmクラスのものになると銃口に手を当てて撃つだけで片手が無くなってしまうから普段から気が抜けない」とこれまた流暢な日本語で説明していたが、一方で私は命の脆さを銃を撃つことで体感することになり、


命の儚さというものを銃を撃つことでひしひしと感じた。


以降はテンションを下がったテンションのままサブマシンガンのフルオートを撃ったけど、ストックが付いているイングラムは実に慣れれば反動制御が簡単で、余計に萎えるだけの結果となった。


この世界のどこかではこれでドンパチをやって、誰かが明日生きられるかもしれない日を生きられなくなっているわけだ。

そう思うと、銃の空しさだけが己の中に溜まっていき、射撃どころではなかった。


当時の写真を見ても最初はウキウキなのが射撃するとドンドン気分がダウンしていく様子を連れてきてくれた知人が記録している。


最終的にクレイ射撃も試したが、何1つ面白くない。

インストラクターの彼は営業熱心で「いいか○○、ここでは銃の取り置きができて輸入できるものなら何でも輸入できるから、何か欲しかったらここでしか利用できないが申し込んでくれ!」と冊子をくれたが、


ありがとうと言いつつも内心は「今後銃を撃つことは一生ないな、この数時間で一生分撃ったな」と感じていた。


昔からMMOなどのゲームでもPKなどの奪い合いが嫌いだった筆者はここでようやく「自分は別に命の奪い合いがしたいわけじゃないし、元来命の奪い合いをするためだけに生まれた存在を好きになるわけがない」という事に気づく。


銃では料理は作れない。

銃は標的を破壊するだけの代物だ。

他に何も無いのだ。


刃物はまだ平和利用用途があるが、火薬にそれは可能でもそれらを複合させた銃はただの人をとても簡単に殺せてしまうだけの道具でしかなかった。


恐らく、そこに気づかなかった人間が自称PMCを名乗って中東に行くのだろう。

私が中東に行く場合はきっと戸井十月さんみたいに銃の代わりに二輪を引っ張っていくのだろうなと思う。


あの人もまた、自著を見る限り同じ結論に達していた。

バイクだけあれば逃げられるしどうにかなるべって南米の危険地帯にも飛び込む男。

それも愛車はアフリカツインで、癌に侵されるまでずっと愛車だった。


私がアフリカツインに特殊な思いを抱くのは大体あの人と、寺崎勉の影響だ。

「中東のろくな舗装じゃない凍結路面をタイヤチェーン無しでいけるバイクだけがアフリカツインを名乗っていい」

XRV650で本気でそれをやっていた男、戸井十月が語った話だ。


あの人が最後のバハでアフリカツインを諦めたのは癌に蝕まれ衰弱した体で重さを支えられなくなったから。

そんなあの人も「新型」をずっと望んでいたが、CRF1000は彼が望むアフリカツインだとは思わないとちょっと辛口コメントを再び入れておく。


ただし、チェーン無し凍結路面に対してはCRF1000Lでもいける。

というか戸井さんの意識を私も共有していてそれが出来ないならアフリカツインは名乗らせないと思っていたから、やった。

-10度を平気で下回った去年の最強寒波なるものが到来していた真冬の栃木の奥地にて。


それでも思うのはXRV650が一番バランスが良かったと言ってXRV650に拘り続けた戸井十月さんからしたらNC系列のエンジンで開発中ともっぱら噂のミドル版アフリカツインの方がいいのだろうし、開発中のKTM790アドベンチャーの方を評価すると思っている。


それはそれとして、

だからこそ言えるのは、銃を否定する側も銃を肯定する側も、一度撃ってみた方がいいなってこと。


撃たない人間で肯定側ってのは銃をとてつもない反動とパワーを体に伝えつつ、すさまじい運動エネルギーでもって弾丸が風を切って飛んでいくものだと思っているような感じがするが、


そんなものはない。


パンパンと、爆竹のような音より少し大きいやかましい音と共に、ちょっとした反動で飛んでいくだけ。

ハンドガンでも38口径リボルバーだと弾丸が音速に到達しないので目で追える。


車好きなどなら的に向かって放物線を描く弾丸が一瞬とはいえ見える。


そんなちっちゃい鉛の塊が甚大な破壊を人体にもたらすといわれてもしっくりこない。

射撃場では強装弾たぶんマグナムも撃ったが、音がさらに五月蝿くなって反動が少し強くなる程度で、巷の漫画などで描写される顔面近くまで銃が飛び跳ねるということはなく、命中率がさらに下がるだけだった。


