魔王様の報復〜陛下、私を断罪するのはやめたほうが。どんな反撃をくらうか分かりませんよ?
「ヒルデガルト・シュナイダー!!」
ステージ上から国王ザインがびしりと私を指さし、叫んだ。
彼に腰を抱かれた義妹カミラがにやりと笑う。
これはなんだか、すごくイヤな予感がする。
そう思った直後、ザインはさらに叫んだ。
「貴様は偽聖女だそうだな! 今このときをもって貴様のすべての権限をはく奪し、我が国から追放する!!」
ウソでしょ。
私が偽聖女で国外追放? こんな宣言をザインがしたら――
この先に起こるかもしれない事態を考えて、背中に冷たい汗が流れ落ちた。
◇
うん、いい天気ね。
絶好の建国祭日和といえる。
五月晴れの空はどこまでも青い。
多少の不安や心配事なんて、忘れてしまいそうだ。
聖女になって三回目の大舞台。
気合いを入れて、がんばろう。
そう思って貴族たちの合間を縫って、建国際会場である王宮の庭園をサクサクと歩いていると――
「あら、見て。あの方がシュテルン国王じゃないかしら」
うそっ?
背後から聞こえた声に振り返れば、確かに彼がいた。隣国シュテルンの若き王ベルンハルト。両脇に従者を従え、壮年の男性と話をしている。
昨晩の前夜祭にはいなかったから、きっと今朝到着したのだろう。爽やかな日差しの中にたたずむ彼は、とても目立っている。
国王のくせになぜか一般貴族に混じっているから。
――というわけじゃない。
彼は昨年即位したばかりで、我が国の公式行事に参加するのは初めてだ。だからシュテルン国王の顔を知る者は少ない。
それでも誰もがすぐに彼がシュテルン国王だと気づく。というのも――
「……やっぱりウワサは本当だったのね」
「……いいオトコなのにねぇ」
「ええ、まあ。……婚約者はいないのでしょう? あれさえ気にしなければ、素晴らしい結婚相手よね。たぶん……」
令嬢たちは、なんとも言い難い表情と声、そして遠い目で隣国シュテルンの王を見ている。
うん、わかるわ。その気持ち。
まだ二十二歳のシュテルン国王は、目を見張るほどの美貌の持ち主だ。理知的な顔立ちとそれを彩る艶やかな黒髪。瞳は黒曜石のように黒く輝き、肌は陶器のように白くなめらか。細身の体は意外にもしっかりしていて、王者の風格がある。
常に冷淡そうな表情をしているけれど、どうしてなのか、彼には匂い立つような色気がある。
本当に他に類を見ない、完璧な容姿なのだ。
――なのにっ。
それなのに、美しき彼のファッションセンスはっ!!
完全に壊滅的!!!!
大崩壊!!!!
彼のコーディネートは常に黒と赤の二色しかない。飾りで金銀が入っているときもあるけれど、そんなものは大海に落とした一滴の雫程度の存在感。
なにしろ問題があるのは色だけじゃない。
服のデザインも普通じゃないのだ。
元は一般的な王侯貴族のものなのだけど、それがだいぶおかしくなっている。
これでもかっていうくらいに、ひらひら、バサバサした布とか、飾り紐とかよくわからない装飾品とか、うまく表現できないものがたんとついている。
そして絶対にはずせないのが、マント。
これももちろん、普通じゃない。装飾たっぷり、毛皮やらキラキラやらがついている。
それをバッサバッサ、上手にさばきながら動く。
今日のマントは真紅で、襟元に豪勢なファーがついている。
今は五月で暖かいのにね……
「……あの服の趣味さえなければ……」
「さすがにちょっと恥ずかしいわよね」
残念そうな顔の令嬢たち。
「でも、中身もまずいって聞いたけど」
ひとりの令嬢がおずおずと言う。
「なんかね、あの陛下、『自分は魔王の生まれ変わりだ』って言ってるらしいわよ?」
「うそお!」
「それは痛い!」
「だからこそ、あのファッションなんですって」
「うわぁ……」
令嬢たちは口々に叫んで、痛々しいものを見る目でシュテルン国王を見ている。
うん、その気持ちは本当によくわかる。
それさえなければ、完璧なヤツだもの。
まあ、それがあったからといって、彼の凄さは減りはしないけれど。
私はため息をつくと、踵を返した。
彼や令嬢たちに割く時間はない。
『あんまりさ、残念がらないであげなよ』
可愛い声が、頭の上から降ってくる。見上げると自称聖獣のグライが、パタパタと飛んでいた。
どうして自称かというと、記録上聖獣が存在したことがないからだ。
しかもグライは聖獣というイメージとはあまりにかけ離れている。
だってグライは、白くて丸々とした可愛い綿毛みたいなんだもの!
