第17話 心と心
第17話 心と心
「ラーナ隊長。あれを」
馬車の手綱を握っている兵士が手招きをして後ろにいる金髪の女性を呼ぶ。
「ん? 何か見えたの?」
ちょうど剣の手入れをしていたラーナ・デイルは、手に握った剣をそのままに身を乗り出す。兵士が指を指す方向に目を向けると、馬車の荷台らしきものがポツンと荒野の真ん中に放置されていた。
「あれは…こんな街道から外れたところに、なぜ馬車が? 人の気配も、馬の姿も見えないが…」
「ええ。しかも新しい。こんなところに馬車で来るなんて、我々以外にいるとは思いませんでした。或いは野盗の罠か、面倒な野獣が潜んでいるのかもしれません。念のため、皆さん警戒して下さい」
「そうね。二人を起こさないと」
馬車の中に戻ると、ラーナは仮眠を取っていたエリクとハンスを起こし、現状を知らせる。状況を理解した二人は、緊張した面持ちで剣を構えて外を凝視した。
フルト王国最西端にあり、緑龍に最初に襲われたハル村の生き残り、元自警団員のハンスとエリクを加えて王都を出立したラーナ・デイル。
彼女たちは精鋭騎馬隊"牙"の元部下の兵に護衛をされながら、先を行くセルゲイたちを追って快調に西へ走っていたところだが、緑龍の襲撃のせいで街道の荒れ方が予想以上に酷いため、途中から道を外れて荒野を突っ切っていた。
ここには昔から危険な野獣が徘徊しているので、本来であれば人は滅多に通り抜けない荒野の真ん中だ。そんな場所に最近放置されたであろう馬車があるのはおかしい。
迂回する事も考えたが、背後に憂いを残すことは更なる危機を招く可能性もあり、やはり無視は出来ない。ラーナたちは慎重に馬車に接近することにした。
「仮に襲撃があっても、我々ならば退けられるとは思いますが…隊長と二人はひとまず馬車で待機していて下さい」
「承知しました。くれぐれも気をつけて」
「御安心を。我々の"牙"は簡単には折れませんよ」
古参の兵士が軽快な口調で返事をする。
"牙"は緑龍に壊滅させられたが、それでも彼らが王国最強の騎馬隊であったことに変わりはない。ラーナは彼らの誇りを嬉しく思い、笑顔で見送る。
「…前進する。注意しろよ」
兵士たちはそれぞれ視線を交わして頷き、馬上で剣を構えると、馬車を包囲する。その少し後方では更に数人が奇襲を警戒して周囲に睨みを利かせており、万全の態勢だ。
兵士たちはゆっくりと包囲を狭めて行き、やがて放置された馬車に到達した。
「…誰もいません! もぬけの殻です!」
ようやく馬車にたどり着いた兵士は、大声で叫んで報告をする。どうやら、何も無かったようだ。
とはいえ、罠の可能性もまだある。周囲への警戒を厳にしつつ、ラーナたちも馬車から降りて周辺を調べることにした。
「焚き火…ということは、誰かがここで野営したみたいですね」
早速ハンスは、黒ずんだ地面と並べられた石を指差して言う。
「こんな荒野の真ん中で野営をするなんて、あまり褒められた行いではないですね。でも…」
「ラーナさん?」
ラーナが目を閉じて真剣に考え込んでいる。エリクが声をかけても、すぐには返事を返さない。
エリクも空気を読んで、ハンスと馬車の方を調べる。すると近くに何か落ちてるのを見つけた。
「これは…骨か?」
白い棒状のものを手に取り、ハンスは呟く。
「お? なんだそれ?」
駆け寄ってきたエリクは、ハンスが手に取っているものに興味を惹かれる。
「こんなところに、動物の骨みたいなのが落ちてたんだ。狼かなんかだと思ったんだけどさ、見覚えのない特徴もあるんだ。こいつはなんだろうな?」
狼などの獣はハル村でも度々見かける。時折凶暴な個体が村を襲うこともあったので、ハンスたちも自警団で獣に関するそれなりの知識は得ていた。
しかし拾った骨は、狼に似ているが異常な膨らみなどがあり、奇妙な点が多い。
二人が頭を悩ませていると、今度は護衛の兵士がやってきて、骨を見るなり顔色を変える。
「お、お前たち!? そんなもの、早く捨てろ!」
骨を持ってても仕方がないのは確かだが、この兵士が何をそんなに慌てているのかわからず、エリクとハンスは顔を見合わせてしまう。
すると、痺れを切らした兵士は、ハンスの手から骨をはたき落した。
「なにを!?」
「それはこっちの台詞だ! その骨は屍肉喰らいの骨だ!」
ハンスはゾッとして、急いで骨を投げ捨てる。屍肉喰らいの獣の話は聞いたことはあるが、本物を見たことは無かった。それでも、その獣の所業は耳を塞ぎたくなるほどのものも多い。
「な…なんで、こんなところに奴らの骨があるんだ!? 心臓に悪いぜ!」
「そりゃ、ハンス。共喰いってやつじゃないか?」
「うへぇ…」
その名の通り、屍肉を喰らう獣なのだから、同族の死体も喰らうという事なのだろう。しかし、悍ましい習性だ。
ハンスとエリクが顔を青ざめて気分を悪くしていると、ラーナが深い思考から帰ってきていた。
「二人とも、どうしたの? 顔色が悪いわね」
「あ、ラーナさん。いやあ、ちょっと…」
こんな気分の悪い話をすべきだろうか。ハンスは躊躇う。
「実は今、こいつが屍肉喰らいの骨を拾っちまったんですよ。それで、慌てて捨てたところなんですが…」
こいつ!