それが現実なのだ。



恐らく私が思うのは、米国民はそれまでその考えに達していなかったが、気づいてしまったのではないかと思う。


というのも、米国では銃の事件ってそんなに多くない方だからだ。

これまでは銃による乱射事件なんて殆どなく、アメリカンジョーク的に言われるように「自殺者の方がよっぽど多い」といわれるぐらい銃は「あくまでお守り程度」の代物だった。


それが突如として国民一部に安全装置が外れてしまったものが出て、銃が銃として本当に動き出したために、私と同じような思いを国民単位で抱くようになっているのではないかと思う。


今までは格好付けが殆どだった。

youtubeなどを見てみるとわかる。

ファッション感覚で撃ちもしないような銃を持ち歩く若者の動画が大量にあった。


つまり、銃社会アメリカといいつつも、それまでは「一般市民レベルにおいては本当に撃たないもの」だったと言える。


しかし極一部には銃に魅せられてしまい、何かが外れてしまう者が出て、悲劇が続いた影響で、こいつが「人を殺すためだけの道具」だと理解しはじめているのではないかと思う。


アウトローとかの世界だとトンプソンでフルオート射撃なんことが1960年代のアメリカには本当にあったというが、それは日本のヤクザ物のドラマと同じで、極狭いコミュニティの中であったかどうかの代物で、やはり大半の一般人において銃は「現物はそこにあっても」無縁に近い存在だったのだろう。(少なくとも西部開拓時代などを過ぎた後では)


そんな米国について筆者はちょっと語りたいことがある。

それは筆者は米国に行こうとすると何らかの力によって阻まれるということだ。


実は中国に行くのも当初の予定にはなかった。

アメリカに行く予定がなぜか気づいたら北京入りすることになっていたのだ。


仕事の関係で。

当時そこで知り合ったビジネスパートナーになるかもしれなかった日本人は「北京はそこまでいい場所でもないんだけど何度でも着たくなるところなんだよ」なんて言ってたが、私は1度行っただけで十分だった。


2009年時点の北京はハリボテという言葉が良く似合う。

街中のイメージは「水戸」


2009年時点での北京は本当にハリボテで中心地以外は酷いものだし、鳥の巣なんて錆と汚れで酷い状況。

胡同フートンなどの既存の観光地を除外すると、とても観光地といえるような場所は街中にはない。


確かに貴重な経験もした。


あれだけ反日デモで騒いでおきながら、その近くにいても誰もこちらに暴力を振るうことがない。

北京の若者は「国家」と「国民」を分けて考えることが出来ていた。


また民警もそこに目を光らせていて細心の注意を払っていた。

そりゃそうだ。

日本人が暴力を受けて死んだなんてニュースになった日には国際問題は必至。


そこは線引きできるのがあの国だ。

物は壊しても、日本の資本がかかったショッピングモールで略奪はしても、他国民に暴力を振るうことはしない。


買い物中のイオンにデモ隊が突撃してきてもこちらは殴り飛ばされるという事は無く、暴力を受けたのは「共産党員だった」というのが国民の本質として真の敵意がどこに向いていたのかがわかるエピソードで、その現場にいたのである。(正直微塵も行きたくなかった)


そこに「共産主義の怖さ」と「中国脅威論の現実」を見ただけに、それは大いに勉強になった。

「国民」と「国家」という存在を分けて考えられる日本人がどれだけいるかわからないからね。

しかしながら本命はあの当時の米国だった。


あの当時の米国は「マツイーイチローフジヤマー」とか言いながらバイトみたいな小遣い稼ぎでアメリカという国を十分楽しめる状態だった。


そのあたりは留学経験もあるエグザイルのMAKIDAIも雑誌などでコメントを述べている。

その状況は2010年代で終わった。


何度行こうとしても身内に不幸が起こったり、旅行会社にドタキャンされたり、

なぜか全く行けない米国だが、2010年代を過ぎると急激に「反移民」へと傾き、今日では「バイトしながら旅行と放浪? ふざけんなこの野郎」な空気が漂う。


私が好きなとある番組がある。

それは米国の実情をリアルに説明するドキュメンタリー風の番組。

そこにはグリーンカードを求めつつビザを手に入れ労働者登録をして現地で働く者たちへの反感が描かれたものがあるのだが、


現地の人間から言わせれば「お前らは税金もろくに払わない癖に俺たちから利益と仕事を奪っていく」と批判する行為であり、実際番組中は何度も「税金泥棒」だとか「既得権益泥棒」だとかいってののしられる。