その綿毛からちょこんと突き出た黄色いくちばしと、申し訳程度についた小さな羽で、かろうじて鳥だとわかる。
でも自称聖獣のグライは私と、神聖力が高いわずかな神官にしか姿が見えない。声が聞こえるのは私だけ。
だからやっぱりただの綿毛でも鳥でもないのだと思う。
『そういう自分も、可哀想なものを見る顔だけど?』
私が心の中でそう告げると、それを読み取ったグライは、はぁあっとため息をついた。
『ぼくが哀れんでるのは、君たちとは違った意味だよ?』
『どういうこと?』
首をかしげてグライに尋ねたとき、横から「聖女様」と声がかかった。神官だった。
グライが見える神官で、私とグライに丁寧に挨拶をしたあと急ぐよう促した。
今日は建国祭。我がエルデ国で――というより世界でただひとりの聖女である私には、大事なお役目がある。日々の安寧を神に感謝し、舞を奉納するというものだ。
事情を知らない他国の人間には、よく『聖女のわりには、地味な仕事だ』と思われる。
でも私にできるのは、これしかない。存在することに意義があるだけで、聖女の力はなにもないのだ。
神官に伴われて、この日のために設けられたステージに向かう。
宮殿を背にしたもっとも映える場所にステージがある。その周囲は王侯貴族エリア。その外は一般エリア。
今日は建国祭だから、普段は王侯貴族しか入れない宮殿の庭園が、特別に庶民にも開かれていて、誰でも見学できるのだ。
『ねえ、ヒルダ』
『なあに、グライ』
『本当に、聖女は存在することに意義があるんだよ?』
足を止めて、グライに微笑む。
『大丈夫、わかっているわよ』
それから神官に遅れないよう、すぐに足を進めた。
かつて。まだ我が国がなかったころのことだ。
邪神が現れ世界を滅ぼそうとし、それに立ち向かったのが人間の勇者と、魔物の王であるドラゴンだった。
それまで両種族は敵対していたが、世界の危機にふたりは手を結ぶ。そして死闘の末、自分たちの命と引き換えに邪神を倒した。
ところが倒された邪神の体は、生きるものすべての命を奪う瘴気へと変わり世界を覆う。
王を亡くしたためなのか、魔物はすべて消滅。人間にも勇者ほどの神聖力を持つ者はいない。
今度こそ世界は滅亡かと思われたが、乙女が祈りを捧げると不思議なことに瘴気は消えた。
『勇者と聖女の伝説を習わない国民はいないわ。義務だもの』
建国にも関わってくるので、貴族でも庶民でも必ず習う。そのため教育の場になる神殿には、どんな規模のところでも、必ず伝説に関する壁画がある。
たいていは邪神討伐に向かうドラゴンと、グリフォンに跨った勇者が天翔けるものだ。
『でも信じていない人間が増えたよね』
グライは深いため息をつく。
『そりゃ千年近くも前のことじゃ、仕方ないんじゃない?』
『瘴気は今も存在しているんだけどなあ』
そうなのだ。初代聖女は瘴気を消し払うことはできなかったらしい。できたのは、毒素を無害化することだけ。
それ以来、神となったドラゴンと勇者に選ばれた乙女が、瘴気無害化を担っている。これが滞れば瘴気は再び有害なものになり、世界は滅ぶらしい。
『でもね、いるだけでいいというのがね。祈るとピカッと光るとかのパフォーマンスがないと、信じるのは難しいわよ』
『聖女の負担を考えて、簡略化したらしいんだけどねえ』
グライによると、聖女がひとりで祈り続けるのは大変だと考えたドラゴンと勇者が、神に序列されたあと、存在するだけで瘴気が無害化されるように加護を変えたのだという。
だけどそれだと聖女の必要性がわかりづらい――と神殿が判断して、聖女は祈ったり舞ったりというパフォーマンスをするようになった。
『そう考えてくれた気持ちはありがたいのよ。ただ、今の時代には合わなくなってしまったというところかしら』
現在は邪神も魔物も勇者も存在しない。いるのは普通の人間と変わらない聖女だけ。神聖力で瘴気を無害化していると言っても、目には見えない。
となれば聖女なんている必要ないよね?と考える人間は出てくる。
当然のことだと思う。
私だって聖女になる前は、そう考えたことがあるもの。
聖女になった日のことを思い出して、胸の奥が痛んだ。
三年前の十五歳の誕生日の朝、胸元に、昨晩まではなかった五弁の赤い花のアザが出現した。
すぐに聖女の印だとわかった。
その数日前に高齢の聖女が死去し、近いうちに新しい聖女が誕生するとのお触れが出ていたのだ。
自分が新聖女だとわかったときは、絶望した。
聖女はすべからく保護のために王族に嫁ぐものと法律で決まっていたからだ。
できることなら逃げ出したかった。けれど新聖女誕生は、神殿にも神託で知らされる。逃げるなんて不可能だった。
