第15話 シズのたびうた
旅人はゆく。夜明けの空を背に、平原の彼方を目指して。
旅人はゆく。日輪高き空を見上げ、滴る汗の足跡を残して。
旅人はとまる。沈みゆく陽の残滓を見つめ、背中の重しを大地に落として。
旅人はねむる。地の闇から目を逸らし、昇る星々の祝福を身に受けて。
「ふーん。単純だけど、いい詩ね。おシズちゃん、なんて言う詩なの?」
「これは"若きタキ王のたびうた"ですよ。私の故郷で、よく隣の農家のお爺さんが口ずさんでました」
「ふふ。おシズちゃんも、この詩が好きそうな顔してるわね」
「はい! 大好きです!!」
第15話 シズのたびうた
風が強く吹き、砂煙が舞う荒野。短い草と、ごろりと転がった岩だけが目に映る。
昨夜の襲撃から二日が経ったが、セルゲイたちは未だ荒野の真ん中を歩き続けていた。
「あーあ。景色が変わんないわねー、この荒野は。馬で数日の距離って、こんなに遠いの?」
シモーネは前のめりになりながらボヤく。
「文句言うな。まだ二日じゃないか」
「なによー。あなたがちゃんと見張ってなかったからじゃないの。私は注意しろって言ったわよね!?」
「うぐ……」
痛いところを抉られて黙るセルゲイ。自分のせいで馬を失ったことはわかっているが、このやりとりは何回続くんだ?
「なあ、もう勘弁を…」
「やだ」
「…」
相変わらず、こればっかりだ。セルゲイは生気がため息と共に出ていく心地になる。
「まぁまぁ若いの。痴話喧嘩ばかりしとると老け込むぞ? 地を踏みしめながら歩くと若返った気分になるわい! ここは酒でも飲みながら、陽気に行こうじゃねぇか。なあ?」
「誰が老け込むって? このジジイ、歩くことより酒飲んで若返ってるんじゃないの?」
「それと、痴話喧嘩じゃないぞ、ジジイ」
若者たちの辛辣な言葉に、ガーランはショボンとして下がる。それから酒をまたグイッと喉に流し込み、エドに愚痴をこぼしていた。
「シモーネさんもセルゲイさんも、少し休みませんか? 私、美味しいお茶を淹れますよ」
シズは前方に見える、ちょうど座るのに良さそうな岩たちを指差して提案する。太陽は真上に昇る頃だ。一息入れるには良い時間だった。
セルゲイとシモーネはムッとした顔のままであったが、荷物を地面に降ろす。馬車から取り出した荷物は選別し、かなり減らしてきてはいたが、それでも量は多い。特に食料や水は途中で補給出来るかわからなかったので、相当量を運んでいる。そのほとんどを、セルゲイは馬を失った罰として運んでいた。
「うわー。やっぱりセルゲイさんは力持ちですね。こんな量の荷物、私たちじゃ持てませんよ」
エドはこの瞬間を見るたびに同じことを口にする。彼の背中にある調査用の荷物も相当な量なのだが、それは体の一部と言わんばかりに軽やかな動きをしていた。学者とは、皆こうなのだろうか?
「すっかり元気になったな、エド。その調子で頼むぞ」
「はい! もう皆さんの足を引っ張るわけには行きませんから、常に気合いを入れております!」
その気合いは森まで持つのか? セルゲイは苦笑いする。とはいえ、陰鬱な気分をこの明るさが吹き飛ばしてくれることには感謝しなければならない。
「さすがじゃの! エド坊は良い学者になるぞ!」
「ひいお爺様、ありがとうございます!」
「孫に甘いジジイね…」
シモーネは呆れた様子ではいたが、この光景を眺めながら少し微笑んでいる。
「そういえば…エドさんはガーランさんのご家族なんですよね? ということは、その、緑龍の眷属の件は…」
一同が休息をとる中、湯を沸かしてお茶を淹れているシズが疑問を投げかける。言われてみれば、この二人は家族なのだ。最初は面倒ごとが増えたくらいにしか考えていなかったセルゲイたちは、今更ながらの事実に驚く。
「そうだったな。この爺さんのひ孫っていうのは、本当なのか? 似ても似つかないが」
「まったくよね。エドっち、こんな酔っ払いには似てないわよ?」
「おい、お前ら少しは年寄りに敬意を払わんか! まあ、似てないのは仕方がない。儂とエド坊には血の繋がりはないからのぉ」
「え? そうなんですか?」
ガーランは岩に腰掛け、シズからお茶を受け取る。それをズズッとすすると、ほうと息を吐いた。
「エド坊に事情を全て話したのは旅に出る少し前じゃ。儂は昔、縁があって面倒をみていた子供達がいた。その子たちはエド坊の両親じゃ」
エドの顔を見つめながら、その面影を懐かしむガーラン。エドも察したのか、普段の活発な雰囲気とは違う、その若さにしては落ち着きのある優しげな顔をしていた。
「子供たちの親たち…エド坊の祖父母たちは、各地を転々としていた行商隊にいたのじゃが…王都の西の街道を移動中に野盗の襲撃に遭い、全滅してしまった。儂は王都に向かう途中でその現場に居合わせたんじゃ。野盗は全員蹴散らしたが、間に合わなかったんじゃ…」
「全滅…それでは、皆さんは…」
ガーランはシズに頷きを返す。シズはハッとしてエドの方を振りまき、辛い話をしてしまったと、申し訳なさそうな顔をした。
