FILE 10
公私共に忙しくなって随分と長いこと間が空いてしまいました。
やっと落ち着いてきたのでこれからまた少しずつ更新していきたいと思います。
よろしくお願いします。
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正午。
レース場のスタンドは観客で一杯だった。
私は腕につけた『プレス』の文字をフルに使って、少しでも良い観戦スポットを探していた。
だから、その声をかけられた時は何でこんなところに、と正直に顔に出てしまった。
「ホーディッツさん! こっちですよ!」
声の主はタカギだった。
報道関係者でもなかなか入れないようなブースでこっちに向かって手を振っている。
「どうしたんですか? こんな場所で?」
まだ驚いた顔のままで聞く私に苦笑しながら、
「昔からの知り合いがいましてね、餅は餅屋といったトコロですかな」
と返す。
まあ、Broomに関してはこれ以上ない専門家だろうけど…。
「どうですか? ご一緒に」
なんか、これってナンパみたいじゃない?
心の中でそう考えて、ちょっとおかしくて笑ってしまう。
「どうしました?」
「いえ、なんでもないんです。いいですか? ご一緒させていただいても」
「もちろんです。一人で見るよりも、若い方の意見を聞きながら見たほうが楽しいですからな」
そう答えるタカギは、まるで子供のようで、今でももう充分楽しそうだった。
「それじゃ、お言葉に甘えさせていただきます。…でも、これって凄いお金持ちでもできない贅沢ですよね。だって、あのタカギ博士の解説を聞きながら観戦できるんですもの」
ほかの報道関係者には絶対に言えないけど。
「いや、いや。私なんかはもうとっくに引退した年寄りですからな、現役の記者さんの鋭い意見を聞くほうがずっと楽しみですよ」
う…、ちょっとプレッシャー。
「お、そろそろスタートのようですよ」
タカギがコースを指差す。
縦に並んだシグナルが、赤から黄へと変わる。
スタンドに一瞬の静寂。
シグナル・ブルー。
カテゴリSのライダー達の愛機が放つ轟音が渦を巻き、スタンドの歓声が爆発する。
「いけー!」
思わず叫んでしまう。
タカギも隣りで子供のように腕を振り回して叫んでいる。
これがBroomレース。
これが箒乗り達をレースへと駆り立てる熱狂。
7機の、機械仕掛けの箒にまたがった、現代の魔女ならぬ箒乗り達の戦いが始まった。
Broomレースでは、スタートでどの位置につくかによって展開が変ってくる。
スタートでトップに立った場合は抜かれなければそれだけでポイントになる。だからひたすら逃げる。
そして、後方のライダーは前のライダーをひたすらに追う。
後方からパッシングを当てれば相手のポイントをぶん取れるからだ。
前の箒のケツにつき、パッシングを当ててランキングボードから墜とす(おとす)。
その為に、箒乗り達は実戦さながらに、加速し、上昇し、旋回し、ロールをきる。
俺の97式戦闘偵察箒改は、後方から2番目の位置にいた。
今のこの箒なら、スタートからトップをとらなくとも前の箒を抜いていける。
この前までのくたびれた加速ではできなかったレース運びだ。
それに、帝国の撃墜王の動きを見ておきたかった。
「…ってのに、その撃墜王が最後尾をとるとはね」
スタート直後からヴァルターは最後尾に陣取って他のライダーの様子を窺っている。
いや、前を飛んでいるライダーたちの力を計っているといったところか。
後ろを気にしながら、前方に浮かんだ障害物……魔術師が作った、触れた瞬間に爆発する風の塊。当たっても、それで直接死ぬことはないが、箒ごと吹っ飛ばされて無事でいられるとは限らない……を使って揺さぶりをかけてみる。軽いロールと旋回。
「……」
ヴィーザル帝国製の箒は苦も無く俺の動きをトレースし、こっちのケツについて離れない。
撃墜王は伊達じゃないか。
「なら、このままトップまでご一緒いただきましょうか。どうせなら先頭でやりあった方が盛り上がる」
俺は軽く機首を下げ、加速姿勢をつくってアクセルを一気にあけた。
景色が背後に飛び、障害物が俺めがけて突っ込んでくるかのごとく迫る。
目の前の97式が急加速を始めた。
ピットで見た時もかなり手の入っている機体だと思ったが、実に気持ちの良い加速だ。
