FILE 17
時間はかかりますが少しずつ更新していこうと思います。
よろしくお願いします。
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目が覚めて一番最初に感じたのは脇腹のひどい痛みだった。
「気が付いたかね?」
声をかけられたが、誰の声なのかわからない。
ただ、部屋に漂う機械オイルの匂いは、俺の気分を多少は落ち着かせてくれた。
ゆっくりと体を起こす。
「ああ……最悪の寝覚めだ。ここは?」
「私の工房だよ」
答えたのは、高硬度パーツ技師のコバヤカワだった。
「コバヤカワさんの?」
ゆっくりと周囲を確認する。俺が寝ていたのは質素な作りの長椅子だったようだ。
部屋には俺とコバヤカワの二人だけ。
彼は作業台に向かって何かをしている。
「随分派手にやったみたいだね。街中大騒ぎだよ」
「…あれは、カキザキの爺さんがやったことだ。俺じゃない。ところで、一つ教えてもらえないかな…」
「なんだね?」
「俺の97式は……どうなった?」
「……」
返ってきたのは沈黙だけだった。しかし、それが何を意味するのかは聞かなくても解った。
「…そうか。やっぱり夢じゃないのか」
煙を上げて燃える俺の97式。
エンジンのレストアから始めて、気の遠くなるような手間をかけ、ようやく跳ね馬に生まれ変わることができたあの機体はもう…
「残念だがあの機体はもう…」
「…いいんだ、俺が上手く乗ってやれなかったんだから…」
そう。俺の腕がもっと良ければ、あの一撃をかわせたはずだ。もっと、空を駆け回らせてやれた筈だ。
「それは…君の機体に対して失礼だと思うな」
「え?」
コバヤカワは作業台の方を向いたまま、少しだけ語気を強めて言葉を返した。
「あの機体は君という乗り手に出会えたからこそ、自分の能力以上に、自由に空を駆けることが出来たんだ。…今日のレースは私も見せてもらったよ。ハッキリ言って97式にはあそこまでの性能は無い。君がこのブレードを見事に使いこなしていた結果だと断言できる」
言ってこちらを向き、作業台の上にのせられた物を俺に見せる。
「それは!」
俺の97式についていたプロペラブレードだった。歪みも、僅かな傷すらもなく、鏡のような姿で、そこに確かにあった。
「機体は残念だったが、これだけは回収させてもらったよ。これは私と私の先生がある機体のために作った試作品でね」
「コバヤカワさんが? そのブレードを?」
「ああ。これは非常に扱いが難しい。専用に組んだ機体でも、軍の一流の箒乗り達が手を焼いた代物だ。それを君はあれほど自在に操って見せた。君があの97式を風に変えていたと言ってもいい」
「…俺は、あの機体を守ってやれなかった」
「97式が君を守ったのさ。だから君はこうして私と話しができる」
「……」
「……アサヒナ君」
「?」
急にコバヤカワの声のトーンが変わった。
「君は、これからどうしたいね?」
何となく、含みの感じられる言い方だった。
『これから』とはいつを指しているのか、一分後のことか、一時間後のことか、明日のことか、一年後のことか、それとも……もっと先のことなのか?
俺は……どうするのか…俺は…今は…
「…俺は…キャロルを…爺さん達を助けに行く」
「どうやって?」
「何とかしてBroomの都合をつける」
箒乗りの知り合いもいるし、機種さえ選ばなければ何とかなるはずだ…
「そのケガでかい? 君の肋骨は少なくとも3本は折れてるんだよ」
「俺にはキャロルや爺さんが何でアイツ等に追われてるのかは解らない。解らないけど、でもこのままでいい訳がない。97式が俺を助けてくれたというのなら、今度は俺が誰かを助ける番だ。それに、このままじゃ俺はグッスリ眠れない」
多分、今すぐに都合できるようなBroomでは爺さん達を助けるのは難しい。
それでも、このまま行かなければ、俺は後できっと後悔する。
俺が行くのは誰のためでもなく、俺自身のためだ。
「アサヒナ君、君はなぜ飛ぶ?」
どこかで聞いたような台詞だ。なぜ、みんな俺に同じことを聞きたがる?