あの日のことを思い出すと、今でも胸が苦しい。こらえていないと感情が荒れ狂い、涙が溢れそうになる。
伯爵令嬢だった私には、結婚を誓い合った幼馴染がいた。婚約こそはまだだったけれど、お互いの両親の了承は得ていて、婚約を結ぶに良き日を待っている状態だった。
脳裏に「なぜなんだ!」と歯ぎしりして悔しがる彼の姿がよみがえる。ふたつ年上の彼もやはり伯爵家の子息で、王宮の慣習を覆せる力は持っていなかった。
『元気出して、ヒルダ』
グライが肩にとまって、嘴で私のほほを軽くつついた。
『大丈夫。世界を守る聖女を不幸になんてさせないよ』
『……ありがとう』
グライは優しい。だけれど彼もまた、なんの力も持っていない。私のそばにいて、良き話し相手になってくれるだけ。
すてきなお友達だとは思うけれど、頼ることはできない。
でも――
再び脳裏に幼馴染の姿が浮かぶ。
三年前のではなく、今現在の――
◇
ステージの元につくと、上着を脱いで神官に渡した。
聖女の正装になり、ステージ正面にある待機位置に立つ。
その際に不安そうな顔をしたブレヒト伯爵と目が合った。その隣の夫人も心配そうに私を見ている。きっと私を伴うのが例年とは異なり、神官だったせいだろう。
ブレヒト伯爵夫妻は幼馴染の両親だ。もともと夫婦そろって私を可愛がってくれていたけれど、昨年私の父が事故で他界してからは、更に親身になってくれている。
彼らににこりと微笑みかける。ふたりの不安が和らぐよう祈りながら。
そうこうしている間に、近衛兵にかつがれた輿がステージに到着した。専用の台に置かれたそれから、即位したての国王が女性——私の義妹、カミラを伴って降りてくる。
予想されていたこととはいえ、参列客の間には微妙な空気が流れた。
私は全身に参列客の視線をあびながらも、毅然と前を見据える。
『やっぱり!』
グライが私の肩に止まって、怒りの声を出す。
『あのクズ、聖女という婚約者がいながら愛人を連れて登場するなんて。頭が沸いているんじゃないの? ……って、ヒルダは冷静だね。腹が立たないの?』
『陛下が迎えを拒んだときに予測できたもの』
現国王ザインは私の婚約者だ。先代の陛下がそうお決めになった。婚約まで秒読みの相手がいると伝えたけれど、王に従えと叱られただけだった。
先代国王は悪い人間ではなかったけれど、出来の悪い一人息子ザインを溺愛しており、世界で最も貴重な女性を息子に嫁がせるのは当然のことだと考えていたのだ。
ただ。ザインのほうは、そうではなかった。私は彼の好みの容姿ではないからだ。
私の見た目は、悪くはないけれどとびきりよくもない。その上体型も凹凸がゆるやか。そのせいで実年齢よりも幼く見える。
派手な爆美女が好きなザインからしたら、不良債権を押し付けられたようなものらしい。
面と向かってそうなじられたのだから、確かだ。
それでも先代がご存命のころは、王族の務めとして聖女との結婚を受け入れているような態度をとっていた。
それが私の両親と国王陛下が相次いで事故でなくなると、露骨に私を疎んじるようになった。
代わりに寵愛し始めたのが、今彼の隣で勝ち誇ったような顔をしている義妹のカミラだ。
彼女は四年前にお父様が再婚した女性の連れ子だ。ちょっと派手なものと異性が好きすぎるようだったけれど、それをのぞけばいい子だと思っていた。
でもそれは、お父様の手前、猫をかぶっていただけらしい。お父様とお義母様が亡くなると、すぐさま本性を現した。私の婚約者であるザインを寝取ったのだ。
ちなみにこれも、当事者ふたりから告げられたので確かなことだ。
ふたりは今、ゆっくりと中央へと進んでいる。国王の手はカミラの腰にまわされ、べったりと密着している。
『別にザインのことなんて最初から嫌いだから、愛人を連れていようが私をないがしろにしようが、構わないの。でも、今日だけはやめてほしかったわ』
グライが『そうなの?』と私を見る。
そう。だって私の愛する幼馴染がこの会場に来ている。
彼には私の現状を知られたくなかったのだけど、これで知られてしまった。
きっと心配して、なんとかしようとするはずだ。それだけは止めないと。
大事になったらブレヒト伯爵にまで迷惑がかかってしまう。
『あ、見て!』
叫んだグライが肩から飛び上がる。
どうしたの、と聞くまでもなく彼が驚いたものがなにかわかった。
カミラの大きく開いた胸元に赤い花のアザがある。私のものと瓜二つだ。
『参ったな』と、ぼやくグライ。『ぼくはさ、幼体だからあれこれ禁じられているんだけど……』
「え?」
カミラのアザを凝視していた私は、耳に入った言葉を一瞬遅れて理解する。
「幼体……?」
今グライが言ったヨウタイとうい言葉。幼い子供という意味の幼体?
