第4話 雨中の遭遇
第4話 雨中の遭遇
「あいつ…行っちまったんだな」
東に向かって離れていく砂塵を見送りながら、ハンスは呟く。森から現れた謎の戦士は、王都からやってきた騎馬隊の兵士たちによって連れて行かれた。行きがけに見たその姿は、護送される囚人のように見えた。
「ハンス…あの人のこと、随分気にしてるのね?」
「気にしてたのはリリアの方だろ? 噂好きのお前からしたら、どうなんだよ?」
「まあね…色々な話、直接聞いてみたかったけど…今はここまでなのかも。ハンスから戦士さんのお話を聞いて、私思ったんだ。噂で聞いたことだけで、あの人のことを知ろうとしちゃいけないって。不思議よね?」
リリアは少し困った顔をする。こんな顔をするリリアを、ハンスは見たことがなかった。
「なあ、リリア。あいつはなんで森を抜けてこの村に来たんだろうな? それに、あんなに強いのに、抵抗もしないで連れて行かれて…」
「…わからないよ。あの人に聞いてみないと、ね」
そう言うと、リリアはクルッと後ろを向く。
「ハンス…私、ここの仕事が落ち着いたら、王都に行こうと思うの」
「え…?」
固まるハンス。リリアが王都に行く? いきなり、なんで?
「…行ったからって、そのことに意味があるかは私にもわからないわ…。だけど、知りたいの。あの戦士さんがここに来た理由と、世界のこと。もしかしたら、おじ様とおば様が話してくれた緑龍の森の伝説について、何かわかるかもしれない。それを確かめるには、今しかない気がするの」
再びハンスの方へ振り向くリリア。その顔には強い決意が表れている。
「リリア…そこまでして…。俺にはわからないよ。あの伝説のことを調べて、何が得られるんだ? 俺たちの何が変わるって言うんだよ?!」
戸惑いながら、声を荒げるハンス。この村での生活を捨ててまで…そこまでして、何がわかるというのか。自分の両親の昔話のために、リリアがそこまでする必要があるのか。ハンスには納得がいかなかった。
「わからないわよ…そんなこと。でも、ハンスはこのままでいいの!? あの戦士さんのこと、ハンスだって気になってるじゃない! それは、ハンスも何か知りたいからじゃないの!?」
ふと、ハンスの脳裏に戦士が見せてくれた地図が浮かぶ。西の果ての、森を抜けた先にある、町の絵。あの男の辿って来た道。それを見たときの、自分の気持ち…
「俺は…わからないよ。それはさ、俺だってあいつに聞いてみたいことが無いわけじゃないよ。でも、王都に行ったから会えるわけじゃないだろ?! あいつは…囚人のように護送されたんだぜ。きっと、危険な奴と思われて牢屋に入れられてる。そんな状態で会えるわけないじゃないか!」
ハンスは半ばヤケになったように怒鳴る。なんで、自分がこんなにムキになっているか、わからない。
そんなハンスの目に、リリアの涙目になっている顔が映る。ハッと息が止まり、我に返ったが……リリアは勢いよく走り去って行った。
「ハンスの……馬鹿!!」
走るリリアの背中に、涙の飛沫が飛んでいる。
呼び止めようと思ったが、ハンスは声が出ない。ただ、その場で天を仰いだ。
(ああ…馬鹿野郎さ…俺は)
風吹き平野。そこはフルト王国の土地の大半を占めている、広大な平原だ。ハル村から王都までの道のりは長く、訓練された軍馬でも数日を要する。
だが、その道中には中継地となる村や町が点在しており、休息をとるには比較的苦労はしなかった。
ハル村を出立して三日、戦士の男を乗せた馬車は快調に進み、王都までの最後の中継地であるグリューネ村の近くまでやって来ていた。
「隊長、もうすぐ今日の目的地に到着しますよ」
「わかりました。はあ…早く馬車から降りたい。体が鈍ってしまう」
ラーナは腕を伸ばして体をほぐす。この三日、移動中はずっと馬車の中にいるので、体が固い感じがする。
「ご苦労様です。我々は交代で手綱を握っていますからまだいいのですが、隊長はその男の見張りに付きっ切りですからね。お察ししますよ」
「まあ…これも任務だから、仕方ないわ」
