第12話 血路を辿って
第12話 血路を辿って
「陛下、私からの報告は以上です」
「うむ。連日の激務に耐え、よくやってくれたな。まずは休め……と、本来ならば言いたいが…」
「いえ、陛下。この後、直ちに出発致します。なんとか彼らに追いつきたいのです」
王都ゲランの王城、謁見の間では、国王アーネストが報告を受けていた。王の玉座の前では、元精鋭騎馬隊"牙"の隊長、ラーナ・デイルが跪いている。
緑龍の襲撃により、彼女が所属していた騎馬隊はほぼ全滅し、再編成に伴って解体された。その後、彼女は新設の騎馬隊の編成を任されていたのだ。
そして、彼女の尽力により、その編成を無事に終えたのである。
多くの者から、ラーナは早速、その新設の騎馬隊の隊長に就任すると思われていた。だが、彼女はそれを辞退し、歴戦の部下たちに指揮を引き継いだのだ。
そう、セルゲイたちの後を追いかけるために。
「しかし、ラーナよ、教えてくれ。なぜ、彼らの後を追うことに決めたのだ?」
「それは…」
アーネストの問いかけに、ラーナは少し困ったように口ごもる。アーネストは優しい、祖父のような眼差しで見つめ、ゆっくり頷いた。
「それは……彼らの力になりたいと思ったからです。その…私は、グリューネ村と緑龍の件で、彼に命を救われました。その恩を返したいのです」
そこまで言うと、ラーナは少し申し訳なさそうな顔をする。
「そのために……私は、国を守る兵としての責務を…」
言い終える前に、アーネストがサッと手を伸ばし、ラーナを制止する。
「…よい。ラーナよ、よいのだ。おまえの責任感の強さは、私が昔からよく知っている。そんなおまえが、兵としてではなく、ラーナ・デイルとして決意したのだ、私が止めることなど、断じてあり得ない」
アーネストは立ち上がり、ラーナの元に歩み出る。動揺するラーナは顔を俯けるが、目の前に手が差し出された。
「行きなさい、駆け抜けなさい、ラーナ。義理だろうがなんだろうが、自身の気持ちが赴くままに」
ラーナの胸は熱くなり、涙が目元から溢れる。跪いたまま泣いているラーナを、アーネストは腰を落として優しく抱きしめた。
道の上には、時折誰かの落し物がある。
それは貴重品であったり、なんの意味もないガラクタであったり、思い出の品であったり…
持ち主によって様々だ。
大切なものを無くした落とし主は、さぞ大慌てであろう。
無論、生きていればの話だが。
「ここも荒れているな。馬の歩調をもう少し落としてくれないか?」
「あん? それじゃあ、歩くのと変わらんではないか」
「馬車が横転したら、結局歩くことになる。我慢してくれよ…」
セルゲイに言われて、不満げな表情のガーランは、自分が手綱を握っている馬車の速度を落とす。
王都ゲランから緑龍の森への道のりは、以前にセルゲイが連れられて通った時よりも荒れていた。そして、王都から遠ざかる程に、それは顕著になっていく。
なぜならば、ここは狂った緑龍が暴力を振り撒いて通った道なのだ。馬車の残骸や壊れた武具、投げ捨てられた荷物、死んだ馬、そして潰されたり、四肢が千切れたりした、老若男女問わない人の骸。夥しい死の残骸が、西に向かう道の上に落ちているのだ。
「エド、具合は大丈夫か?」
「ええ。ぐったり寝てるわ。エドっちには、刺激が強かったわね…」
エドワルドは、セルゲイにエドと呼ばれていた。シモーネからはエドっちだ。彼は今、馬車の荷台の中で横たわっている。街道の惨状を見て、倒れてしまったのだ。
「あなたや私はまだ大丈夫とはいえ…尋常じゃない光景ね。おシズちゃんも、あまり直視しない方がいいわ」
「はい…。すみません…」
シズも、事前に話を聞いていたので覚悟をしていたのだが、やはり想像を絶する光景は耐え難いものだ。何度か嘔吐し、かろうじて意識を保っていた。
当初は交代で馬車の手綱を持つことにしていたが、この状況では仕方がない。今はセルゲイとガーランが二人で交代している。
「この進み具合で、あと数日…か。このままハル村まで街道を進むのも考えものだな。途中でエドたちを降ろすわけにもいかないし……どうする? 街道を逸れるか?」