前々からグライは可愛いと思っていたけど、子供だったの?
ああ、でも今はそれどころじゃなくて。カミラのアザが――
「ヒルデガルト・シュナイダー!!」
ザインがびしりと私を指さし叫んだ。
「貴様は偽聖女だそうだな! その聖女の印は入れ墨だというじゃないか!」
「ええ?」
『はあぁぁぁ?』
「とぼけるな!」ザインが醜悪な顔で叫ぶ。「お前は聖女の名誉と私の婚約者の地位を得るために、真の聖女を脅し印を隠させたうえ、自分の肌に印を彫った。すべてわかっているのだぞ!」
『なにそれ。カミラを妻に迎えたいからって、そんな噴飯もののシナリオを考えたっての?』
グライが羽根をぱたぱた激しく動かしながら叫ぶ。
この動きは怒りが限界突破しているときにやるものだ。相当怒っているらしい。
それに比べて私は、ただただ呆れていた。
こんなアホな嘘が通じるはずがない。聖女誕生は、神殿にお告げがあるのだ。最高位に当たる大神官がそれを聞く。しかも彼を含め、私に聖獣がついていることを視認している神官が五人。
これでどうして私が偽物だなんてウソが通じると思っているのだろう。
呆れて反論しようとしたそのとき、カミラがにやりと笑った。
その隣でザインが叫ぶ。
「大神官をはじめとして、お前が聖女だと証言した者たちは、脅されてウソをついたと白状したぞ。すでに投獄済みだ。残るは――」
私を案内してくれた神官が、蒼白な顔でふるふると首を横に振る。
「な、なにをおっしゃいますか陛下。彼女は確かに本物で、聖獣様も今そこでお怒りですよ! ウソなどついておりません!」
「不届き者め! 真の聖女はこのカミラだと次席神官が認めたのだぞ!」
ステージ脇で、名前をあげられた次席神官が大きく頷いた。
『あーー! あいつ、前からわいろやら規則破りやらやりまくっていた生臭坊主じゃん!』
グライが聞いたことのないほどの大声で叫んだ。けれどその声は私以外の人間には聞こえない。
「偽聖女とその仲間の神官を捕えよ! 今このときを持って聖女のすべての権限をはく奪し、我が国から追放する!! 抵抗するなら切り捨ててもよい!」
国王の命令を受けた近衛兵が、突撃する勢いで駆けてくる。
あ、これはマズいかも――
そう思った瞬間だった。目の前にバサリと深紅のマントが翻った。
どこから現れたのか、隣国のシュテルン王ベルンハルトが私の目の前に立っている。
彼越しに見えるステージ上のザインとカミラも驚いたような顔でフリーズ。近衛たちも石像にでもなったかのように、ぴたりと動きを止めていた。
「ちょ、ちょっと落ち着いて……」
シュテルン王の背中に囁く。けれど返ってきたのは返事ではなく――
「エルデ国王よ」
よく通るバリトンボイスがあたりに響き渡る。
「な、なんだ、シュテルン国王」
ザインは気圧されたように怯みながら、上ずった声で答えた。
「この度は建国祭への招待、誠に感謝する」
『ほえ?』
グライがおかしな声をあげた。私も思わぬ言葉に拍子抜けする。けれど絶対にこれだけでは済まないはず――
「う、うむ。こちらこそ、うむ」
ごにょごにょと、意味のない言葉を返すザイン。まったく。
弱いものにしか強く出られないのがまるわかりだわ。
カミラがそんなザインに、しっかりしてとはっぱをかけている。
「エルデ国王は、こちらの聖女ヒルデガルト・シュタイナーは偽聖女だというのだな?」
「そ、そうなのだ! 我々エルデ国民は彼女のウソに騙されていたのだっ!」
我が意を得たりとばかりに、胸を張って主張するザイン。
「そうか」
シュテルン国王が深く頷いた。頭の動きに沿って、艶やかな黒髪がさらりと流れる。
こんなときなのに、久しぶりに目にするそれに「きれいだなあ」とつい見惚れてしまう。
「では彼女の身柄は私が引き受けよう」
「は?」
「エルデ国王にとって、彼女は偽聖女なのだろう?」
「ああ、そうだ」
「ならばぜひ、彼女を私のドラゴンに捧げたい」