馬車の中にはラーナ以外にも二人の兵士が同乗し、手枷を嵌められた男を見張っている。外には騎兵も数人、護衛についていた。
「それにしても、その男はそんなに警戒が必要な奴なんですかね? あの森の獣を一匹仕留めたとはいえ…それくらいは我々にも出来ますが」
確かにそうだ。ラーナたち"牙"は王国の精鋭騎馬隊であり、個々の戦闘力も一般の兵士に比べて非常に高い。例え森の獣たちが群れを成して襲いかかって来ても、数人で撃退できるだろう。実際、これまでに何度も勝利してきた。
「その通り。私たちは馬上でなくとも、怪物共に遅れはとらない。実戦でそれを証明してきた。だけど……」
ラーナは男の方を向く。男は目を閉じ、静かに座っているが、隙を感じさせない雰囲気を漂わせている。
「この男は只者じゃない。私の勘がそう告げている。とにかく油断は禁物よ。皆、任務に集中して」
「ハッ!!」
兵士たちが威勢良く返事をする。だが、側にいるこの男は微動だにせず、黙って座っている。それが、ラーナの勘を裏づけるかのように思えてしまう。
「ふん。まあいいわ…。あら? ……雨?」
馬車の外が少し暗くなる。ラーナが外の様子を覗くと、灰色の雲が空を覆い始めている。今にも雨が降りそうだ。
「ですね…ひと雨来そうです」
しばらく走り続けていると、案の定、雨が降り出す。時間が経つほどに雨足は増していき、遂には土砂降りになってしまった。
「あーあ、ついてないな。グリューネ村はもうすぐだというのに」
護衛についている騎兵の一人がうんざりした顔で呟く。しかし、その時……
「…? なんか、焦げ臭くないか?」
「はあ? この雨の中でそんな匂いがするかよ。大体、火なんか消えちまうくらいの土砂降りじゃねえか」
「まあ、そうなんだけどよ…」
気のせいだと思ったが、先に進むにつれてその匂いは強くなっていく。
「やっぱり焦げ臭いぜ。木かなんかに雷でも落ちたのか? なあ、お前は何か見えるか?」
ざわめく騎兵たち。やがて、前方に赤く揺れる光が見えてきた。村の灯りかと思ったが…次の瞬間…
ドォォォン
轟音と共に、前方に激しい炎のようなものが吹き上がるのが見えた。
「な…!! なんだあれは!?」
動揺する騎兵たち。あんなものは見た事がない。馬車にいるラーナたちも異変に気づき、一度馬車を停める。
「何が起こったの!? 落雷!?」
「いえ、違います! 前方で急に炎の柱が上がりました!」
炎の柱? この雨の中でか? ラーナは困惑する。土砂降りの雨のせいで、前方の視界はまだ悪い。だが、この雨にもかかわらず、焦げ臭い匂いがする。
「この匂い…火災が起こっているのは確かのようね。方向からして、グリューネ村に何かあった可能性がある。急ぎましょう!」
一同は再び移動を開始する。すると、先ほど轟音と共に火柱が上がった場所が燃えているのが見えた。そこは、やはりグリューネ村だ。しかも、建物が全て焼け落ちている。
「なんだ…この惨状は!? 村が全滅しているだと!? この雨の中で燃え広がるなんて、ありえるかよ!!」
騎兵の一人が叫ぶ。あまりにも信じ難い光景だった。焼け落ちた家屋はまだ火が燻り、通りには焼死体が転がっている。しかも、かなりの数が。
「なんてこと…。まるで、日常を突然焼き尽くされたみたいに…」
ふと、ラーナの目に入った二体の焼死体は、手を繋いでいた。まるで、親子のように…
「ぅ…!」
ラーナは思わず吐き気を催してしまう。酷い戦場には慣れていたはずだ。だが、これは常軌を逸している。まるで悪夢だ。
「隊長、大丈夫…なわけないですよね。これは酷すぎる…。一体、何が起こったのでしょうか?」
ラーナは兵士に尋ねられ、必死に呼吸を整える。なんとか気を持ち直し、思考を回し始めた。
「この異常な状況は…野盗の襲撃の類ではあり得ない。他国の軍勢が攻めてきたのであれば、王国の国境守備隊が易々と見逃すはずがない。第一、他国との関係は良好であり、その可能性もない。あと考えられるのは…」
ラーナの脳裏に、緑龍が浮かぶ。しかし、西の森からわざわざここまで来るとは思えなかった。だが、緑龍に相当する怪物が現れたとしたら?
