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「…で、どうなんだ? あの嬢ちゃんは結局なにをしに来たんだ?」
コーヒーにブランデーをたらしながら格納庫に現れたカキザキは、つまらなそうに言いながらオイルの缶に尻をのせた。
俺は整備中の機体の下に潜り込みながら答えを返す。
「ライダーの取材だって言ってたよ。どんなライダーがいて、どんな機体に乗ってるのかって随分訊かれた」
「わざわざこんな田舎くんだりまでご苦労なことだ。それで、ちゃんと教えてやったのか?」
カキザキはオイル缶に座ったまま、コーヒーのマグではなくブランデーの瓶に口をつける。コーヒーを飲むつもりだったんじゃないのか?
格納庫にゆっくりと、マグに注がれたままのコーヒーとブランデーの香りが流れる。
「一応、目立つトコロは教えといてやったよ。特にフィーンの奴は5割増くらいにしてね」
フィーンは今日のレースでへこませてやった、最新型の機体を乗り回す嫌味な奴だ。年は向うの方が四つほど上だが、いいとこのお坊っちゃんだ。
「…意地の悪い奴だ。まあ、アイツもあれで自分の技量に合った機体さえきちんと選べば、そう腕は悪くないんだがな」
「アイツはお坊っちゃんだからな、機体が良過ぎんのさ」
「お前のはオンボロだがな」
ムッとして顔を上げると、機体の向うにカキザキのにやけた顔があった。
「オンボロで悪かったな」
機体の下から出る。
カキザキがコーヒーのマグを差し出してきた。
「今日のレースは悪くない出来だった。最後のロールは余計だったがな」
「あれはお客さんへのサービスさ。…ところで、頼んでおいた例のパーツは届いたかい?」
コーヒーを受け取りながら聞く。
うわっ、アルコール濃いな、コレ。
「ああ、そこに届いとる。しかし強化マウントなんぞどうする気だ? お前のオンボロには必要なかろう?」
「そいつは、いずれわかるさ」
あの掘り出し物の一品。まるで刃物のようなプロペラブレードが作り出す、あの信じがたいようなパワーを受け止めるには、今のマウントじゃ無理だからな。
「そのうち、お披露目してやるよ」
あのソラという少年と知り合うことができたのは思った以上の収穫だった。まぁ、少年といっても自分より一つ年上だったが。
しかし、お陰でこの辺りの有望なライダーの情報も手に入ったし、さらに話を聞いてみれば、彼は大戦時の箒を自らレストアして乗っているという。
もしかしたらもっと有力な情報を持っている可能性もある。
既に上司には有望な情報源との接触に成功との報告を入れてある。上からは調査を継続するよう指示があった。
「…とはいえ、年上とは思わなかったなぁ」
高い身体能力を要求されるBroomライダーでありながら、ソラはおそらく自分よりも背が低いだろう。線も細い感じだったし、とてもライダーには…いや、あの悪戯っ子のような表情からはとても19歳には見えない。
「でも、あのレースを見た限りじゃ腕は本物よね。あのマスターに担がれてるんでもない限り」
レース終盤の、あのロールは実に華麗だった。
どうやったらあんな風に飛べるのだろう。思わずベッドの上で箒に乗ったつもりになって体を横に倒す。
「ア痛ッ!」
狭い安宿のベッドではゴロゴロ転がるのは無理があった。
したたかに頭を壁へぶつける。
コブになってしまった頭を抱えているとノックが聞こえた。
「キャロル・ホーディッツさん…?」
「は、はい!」
「メッセージが届いてますけど…」
ドアを開けると宿の主人が蝋封のついた封書を手に立っていた。
「メッセ−ジ…? あ、はい! ありがとうございます」
慌てて礼を言い、怪訝そうな顔の主人に愛想笑いを返して封書を受け取る。
やっぱり…。
封書には本社の印が押されていた。
シロウ・タカギはホームに降り立つなり、軽い目眩に襲われた。
年とはいえ、まだ60歳になったばかりで、これまで病気一つしたことがない。
目眩の原因は、プロペラブレードとエンジンの作り出すこの音のせいだった。
この街に着いたとたん、駅のホームにまで響いてくるレース用箒の爆音。
これまでの人生の大半をこの音と共に過ごしてきたタカギにとっては、数年振りに聞くこの音に何かを揺り起こされるような衝撃を感じていた。
「性分だな。所詮、静かな生活など似合わんということか…」
溜息のように呟いて駅舎を出る。
足は自然とレース場の方へと向いてしまっていた。
たった12m程度の高さを、気の狂ったような速度で駆け、格闘戦を繰り広げる箒乗り達。
「これは……ある意味、壮観といえるな」
昨今の不況の影響か、競技用箒に混じって兵装を外した軍用箒の姿も見える。両機の設計者もまさかこんな風に共に飛ぶようになるとは思わなかったろう。
「もっとも、零式がここを飛ぶことは無いだろうがな…」
爆音の中に思い出の名前を呟いてレース場に背を向けた。
元々、自分はレース場に来たわけではない。