「「「はい?」」」
さすがに声が出た。
ザインとカミラもだ。ふたりはすごく間抜けな顔をしているけれど、きっと私もだ。
だって意味がわからないもの。
「周知のとおり」と気にせず話を進めるシュテルン国王。「私の前世は魔王だ」
ザインとカミラの顔が引きつる。
成り行きを見守っている建国祭の参加者からも、笑い声のようなものが漏れ聞こえてきた。
「だからな、かつての盟友に貴重なる聖女をささげたいのだ」
嘲笑はさらに広がり、ザインとカミラは完全にシュテルン国王を嘲る顔になった。
「神となったドラゴンが、果たして偽聖女をほしがるかな?」
ザインが小馬鹿にするように尋ねる。
「おや、シュテルン国王はドラゴンは一体しかいないと思っておられたのか? 邪神を倒したのは数多くいた中で特に正義感の強かった一体にすぎぬ。神殿教育の時間に習ったはずだが」
「そっ、そんなことはもちろん知っている! ドラゴンといえば神だから、そう考えたにすぎないっ!!」
『いや、あれは知らなかったくちだね』
グライがふよふよと浮かびながら笑う。
そんなことより、私はシュテルン国王が心配だ。ここで両国の軋轢に発展するようなことになったら、戦争が起こりかねない。
私は彼の深紅のマントを少しだけつまんで、引っ張った。
けれど彼は振り向かない。
「ではシュテルン国王。ヒルデガルト嬢をもらい受けたい。その見返りに私が王である限り、シュテルンはエルデが外敵の脅威にさらされた際に、兵を送ると約束しよう」
「なにっ」
ザインの目の色が変わった。貴族や官僚たちもざわつき始める。
エルデ国は北から東にかけての国境と隣接する、異教徒の国とつねに緊張関係にある。ここ二十年ほどは和平条約のおかげで平和を保てているが、いつ破綻するかはわからない。
そしてシュテルンは我が国の三倍の面積とそれ以上の経済力、軍事力を持つ。
そんな国が『偽聖女』を差し出すだけで後ろ盾になる。
これはいくら頭が軽いザインでも、とてつもなく有益な取引だとわかるだろう。
「よし、国王の言葉に二言はないな」
思わぬ展開にほくそ笑むザインが早口にそう言うと、シュテルン国王は「もちろん」と鷹揚に頷いた。
「では、せっかくだ。この場で聖女ヒルデガルトをドラゴンに捧げよう」
バサリと深紅のマントを翻して、シュテルン国王がターンした。視線がバチリと会う。
顎を引き三白眼になった彼は、なにか企んでいそうな悪い笑みを浮かべている。
そして私が「ベルンハルト――」と彼に手を伸ばしたのと同時に、彼は右腕を天に突き上げ空に向かって叫んだ。
「我が盟友、紅蓮ドラゴンよ! 魔王シュバルツェフラメはこなたに聖女ヒルデガルトを捧げよう!」
あらん限りの絶叫に、周囲がクスクスと笑う。
けれどそれはほんの一瞬のことだった。
天地を震わせるほどの轟音が鳴り響き、空から巨大な塊が猛烈な速さで落ちてきたのだ。
空気を割かんとする勢いに、風圧をくらって人々が次々と倒れ伏す。
気づけばきちんと立っていたのはシュテルン国王と、彼に腰を抱かれた私だけだった。
「な、な、な、な……!」
無様にしりもちをついたザインが、地面すれすれのところで突如静止した巨魁を指差す。
それは真っ赤な炎に見えた。
けれど少しづつ形を変え、やがて翼を広げた真紅のドラゴンとなった。
ドラゴンは大地を揺るがすような咆哮をあげる。
びりびりとする鼓膜。思わず両手で耳を塞ぐ。
「久しいな、紅蓮ドラゴン」
まるでなんの影響も受けていないシュテルン王が、気軽に巨竜に話しかける。
するとドラゴンは浮かんだまま、ぐいと顔を私たちに近づけた。
「この令嬢がお前に捧げる聖女ヒルデガルトだ」
「ほう。なかなかに可愛いな」
ドラゴンも気さくに答えて黒曜石のような目で私を見た。
なんだか全然状況が呑み込めない……。
けれど、淑女としてはとりあえずここは挨拶……よね?
