第3話 王都からの迎え
第3話 王都からの迎え
「それで……この男がこの地図を描いたとな? ふむ……」
太陽が高く上がった昼下がり、自警団の詰め所では再び村長が、例の戦士から話を聞き出そうとしている。当初は内緒にしておくよう、戦士の男に半ば脅されていたが、地図は自警団の貴重な所有物なのですぐに団長の知るところになったのだ。
「村長! この男は我々をからかっているのです! あの森を、一人で抜けてくるなどあり得ません! それに、この男は団員を脅したのですよ!? 直ちに捕縛して、牢に入れるべきです!」
団長の訴えに、村長は頭を抱える。確かに、この男の行動は不自然だ。どこから来たかはともかく、明らかに何か隠し事をしている。言葉が通じないのをいい事に団員から地図をせしめ、情報を収集したのだ。しかも、斧をチラつかせて。
団長の意見に、他の団員も賛同する。ハンスとエリクは当事者だが、少し複雑な気分だった。元はと言えば、地図を持ち出して来たのはハンスなのだから。まあ、この二人に任せたのだから、団長にも監督責任はある。
「まあ……団長の意見は正論だ。この男の素性はわからないが、間違った行動を取ったのは事実。残念だが、牢に入れるべきではあるな。ただし、暴力沙汰になるのは避けたい。なんとか説得して、わかってもらう必要があるな」
そう言うと、村長は椅子で黙っている戦士の方に向き直り、正面に椅子を置いて向き合う。
「言葉が通じないのは致し方ないが……我々の言葉で喋らせてもらおう。戦士殿、まずは昨日の朝、どう猛な猪から自警団の者たちを護ってくれた事に、村を代表して礼を言う。ありがとう」
村長は戦士に頭を下げる。団長たちは村長の意外な行動にざわつくが、それを村長は制止する。戦士は黙っていた。
「皆、ここは私に任せなさい。さて、戦士殿。あなたからお話が聞けないことは残念でなりませんが……あなたはあの者たちを斧で脅し、我々の地図から情報を集めていた。目的はわからないが……それは犯罪です」
村長はハンスとエリクを指差し、次に戦士の斧に指を向ける。
「犯した罪に対して、きちんと罰を受けて貰います。これはあなたの故郷でも同じはずだ。私はそう信じたい。だから、ここは大人しく牢に入ってもらえないかな?」
詰め所の奥にある牢屋。村長はそこを指差し、戦士の目を見つめる。戦士も牢に目をやり、村長にゆっくりと向き直る。その目つきは柔らかく、落ち着きをはらっていた。
しばらく互いに見つめあったまま、沈黙の時が流れたが、戦士は目を閉じた。一呼吸を置いてから再び目を開けると、戦士は村長に頷きを返す。その場にいる全員が安堵のため息を吐いた。
「ありがとう…わかってくれたのか。では、団長に武具を手渡してくれないか?」
そう言うと、団長がゆっくり近づき、戦士の前で手を出した。その顔は緊張で強張っている。
差し出された手の意味を汲み取ったのか、戦士はゆっくりと立ち上がり、斧と盾を団長に手渡した。それから、鎧の類も団員に手渡し、最後に背中に背負っていた荷物を村長に渡す。
こうして戦士は丸腰になり、村長に案内されて牢に入った。その際に、村長は手枷をすることはしないよう、団員に念を押した。
「いやあ、今日ほど村長を見直した日はないなぁ。ハンスもそう思うだろ?」
「まあな。だが、あの戦士の謎はそのまんまだ。言葉が通じないってのは、本当にやっかいだぜ」
二人は詰め所を出て、村の巡回に出る。ハンスは少し心残りだった。確かに自分たちは斧で脅され、あの男に地図の情報を与えてしまった。だが、あの男はその後に見せてくれた。自分がどこからやってきたのかを。
「あの戦士……悪い奴じゃあなさそうなんだけどな…色々と面倒だけど。なんとか話すことが出来るようになればなぁ…」
ハンスはため息まじりに呟く。それを見てエリクは、黙って空を見上げた。
「あの時は…俺も興奮したよ。昔話に出てくるような、森に消えた国。そして森を西に抜けると、俺たちが誰も知らない人間の世界があるのかもしれない。子供みたいに、胸が高鳴ったよ」
あの地図を思い出して、エリクは嬉しそうに笑う。だが、それを確かめることは恐らく無理だろう。緑龍の森に立ち入る勇気なんか無いのだから。
でも、叶うならば見てみたい。二人はささやかな夢に想いを馳せる。
それから三日が経ち、村はすっかり平穏な日々に戻っていた。とはいえ、畑側の警戒はより強化され、避難用の馬車の準備も迅速に行えるよう、村人たちは対策を考えている。
そんなハル村の上空に、一羽の鷹が舞い降りる。
村長は自警団の詰め所に再び足を運び、団長を呼ぶ。
「団長。忙しい時に煩わせてすまないな」
「いえ、大丈夫です。何の御用でしょうか?」
二人は席に着く。村長はテーブルの上に紙切れを一枚置いた。
