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昨日、珍しくテスト飛行から早く戻ったソラは、ニヤけた顔のまま格納庫にこもったきり、まだ出てこない。
そろそろ差し入れでも持っていってやるとするか。
ワシはコーヒーを入れるためヤカンを火にかけ、パンを切りにかかった。
「こんにちは」
場違いなことを気にした様子も無いあのお嬢ちゃんが入ってきたのは、ハムを切り終えてチーズにとりかかったところだった。
「準備中の看板が出てなかったか?」
顔をしかめると、
「準備中なら静かだからお話を聞くには最適だと思いまして」
と、いけしゃあしゃあと笑顔で返してきやがった。
「お話なんてもんをする気はワシには無いんだがな」
「…お湯、沸いてますよ」
「…チッ」
舌打ちしてピーピーと喚いていたヤカンの火を止め、コーヒーを淹れにかかる。
「良い香り。…マスターはどうしてこの街でお店をやってるんですか?」
嬢ちゃん…たしかキャロルといったか…は当然のようにカウンターのスツールに腰を下ろす。
「理由なんぞ無い。店をやっとるのは他にやることが無いからだ」
「ふうん。ずっとこのお仕事をされてるんですか? 私、今の仕事にまだ慣れなくって」
「譲ちゃんの年で仕事に慣れきってるようじゃ、世の中のブンヤはみんな商売上がったりだろうよ」
キャロルの分のコーヒーも淹れてやり、カウンターに置く。
「サービスだ」
「ありがとうございます」
ニッコリと微笑んでカップを口に運ぶ。
「…そいつを飲んだら帰んな。おしゃべりは趣味じゃねえ」
コーヒーをポットに移し、チーズの切り分けに戻る。
それを見ながらキャロルは表情を引き締めて、
「ソラ・アサヒナ君のことを教えていただけませんか?」
と真面目な顔で切り出してきた。
「ソラの事を聞いてどうする? 記事にでもするのか?」
「解りません。でも、興味があるんです。あの年であれだけの技術。それにメンテナンスやレストアまで自分でやってるって聞きました。私と大して変わらない年齢なのに、どうして彼があれ程までのライダーになったのか知りたいんです」
他にも何か考えがあるのかもしれないが、少なくとも嘘の無い真っ直ぐな言葉だった。
ワシはパンとチーズを脇へ退けて、懐からタバコを取り出した。
「…記事にしねえなら少しだけ昔話を聞かせてやる。ただし、ソラには言うなよ」
「…解りました」
ワシはタバコに火をつけながら、カウンターの中に置いたイスを引いて腰を下ろした。
「昔、blast of windって字名の箒乗りがいた。…嬢ちゃんはゼロって箒を知ってるか?」
「たしか…大戦期のジュノーの傑作機ですよね」
「そうだ。この国が生んだ世界一とも言われた戦闘箒だ。blast of windってのはそのゼロの乗り手の中でも群を抜いた腕前でな…、最も頼りになる男だった」
ワシにはできすぎた部下だったがな。
溜息をそれと気付かれぬようゆっくりと、煙と共に吐き出す。
キャロルは黙ったまま先を待っている。
「終戦の3年前…、イカルガ渓谷戦役というのがあった」
「ジュノーの滅亡をくい止めたといわれている戦闘ですね?」
「そうだ。あの戦闘でフレイヤ共和国の攻撃艦隊の大半を沈められたからこそ、この国は無くならずにすんだ。そうでなければ終戦前に王都ゼノンは陥落して、今ごろこの国は無くなっとる」
「………」
「その時の戦闘でアイツは3隻の共和国艦を沈めた。とんでもないやつだったよ……だが、そのまま帰ってこなかった」
「行方不明………ですか?」
「不明なもんか。ワシはアイツが4隻目のブリッジに突っ込んで吹き飛んだのをこの眼で見とる。当時6歳だった子供がいたにもかかわらず、ワシより先に死におって…」
タバコを流しの水で消して捨てる。
「…まさか、その子供が…」
キャロルの問いに頷く。
「ソラは父親が死んだ5年後位から箒をいじりだした。アイツ自身、父親のことなんざロクに覚えちゃいねえみてえだが……空を飛ぶ姿だけは記憶のどっかに焼き付いてるんだろうな。この頃、妙に飛ぶ姿が似てきやがった」
「マスターも、ライダーだったんですね」
「昔の話だ。今はこの店の主で、ソラの身元引受人ってだけだ」
イスをカウンターの隅に押しやってサンドイッチを仕上げる。
「ワシはアイツの親父を戦場から連れて戻れなかった。アイツを一人前にしてやることが、アイツの親父から託された仕事だ。……ソラには言わんでおいてくれよ」
「解りました。記事にすれば売れそうだけど、私もちょっとお涙頂戴ものは苦手だから」
「すまんな。…ついでといってはなんだが、もう一つ頼まれてくれんか?」
キャロルの顔に緊張が走る。