それが米国の今である。

大昔そういう形で車に乗りながらヒッピーのように放浪するメキシコ人を描く映画があったが、そういうことはもう出来ない。


私が仕事しつつ1年~3年ぐらいブラブラしたいと思った時にはもうすでに遅く、今では「旅行者」は歓迎されても「放浪者」は歓迎されない状況となった。


日本人ですら「いやお前らのとこの方が仕事あるだろ? ブルーカラーでもいいならそっちで働けや」ってなる。


今の米国においては「本当に優秀で米国の利益となる人間」以外必要としておらず、それは別にかの現在の大統領がそう言っているわけではなく、「チェンジ」とか言ってチェンジされた黒人の大統領の頃からそう。


むしろあの男はそこをチェンジしようとはしてなかったりする。


それで、そんな状態の現在だと行くなら英語圏だとカナダ、オーストラリアだという。

どちらも現在でもまだグリーンカードなどが入手しやすい国だが、オーストラリアは最近中国人の大量流入によってアジア人に対する目が変わってきている。


カナダの方が資源的に恵まれない分まだそういった人が少なくマシだとは言われるが……今後はどうかわからない。


私は国籍を捨てる気はないが、国外放浪なんてのには前述する方々の影響で大変興味がある人間なので愛車担いで言ってみたいなあなんて思っていたが、この間のとあるエンデューロのイベントで「残念だがそういうのはもうオーストラリア縦断ぐらいででしかできないよ」といわれた。


米国は「金を持ち込んで横断する」というなら可能だが、現地で小遣い稼ぎしつつ横断というスタイルはアジアや南米を除外すると「オーストラリア」ぐらいでしか出来ないという。


その人もまた戸井十月さんみたいな人だが、元は本物のラリーレーサーでラリーからそっち方面に目指した人でそっちでは有名な人らしいが残念ながら私はその人のことをよく知らない。


そういう所から思うのは、なんていうかアメリカの怯えのようなものを感じる。

銃だけじゃない。

何かこう、目覚めてしまったというか、萎縮しているというか。


トランプ大統領がしきりに「米国民のために!」というのも、そういうのが関係しているのだろう。


最後に、今回なんでこんな自分語りを書いているかというと。

また諸事情で米国に行けなくなったからだ。


なんかこう、いろいろと沸きあがるなにかを文章にしてみたせいで何が伝えたいのかわからなくなってきているが、

今の米国はこちらが行く、行かないに関係なく受け入れる空気がないのは仕事関係などで米国人と付き合ってよくわかった。


そしてそこには銃の空しさに気づいた米国人の姿がなぜか私には浮き上がって見えるように感じる。

今回の話で私が伝えたいのは、まあなんていうか恐ろしいモノだけど大したモノじゃないから。


銃社会を語る前に一度撃ってみた方がいいってこと。


最後だけど、インストラクターの彼は帰り際に私にこう言った。

「まともな人間は銃に嫌悪感を持つ。君は私と同じだ」


赤く染まっても人民解放軍の人間もまた人間ということ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 80年代の話ですが、米国中西部や南米、豪州の砂漠とかをウロウロするのを趣味としていた人が同じ会社に居て、色々話を聞きましたが「拳銃は必要な道具の一つ」だと言っていました。 人間や動物から身を…
[気になる点] > バイクだけあれば逃げられるしどうにかなるべって南米の危険地帯にも飛び込む男。 実感のこもったリアルに体験していないと書けない文章。素晴らしいです。 けれども、この一文だけは偽物感…
[良い点] 面白かったです。世界はどんどん治安が悪くなっていきますが、やはり海外旅行には憧れます。
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