「団長……先日、鷹匠に王都へ向けて手紙を出した件についてだ。今日、その返事が来た」
団長は返事の伝書に目を落とし、喉を鳴らす。
「では……あの男の件について、御返事を頂けたのですね?」
「うむ。この伝書には、フルト王国の王家の印がある。その意味、わかるな?」
団長の額からブワッと冷や汗が出る。王家の印が押されている。それは、国王直々の命が下されたということだ。
「この件に、陛下がご興味を持たれた、という事ですか?」
団長の目が泳ぐ。こんなに大ごとになるなんて、思いもしなかった。
「そうだ。こう書かれている。この書が着く頃には、騎馬隊二百がそちらに向かっているだろう。おそらくは、もう近くまで来ているはずだ。受け入れと、戦士の男の護送に馬車を用意しておくように、とな」
異常なまでに素早い対応だ。それに、騎馬隊二百が一人の男の護送だと? 団長は耳を疑った。
「村長、この対応は尋常じゃありません…。陛下のご意向に従うのは当然なのですが、何か嫌な予感がします。村長はどうお考えですか?」
そこで村長は水を口に含み、少し間を取る。
「…相談役の方々にも聞いたが、事態は思っていたよりも深刻なのやもしれない。おそらくだが、その騎馬隊は王国の最精鋭"牙"だ。そして、その部隊がこの村に来るということは…」
村長の額からも玉のような汗が流れる。団長は言葉を失った。
フルト王国の最精鋭騎馬隊 "牙"
その名は各国にも知られており、風吹き平野での戦いにおいて彼らに勝る者はいないと言われている。また、有事の際にはその機動力を活かして、真っ先に戦場に駆けつける即応性の高い部隊としても知られ、正に王国の守護の要と言えた。
そんな彼らが、この村にやってくる。その理由は、あの戦士の男の件だけとは思えない。
つまり、緑龍の森からやってくる、怪物たちへの対処の為にも彼らは駆けつけて来ているのだ。
ハル村の人々からしたら、彼らは救世主のように見えるだろう。村長も団長も、それはありがたいと事だと考えている。しかし、もし怪物たちとの戦いが起これば、この村は戦場になってしまう。それが大規模な戦いに発展すれば、村が地図から消えてしまうかもしれない。
「王国最強の部隊がやってくる。素直に喜ぶべきお話だとは思うのですが…やはり不安ですね。あの男が現れた事に、何か意味があると王都の方々は考えられたのでしょうか?」
「確信はないが…これまでに前例の無い事が起きたのだ。それも、緑龍の森の近くでな。この対応は、陛下の長年の勘なのかもしれんな。ともかく、そろそろ話を終えて、お迎えの準備をせねば。あの男にも、な」
「わかりました。では、馬車の手配をして参ります」
それから程なくして、ハル村は慌ただしくなる。村長から事情が説明され、騎馬隊を迎い入れる準備が始まったのだ。
リリアもこれから来る騎馬たちの受け入れに備えて、飼い葉や水の用意にドタバタしていた。ハンスはエリクと共にその手伝いだ。
「リリア、井戸からの水汲みはもう少しで終わりそうだ。次は?」
「ありがとう! 納屋からテントと工具類も運び出すから、ハンスは一緒に来て! エリクは水汲みが終わり次第、私たちの手伝いをお願いしてもいい?」
「はいよ! リリアちゃん、任せて!」
威勢の良い返事をして、エリクは再び井戸へ向かって走る。リリアとハンスは納屋へと向かった。
「しっかし、騎馬隊が来るって大変な事なんだな。大忙しだぜ」
ハンスはテントを担ぎ上げながら言う。
「まあ、騎馬隊の兵士さんたちも自分たちで準備するだろうし、少しお節介なところもあるかもだけど…馬のことだもん、やっぱり出来ることはしないとね」
奥の棚で工具を選別しながら言うリリア。確かに彼女の言う通り、騎馬隊の兵士たちも自分たちで備えているだろう。だが、同じく馬のことを考える者としては、当然の事だ。リリアはそう思っていたのだ。
ハンスは素直に感心する。
そうしていると、自警団詰め所の前に馬車がやって来るのが見えた。
「ん? 詰め所に何の用だ?」
「立派な馬車だねー。四頭引きなんて、村長が王都に出向く時くらいしか見た事無いよ」
ハンスは少しモヤっとした気持ちになる。なんだろうか。そう考えていると、エリクが慌てて走って来た。
「おーい! お二人さん! もう来たぞ! 来ちゃったぞー!」
「もう来た…って、騎馬隊か!?」
「そうだよ!! 東の見張り台が叫んでた! 騎馬隊の砂塵が見えたって!」
ハンスたちは急いで荷物を纏めて戻り、村の東へ向かう。そこには村人たちが既に集まっていた。
「すげぇ人だかりだなぁ。リリア、大丈夫か?」
「あら、親切ね。見直したわー」
「うるせぇなぁ…いいじゃねぇか!」