ハンスは心の中でエリクに怒鳴る。これでラーナさんの気分が悪くなったらどうするのか、心配で落ち着かない。
ところが、反応は意外なものだった。
「ああ…なるほど…やはり、この馬車は…。これで納得がいった」
「…へ?」
何に納得がいったのか? ハンスもエリクも混乱する。そこに、兵士たちが集まって来た。
「隊長。やはりこの辺りに人の気配はありません。少し離れたところで馬の骨はありました」
「わかりました。やはり、この馬車は屍肉喰らいに襲撃されたようですね」
「ええ…。善戦はしたのでしょうが…」
おそらく、全滅して喰われたのであろう。兵士たちは襲われた人々の死を悼み、祈ろうとしていた。
しかし、ラーナは首を振って否定する。
「それは違いますよ。彼らは何らかの事情でここに野営し、屍肉喰らいの襲撃で馬を失った。そこは間違いないでしょう」
ラーナはチラリと、ハンスたちの方を見る。
「しかし彼らは死んでいない。屍肉喰らいを撃退し、馬車から降ろした荷物を担いで、徒歩で移動したんですよ」
兵士たちからどよめきが起きる。昼間であれば、屍肉喰らいを撃退することは容易であろうが、夜間となると話は別だ。それを成せるとは、相当な実力の持ち主ということになる。
「いったい…何者が…?」
疑問に思っている兵士たち。だが話を聞いていたハンスたちは、なんとなくその答えがわかっていた。
「ふふ…大丈夫よ。彼らにこれから会いに行くんですから」
そう言って嬉しそうに微笑むラーナは振り向くと、西の彼方を見る。
「もうすぐ…追いつくわよ、セルゲイ」
サッと吹いた風がラーナの金色の髪を揺らし、陽の熱で滲んだ汗が流れる額を、心地良く撫でていった。
「なあ…なんで俺は、頭に包帯を巻いてるんだ?」
思い出そうとすると、傷がズキズキと痛む。しかし、この怪我をどこで負ったのか全く思い出せない。
記憶にない怪我に困惑するセルゲイは、周囲を見回す。何か一大事があったのであれば変化に気づくはずだ。
しかし、疲れて眠っているガーランの他には、ハル村に辿りついた時と別に変わりはないようだ。
「うん…? 確か俺は、この辺りの遺体を埋葬してたはずだ…。シズと一緒に。なあ、シズ。何か知らないか?」
セルゲイが尋ねると、シズは明るい笑顔を向けてくる。彼女はこんな笑顔をするのかと、少しぼーっと見とれてしまった。
「せ、セルゲイさん? どうしました?」
「あ…いや、なんでもない。それより…この怪我はなんだ? どうも記憶が曖昧なんだ。何があったか知らないか?」
改めて尋ねるが、シズは口を開かない。何やら躊躇っている。そうしていると、突然横からシモーネが割り込んで来た。
「私が夕飯に呼びに行ったら、あなたはいきなり倒れたのよ。頭から。ちょっと打ち所が悪かったみたいだけど、治療はしといたから感謝しなさいよ?」
セルゲイは目を丸くして驚く。
「俺が倒れた? 戦ってもいないのに? そんな馬鹿な…」
「うーん。理由は知らないけど、意外と疲れてたんじゃないの? 大荷物を持ってたし、遺体の埋葬してたしで」
確かに道中の荷物運びと埋葬作業は重労働ではあったが、セルゲイほどの屈強な戦士であれば、戦闘時に比べれば消耗していない。それに、休憩も取っていたはずだ。
信じられないと言った風な顔でセルゲイは唸るが、現に怪我をしているのだ。おそらく事実なのだろう。
「あの程度の労働で根をあげてしまったのか、俺は。寄る年波とは、怖いな…」
これでは、ガーランの事は言えない。セルゲイは自分が思っていたよりも肉体が老いていたことを実感したような気持ちになり、少し虚しくなってしまった。
「前からこうなる事はわかっていた。これが強化魔法の代償なのだから。しかし、中々堪えるな…」
急に弱気になるセルゲイを見て、シモーネとシズは困惑する。
「いえ、その…そんなに落ち込まなくても大丈夫よ、うん! ご飯、大盛りにしてあげるから!」
「そそ、そうですよ、セルゲイさん! ちょっと調子が悪かっただけですよ! 森に入る前に、ちゃんと休めば大丈夫です! ね!」
こんなに心配されてしまうとは…。
シモーネとシズが二人掛かりで必死に自分を励ます姿に、セルゲイはなんとも情けない気持ちでいっぱいになってしまう。