「俺は……飛ぶのに理由なんか無い。Broomが好きだから、ただ飛びたいから……だから、飛ぶ。いちいち難しい理由なんか無い」
「…なるほど、よく解った。なら、私が君にBroomを都合しよう。”刃”という名のとびきりのBroomをね」
「コバヤカワさん?」
コバヤカワは壁際に行き、作業台の端をいじる。…と、工房の奥、様々なパーツが並べられた棚の向こうに扉が現れた。
「ついてきたまえ」
「?」
俺はコバヤカワに続いて扉をくぐる。
「これは!」
「零弐式試作戦闘攻撃箒、付番=伊、機体名「刃」。または【Type ZERO2prt.(プロト) Cood E [THE EDGE]】とも呼ばれていた機体だ。私達がこの街の地下に隠したこのBroomを……君に託そう」
そこには、エッジの効いた鋭角的なフォルムを持つ機体が、静かにたたずんでいた。
異様な機体だった。
機体後方のプロペラブレードは一般的な機体よりやや小さめだが、一つのローターに三枚も付いている。さらに、その三枚のプロペラブレードを持つローターが、一本のシャフトに二つ重ねて取り付けられていた。
「ブレードが六枚…」
「二重反転プロペラという。互いのローターが逆方向に回転し、エンジンの振動を打ち消す仕組みだ。如何なる機体よりも速く、どんなBroomよりも鋭く旋回する。それを突き詰めた末に生まれた」
「なぜ、こんなところに?」
疑問を口にする俺に、入り口の脇に立ったままのコバヤカワは自嘲気味に口の端を歪めた。
「戦争が終わったあの日、我々の研究の成果や我々自身ですら、戦後補償という名の下に戦勝国へ売り渡されようとしていた。そんな中、私と私の先生の研究チームはテスト中の事故を装ってこの機体をここに封印した」
「どうして?」
「嫌だったのさ。私も、先生も、自分たちの理想としてきたものを実現する機体が、人殺しの道具にされるのがね」
「……」
コバヤカワは俺の視線を避けるようにゆっくりと機体の脇に移動する。エンジンフードに軽く片手をかけながら呟いた。
「それに…この機体を、その能力を100パーセント発揮できる箒乗りに託したかった」
「? どういうことです?」
「これもまた非常に扱いづらい機体だということさ」
コバヤカワははぐらかすように肩をすくめてみせた。
俺は、ゆっくりと機体の状態をチェックする。
エンジン、ミッション、ローター、全てがいつでも飛べる状態に整備されていた……武装も含めて。
「いいんですか? 俺で?」
「君なら可能性があると判断した」
「見込み違いかもしれませんよ」
「その時は……その時さ」
コバヤカワは、言いながら目の前の機体が飛ぶ姿を想像するかのように天井を仰ぎ見る。
俺には…選択肢はないか…
「……こいつ、使わせてもらいます」
「ああ。この機体を空に帰してやってくれ」
「はい。…行こうか、[THE EDGE]」
起動スイッチを入れ、プロペラブレードを軽く回してやると、静かに風が生まれ始めた。
行こう。
お前がなにものだろうと、俺が、空を与えてやる。
隠し部屋からゆっくりと飛び立っていった[THE EDGE]を見送りながら、私は大きく溜息をついた。
「まるで花嫁を送り出す男親の気分だな」
しわになったタバコをポケットから取り出し、一本くわえて火を着ける。
二度目の溜息の代わりに煙を吐き出した。
まさか自分があの機体の封印を解くことになるとは思いもしなかった。
空軍第1研究所でタカギ博士と共に創り上げたBroomの最終形態。
『始まりの箒』をモデルに創り上げた『最後の箒』。
私たちはあれを、世に出すべきものではないと判断した。
だが、10年たった今、なにかが変わり始めた。
始まりは数日前、アサヒナ君にかつて試験用に製作した高硬度シャフトを渡してからだ。
あのシャフトを積んだ機体がどんな動きをするのか、なんとなく気になった。
そして、レース場であのブレードに再会した。
まるで10年の時間が元に戻ったような感覚。
明らかにスペック以上の力を見せて飛ぶ97式。
荒馬のようだったブレードを見事なまでに乗りこなす若いライダー。
私は見てみたくなってしまった。
自分たちが出した『結果』の『答え』を。
如何なる機体よりも速く、どんなBroomよりも鋭く旋回する、その姿を。
だから、街の外までアサヒナ君のBroomを追った。
そして、撃墜された彼と機体を回収した。
『THE EDGE』を空へ帰すための最後のパーツとして。
あの機体ならば、たとえフレイヤのFS‐5型強襲飛行艦だろうと、時代遅れのWandだろうと一蹴することが出来るはずだ。
「…まあ、あの機体の本当の性能が引き出せればだが」
立ち上る紫煙の向こう側を、水蒸気の尾をひいてBroomが高空へと舞い上がっていく。
もはやどうでも良いことだ、自分はもう守人ではないのだから……。
「トシゾウ・カキザキ中佐だ。西部方面軍指令に繋いでくれ」
