FILE 14
本業でトラブルがあって、前回から5か月もかかってしまいました。あまりの空白期間に申し開きもできません。
気が向いた方がおられましたらまた読んでやってください。
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競技場を出るのに思ったよりも時間をくった。
高度を上げて上空から出ればよかったと今更ながらに思う。
「どこにいった?」
少なくとも競技場の周囲にそれらしい人影は無い。
「ん?」
街区が何か騒がしい…と、煙が上がってるじゃないか!
「…カキザキの爺さん、無茶してなきゃいいんだけど」
俺は溜息をひとつつき、自分の首の代わりにBroomの機首を振る。煙の上がっている街区へ向けてスロットルを開いた。
加速。
Broomにしてみれば一瞬の距離だ。街並みがみるみる近づく。
「派手にやったな…」
黒塗りの大型車が数台、露店や商店に突っ込んだり、ひっくり返ったりしている。
俺はその騒ぎの跡を辿るようにして街区を縫う。
大通りには盛大にスリップマークが刻まれていた。
大きさからしてトラックのものだと思うが、爺さんあのオンボロでやったのか? 呆れるな。
その先では、野次馬が黒塗りの大型車を取り囲み、乗っていたらしい連中を小突き回している。何故かフルーツが散乱し、車がひっくり返っていた。
「これも爺さんの仕業か? なんて迷惑な」
俺はいったん高度を上げ、上空からトラックを探した。
「…あれか」
2街区向こう、街の外に向かってカキザキのオンボロトラックが走っていく。
「でも、このままだと街から出ちまうぞ…」
トラックの後ろにはまだ大型車が2台張り付いている。
「まったく、調子に乗りすぎだ…」
俺はアクセルを大きく開き、さらに高度を上げてトラックを追った。
男達は焦っていた。
彼らの上司は非情な男だ。そして非常識な男でもある。
これまで、彼の要求を満足させられずに始末された人間は山のようにいる。
目の前を走るくたびれたトラックを見ながら、男達は何とか自分をその山から外そうとあがいていた。
大型セダンのアクセルを床まで踏み込み、周囲の目を省みずに強引な追跡を続ける。
しかし…
目の前を走るこのトラックも充分に非常識な存在だった。
まさかこんなオンボロトラックが、高速で四輪ドリフトをするとは誰も思わない。
既に両手の指に近い数の仲間が、このふざけたトラックのおかげで行動不能に陥っていた。
「相手はただの年寄りだなんていったのは誰だ…」
誰かが不毛な抗議を口にする。気持ちは分からないでもなかった。ただ、言ったところで上司はうなづいてはくれないだろうし、そもそも話を聞いてすらくれないかもしれない。
男達が生き残るためには、目の前を走るオンボロトラックを追い詰め、目標の人物を速やかに確保するよりほか無かった。
「ワタシは無能ナ部下などイリマセーン」
上司の妙なお国言葉とイントネーションが呪いのように脳裏にこだまする。
男達は身震いし、一刻も早くこの事態を打開するべく、懐から物騒な解決策を抜き出した。
「…連中、やる気だな」
ハンドルを握るカキザキが、曲がったミラーを直しながら呟く声が、荷台まで聞こえてきた。
私は、何を? と聞き返そうとして、タカギに頭を抑え込まれる。
「ホーディッツさん、迂闊に頭を上げてはダメですよ」
言葉は穏やかなのに、タカギの顔は笑っていなかった。その視線の先には、追ってくる車の窓から突き出される、黒い鉄の固まりがあった。
「!」
思わず息を飲む。
大型の拳銃で狙われる経験ってかなり嫌だ。自分の胸にまだ穴が空いていないか不安になってくる。
「どうするんですか!」
「…どうしたもんかな」
カキザキはのんびりとした口調で答えながら、左右にハンドルを切る。
途端に後方の車で赤く何かが光り、荷台の幌にいくつか穴が空いた。
嘘でしょう…。
「マ…マスター…」
頭は下げてるけど、いつ当たったっておかしく無いじゃない!
肌がプツプツと嫌な感じにあわ立つ。全身がだ。
「情けない声を出しなさんな。動いてる車から動いてる標的を撃ってもそうそう当たらんわ」
カキザキの声はそれまでと変わらない。…でも、トラックを操る手はさっきまでよりもずっと忙しく動いている。
「私が降りた方が良さそうだな…」
ポツリとタカギが呟いた。
「キャ!]