結局、その夜セルゲイが立ち直ることは無かった。
「はあ…失敗したわ…」
セルゲイが肩を落として寝床に去っていった後、シモーネは深く長いため息をつきながら呟く。
「セルゲイさんがあんなに落ち込むとは、思いもしませんでしたね…」
「ごめんね、おシズちゃん。私が浅はかだったわ…」
しょんぼりと、シモーネはシズに謝罪をする。シモーネがこんなに落ち込む姿も見た事はない。シズは余計に困ってしまった。
「シモーネさんも、元気を出して下さいね。私が招いた事でもありますから…」
事の顛末を思い浮かべ、顔を赤らめるシズ。
シズに見とれて惚けていたセルゲイにヤキモチを妬いたシモーネの一撃が、まさかセルゲイの意識と記憶まで飛ばしてしまうとは予想外だった。それが結果、セルゲイをこんなに落ち込ませてしまい、シモーネは流石に罪悪感に苛まれる。
「あの殺気…最初は、セルゲイさんが殺されるんじゃないかと思いましたよ。でも、あの後動かないセルゲイさんに慌てて駆けつけて来たシモーネさんの姿を見て、安心しました。不器用なんですね、シモーネさん」
「う、うるさいわね、もう…」
ニヤニヤと、嬉しそうに言うシズ。普段ならシモーネはニヤけ顔を向けられたくないのだが、今は恥ずかしさが勝っていて上手く反撃出来ない。シモーネの顔が耳まで真っ赤になる。
そんなシモーネに、今度は急に申し訳なさそうな顔をシズは向けて来たので、シモーネはたじろぐ。
「な、なによ? そんな顔して…」
「いえ…やっぱり、私もちゃんと謝らないといけないと思いまして…。私が恥じらいのない軽率な行動をしたから、こんなにお二人が落ち込むことになってしまって…本当にごめんなさい!」
シズは頭を下げて謝罪する。彼女が原因と言えばそうなのだが、それで彼女が悪いとは言えない。シモーネはどう返事をすべきか悩んでいた。
「なんじゃ? 若い女子がそんなことで謝っていても仕方ないじゃろうに」
突然、横から震えた声が入ってくる。寝込んでいたガーランだ。
「なな!? ジジイ! なんで起きて…って、私たちの話を聞いてたのか!?」
シモーネはガーランに盗み聞きされてたことに対する怒りと恥ずかしさで、凄い顔をしている。今にも炎を纏って、辺りを灰燼に帰さんとしそうだ。
しかし、そんな彼女をガーランは鼻で笑っていなす。
「寝てるところに、そんな煩わしく鳴いててよく言うわい! だいたい、なんでお前さんたちがそんなに悩んどるんじゃ!?」
「むむ…どう言う意味よ!」
炎の拳を振り下ろさんとする構えで、シモーネは踏みとどまる。
「こんなもん、簡単な話じゃわい! 要はシズ嬢ちゃんの色気に鼻の下を伸ばしまくったあいつが馬鹿なんじゃ!」
ボソッと「羨ましい…」という言葉が聞こえた気がしたが、その後にガスンと鈍い音と共にシモーネの拳が振り下ろされる。
しかし、シモーネとシズは不思議と胸がスッキリした気分になり、自然とこみ上げる可笑しさに笑ってしまう。
ガーランの小さい呻き声をかき消すように、二人はしばらく笑っていた。
「あのー、皆さん。落ち着いたらお茶でもいかがですか?」
隣の部屋から、ぬっとエドワルドが現れる。
「あ…エドさんも聞いてたんですか?」
「はは…皆さんの声が聞こえてきて…そのつもりは無かったんですけどね。セルゲイさんはイビキをかいて寝てましたから、安心して下さい」
「…エドっちも、やっぱりこのジジイのひ孫ね」
エドはとりあえず、苦笑いで誤魔化す。
その夜はしばらく笑い声が絶えなかった。
翌日、セルゲイは怪我の原因を聞いた。
夕飯の支度が出来て呼びに来たシモーネが、使っていたオタマに炎を纏わせる実験をしたら、誤ってセルゲイに直撃した、という話になっていた。
その話に、セルゲイは困惑しながらも「シモーネなら…やりかねん」という奇妙な納得をしており、シモーネもシズと一緒に素直に謝罪をしたので、今回は許すということで決着する。
ガーランも頭を痛そうにしていたが、そこはエドが面倒をみていた。
少しモヤっとするところはあるが、安堵した一同はようやく緑龍の森に入る段取りを確認する。話の終わりに、セルゲイは机を軽く叩いて言い放つ。
「明日、森に入るぞ」
その瞬間
窓の外から木々のざわめきが、風に乗って聞こえて来た気がした。