耳を塞いでいた手を外すと、シュテルン国王に腰を抱かれたまま、ぎこちなくカーテシーをする。
「ヒルデガルト・シュタイナーと申します」
「うむ。私はかつて邪神討伐をした紅蓮ドラゴンだ」
本当に?と思うけれど。きっと本当なのだろう。それ以外になにがあるというのだ。
「ついでに教えておこう」と伝説のドラゴンは言う。「聖女の力の源は、私が死んだときに生成された魔石だ。それが邪神の攻撃で粉々になったものを偶然呑み込んだ人間に生じたのが、神聖力だ。聖女はその中でも特別相性がよかったものだ」
「えええぇっ! 初耳です!」
『長い年月の間に人間界では忘れられちゃったんだよ』
グライが羽根をぱたぱたさせながら言う。
「つまり聖女や神聖力の持ち主にとって紅蓮ドラゴンは父親みたいなものってことだ」
シュテルン国王が紅蓮ドラゴンの頬を気軽に叩く。
「そのとおり」
「というわけで聖女はお前に捧げた。だからこれからの加護は、エルデではなくシュテルンに頼む」
「「「「えっ!!!!」」」」
私を含め、あちこちで声が上がった。
「無論だとも、我が友よ。本物の聖女を確かに受け取った。今この時をもって、我はシュテルンを守る者となろう」
「ま、待って!」
髪を乱したザインが四つん這いで必死にステージ際までやって来る。
「ちょ、ドラゴン、あなたは伝説の神?」
「そのとおり」
「で、エルデの加護をやめてシュテルンの加護をすると?」
「そのとおり」
「だってお前はもう、聖女はいらないと言っただろう?」
シュテルン国王が冷ややかにザインを見下ろす。
「それからエルデの宰相。そこの愚王は本物の聖女を偽物と断じて、世界を瘴気で壊滅させようとした重犯罪者だ。野放しにしておいてよいのか?」
「ふぁっ!?」
ザインが素っ頓狂な声をあげて四つん這いのまま後ずさりする。
なかなか器用だけれど、血相を変えた宰相と彼に指示された兵士たちがすぐに彼とカミラを取り囲んだ。
それを見てドラゴンが大口を開けて笑った。
「せっかくこれだけの観客がいるんだ。ここで処刑したらいい」
「それは待ってください――!」
私が止めるより早く、制止する男性の声がした。ブレヒト伯爵だった。真っ青になっている。
「おや、父上。お久しぶりです。母上はどうされました?」
「あっちで気を失っている! ベルンハルト! いや、シュテルン国王陛下、お前は本当に魔王だったのか。いや、違った、この国をいったいどうするつもりなんだ」
うん、伯爵もだいぶ混乱しているみたいだ。わかる。私もだもの。
自分の息子が前世魔王を主張するだけでも頭が痛かっただろうに、幼馴染を王族に盗られるとわかると自分も王になると言い出し、しかも本当に即位してしまって。
あげくに本物の魔王で、伝説で神になったドラゴンを呼び出す(しかも親友)って意味がわかなさすぎる。
もともと彼はシュテルン国王の隠し子で、生みの母親の従妹だったブレヒト伯爵夫人に預けられたって経緯はあったらしいけれど。
でもそんな認知すらされていないところから国王になるって、しかもたった二年で、いったいどうやったというのよ。
幼いころから勉学も剣術もなにもかもが、完璧だったけれども。
私の幼馴染ってば、凄すぎない?
「どうもしませんよ、父上。ただ、エルデはシュテルンに併合します。もとよりそのつもりで今回は来ましたからね。国境に数万の兵を待機させております」
ひゅっと喉が鳴った。
そんな私にシュテルン国王になった幼馴染はほほえむ。
久しぶりに至近距離で見た彼の甘く美しい笑みに、ドキリと胸が高鳴る。
「私のヒルダを取り返すためなら、戦のひとつやふたつ、やぶさかじゃないよ?」
「待ってやめて。私のことで死者が出たらつらすぎるわ」
あまりの恐ろしさに、高鳴ったと思った胸が静かになる。
「でも、嫌がる君を王族に迎えることを止めなった貴族たちは、同罪だよね?」
「ベルンハルトぉぉぉ!! 私は君をそんな恐ろしい子に育てた覚えはないよぉぉぉ!!」
ブレヒト伯爵が泣きながらシュテルン国王に抱き着く。
「ええ、そうね。私の好きなベルンハルトはそんなことはしないはずだわ」
「じゃあ、我が得意のファイアブロスで焼き払おう! 神になってから戦っていないからな、わくわくするぞ」
「いいね、楽しそうだ」
シュテルン国王がドラゴンの言葉に笑顔でうなずく。
「ベルンハルト!」
私がにらむと、ベルンハルトは残念そうに肩をすくめた。
「だって私から君をとりあげたんだ。それにこの一年、あの能無し王子の君への態度はひどかったしさ」
「……どうして知っているの? スパイでもつけていた?」
私は聖女になって以降、幼馴染ともブレヒト伯爵夫妻とも連絡をとっていない。ザインや先代国王がへんに疑って、彼らに悪影響が出ることが心配だったのだ。
『はいはいはい、ぼくだよ』
グライが元気よく答える。
「え、グライが?」
「そう。君ひとりで王城に行かせるなんて心配だったからね」
にこりとするベルンハルト。
「私は悪くない――っ!!」
突然背後で叫び声が上がった。カミラだった。縄でぐるぐるまかれて拘束されている。そのとなりではザインも。
「その女は悪女なのっ! だから聖女であるはずがないの! だってお父様とお母様を事故にみせかけて殺したんだから! きっと陛下もそうよ!」
え……? どういうこと?