ハンスは不器用に照れる。そのハンスの顔をみて、リリアはまたクスクスと笑っていた。
その時、村人がどよめく。どうやら騎馬隊が見えたようだ。
砂塵が舞い上がる風吹き平野を背後に、フルト王国の旗を掲げた勇壮な騎馬隊が現れる。その数は二百。一糸乱れず、隊形を維持して迫るその姿に、村人たちは目を奪われた。
その騎馬隊の先頭から数騎が突出し、こちらに向かって来る。すると、村人たちの間を縫って村長が後ろから前に出てきた。
そして、先にやって来た騎馬の先頭にいる者が馬から降りて叫ぶ。どうやらリーダーらしい。
「ハル村の皆さん! 集まってのお出迎えを頂き、誠に感謝します! 私はフルト王国騎馬隊の指揮を執っている、ラーナ・デイルです! 国王陛下の命により馳せ参じました! この村の代表者の方はおられるか!?」
この声は、女性だ。村人一同は驚く。まさか、あの勇壮な騎馬隊の指揮官が女性の方だったとは。
「はじめまして。私はこのハル村の村長を務めさせて頂いております、カカ・シャールと申します。カカ、もしくは村長とお呼び下さい。ラーナ様、皆様を歓迎申し上げます」
最初は頼りないと思っていたが、最近の件でハンスの村長に対する見方は変わっていた。この場においても。
「さっすが村長。 堂々としてるなぁ」
「私も見直しちゃった! …あんまり大きな声じゃ言わないけど…」
ハンスとリリアの村長に対する気持ちはつゆ知らず、村長はラーナと握手を交わしていた。
「カカ村長、かたじけない。早速で申し訳ないのですが、こちらに騎馬隊が滞在する事を記した書簡をお受け取り下さい。それと、例の男を護送しますので、彼がいるところにご案内頂けますでしょうか?」
「畏まりました。騎馬隊の皆様には、自警団の者たちが対応させて頂きますね。それではラーナ様、こちらについて来て下さい」
村長とラーナたちは詰め所に向かって歩き出す。自警団は村長の指示通り、騎馬隊の誘導を始めた。ハンスたちとリリアも、自警団と一緒に行動する。ちょうど日が下がり、空の色が変わり始める頃だった。
「ラーナ様、こちらになります」
自警団の詰め所に到着した村長とラーナ、それに連れの兵士たち。中に入ってから、村長は牢に案内する前に、ラーナたちとテーブルを囲む事にした。ラーナは兜を脱ぐ。短い金髪がフワッと広がり、女性らしい顔だちが現れる。
「ラーナ様。あの男はこの村で少々罪を犯しましたので、今は奥の牢に入ってもらっています。これから自警団の者がこちらに連れて参りますが、その間に少々お話を宜しいでしょうか?」
「はい。私からも、この度の詳細について説明するように陛下から言付かっておりましたので、丁度良かったです」
村長とラーナは席に着き、早速話し始める。ラーナの話は、大体村長が予想していた通りだった。あの男が現れた事で、実際に緑龍の森の脅威が増したというわけではないが、今までに前例が無いこと故、この対応になったそうだ。
「今、王都にいる学者、そして魔法使いにも助力をお願いしているところですが…調査は難航するでしょう。とりあえず、あの男を王都に護送して、より詳しい事情がわかれば良いのですが…」
「そうですね。言葉が通じないというのは、大きな壁になりますな。ですが、彼は全く意思疎通出来ない、というわけではなさそうです。それに、罪は犯しましたが、そこまでの悪人にはどうしても見えないのです」
「なるほど…覚えておきます」
村長とラーナの話がひと段落したところで、奥の牢から団員に連れられた男がやってきた。
「村長、お連れしました」
「うむ…。戦士殿、調子はいかがかな?」
村長は優しく微笑む。戦士の男は黙って頷いた。
「戦士殿、こちらはラーナ・デイル様だ。これからあなたを王都にお連れする。あなたとは……ここでお別れだな」
ラーナは驚く。村長が男に手を差し出し、握手を求めていた。話では、この男は牢に入れられていた罪人だったはず。なのに、手枷もされていないのだ。
男の沈黙は変わらないが、村長の考えていることがわかるらしい、差し出された手を握り、握手を交わす。それから、ラーナに向き直った。
ラーナは少し緊張する。実際に向き合ってみると、この男は間違いなく戦士だった。ラーナたち騎馬隊の者も相当鍛えてきたが、この男の静かな迫力が、男の全身から伝わってくる。
「…ラーナ・デイルだ。これより、貴様を王都に護送する」
男は相変わらず黙っていたが、村長に対する態度よりは無愛想になっていた。それに、兵士が手枷を持って現れた時は、一瞬だが男は睨みつけてきた。その圧に思わず固まる兵士。手枷をする事は出来たものの、ラーナはその時、理解した。
「この任務は、ここからが本番なのだな…」
こうして、戦士の男は馬車に乗せられ、ラーナたちと共にハル村を出立していった。