出発の朝
六日目の朝、ガレットが倉庫まで来た。
裏ルートを使って来たらしく、息は切らしていないが目が少し鋭かった。ルシアンが扉を開けると、中をちらりと見て、それからルシアンの顔を見た。
「やっぱり持ち込んでたか」
「何が」
「とぼけんな。軍の残党が探してるのは、白い竜だ。お前んとこに転がり込んでるって話が出てる」
ルシアンは黙っていた。
「昨夜、工房を当たられた。お前がいなかったから事なきを得たが、今日また来るかもしれない」
「……そう」
「そうじゃないだろ」ガレットは声を低くした。「時計屋、お前、わかってるか。軍の残党ってのは元正規軍だ。戦後に解散させられた部隊の残りで、今は民間の依頼を受けて動いてる。金になるなら何でもやる連中だ」
「依頼人は」
「研究屋だって話だ。名前まではわからん」
研究屋。ルシアンは内心でその言葉を転がした。シーアの言っていた白い部屋、白い服の人間。繋がる。
「お前に選択肢をやろう」ガレットは続けた。「一つ、今すぐそいつを外に出せ。どこかに消えてもらえ。お前は関係なかったことにできる。二つ、このまま抱えて逃げろ。ただし港区にはいられない」
「三つ目は」
「ない」
ルシアンは少し考えた。考えるふりをした、というのが正確かもしれない。選択肢の答えは、聞く前から出ていた気がした。
「二つ目で」
ガレットは目を細めた。
「……馬鹿だな、お前は」
「よく言われる」
「言われ慣れてどうする」ガレットは息を吐いた。「いつ出る」
「今日中に」
「行き先は」
「まだ決めてない」
「決めてから動け。無計画に動いて捕まるのが一番間抜けだ」ガレットは腕を組んだ。「東の街道を抜けてヴァレン方面に向かえ。三つ目の宿場町にカルロって男がいる。私の古い知り合いだ。名前を出せば匿ってくれる」
「なんで教えてくれるの」
「時計の礼だと言っただろ」ガレットは踵を返した。「それと、時計屋」
「何」
「あんまり義侠心を出すな。お前みたいなひょろい小僧が持つもんじゃない」
それだけ言って、消えた。
ルシアンは扉を閉めた。
振り返ると、シーアが奥の壁際に立っていた。全部聞こえていた顔だった。
「聞こえた?」
「……全部」
「じゃあ説明は省く。今日中にここを出る」
「わかった」
「荷物はそれだけ?」
シーアは古いコートの前を合わせた。荷物らしい荷物は何もない。最初から何も持っていないのだから当然だった。
「僕が纏める。少し待って」
ルシアンは工房に戻った。
工房は荒らされた形跡があった。引き出しが開いていて、棚のものが少しずれていた。ただし壊されてはいない。探したが、見つからなかったという感じの荒らされ方だった。
手早く必要なものを鞄に詰めた。工具、金、着替え。修理待ちの時計は棚に戻した。依頼人には後で文を出す。それで許してもらうしかない。
最後に、腕時計を確認した。革ベルトが傷んでいる。旅には向かないかもしれないが、置いていく気にはなれなかった。
工房を出る前に、一度だけ振り返った。
時計の音が、静かに満ちていた。
また戻ってくる。
そう思った。思うことにした。
倉庫に戻ると、シーアが扉の前に立っていた。外の音を聞いているのかもしれない。長い耳が、わずかに動いていた。
「準備できた」
「うん」
「怖い?」
シーアは少し考えた。
「怖いけど、ここにいる方が怖い」
「正直でいい」
ルシアンは鞄を肩にかけた。二人分の荷物で、いつもより重かった。
「東の街道を抜ける。歩いて半日くらいかかる。途中、人が多い場所を通るから、フードは被ったまま、さっきと同じように歩いて」
「わかった」
「何かあったら袖を引いて。それだけ守れれば大丈夫」
「……大丈夫、って言える?」
シーアが珍しく言葉を返してきた。責めているわけじゃない、ただ確認している声だった。
ルシアンは少し間を置いた。
「言えない。でも、なんとかする」
「なんとかする、か」
「僕にできるのはそれくらい」
シーアはルシアンを見た。それから、小さく頷いた。
「……うん。それで十分だよ」
扉を開けた。
朝の光が差し込んだ。昨夜の雨が嘘みたいな、澄んだ秋の朝だった。港の方から潮の匂いが来て、どこかで鳥が鳴いた。
ルシアンは先に出た。シーアが後に続いた。
倉庫の扉を閉めて、鍵をかけた。路地に出て、東へ向かう道を取った。
しばらく歩いてから、シーアが口を開いた。
「ルシアン」
「何」
「工房、好きだった」
好きだった、と過去形で言った。まだ離れたばかりなのに、もう過去にしていた。
「また戻れる」
「そうかな」
「そうだよ」
シーアは少し黙って、それから、
「……うん」
と言った。
港町が、二人の背中で遠ざかっていった。