先程に比べて明らかに足取りは重かったが、人通りの少ない街の外れに向けて歩き出した。
「…これが本来のこの街の姿だろうな」
しばらく歩いた後、たどり着いた町外れの墓地は先程のレース場の騒音が嘘のように静まり返っていた。
「もう10年になるか…、早いものだな」
歩いて来る途中で買ってきた花束を目の前の小さな墓に供える。
田舎町の、さらに町外れの共同墓地。
そこにひっそりと昔の仲間達の墓が作られていた。
「あの時のメンバーはいつの間にかここに帰ってきていたんだな。みんなアレと一緒にこの街で眠ろうっていうのか」
10年前、敗戦と同時に研究の終結をむかえ、仲間達は皆、散り散りになっていった。
そんな中で、敗戦補償の名の元に自分達の研究成果が解体、切り売りされていくのを見るに忍びなく、私と数人の仲間達はあるモノをこの街のある場所に隠した。
「あれからもう10年たつが、今でもアレを凌ぐ機体は出ておらんよ。ワシらのチームが作り出したアレはもしかしたら神様の気まぐれだったのかもしれんな」
あの、どんな機体よりも速く、どんな機体よりも鋭く旋回する、風のような機体。
アレが空に帰る日はもう来ないのかもしれない。
「………」
現役の頃の自分を思い出し、感慨にふける。すると耳に、あの頃、聞き慣れたプロペラ音が蘇ってきた。
そう、この音だ。
アレはこの音と共に大空を縦横に駆けまわったのだ。どんな機体もついていけない刃物のような鋭い旋回能力を見せつけて。
「…?」
思い出の中の音にしてはいやに現実的だった。
音は墓地の向う。奥の山陰から聞こえてきている。
まさか。
そんな思いに引きずられるようにそちらへと足を進めた。
「…クソ、どうにも安定しない」
工場跡から掘り出したプロペラブレードを取り付けた箒は、信じがたいほどの加速性能を見せたが、まるで息継ぎでもするかのようにパワーが安定しなかった。ブレードから発生する魔力が大き過ぎているからなのか、これでは軌道がどうしても安定しない。
「機体との相性が悪過ぎるのか?」
機体を降ろし、ブレードとマウントのチェックをする。
俺の機体は大戦時に作製された軽量の97式戦闘偵察箒をベースにしている。軍用だっただけにフレームとエンジンの頑丈さが売りだったが、それでも現役を引退した機体をレストアしたものだ。戦時のスペックからはかなり落ちる。
「…面白い機体に乗っているな」
背後から声をかけられたのは、自分でも信じられないほどの驚きだった。
機体のチェックに集中しすぎて、街の共同墓地の方から近づいてきた老人に全く気がつかなかったのだ。
「……」
普通、物騒な連中の多いライダーに自分から近づいてくる人間は少ない。昨日のキャロルのような例外もたまにはいるが、近づいてくる人間のほとんどが何かしらの狙いを持っている。
「…ああ、すまん。そう構えんでくれ。あまりに懐かしいプロベラ音を耳にしたものだからついフラフラと出てきて声をかけてしまった。邪魔をしてすまなかった」
「…いや、べつにいいけど」
老人は驚くほど丁寧に頭を下げて詫びた。ちょっと拍子抜けだ。
大体ああいう言い方で声をかけてくる奴はレースでの八百長を持ちかけてくるものだが、この老人はどう見てもその類の人間ではなさそうだ。第一、その筋の人間なら1人で出てくるはずが無い。
「97式戦闘偵察箒か…、大分いじってあるようだが、プロペラブレードはこの機体用のものとは違う音だったね」
「詳しいね」
肩をすくめてみせる。
ただの爺さんという訳でもなさそうだ。どうやら音だけでこのブレードのことを見抜いたらしい。
「昔とった杵柄というやつでね。当時の機体なら一通りいじったものさ」
なるほど、それで懐かしかったって訳か。
「じいさん、軍人さんかい?」
「昔はな。今じゃ墓参りに来たただの年寄りさ」
老人は懐かしそうに俺の機体を眺めている。
「このブレード、どこから手に入れたんだい? だいぶ変わった仕様だが」
「掘り出しもんでね、仕入れ先は企業秘密なんだ」
「なるほど」
老人が楽しそうな笑顔を見せた。
「余計なお世話だとは思うが、シャフトをもう1ランク硬度の高いものにして、回転数をあと1500上げて飛ばしてご覧なさい」
「!」
「年寄りの経験はなかなか役に立つもんだよ」
老人は笑顔のまま片手を挙げ、上手くいくと良いなと言って墓地の方へ引き返していく。
確かに老人の言ったとおり、シャフトの硬度を上げればブレードの振動が小さくなって回転は安定するだろう。だが、回転数については俺も気がつかなかった。
一見してこのブレードが高回転型なのは解っていたが、そこまで高い回転数で飛ばすものだったとは…。
今まで見たことのある高回転型でも、さっきのテストで回した8500がレッドゾーンだったのだ。それを10000まで回すとは……ちょっと考えつかなかった。
「いったい何者だ、あの爺さん」
もしかしたら凄腕の整備士なのかもしれない。
振り返った時、もう遠ざかる老人の背中は見えなかった。