わめくカミラのとなりで、青ざめたザインがあわあわとしている。
「お父様たちは事故でないってどういうこと?」
「とぼけても無駄よ! ちゃぁんと証拠だってあるんだから!」
カミラが私をにらみつける。
でも意味がまったくわからない。
お父さまたちは、乗っていた馬車が雨上がりの橋でスリップし、川に落ちて亡くなった。馭者や同乗していた従者も一緒に。
「どこまでも悪辣だな」とベルンハルト。「仕組んだのはお前たちだろう。証拠はお前たちが捏造したもの。証人もお前たちが金でやとったもの。事故後すぐにシュテルンの密偵に調査させたから、間違いない。自分の母親まで殺すなど悪鬼の所業だ。で? まだなにかあるか?」
「……お父様たち、事故ではなかったの……?」
信じられない。
信じたくない。
ふらりと体が揺れた。すぐにベルンハルトが抱きとめてくれる。
「ごめん、ヒルダ。こんな話、ショックだよね。すぐにこいつら処刑するね? 仇は私が討つから」
「処刑……って、ちょっと待って!」
ベルンハルトは不思議そうに首をかしげている。
「ちゃんと全容解明してからがいい!」
「そう? ヒルダがそう望むなら、そうしよう」
◇
建国祭は中止となった。
けれど神への祈願と舞の奉納だけは行うことになった。紅蓮ドラゴンさんが間近で見たい!と望んだからだ。
捕らえられていた大神官たちを救い出し、まずは祈願をする。
その次は奉納舞だ。両手に鈴を持ち、神官が奏でる角笛に合わせてゆったりと踊る。
スローな動きはブレが目立つ。
体の軸を保ち、手足はしっかりと、かつ優雅に見えるよう動かす。簡単なように見えて、難しい。
神経を研ぎ澄ませ、筋肉をフル活動し、常に自分が他者からどう見えているかを意識しながら、音楽に乗って踊る。
そんな奉納舞が私は大嫌いだ。
でも聖女だから。
世界の全生命がかかっているから。
愛する幼馴染から離されても、私は歯を食いしばってがんばってきた。
すべての舞を終え、中空に浮かぶ紅蓮ドラゴンさんに一礼する。
「ブラボーー!! 見事だったーー!!」
両手をぱちぱちと叩きながら喜ぶ紅蓮ドラゴンさん。
その姿にホッとする。
「お気に召していただけてよかったです!」
『さっすが、ヒルダ!』
グライも嬉しそうにパタパタと飛び回っている。
「うん、本当にすてきだった!」
そう言いながら、ベルンハルトがステージ上にやってきて、私をギュッと抱きしめた。
大勢の観客がいるのに恥ずかしい!
照れているわたしの耳に、ベルンハルトが優しい声でささやく。
「ダンスも運動も苦手だったのに。ヒルダはものすごくがんばったんだね」
「ええ……」
ベルンハルトの言葉に、胸の奥が温かくなった。ひとりでがんばってきたことが、報われた気がする。
私も彼の背中に手をまわした。三年ぶりに抱きしめるベルンハルトは、記憶の中の彼よりずっと背が高く体つきがしっかりしている。まるで知らない人のようだけど、中身は私の大好きなベルンハルトのままなのだ。
「そうよ、すごくがんばったの。気づいてくれて嬉しい」
「ヒルダが私のすべてだからね」
ベルンハルトは少し離れてにこりと微笑むと、私を離してステージに片膝をついた。そして嫣然とした表情で私の手を取る。
ああ、これって……
でも、ちょっと待って。あまりに色気が駄々洩れすぎじゃない?