私はギアを一つ落とし、ミスティルティンを加速させた。
上昇力と運動性が自慢のこの機体は、加速力でも決して他の機体にひけをとらない。
「見せてもらおう、『疾風』の字名を継ぐ者がその名に相応しい力の持ち主であるかを」
久し振りに体が熱くなるのを感じた。
機体をロールさせながら障害物をかわしていく自分の口元が、心なしか緩んでくる。
ソラ・アサヒナの箒が描く航跡は実に見ていて気持ちが良い。
少年らしい思い切りのよさと、技術に裏打ちされた自信。
障害物の間を軽やかなロールで抜け、前方の機体にパッシングを当てながら、ラインが重ならないように3次元的な追い抜きをかける。
まるで一匹の若い龍がコースの空間を縫って飛んでいくかのようだ。
「良い腕だ。…だが、まだ若い」
私はソラの後についてロールをきりながら、タイミングを計る。
「ハインラインの騎士の剣は甘くはない」
前方に先頭を飛ぶ最新鋭のスポーツブルームが見え、ソラがパッシングにかかる。
「終わりだ」
凄いレースだった。
最後尾でスタートしたソラとヴァルターは、空中をうねるようにラインを描き出し、次々と障害物の間を縫って順位を上げていく。
私が観客の熱狂の中で、タカギが漏らした感歎の溜息を聞き逃さなかったのは本当に偶然と言っていい。隣りにいるのに会話もできないくらいの喚声が上がっていたのだ。
「大したものだ。あのセッティングができてから3日と経っていないだろうに…、もう完全にあの扱い難いブレードをモノにしてしまっている」
私はタカギに体を寄せた。
「タカギ博士はソラの機体のブレードのことをご存知なんですか?」
「? ホーディッツさんはソラ君とは?」
「一度、あのBroomに乗せてもらいました。彼はスペシャルパーツだって言ってましたけど…」
「そうですか…」
タカギはちょっとだけ遠い目をしてからソラの箒に視線を戻した。
「あれはおそらく私が昔、試作したブレードの内の一つです。扱いづらくてボツになったものですが…」
「あれが…失敗作ってことですか? でもあんなにすごい加速だし、目で追うのも大変なくらいクルクル旋回してるじゃないですか」
「はは、あれは純粋にソラ君の腕ですよ。だから私は驚いているんです」
ウソ…、ソラってそんなにすごいの? タカギ博士が褒めっ放しじゃない。
コース上ではソラの機体とヴァルターの機体が激しくロールを繰り返しながら、トップの機体に迫ろうとしている。
タカギは構わずに続けた。
「…でも、あれは失敗作なんです。当時、軍の開発者だった私はそう判断しました。兵器とは誰でも同じように扱えて、なおかつその性能を発揮できるものでなければならないのです」
「兵器…」
苦々しげな表情で一つ頷くタカギ。視線はソラとヴァルターの箒を追い続ける。
「そう。私は人殺しのための道具を開発していたんです。Broomを、人殺しの道具にしてしまった」
「……」
タカギの言葉には重く後悔の念が沈んでいる。
タカギ博士の経歴は今でこそTypeZEROの開発者として知られているが、もともとは純粋な研究者で、スポーツBroomの開発者として知られていた。
「戦争が終わって、こうしてまたBroomはレースの世界に戻りましたが、各国では今でも軍用機の開発が続いている。私が一線を退いたのはただ耐えられなくなって逃げ出したかったからなんです」
「タカギ博士…」
タカギの表情が暗い。さっきまであんなに楽しそうだったのに。
戦争から10年。いろんな所でいろんな人たちがまだ悩んでいる。
「…あ……機体……空へ…ることは……」
タカギはまだ何事か呟いていたが、一層大きくなった喚声にかき消された。
「ソラ!」
トップを飛ぶ最新型のスポーツBroomを射程に捉えた。このレース場の常連、お金持ちのフィーン坊ちゃんの箒だ。
ヴァルターは相変わらず、わずかにこちらを射程の外において後ろをついてくる。
「とりあえず、トップに出させてもらうとするか」
俺は97式のアクセルをさらに開き、フィーンの機体の航跡に斜めに絡むラインをとる。
「いただき!」
パッシング。
そしてそのまま、最新型のBroom の下を擦り抜けるように機体を加速させて追い抜く。
さあ、後は撃墜王との一騎打ちといかせてもらおうか。
「?」
なんだ?