「私にできることなら…」
ワシは笑って言った。
「裏の格納庫にソラがこもっとるから、このコーヒーとパンを持っていってやってくれ」
キャロルの顔に笑顔が戻った。
その店の看板には懐かしい名がかかっていた。
『blast of wind』
疾風……仲間内からそう呼ばれていた凄腕の箒乗りがいたのだ……もう13年も前に亡くなっていたが。
入口の扉を潜って中に入ってみると、まだ客の姿は無い。
「準備中でしたかな?」
カウンターの中の人影に声をかける。
店主らしき白髪の人物は背中を向けたまま、
「今から開けるとこだ、お客さんが口開けだよ」
とこちらを見もせずに答えた。
私は一つ頷いてカウンターに席をとる。
「ご注文は?」
店主はまだ向うを向いたままだ。
気のせいか、どこか懐かしさを覚える声だった。
「ビールをいただけますかな」
「かしこまりました」
店主の動きは見た目の年齢よりもはるかに若々しい。鮮やかな手つきで7:3に酒と泡とをジョッキに注ぐ。
「…おまたせしました」
ジョッキを手に店主がこちらを向く。その顔には、やはりどこか懐かしいような深い色の双眸があった。
「これは美味そうだ」
私の声に店主が軽く笑う。
「まだ宵のうちですからな、時間がさらに酒の味を良くするってもんです」
「はは、違いない」
私はジョッキを受け取り、一口目を軽く呷る。
よく冷えていた。
カウンターにジョッキをおろすと、その脇に店主が殻付きのピーナッツを一掴み置く。
これはまた懐かしいツマミだ。物の無かった私の若い頃はこれが一掴みもあれば贅沢なくらいだった。
顔を上げて見れば愉快そうな顔をした店主がいた。
「我々の世代はコイツがあればそれだけで満足できたもんです。最近の若い連中はこんなもんしか無いのかと言いますがね」
「まったくですな。よく上官に隠れてこいつをツマミに飲んだものです」
「…今思えば懐かしいもんですな」
「まったく…」
もう一口ビールを呷る。
ジョッキを下ろしたところで、店主の雰囲気が先程までと変わっていることに気がついた。
「どうかしましたか?」
「…失礼だが…以前どこかでお会いしたことがありましたかな?」
「……さて、どうでしょう。もしかしたらどこかの戦場でお会いしたのかもしれませんな」
店主の眼は先程までとは変わって鷹のような鋭い雰囲気を漂わせていた。
「そうかもしれませんな。あの頃は色々と戦場を回りましたから…」
「今では昔話になってしまいましたがね」
「………」
一呼吸おいて、店主の眼が和らぎ、店に入ってきた時の空気を取り戻した。
私はピーナッツをつまんで殻をむきにかかる。
一粒、昔のように口に放り込んでから本題を思い出した。
「…ところで、こちらにソラという名前の若いライダーはよく来るのですかな?」
「………顔を出すことは良くありますが、どうかされましたか?」
「いや、面白い機体に乗っていたので少々気になりましてね」
「先日のレースをご覧になったのですかな?」
ビールを呷る。ジョッキの向うで店主の眼が先程の険しさを一瞬よぎらせたように見えた。
何か知っている。
かすかにそんな気配を感じる。こちらを量っているというところか。
「…いや、まだレースで飛ぶところはお目にかかっておりませんでな。次はいつエントリーするのか気になっておりまして」
平静を装い、天気の話しでもするかのように口にする。
カウンターを挟んだお互いの内心を映すように、ジョッキの表面を汗のような滴が伝い落ちる。
「さて、いつのレースに出るのかは解りかねますが…、どちらでソラの機体をご覧になったので?」
「調整中のところをたまたま目にしましてな。私の記憶に間違いがなければ、あのブレードはかつて私が開発に関ったものではないかと思っておりまして」
一石投じてみた。店主の表情が無くなる。
「……ブレード…ですか。失礼ですが技官でおいでだったので?」
「ええ、この街の近くの施設で研究をおこなっていました」
「……」
店主の沈黙に重みが増す。
間違いなく、何かを知っている。そして迷っているようにも見える。
どうする? このまま押すか? いや、ここは一時退くのが吉……か?
「あのブレードは扱いが難しすぎてお蔵入りになったものによく似ている。気を付けて使うように伝えてください。私は機会があったらまたここに顔を出させてもらいます」
ジョッキを呷って空にすると紙幣を一枚カウンターに置いて席を立つ。
「…お客さん一杯でこれは多すぎます」
「メッセージ代です。タカギというジジイが来たことをお伝えください」
「…」
まだ何か言いたそうな店主を残して店を出た。
焦ることはない。
私のような老人にだってまだ明日くらいはある。