「うーむ。あまり良い考えではないんじゃが……この道はエド坊たちには酷じゃな。儂は賛成じゃ」
「私も大丈夫よ」
「すみません…この道じゃなければ、私は大賛成です」
エドを除く、全員一致でセルゲイの意見は可決した。早速、馬車は街道を逸れ、道なき荒野をゆっくりと進み始める。
街道を逸れると、野犬のようや肉食動物や、稀に野盗の襲撃を受ける危険が生じる。それに、グリューネ村を襲ったウンファールの様な"はぐれ魔法使い"がウロついている危険もあった。だが、死の道と化した街道を進み続けるのは、やはり精神的に厳しい。
「俺は知らないんだが、この国の平原には、どんなのが出るんだ?」
セルゲイが尋ねる。彼は旅慣れているとはいえ、この国の人間ではないのだから、最もな質問だ。
「ふむ…昔は野犬やら狼の群れが多かったんじゃがな。赤龍の嬢ちゃんの方が詳しいんじゃないのか?」
「…嬢ちゃんはやめてくれない?」
「事実じゃろ?」
「むぐ。緑龍のジジイめ…」
旅を始めてから、何度このやり取りがあっただろうか。セルゲイとシズは慣れてしまった。
「まぁ、いいわよ、もう。このジジイの言う通り、野犬と狼の群れが主よ。でも、森に近づくほど、そこから溢れて出てくる奴らがいるわ。それに注意はしないとね」
「アンデッドもか?」
「ええ。奴らは森から離れても、何も変わらないわ。以前、この平野で見つけたのを、研究のために王都へ運んでもらったことがあるの」
「王都にか? それで、アンデッドについては何かわかったのか?」
シモーネは鞄から、自分の分厚い研究ノートを取り出すと、ページをパラパラとめくり出す。
「…あった。まあ、わかっていることは多くないのだけど…間違いなく、これは大規模で厄介な魔法の産物よ。奴らには"マナの焼印"と呼んでいるものがあるんだけど、その焼印の一つ一つに強力で、異質なマナの力が込められているの。それこそ、龍すらも抗えないような、ね。 私が何を言いたいか、わかるでしょ?」
シモーネは鋭い視線を向ける。セルゲイは動じず、頷きを返した。
「緑龍も、か」
「そうよ。焼印は持ち主が活動出来なくなると消えるから、緑龍を確かめられたわけじゃないんだけど…私の勘は、そうだと言っている」
アンデッドと、狂った緑龍。シモーネによると、それは同じ元凶によって生じている。それだけに、この平野を通ることに対して、一層の警戒を必要とすることになった。
それとは別に、セルゲイはもう一つ尋ねる。今度は、ガーランに。
「なあ、じいさん。ドワーフの話は前にも聞いたが、奴らに直接会ったことはあるのか?」
「いいや。当時の緑龍の長に、昔から禁じられていたのでな。実際に会うことはなかった。じゃが、奴らは確かに存在している。それは間違いない」
「なぜ、そう言い切れる?」
「そりゃあ、ビンビンと気配を感じたからじゃよ。明らかに、邪悪で異質なマナの気配を、な。儂は老いても緑龍の眷属じゃ。その類のものはわかるんじゃよ」
ガーランは重々しく告げる。セルゲイには、どうしても確信が得られない。だからといって、無視すべきではない。それは理解できた。
謎に包まれた種族、ドワーフ。おそらく、戦うことになるだろう。セルゲイは愛用する斧を手に取り、その刃を鋭い眼差しで見つめ、呟く。
「その答えは、ドワーフの奴らから聞こう。首根っこを掴んででも、聞かせてもらうさ」
呟くと同時に、戦士の闘気がセルゲイの体から滲み出る。その気が、シモーネとガーラン、そしてシズにも伝わった。
ガタガタと音を立てながら、揺れる馬車は街道から遠ざかる。小高い丘を乗り越える時、シズは荷台から一瞬、ふと外へ視線を向けると、そこには夕焼け色に染まる平野が広がっていた。
そして、その平野を真っ直ぐに走る線は、沈む太陽の光を受けて、血の色のような朱に染まっていた。
それを見たシズは、寒気とともに身が硬く強張るのを感じ、再び外から視線を足元に移す。
やがて夜の帳が下り、深い闇が辺りを支配する。
その闇の中を進む一行。だが、血の跡を辿っているのは彼らだけではなかった。