ヴァルターの機体の気配が無い。
「なっ!」
フィーンの機体の上、2機のラインを断ち切るような角度で降下してくる機体。
ヴィーザル帝国製の局地戦用攻撃箒…ヴァルター!
「クソッ」
俺は機体をロールさせてラインを変えるが、降下してきたミスティルティンは嘲笑うかのようにパッシングを当てて2機をパスしていく。
やられた。
フィーンの機体はバランスを崩してフラフラと後退していく。
ヴァルターの機体はすでにこちらの射程の外だ。
撃墜王め……やってくれる。
見事なライディングだった。とても20歳前の少年が乗っているとは思えない。
しかし、ラインどりがまだ若い。
私はソラがトップの機体を抜きにかかるのに合わせて、ミスティルティンを上昇させた。
トップの機体を挟む形でソラの死角に入る。
ソラの97式がロール。
私の機体は機首を下げ、ソラの機体とトップの機体のラインに頭をねじ込む。
「クソッ」
爆音の中でソラの怒声が飛ぶ。
坊や、まだまだだな。
私は構わず2機の飛行ラインを寸断するように機体を加速させる。
「これで私がトップということになるが……まだだな。これで終わりでは物足りん」
呟き、視線をチラリと後方に向ける。
ソラの97式が体勢を立て直しながら加速を始めようとしていた。
私はアクセルをわずかに開き、加速姿勢をとる。
「…坊やにコレがかわせるかな?」
私の箒の風に喰らいついてくるかのように、ソラの機体の風切り音が高まる。
急加速。
97式がこちらを射程内に捉え、墜とし(おとし)にかかる。
パッシングがくる。
その瞬間、私はもう一度騎士の剣を抜き放った。
俺は飛行ラインを遮られて失速しそうになる97式をなんとか立て直し、一気にアクセルを開いた。
風が唸りをあげ、箒から俺の体を引き剥がそうとする。
10メートル程あった距離をまるで飛び越えたかのような加速。
機首を下げて逃げようとするヴァルターの機体が迫る。
「逃がすか!」
射程に入る。
パッシング……
「な!?」
目の前に突然コースが開けた。
パッシングを当てるはずの機体がいない。
どこに!?
瞬間、背後に風。
「後ろ……だと!」
一瞬で視界から消えたヴァルターとミスティルティンは、まるで魔法のように俺の機体の背後に現れた。
何をやった? いや、今は奴の機体の射程から出るんだ!
生まれ変わった97式のブレードに望みを託し、ヴァルターを振り切りにかかる。
最大加速。
エンジンとブレードが震え、唸る。
トップスビードから旋回。
浮遊する障害をわずかにかすめ、飛行服が焦げ臭い匂いをあげる。
ロール。
ヴァルターはまだ後ろにいる。
わずかに射程の外。
徐々に距離が開いている。
機体のトップスピードでこちらが上回っているんだ。
今のうちに考えろ。
奴は何をやった?
加速姿勢から……こちらが射程に入った瞬間、消えてみせたのはどんなペテンだ?
上昇。
ついて来い。
このままイイところだけくれてやるつもりはない。
次の障害で勝負をかける。
「タカギ博士、ソラが!」
私は目の前で繰り広げられている、王都でも見られないような激しいレースに瞬きすることすら忘れて見入っていた。
「ハインライン・ホイップ…」
「え?」
タカギの呟きをよく聞きとれなかった私は思わず聞き返す。しかし、高木は構わず続けた。
「今、ヴァルターさんがやって見せた技です。Broomは実戦でも後ろをとった者が有利なんです。前を飛んでいる者は後ろにつかれた状態からいかに相手をかわすかを常に考えます。ハインライン・ホイップはヴィーザル帝国の撃墜王、ハインラインの騎士と呼ばれたヴァルター・グッピナスの得意技で、相手を振り切るために加速姿勢をとった状態から、予備動作無しに、フワリと浮き上がるようにブレーキングし、相手の背後をとる技です。加速して逃げるところを追おうとしていた相手は、浮き上がった機体を追い抜いてしまい、背後を取られてしまいます」
「そんなことが今、目の前で……」
「はい。私もここまで見事なものを目にしたのは初めてです」
ソラ……大丈夫って言ったよね。
私は猛スピードでヴァルターの機体から逃げるソラの箒に、祈るような気持ちで視線を戻した。
ソラは宙に浮かぶ障害をかすめながら徐々にヴァルターの機体を引き離していく。
がんばれ! もうちょっとだよ!