私を見つめる黒曜石のような瞳は、期待に満ちたようにきらきらと輝いていて。
子供のころから美しかったけれど、会わなかった三年の間にさらに美しくなっている。
ああ、もうダメあまりの神々しさに息が止まりそう。
「ヒルダ。君を愛している。私と結婚してほしい」
「……は……い……」
きっと求婚されるとわかっていたのに、胸が震えてうまく言葉が出ない。
観衆たちがわっと歓声をあげるのが、遠くに聞こえる。
「ありがとう!」
勢いよく立ち上がったベルンハルトは甘く蕩ける笑顔で私を抱き上げると、唇を重ねた。
彼とのキスは三年ぶりで。
大きな回り道をしたけれど、ようやく愛するひとと共にいられるのだわ。
ベルンハルトの首に腕をまわす。そしてキスを終えると、お互いに微笑んだのだった。
◇
ベルンのシュテルン併合は、スムーズに進んだ。国境に数万の兵——という事実よりも、神となった伝説のドラゴンを呼び出せるシュテルン国王コワイ――という恐怖が効いたらしい。
ザインとカミラは余罪がたっぷりありそうなので、すべて白状させて。それが終わったらひとつひとつの罪に対しての刑を順番に執行することになりそうだ。
「でもまさか本当に前世魔王だったなんてね」
ステージの片づけられた庭園を散歩しながら、ベルンハルトに微笑みかける。
今日も今日とて、彼は魔王衣装に身を包んでいる。先日は赤も使っていたけれど、今日は黒一色。重そうなマントをバッサバッサと見事にさばきながら、優雅に歩く。
「まあ、魔王の記憶があるってだけで、今は完全に人間だよ。なんの力もない」
「そうなの? じゃあどうして紅蓮ドラゴンさんを呼べたの?」
「友達だから。子供の頃から呼んで遊んでいたんだよ。さすがにみんなに怖がられるだろうと思って隠していたけどね」
ベルンハルトが言うには、紅蓮さんは気軽に地上に遊びに来れるらしい。建国祭のときの轟音やなんやかんやは、パフォーマンスだったんだって。
「伝説のドラゴンと友達ってことは、ベルンハルトは勇者とも知り合いだったの?」
「いや、勇者なんていなかったから」
「え?」
「いや、いたか。邪神を倒した勇者はいなかった。グリフォンに跨って天翔けたのは私だよ。長い年月の中で、人間の都合がいいように変わったのだろうね」
「ええええ!?」
その変化ってかなりひどいのではと驚いていると、グライがぱたぱたと飛んできた。
『はいはいはいはい! ぼくだよ、魔王様を乗せて討伐にお供したグリフォン』
「ええええ!?」
私はまたも叫んでしまった。
「だってあなた、こんなにふわふわで可愛い小鳥なのに!」
「幼体だからね」とベルンハルトが苦笑する。
『ふわふわの中にはちゃんとライオンの足が隠れているよ! 特別に見せてあげる!』
グライの白くてまん丸い体から、にょきりと小さな獣の足が出てきた。
「本当ね……」
「私の消滅と共にすべての魔物も消え去った」とベルンハルト。「彼も私同様、前世の記憶を持って新しく生まれ直したんだ」
『そ。で、魔王様に王城にひとりで向かうヒルダを、守るよう命じられたんだ』
「そうなの……」
物理的には、あまり守れてはいなかった気がする。
でも、彼がおしゃべり相手としていてくれたから、私は孤独ではなかったし、心が折れずに済んだ。
グライに「ありがとう」とほほえむ。
「迎えにくるのが遅くなってごめん」
ベルンハルトが美しい黒曜石のような目で私を見つめる。
「三年もかかっちゃったけど。シュテルンの王宮は、君が過ごしやすいようにちゃんと整えてあるからね。貴族も官僚も使用人も全部。安心しておいでね」
「……むしろたった三年で、しかも完全人間の身で、そんな奇跡を成し遂げるベルンハルトが一番恐ろしいような気がするわ」
「そ、そんな……!」
ベルンハルトは青ざめわなわなと震えだした。
「あ、ごめんなさい、ショックを受けないで。それでも私はベルンハルトが大好きよ!」
「よかった。私もヒルダが大好きだよ」
ほっとしたベルンハルトが、甘く蕩けるような笑みを浮かべる。
うん、あなたってばすぐに色気もりもりになるの、やめてくれないかしら?
子供のころからベルンハルトの美貌には慣れていたはずなのに、あまりに美しすぎて心臓が爆発しそうになるんだもの。
でもこんな幸せな悩みなら大歓迎ね。
〈おわり〉