「龍……なのか?」
その時、周囲の捜索をしていた兵士が駆け寄ってきた。
「隊長! 妙な遺体を見つけました!」
兵士に言われて駆けつけると、そこには首を切断された、衛兵の死体が転がっていた。だが、他の死体と違い、燃やされていない。
それに、奇妙な点があった。
「この切り口…相当に鋭い刃物かと思ったが、これは鋭すぎるわ。まるでバターかチーズを切ったみたい…。それに、血痕が無い。こんなことって……!」
ラーナは失念していた。怪物並みの、もう一つの可能性を。
「……魔法使い。これは、マナ・ブレードの切り口!」
結論に至った瞬間、村の中央から悲鳴が聴こえてきた。
「まさか…しまった!! 急いで戻らないと!!」
「ハッ!!」
ラーナと兵士は急いで戻る。しかし、遅かった。既に騎兵は全員、馬ごと焼き尽くされていた。そして、馬車の護衛についていた兵士たちも、首や手足を斬られ、命を落としていた。
「くっ……! 遅かった!」
ラーナは歯軋りをする。精鋭の兵士たちが、こんな短時間にやられるなんて。やはり、相当な実力を持つ魔法使いがいる。
「魔法使い! どこにいる! 姿を現せ!!」
声いっぱいに叫ぶラーナ。こちらは敵の目に捉えられているだろう。隠れるのは無意味だ。
すると…背後から拍手が聴こえてきた。勢いよく振り返ると、黒いフード付きのローブを身に纏った男が近づいてきた。
ラーナは剣を抜き、構える。隣の兵士もそれに倣った。
「貴様は…誰だ!?」
「はじめまして……勇敢な、そして、愚かな兵士諸君。私はウンファール。ご存知の通り、魔法使いだよ」
ウンファールと名乗る男は、妙に礼儀正しく礼をする。だが、不敵な笑みを浮かべていた。
「ウンファール……この所業、貴様、何が目的だ!? 答えろ!!」
気が昂り、語気が強まるラーナ。その様子をウンファールは、面白そうに見ていた。
「ほうほうほう、随分と正義感の強い…。ご立派なお嬢ちゃんですねぇ。おっと、鎧の姿ですから、見分けはつきませんがね」
「この、下劣な奴め!! 隊長を愚弄するな!!」
兵士は激昂し、ウンファールに斬りかかる。
「や、やめろ!!」
だが、一瞬で兵士は首を刎ねられた。ウンファールの手からは、青白い刃が伸びている。
マナ・ブレード。
魔法使いは、自分の精神エネルギーである"マナ"を使用して、魔法を行使する者たちだ。長年の修練により、マナの性質をコントロールする事で、様々な魔法を使い分けることが出来る。
マナ・ブレードは純粋に鋭い刃を、大出力のマナで形成する魔法だった。その刃は、魔法使いの実力により、その強さが変わる。
「やれやれ、血の気の多い奴だな。少し会話を楽しむ余裕はないものか…」
ウンファールは埃を払うかのように手を叩く。ラーナは怒りでどうにかなりそうだった。
「おのれ……許さない!!」
剣を振りかざし、突進するラーナ。
「あなたも、学習しない馬鹿でしたか。じゃあ、死になさい」
再び、マナ・ブレードが襲いかかる。しかし、ラーナは吹き飛ばされたが、一撃をかろうじて堪えた。