軍服も軍帽も身につけていないワシがカウンター越しにそう告げると、空軍西部方面軍のオフィスにいた係官はあからさまに怪訝な表情を作って見せた。
「中佐殿? IDを確認させていただきたいのですが…」
しかし、既に苛立ちの頂点に達していたワシは係官の襟元をグイッと引き寄せると、
「プロフェッサー・カキザキが、トードーの小僧に会いに来てやったから一分以内にここに来いと伝えろ、でなければ貴様の首をねじ切るぞ」
と本気の殺気を放っていた。
「ヒ、ヒィ!」
係官の顔が青く染まる。
「…中佐、事務官を虐めるのはそのくらいで勘弁してください。大戦の英雄に本気の殺気を出されては、最近の若い連中はすっかりあてられてしまいますよ」
背後からの懐かしい声に振り向く。
すると、苦笑いを浮かべた優男がいつの間にかそこに立っていた。しっかりと軍服に身を包み、肩には少佐の階級章が輝いている。
「遅いぞ、トードー」
「…申し訳ありません」
機嫌が悪いままのワシに、かつての教え子はしっかりとした敬礼を返す。
背後で係官がこっそりと席を外すのを無視し、ワシは教え子に人気の無い方へと顎をしゃくった。
「どうしました?」
怪訝な顔のトードーはしかし窓際の、人気の無い場所までついてくる。
「フレイヤのFS‐5型強襲飛行艦を見た」
「また物騒なものをご覧になりましたね。どこでです? あれはフレイヤ本国でも滅多にお目にかかれないはずですが」
のんびりとした性格のトードーは、ワシが旅行にでも行ってフレイヤの軍艦を見物してきたと思っているようだ。
ワシは額に手をやりながら、ため息をひとつつく。どうも昔からこいつと話しているとペースが崩れる。
「…国境線の警備は?」
「? 通常通りおこなっていますが?」
「見た目だけでいい、今すぐイカルガ渓谷のフレイヤ側出口の警戒を3倍に増やせ」
「どういうことです?」
「そこをな、お前の言う“物騒なもの”がうろついてやがるんだよ」
「!? まさか」
やっと事態の重大さに気がついたようだ。
ワシは更に声を潜め、トードーのネクタイをグイと引いて耳元に口を近づける。
「Wandを使う魔術師が1人混じってやがる。下手に手は出さんで良い。…それと足の速い攻撃箒を1機、フル装備で用意しろ」
「どうされるんです?」
「ワシが出る」
「中佐が!」
正気ですかと目を見開くトードーに構わず、話を続ける。
「でかい声を出すな。…それから、機体の識別は消しとけ」
「なぜです?」
「あちらさんのFS‐5型は国籍記号も全部消しとる。マーク付けた機体でやり合えば国際問題になりかねん」
「…ちょっと待ってください。まさかお一人でFS‐5型とやり合うおつもりですか? いくらなんでも無茶が過ぎます!」
「だから声がでかいと言っておる。…それに、ワシも一人で特攻をかけるつもりはない。ヴァルターの奴が先行しとる。ワシはサポートだ」
「ハインラインの騎士が!」
「アポロの連中も動いとる気配がある。お前は国境線に網を張りながら中央の動きに注意しろ」
「…手引きがあったと?」
「何とも言えん。…が、あのデカブツが何の仕込みも無しに国境の警戒網を潜り抜けられたとも思えん」
「…解りました。そちらは私が探りを入れてみましょう。その代わり、一つだけ約束してください」
「? なんだ?」
「無茶はしないでください。私は中佐の葬式を出す気はありませんからね」
「フン、誰も頼みはせんわい。…まあ、覚えておいてはやる」
「お願いしましたよ」
「…ああ」
もっとも、次にあの魔術師を前にしたら自分を抑えられるか解らんがな。
あれは……ワシの獲物だ。
カキザキと別れてから、私はイカルガ渓谷に向けて愛機を飛ばしていた。
ソラは、私があの場に到着してまもなく現れたコバヤカワという男がBroomとともに回収していった。
カキザキはあの男のことを知っているようだったし、男の方もカキザキとソラを知っているようだった。
カキザキはコバヤカワに「ソラを頼む」と言い、さらに「こいつにその気があるようなら、イカルガ渓谷へ向かえと伝えてくれ」と付け足した。
コバヤカワは無言のまま頷き、街へと戻っていった。
そして、私はカキザキをジュノー空軍の駐屯地近くまで送り届け、今、イカルガ渓谷に向けて加速している。
状況は極めて悪い。
私は祖国の為に、Type ZEROの遺産を手に入れる任を受けていた。
偶然の巡り合わせでZEROの設計者であるタカギ博士と接触することが出来たが、個人的な目的であったキャロルを見つけたことで冷静さを失ってしまった。
私は今、タカギを救出するためにイカルガ渓谷に向かっているのか、それともキャロルを助け出すために向かっているのか……自分でも判断がつかなかった。
ただ、次の機会は絶対に逃せない。
たとえ、ZEROの遺産を逃すことになっても、私の守るべき者を守るのだ。
そう、たとえ騎士の名誉を地に捨て去ることになったとしても…。
目の前にイカルガ渓谷が近づいてくる。
険しい谷間は過去の戦乱の傷跡と、これから起こるであろう戦いを覆い隠すように霧に煙っていた。