「…ソラ君は何かやるつもりのようですね」
「え?」
タカギの目が、ちょっと前までの沈んだ陰のあるものからレース前に見た子供のような輝きをもったものに戻っていく。
「レースももう終盤です。ソラ君は先ほどヴァルターさんにパッシングを当てられていますが、ヴァルターさんはパッシングをもらっていません。勝つには何とかしてヴァルターさんをかわし、後ろを取らなければ……」
「でも、どうすれば…」
タカギは顎に手を当て、難しそうな顔を作る。それでもなんだか楽しそうだ。
「普通にやってもハインラインの騎士はかわせないでしょう。いくつもの戦場で何人、何十人、いやもっと多くのライダーを沈めてきた人ですからね」
「じゃあ……」
私はもう頭が一杯で何が何だかか解らない。
タカギはそんな私にチラリと目をやり、今度はしっかりと笑顔を見せる。
「大丈夫。それでもソラ君は何かやってくれそうな気がするんです。ソラ君なら……私が諦めた翼をもう一度空に帰してくれた彼なら、何かやってくれそうな気がするんです」
「タカギ博士…」
「見ましょう。一瞬も目を離さず。彼の能力を信じましょう」
「…はい」
ハインライン・ホイップは完璧な出来だったが、ソラの機体の速度が予想以上に速かった。追ってきた機体をかわしてもう一度パッシングを入れるつもりだったのが、一瞬で射程の外に逃げられた。
「なかなか面白いな。だが、このまま見逃すほど私は甘くない」
ミスティルティンを最大速度まで加速させ、猛スピードで逃げるソラの97式を追う。
ソラはかなりギリギリのラインをとっているようだ。浮遊する障害をわずかにかすめながら飛んでいる。爆発させないのは大したものだが、いつ吹き飛んでもおかしくはない、危険極まりない飛び方だ。
「やはり、『疾風』の名を継ぐにはまだ若すぎるようだな」
訳も分からず背後を取られた事でパニックになったか。
戦場では冷静さを失った者から墜ちていく。
そんな場面を私は幾度となく目にしてきた。
「坊やがケガをする前に墜としてやるのがせめてもの情けといったところか。『教授』も納得してくれるだろう」
ソラが上昇をかけながら大型の浮遊障害に迫る。ギリギリのところでロールをきってでかわした。そのまま障害の陰へ。
「無駄だ。空には逃げ場など無い」
私は最大速度のまま機体をロールさせ、ソラの航跡を追った。
「?」
音が無い。
正面上方にあるはずのソラの機体の甲高い風切り音が…消えた?
障害をかわす。
「なに!」
いない。
そこにあるはずの97式が飛んでいない。
「どこに?」
…と突然、後方下から旋風が巻き起こる。
「下だと!」
そこに、こちらに機首を向けた97式とソラの自信に満ちた顔があった。
距離はジャスト3m。
パッシング。
やられた。
ソラはそのまま加速して私を抜き去っていく。
「…く、くくく、くははははは」
やられた。
この私が、あんな坊やにしてやられた。
悔しいというよりも腹の底からおかしかった。
戦場では2度目は無い。
私は一度ソラの機体を墜とした時点でもう満足してしまっていたのかもしれない。
彼の実力を見誤り、パニックを起こしていると判断して安易に墜としにかかった。
だが、彼は死んではいなかった。
己の爪を隠し、最後まで私を墜とすための力を溜めていた。
「一本取られた。さすがにアイツの息子だけあって諦めが悪い」
私は笑いながら飛び続けた。
ソラの機体は既に遥か前方を飛んでいる。
もう、追っても届く距離ではなかった。
メインスタンドの前で、大きくチェッカーフラッグが振られる。
ランキングボードの最上段には『ソラ・アサヒナ』の名が表示されていた。