途端にトラックのスピードが上がった。
「次にロクでもねえこと言いやがったら屋根の上に磔にするぞ!」
「しかし中佐…」
「その呼び方も無しだ。ワシはもう軍人じゃねえし、こうやってお前さん達を乗っけてるのも寝覚めが悪くなるのが嫌だからだ。もう、誰もワシの前から死にには行かせん」
「マスター…」
カキザキの声に、わずかに暗い陰を感じた。
「カキザキさん私は…」
タカギがまだ何かを言おうとする。
しかし、カキザキはそれを遮る様にサイドミラーに目をやりながら言った。
「こんなのはそれほど深刻な状況じゃねえんだよ。それにな、そろそろあのバカが来る頃だ…」
「え?」
ミラーの中のカキザキがニヤリと笑う。
瞬間、後方で大きな音があがった。
「ようやく追いついたと思ったら……なんて厄介な」
俺は思わず呟いて顔をしかめた。
カキザキのオンボロトラックは、2台の大型車から銃撃を受けながら走っている。ハンドルを握るのがカキザキでなければ、今頃トラックはオシャカになっているだろう。
「とりあえず、追っかけるのをやめてもらわないとな」
俺は体を捻ってシートの下の物入れからスパナを1本引き抜いた。
「まずは1台を…」
機首を上げ、2台の大型車の頭上へ。相手からは死角。高度は充分。
ブレイク。
機首を急角度で下げ、位置エネルギーもプラスしてスピードを上げる。
「bay−bay」
やや前上方から進入し、機首がルーフを掠めるようにして機体を引き起こす。
瞬間、持っていたスパナをフロントに向けて放った。
大型車のフロントガラスは一瞬で真っ白になる。そしてコマ落としのように赤い水玉模様が現れる。
「いかん。ちょっとやりすぎたかな」
「うわぁ!」
男達には何が起こったのかすっかり解らなかった。
揺れる車からやっと照準の先に目標を捕らえたと思った瞬間、目の前が真っ白になったのだ。
「あがっ!」
隣のシートでハンドルを握っているはずの相棒から妙な声が上がり、車が思いもしなかった方向に向きを変える。
「わぁっぁ!」
喉の奥から言葉にならない声が漏れる。
パーと鳴りっ放しになったクラクションの音の尾を引きながら、手に持っていた筈の銃を振り払うように車がスピンを始める。
そして、目の前にはもう一台のフロントグリルが…
全てがスローモーションに見えた。
衝撃を感じた瞬間にはもう上下の感覚すらなくなり、意識が途切れる。
最後に思ったのは、これで上官のおかしなお国訛りを聞かなくてすむということだけだった。
私は1台の大型車がもう1台を巻き込んでスピンするのを呆然と眺めていた。
カキザキが「そろそろあのバカが来る頃だ…」と言った直後だった。
「いったい何が…」
隣りで私以上に驚いているキャロルと顔を見合わせる。
私も、目の前の少女もカキザキの言葉に追跡者から目を逸らした瞬間に何かが起こったのだ。
「あのバカ、工具を1本ムダにしやがったな」
バックミラーの中でカキザキの顔が笑う。
「ソラ!」
少女が上空を指さす。
その先には、あの懐かしいプロペラ音を響かせる97式改がいた。
また、あの少年に救われてしまったな。
私は肩の力を抜き、文字通りトラックの荷台にへたり込んだ。
「大丈夫ですか!? タカギ博士!」
キャロルが慌てて私に肩を貸してくれる。
「はは、大丈夫ですよ。私も歳には勝てないようだ。こんな荒事をこなすのは少々骨が折れる」
弱音を吐いた私の足は、少女に肩を貸してもらってもしゃんとはしてくれなかった。
「なにを言っとりますか、ワシと大して歳は違わんでしょう。まだまだ現役ですぞ」
バックミラー越しに幾分心配そうな視線をよこしながらも、運転席から叱咤するカキザキの声は明るい。
「はは、現役の若いのでもマスターには誰もかなわんよ。しかし、お陰で助かりました。ありがとう」
私はかつて苦労を共にした戦友に心から礼を言った。
この老兵も、そして上空の若き『疾風』も、本物のライダー達はいつだって私に勇気をくれた。
私にも、まだやるべきことがある。
あの少年なら、あの日に封印した翼をもう一度空に帰してくれるかもしれない。
人の諍いなど越えた、どこまでも蒼い、気高き精霊たちの空へ。
「ホーディッツさん、先程の手帳ですが…」
「ん? なんだ、ありゃぁ……馬鹿な! 嬢ちゃん、ドクター、飛び降りろ!」
私の言葉に返ってきたのは、カキザキの、それまでとは明らかに違う危機迫る声だった。
決意は、一瞬の後に訪れた砲弾によって、トラックごとひっくり返されてしまった。