「大丈夫ですよ、シズさん。話を聞いたときは驚きましたが、真実を聞けたのですから」
エドは微笑み、ガーランの方を向いて、話を続けて欲しいと目配せをする。
「戦いの後、儂は誰か生きていないか探した。すると、馬車の中で子供たちを庇って傷つき、瀕死の状態の親たちを見つけた。傷は深く、もう手遅れじゃった。儂はその時、彼らの遺言を受け取ったのじゃ」
「では、その遺言が、子供たちを…」
「うむ…任されたのじゃ。今じゃ、あの子たちも自立して仕事をするようになり、結婚して子を産み、そして王都で幸せに暮らしておるよ」
お茶をもう一口、口に注ぐ。セルゲイたちも静かにお茶を飲んでいた。
「そういえば…"ひい"爺さんなのはなんでだ?」
唐突なセルゲイの質問が暫しの沈黙を破る。
「簡単じゃよ。面倒をみていた子供たちが、儂のことを爺ちゃんと呼ぶのでな。儂は親としてではなく、爺ちゃんとして育てたのじゃ。だから、エド坊はひ孫になったわけじゃよ」
聞いてみると、たしかに簡単な話だ。しかし、ガーランはその頃から年老いて見えたのだろう。やはり、緑龍の眷属として長寿を授かっていたのだ。
セルゲイはそう考えながら、ふとシモーネの方を見る。彼女は赤龍の眷属だ。緑龍と赤龍の違いがどこまであるのかわからない。だが、同じ影響があるならば…
「…ねえ、セルゲイ。今、私を見ながら何を考えていたの?」
(ぎくり)
しまった。この話の直後に彼女を見ていれば、それは勘繰られても仕方ない。流れる冷や汗が嫌な冷たさで背筋を流れる。
「ねぇ、言ってごらんなさいよ…」
怖い。苛烈な戦いに挑む時とは別種の恐怖だ。それに、シモーネの顔が妙に綺麗に見えるのも、とても怖い。
「いや、怖…いや、綺麗な顔、というか…」
動揺し、訳がわからないことを口走ったセルゲイ。ところが、それが彼の命を救った。
「綺麗…? え、私? え、いや、私の顔…え?」
急に頬を紅潮させて、しどろもどろなシモーネ。その時、セルゲイは再び自分が招いた事態に気づく。そして冷や汗がもう一筋流れる。
「なんじゃい、こいつらは。儂の話の最中にイチャつきおってからに」
ガーランはブツブツと文句を言う。エドも困った顔で笑っていた。
「セルゲイさん…大胆…」
シズはシズで、顔を真っ赤にしている。
「……」
セルゲイとシモーネは、ただ黙るしかなかった。
お茶を飲み終わると、一行は再び歩き始める。先ほどの一件で、相変わらずセルゲイとシモーネは恥ずかしそうに沈黙を守っていたが、不平や文句の応酬は止まっていた。
「ふいー。やっと酒が美味くなる旅になりそうじゃわい」
歩きながら、酒をチビチビと飲むガーランは上機嫌になっている。晴れた空を見上げ、天に酒瓶をかざして乾杯するような仕草を度々行なっていた。
「…ひいお爺様、楽しそうだなぁ。お酒飲み過ぎてる気もするけど…。でも、なんか良いですね、こういう旅も…」
エドも両手を広げて天に掲げる。荒野の風には相変わらずの砂埃が混じっているが、額を流れる汗に心地よい風だ。
一行が歩き続けていると、シズは鼻歌を歌い始める。それは酒場で聴かせてくれたリュートの曲のメロディーだ。
「ああ…このうたの始まりは、こんな時の感じが良いかもしれないですね」
ぽつりと、シズは口にする。それから少しブツブツと歩きながら独り言を呟いていたかと思うと、背負っていたリュートを手にする。それを歩くリズムに合わせて爪弾きながら、今度は歌声を響かせる。
"そらのはて ながれる雲 さしこむ陽射しはまぶしく"
"そよ風 その手はやさしく 私たちの頬をなでる"
"リン タッタ タラリン リン タッタ タラリン"
"歩みははずむ 跳ねるウサギのように"
"リン タッタ タラリン リン タッタ タラリン"
"口笛かろやか さえずる小鳥のように"
「ふふ。なんか、素朴で楽しいうたですね」
エドもリュートの伴奏に乗せて口ずさむ。
「リン タッタ タラリン、か。おシズちゃんらしいわね。楽しいわ」
「ありがとうこざいます。でも、この詩は変わっていきます。旅と共に…」
シズは西の彼方を見つめる。
「そうだな…。楽しい詩だけではないだろう」
セルゲイも西を見ながら呟く。
「危険を冒さなければ辿り着けない旅もあるし、空を見上げながら地を行く旅もある。儂らの旅は、詩にできるものになるかのぉ?」
シズは振り向く。その顔を見たガーランは驚くが、すぐに笑顔になった。
「なるほどのぉ。それがあんたのしたいことなんじゃな?」
ガーランの言葉に頷くシズ。
「この詩に、必ずこの旅を描いてみせます。私は、その為にここにいるのですから!」
強く、強く、決意に満ちた言葉だった。一同はシズの顔を見て、その決意が揺るぎないことを理解する。それから、緊張を吹き飛ばすような大笑いの声をあげた。
戸惑うシズだが、その笑い声の中で言葉に出来ない安らぎを感じる。
リュートの伴奏に乗せて、旅は続く。
"リン タッタ リン リン タッタ リン"