「おや? 今の一撃で死なないとは……あなた、対魔法使いの訓練を受けているのですね。それも、高等魔法対策の護符も所持しているようだ。ということは…一応、精鋭部隊の兵士ですか。それは面白い」
独り言のようにブツブツと呟く。
ラーナは対魔法の訓練を受けており、魔法の知識、対策を一通りは頭に入れていた。それから、魔法使いの攻撃から身を守るため、防御結果であるマナ・シールドを一時的に展開する護符も所持していた。勿論、他の兵士も持っていたのだが、効果は無かった。ラーナが防げたのは、マナ・シールドで攻撃を受け止めるのではなく、受け流したからだ。
しかし、力を受け流せたとはいえ、ダメージは軽くない。ラーナは剣先が震えるのを必死に堪えて立ち上がる。
「訓練の賜物ですね。お見事。ですが、私も暇ではありません。そろそろ、死んでもらいます」
そう言うと、ウンファールの雰囲気が変わる。研ぎ澄まされた集中…そして、両手がバチバチと光を放ち始める。
「なんだ…? その魔法は…」
「あなたが知らないのは無理ないですね。これは禁じられた、雷属性の魔法ですから」
「雷…だと?」
魔法の一般的な種類は、自分のマナの力をそのまま使用したもの、マナの温度と性質を体内で変化させ、炎や冷気を放つものなどがある。だが、雷は自然のエネルギーを利用したもので、その伝導体として自分の体のマナを使用する魔法だ。この雷魔法はリスクが伴い、制御を誤ると自分の身を焼いてしまう。そこで、かなり高度な実力を備えた、一部の魔法使いにのみ、この魔法は使用を許されていた。
「王都の魔法使いの寄り合いどもは、力のリスクを恐れてばかりで、私の進歩を阻む。だから、私は強大な力を自分で学ぶ為に野に出たのだ。そして、その実験中というわけさ」
「実験だと!? その為に、罪のない村人を殺めたのか!!? ふざけるな!!」
「そうだ。何かおかしいか?」
激しく言葉をぶつけるラーナに、ウンファールはさらっと返答する。この男には、罪の意識など皆無だったのだ。ラーナは急に怖気が走るのを感じる。
「さて、お話は終わりです。さようなら」
目の前で光が大きく広がっていく。
だが、ラーナはまだ生きていた。
「お前は誰だ? 山賊みたいな奴だな」
顔を上げるラーナの目の前に、大きな背中が立っていた。
「お前は……戦士?」
盾と斧を構えた戦士。手枷を力づくで壊しできたのだろう、手に跡が残っている。
戦士はラーナに向き合い、そしてラーナの頭をポンポンと軽く叩くと、ニッコリと笑顔を見せた。この数日一緒にいたが、まるで別人のようだ。しかし、ラーナは暖かいものを心に感じた。
「助けて…くれるの?」
戦士は沈黙している。ラーナは少し沈んだ顔になった。この男は囚人として扱ってきたのだ。その男が、私を助ける理由なんて…
そうしていると、戦士は笑顔のまま頷いた。
思わず涙が湧き出るラーナ。言葉は通じないはずだが、はっきりわかった。それが…なんだか嬉しかった。
戦士は振り向き、ウンファールに向き直る。そして身構えると、この辺り一帯の空気が震えた。
「ほう…威勢のいい奴だ。だが、邪魔だ」
戦士に向けて、ウンファールは閃光を放つ。
その時
雄叫びが、轟いた。